終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

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聖母マリアわれらのために祈り給え
一羽の鷲


マリアよ、地上の悲しみを忘れたまわざれ


「ロザリオの十字軍」募集。詳しくはカテゴリー「ロザリオの十字軍編成」2014年9月15,16,17日参照


メールアドレス(ロザリオの十字軍グループ編成登録用): aza.c@live.jp
Rosary Miracle - Safe in the Midst of Hiroshima Nuclear Blast !!
http://www.holysouls.com/sar/rosarymiracle.htm
https://www.youtube.com/watch?v=xx2MRo3M3Fs


アーカイブ(「後略」とは、最後の祝福の部分を略したということです―管理人)



(画面の一番上の「文字サイズ」を大にすると大文字で読みやすくなります)




ビデオ!

大警告を知らないすべての日本人のために

https://youtu.be/3oD3iUIu3CE


百千鳥



1995年月8月14日 
 8:30am

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聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、まことの平和を得るには、祈りしかないのです。

忍耐強く祈りなさい。

神はあなたたちの祈りを聞かれますが、忍耐もまた試されているのです。

神を試そうとせず、神のおはからいに身を委(ゆだ)ねなさい。

すべては、祈りにかかっているのです。

忘れてはなりません、あなたのミッションは祈りのミッションであることを。

祈りがすべての土台であってください。

イマクラータ、トラブルを恐れてはなりません。

神が送られるものを、また許されるものを、恐れてはなりません。

常に識別して祈りなさい。(後略)

※当時捜していた祈りの家を指す。
(2018年6月24日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1995年月8月12日 
 7:50am

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

多くのことを学んでゆくには、まことに謙遜でなければなりません。

何かができるとしたなら、それはすべてあなたの力ではなく、神の力なのです。

貧しいスタートであっても、信頼してゆきなさい。

神の家にふさわしい家が与えられるでしょうから。(※)

常に忍耐し、祈りなさい。

神のなさり方に、あなた方が自分を合わせなければならないのです。(後略)

※当時捜していた祈りの家を指す。
(2018年6月23日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1996年月10月7日 
 6:55am

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

今日はロザリオの元后の祝日です。

この称号のもとに私はまことに多くの恵みを子供たちに与えるのです。

ロザリオを祈りなさい、子供たちよ

あなたたちは、わけのわからない子供の様ですが、成長しなくてはなりません。

あなたたちの霊的成長のために、ロザリオは大いなる力があるのです。

熱心に心を込めて、玄義を黙想しながら祈りなさい。

この母があなたたちを助けましょう。

私は、全人類の母です。

子供たちよ、恐れずに私のもとに来なさい。(後略)


(2018年6月22日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月





1996年月10月5日 
 8:05am

聖母:試みにつぐ試みがあるのです。

一つひとつ、あなたたちは清い、正しい心で対応してゆかねばなりません。

けっして急ぐことはないのです。

すべてには時というものがあるからです。

また、人間にはそれを理解することはできません。

ですから、祈り、徳にみちた生活を送ることが大切なのです。

そうすると、あなたたちは測りがたい神の御旨というものを、幾分かでも理解でき、十字架の道を歩めるのです。

今日一日の労苦でよいとおっしゃったのです。

今日一日の労苦を背負い歩みなさい。

あとは神に任せなさい。

私はあなたと共におり、あなたを助けます。

ですから、祈り、願いなさい。

守護の天使、聖人たちの取次ぎを願いなさい。

すべての天の助けを、あなたは、わが子供たちは必要としているのです
。(後略)


参考

保護の聖人、または、いかなる聖人に対しても有効な祈り

栄光の聖(聖人の名前)(わが愛の保護者よ)御身(おんみ)は地上にて、謙遜と信頼のうちに神に仕え給えり。御身は今、喜びのうちに天国にて、神の至福を目(ま)のあたりにし給う。御身は死に至るまで忍耐を貫き、永遠の命をもって報いられ給えリ。今、われを取り巻く危険、混乱、苦悩を思い起こし、わが必要なることと困難のために取り次ぎ給え。特に―(願い、意向)を取次ぎ給え。アーメン。
(公教会認可。『白い祈祷書』より)


(2018年6月21日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月





1996年月10月4日 
 8:40am  
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、黙想会を開くことは天の望みです。

なぜなら、多くの恵みがこれによって下るからです。

あなたも、人々も、一年をかけて準備することにより、霊的な実りを得ることができるからです。

M・ジェーンとF・カイラーは来るでしょう。

なぜなら、天が彼らに要請するからです。

彼らは大いなる恵みをもたらしますから、時間をかけて準備しなさい。

私はあなたを導き、助けます。

常に正しい浄い意向をもってすべてを成し遂げるようにはげみなさい。(後略)

(2018年6月20日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月






■「サタンは、毎日わが聖なるロザリオを唱える者すべてに対して、傷つけたり、攻撃したりはできません。三環、あるいはそれ以上祈ることによって、あなたたちは他の者たちにこの保護を拡張できるのです。たとえ百人の者たちであってもこのことをすることができたなら、彼らは自分たちの国を、邪悪なるものが広める汚染から救うことができるのです。」(2012年6月20日マリア・ディバインマースィーへの聖母のメッセージ)

(2018年6月18日)





画像の説明


聖ミカエルの祈りを毎日唱えていたアメリカ海兵隊員に朝鮮戦争で起きた奇跡の実話

ミカエル、朝のミカエル・・・」

「百千鳥」参照

(2018年6月14日)





1996年月10月3日 
 7:00am  
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

わが子よ、私はあなたをインスピレーションによっても導いているのですから、正しいと思うことをやり遂げなさい。

多くの者は、必要なレッスンを受けることすら、その心にはないのです。

ですが、これからの厳しい訓練に立ち向かうには、あなたたちは学び、準備しなければなりません。

いま現在あなたたちが受けている苦しみよりも、もっと激しい苦しみにあなたたちは出遭うからです。

知るだけではなく、あなたたちはそれを生活の中に生かすことが大事です。

つまり、祈りと徳によって生きることです。

ただの善意だけならば地獄にさえもころがっているのです

あなたたちは労苦して十字架の道を歩み通さねばならないのです。(後略)

(2018年6月13日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月





1996年月10月20日 
 3:00pm 祈りの家 コーナー・ストーン 
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

今、わが浄配聖ヨゼフと共に、ここにいる全てのわが子供たちを祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン

次第にあなたは、あなたたちは、この世と相容れなくなってゆくのです。

なぜなら、キリストに属するあなたたちは、この世の者とは交わるわけにはいかないからです。

しかしあなたたちは、祈りによってこの世の子らを助けることができます。

祈りによって救霊が決まるのです。

ですから先ず祈りなさい。

多くの、神を信じない者、拒んでいる者たちのために祈りなさい。

この世に動かされる悪が増えるので、あなたたちの多くの祈りが必要とされるのです。

子供たちよ、祈り合いなさい。

それが最初です。

サタンが暴れまわって、多くの子供たちを攻撃しているので、祈りによって援助し合わねばなりません。

では私は、あなたとトーマス、そしてここにいる全てのわが子供たちとJMJコミュニティー、特にその「絶えざる御助けのノヴェナ」を祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

(2018年6月10日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月





1996年月10月6日 
 3:00pm 祈りの家 コーナー・ストーン 
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、今、聖ヨゼフ、わが浄配と共に、あなたとここにいる全てのわが子供たちを祝福します。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン

イマクラータよ、今月はロザリオの月です。

できるだけ多くのロザリオを、子供たちよ、黙想しながら祈ってください。

あなたたちは集まって、家族と友人とロザリオを祈ってください。

多くの困難、試練の中で、あなたたちがその十字架をになってゆくためには、恵みが必要です。

子供たちよ、あなたたちはそれを祈りによって得ることができるからです。

祈りは、まことに心を込めた真剣に祈られる祈りは、神の心を動かすからです。

祈りの軍団がこの日本に増え、一致して戦うことを私は望んでおります。

あなたたちは祈りによって、ロザリオの祈りによってあなたたちの地域を護り、またサタンの軍団と闘い、打ち破ることができるのです。

ロザリオは、サタンを縛る鎖です

聖人たちは、多くのロザリオの祈りを捧げました。

私の愛するピオ神父を見なさい。

彼は神の人と呼ばれましたが、まことに祈りの人でした。

わが子よ、わが子供たちよ、コーナー・ストーンと一致して祈りなさい。

このミッションは、日本においてまことに隅の親石、コーナー・ストーンだからです。(後略)

(2018年6月10日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年10月





罪に砕かれたるイエズスの聖心(みこころ)への祈り

投稿されたこの祈り、これを毎日唱えれば、主イエズス・キリストの聖心とその苦しみが理解できるようになるでしょう。暴れ馬のような私たちの自我を抑え込むには、主の聖心の苦しみを理解するしかありません。この祈りに含まれている主の苦しみは、現在、日々加えられているの主の苦しみそのものです。この祈りを毎日唱えることで、私たちは確かに主の聖心をお慰めすることができるでしょう。またこの祈りは、私たちの祖国への愛と聖母マリアの汚れなき御心へのあつき信心をも告白できるようになっています。(祈り文は「百千鳥」に掲載)

(2018年6月8日)



1996年月9月22日  3:00pm 自宅  コーナー・ストーン 
     
 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

何も恐れずに進みなさい。

すべてを司っている神に信頼して歩みなさい。

私たちはあなたたちを見守り、導いているのです。

私は「よき勧めを給う母」であり、あなたのミッションをそのように導いているのです。

天のまことの望みに従がって生きようと望む人は、あなたのもとへ集まって来るでしょう。

ですから一歩いっぽ歩んでゆけばよいのです。

多くの者がサタンに「イエス」と言い、神に「ノー」と言うのです。

祈りによって、この哀れな多くの子供たちを助けなければなりません。

ですからあなたたちは、祈り、激しく働かなければならないのです。

あなたが神と共に在ることを知る者がふえてくるでしょう。

ですから、信頼して歩みなさい。

祈りの軍隊、軍団によって、多くの者が回心できるように、子供たちは日々、祈らなければなりません。

こうして、あなたと光の子供たち、まことに忠実な者たちは学んでゆくことができるからです。子供たちは訓練され、学び、その徳において進んでゆかねばならないからです。(後略)

(2018年6月8日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月





6月4日―「救いの母の祝日」
マリア・ディバインマースィーを信じている人も信じていない人も、今日は十字軍の祈り第154番を祈りましょう。信じて祈る人には多くの恵みが、信じていないが祈る人にも信じる恵みが与えられるかもしれません。MDMを教会が否定しているから、あるいはMDMの所属する教区の司教がそのメッセージを天のものではないと公けに宣言した(これは教皇の下にある教区の司教としてのご愛嬌。教区司教が、現教皇を偽預言者として否定する内容のメッセージを天からの真実のメッセージであるとは言えるわけがないからです。まあ、その司教自身、本気で信じていないかもしれないが)からと言って、今日という特別な日に十字軍の祈り第154番を祈らないことは、信仰者として実に無駄な生を生きているとしか言いようがない。いくら、「マリア様は私たちのお母様です」と口先で言っても、その無駄の隙間は埋まらない。

天のメッセージは、預言の成就する日まで、繰り返し、繰り返し読まなければならない。読めば読むほど、信仰心がかきたてられ、理解、悟得のめぐみが注がれ、識別のめぐみが与えられます。MDMのメッセージの推敲集団「ファミリー」のメムバーが口をそろえて言うことは、メッセージを再読する機会が与えられたことへの感謝です。そう、「生活に追われて忙しい日々を送る現代人」である私たちは、忙しいから祈れず、忙しいから黙想できず、忙しいから聖書を読めず、もちろん毎日天のメッセージを読むなどとはとんでもない、やらなければならない事は山ほどある。

そんな中、ファミリーとして推敲の仕事を引き受けた人たちは、メッセージを読むことがやらなければならないことの領域に編入されたわけです。

話はそれますが、現代人は―信仰を持つ現代人は生活のバランスが必要です。祈りと生活のバランスです。生活のバランスとは、時間に対する意識です。さらに言えば、非宗教的な日常の時間帯にいかにして宗教的な要素(内的生活と言っても良い)を組み入れてゆくか、ある人にとっては、いかに宗教的な要素を暴力的に日常生活の中にねじりこんでゆくかということです。

目安は、天のメッセージで言われてきました。ロザリオにすれば1日3環、聖書は1日15分、ミサはできる人は毎日、そしてメッセージは過去のものを繰り返し読みなさいと再三言われてきました。毎日黙想をしなさいとも。この天の言われる標準を満たせる人と満たせない人がいますし、また通常は満たせる人でも、ある日、ある期間は満たせないという人もいます。ここで、信仰者は自分なりの工夫を凝らし、天の標準にできるだけ近づけるよう生活を改めるわけです。それがバランスを考えるということです。天の求める標準に達しない生活を選択しても、標準に近づけるよう日々意識して生活すればそれはバランスある生活です。

そうする意識、工夫が必要なのは、自然なまま放っておけば人間は安逸をむさぼるようにできているからです。安逸をむさぼる人間をサタンは放っておきません。あっと言う間に罪を犯します。

ですから、バランスとは、時間による切り替えということもできます。何時から何時まではテレビを見る、それ以後はロザリオに向う、というような切り替えです。テレビはとくに見たいもの以外は見ないと決めてかかる方が楽です。だらだらと見る習慣がつけばそこから抜け出すには多くの時間とエネルギーが必要となります。見ない習慣がつけば、なんということもない格闘です。

最近メールが来ました.たくさん祈るよりも心から祈ることが大事であると主張する内容の手紙でした。その通りだと思います。しかし、天は、心から、1日3環祈ることを願っておられるのです。心から祈ることの重要性をもってたくさん祈らないことを正当化してはなりません。天はあらゆるメッセージで、祈りが足らないと訴えておられるのです。

閑話休題。メッセージは、とくにMDMのメッセージを天のものではないと信じている人は、自分で実際にいくつかのメッセージを読むことが重要です。教会が否定しているから、司教が否定しているから偽物だと判断するのでは、あまりにももったない。読んで全体から受けるものを判断すべきです。逐語的に識別することは信仰する者の識別ではありません。主イエズス・キリストが地上を歩いておられたときに、「私の肉はまことの食べ物であり、私の血はまことの飲み物である。…(私を)食べる者は永遠に生きる」(ヨハネによる福音書6-54)と言われ、それを聞いた「弟子の多くは退いてその時からイエズスについて来なくなった」のでした。

主イエズスは12使徒に向い「あなたたちも去って行きたいか」とお聞きになられます。それに対してペテロは「主よ、だれのところに行きましょう。あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます。」と応えます。こう答えたときのペテロには「血」を飲むことも「肉」を食べることも、その真の意味は分かっていませんでした。しかし、信仰する者の識別がそう言わせたのです。

MDMのメッセージも同様です。日本も含め世界中でMDMのメッセージを天のものではないと決めつけているサイトは数多くあります。そのすべてが、「血」を飲み「肉」を食べるというキリストの言葉に躓(つまづ)いた古(いにしえ)の弟子たちと同じです。「神はこうは言わない」「預言が実現しない」「福音書に反する内容」などとありったけの言葉を費やしてMDMを否定します。彼らが、「血」と「肉」に対してペテロの様に理解を超えたところで、「あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます」という信仰を示す言葉を宣言する機会を逸したことは、古今のこもごもこもる一幅の失望の絵を見るようです。

さあ、今日は信じるあなたも、信じないあなたも、十字軍の祈り第154番を祈る日です!




1996年月9月24日  9:15am    
     
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聖母:イマクラータ、あなたが作っている『絶えざる御扶けのノヴェナ』は拡がるべきであり、広められなければなりません。

多くの、困難にある子供たちを救うからです

私は、非常に、非常に多くの恩寵をもってこのタイトルのもとに子供たちを助けます。

ですから、イマクラータ、わが子よ、あなたはこのノヴェナを広めなさい。

私は、あなたにこの使命を託しています。(後略)

※マリア・イマクラータが作成した冊子『絶えざる御扶けのノヴェナ』の在庫があります。お申し込みは
aza.c@live.jpまで。


(2018年5月29日)

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ロザリオの十字軍へ No8
メールでご質問をいただき、5月11日の「ロザリオの十字軍へ No7」での記事に補足説明が要る箇所があることを発見しました。
ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。」の箇所ですが、「二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです」と書いたことで、二人の場合に、常にリーダーが先唱をし、もう一人が後唱をすると読めますが、二人の場合も一連ずつ先唱と後唱を後退してやるのが良いでしょう。これは二人のグループの場合も20人のグループの場合も同じで、多人数の場合は列の端からから順に先唱を交代してやってゆくのです。しかし、これは経験的にもっともよいやり方ということで、絶対に守るべき規則と考える必要はありません。


また、栄唱の時に頭を下げて唱えますが、それは二つの理由があると思います。一つはトリエントミサでは栄唱を唱える時に伝統的に頭を下げて唱えるということと、ある幻視者への聖母の御出現の時に、聖母がその場に集まった人々が祈るロザリオをご一緒に祈られたことがあり、その際、栄唱の時に聖母が深く頭を下げて唱えたということから、ロザリオで栄唱を唱える時に頭を下げて祈るのです。これは、天のメッセージを信じている人々が集まるロザリオではそうするのですが、メッセージを信じていない人でも、御高齢の信徒の方などは、教会で栄唱を唱える際に頭を下げて唱える方もおられます。

それとは別に、「御憐みのチャプレット」の最後に「聖なる天主、全能の聖なる天主・・・」を三回祈りますが、昔、コーナーストーンの祈りのグループの祈りで、マリア・イマクラータに天使が出現して、この、「聖なる天主・・・」を祈る時には頭を下げるべきであると告げられたことがあり、コーナーストーンの祈りの集会では、この祈りを唱える時には、栄唱の時と同じように深く頭を下げて唱えています。

(2018年5月21日)



1996年月9月17日
    
     
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聖母:イマクラータ、書き記しなさい。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、その質問に母が答えましょう。

Q:ロシアの汚れなき御心への奉献のために署名を集めることは天の御旨なのですか。(寄せられた質問に答えての天への確認)

A:そうです。あなたたちは最大限の努力をすべきだからです。祈り、働くとはそういうことではないのですか。


多くの者が識別をできないのです。

それは罪と自我とこの世の影響から、自らの魂を浄く保つことができないがゆえに起こる混乱なのです。

これから立ち上がるには、あなたたちは、肉身と魂の浄さが必要なのです。

浄く生きなさい。

わが子供たちよ、愛し合い、そして憐み合い、忍耐し合いなさい。(後略)(2018年5月19日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月





画像の説明

■「パードレ・ピオ暗黒の三日間」完訳。(「百千鳥」参照)
暗黒の三日間については60年代のベロニカ・ルーケンのメッセージで語られてきましたが、50年代に、聖ピオ神父に主は語っておられました。



ロザリオの十字軍へ No7
祈りのグループが2人の場合と、3人以上の場合はいろいろな面で違いがあるでしょうが、祈りが始まれば同じです。

ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。

メムバーが3人以上の場合は、やはり先唱は一連ずつ順番にやっていきます。

使徒信経の先唱は「…来たり給う主を信じ奉る」まで、主の祈り(天にまします)は「…地にも行われんことを」まで、天使祝詞(めでたし)は「…イエズスも祝せられ給う」まで、栄唱(願わくは「栄えあらんことを」まで、ファティマの祈り(ああ、イエズスよ)は「ああ、イエズスよ、」まで、大天使聖ミカエルの祈りは「大天使聖ミカエル、」までです。十字軍の祈りの先唱は、祈りの最初の句読点までで良いと思います。たとえば、「ああイエズス、」とか「いとも神聖なる父、」とかです。メムバーが二人の場合も、3人以上の場合も、先唱者は唱者部分を唱えたあと、後唱部分も皆と一緒に唱えても良いでしょう。

リーダーは定期的に、たとえば半年、一年ごとに代わると良いです。リーダーは、祈りのグループの祈りの進行を仕切ります。祈りを始める際の最初の「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と、全体の祈りが終わった後の「聖父と、聖子と、聖霊との御名に寄りて。アーメン」をリーダーが言ってけじめをつけます。「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」は、ゆっくりと十字を切りながら唱えます。決して、早撃ちマックの様にすばやく十字を切ってはいけません。昔、私が洗礼を授かった司祭などは、十字を0.5秒の素早さで切ってから洗礼前の聖書の勉強に入ったものです。

ゆっくりと十字の印をしながら「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と唱え、聖父と、聖子と、聖霊を黙想するのです。これは最短の黙想となります。

その他、MDMのミッションで公開している祈りのグループの指針のようなものがあり、その中でリーダーの役割も若干書かれています。その指針はいずれ翻譯してアップします。交代でリーダーをすることは徳の実践という面でも役立ちます。リーダーでない時にもリーダーの立場が理解できるからです。また、いろいろな勘違いをしている人がいるとしても、交代でリーダーを行うことでその勘違いが是正されるということは期待できます。

しかし、何かの理由でリーダーとなることがあまりにも苦痛であるという人は、強制的にリーダーになる必要はありません。パスしても良いのです。

(2018年5月11日)



1996年月9月12日
    
     

聖母:日本には特別な使命があります。

あなたたちの土地は多くの殉教者によって応援を受けているのです。

何事も偶然ではないのですから、あなたは殉教者の光栄のためにも働かなくてはなりません。

あなたたちはこの終わりの時において、聖性において準備されていかねばなりません。

日々の労苦を捧げつつ、祈り、働きなさい。

殉教者たちの苦しみはいかに大きかったことか。

あなたたちは学び、訓練されていかねばなりません。

主の再臨を準備するために、この私、汚れなき乙女がその先駆けとして遣わされているように、あなたたちは私の僕として準備しなければならないのです。

あなたたちは祈り、働くこと、そして徳においてその生活を見直し、立て直し、進んでゆくことが求められているのです。(後略)(2018年5月9日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年月9月11日
 福者ディエゴ    
     
―千葉の殉教者の若い男のヴィジョンを見たことがある。原 主水(※)(もんど)ではないかと思う。(マリア・イマクラータ)

聖母:そうです、イマクラータ、あなたたちの土地は多くの殉教者たちによって応援を受けているのです。

何事も偶然はないのですから、あなたは殉教者たちの光栄のためにも働かなくてはなりません。

調べ、書きなさい。

なぜなら、そういうことをする者は少ないからです。

それはまた、天から依頼されている本(※)のためにも必用なことですから。(後略)

※原 主水
下総の名門、原家の出身。二十歳の時、フランシスコ会第三会会員となる。火あぶりとなる。(江戸の大殉教)

1623年12月4日,江戸の札の辻で五十名が火あぶりとなる。
札の辻の殉教記念碑には原主水の名も刻まれている。記念碑は現在、カトリック高輪教会の庭に移されている。高輪教会は、江戸の殉教者にささげられている。

※天草四郎についての本を書くよう、イマクラータは天の指示を受けていた。後に『天草四郎時貞 真実の預言者』として上梓される。



(2018年4月17日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年月9月10日
7:30AM     
     

聖母:特別な祝福を与えています。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータよ、殉教者たちを敬い、取次ぎを願いなさい。

二十六聖人およびすべての日本の貴い殉教者たちは、あなたたちのために取り次ぎ、祝福するからです。

子供たちは、巡礼によって多くの特別な恵みを得ることができるのです。

では私は、すべての日本の殉教者たちと共に、あなたと○○、そしてすべてのわが子供たちを祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。



(2018年4月10日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年月9月9日
     
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

主のお計らいは理解できません。

あなた方をこの聖堂に呼んだのはこの私です。

いいですか、子供たちはこれからはできるだけ良いミサを捜し、与るべきなのです。

ミサはどのような恵みに満ちていることか・・・

まことに良いミサ、良い司祭を捜しなさい。

子供たちよ、それはあなたたちにとってとても重大なことだからです。

イマクラータ、すべてがゆっくりと進んでいるように見えても、急激に崩壊の時は来るのです。

ですから、祈り、働きなさい。(後略)



(2018年4月8日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年月9月7日
   8:30PM  
     

聖母:起きなさい、わが子供たちよ。

立ち上がり、戦いなさい。

眠り込んでいてはなりません。

あなたたちが生ぬるくなって眠り込んでいるうちに、あなたたちの教会は変わってしまうからです。

子供たちは、真理の軍隊を形成して、戦い続けるために祈り続けなければなりません。

祈りにこそ鍵があるからです、わが子供たちよ。

あなたたちが眠り込んでいるうちに、敵はみるみるうちに多くの子供たちをその手中にと取り込んでしまったのです。

ロザリオの軍隊が、軍団がもっと広がり、戦うために準備されてゆかねばなりません。

子供たちは、真理にとどまれるよう、真理にとどまり戦い続けられるように、日々恵みを集めなければなりません。

あなたたちは苦しむでしょうが、あなたたちの涙は報われる日が来るのです。

祈りによって、聖なる生活によって、あなたたちは自分と家族、そして多くの人々を助けることができるのです。

イマクラータ、わが子よ、ゆっくりですがすべては進んでいるのです。

祈り、働きなさい。

忍耐強く十字架を担い続けなさい。

十字架にこそ術はあるからです。(後略)



(2018年3月28日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



御受難の主日
本日は、トリエントミサでは御受難の主日です。来週は、枝の主日でいよいよ聖週間の大きなドラマに入って行きます。選ばれた民に見捨てられた主の聖心を自分の心として過ごしましょう。

かれらは、私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけた。

イスラエルは、いま、いうであろう。私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけたと。

しかし、かれらは勝つことができなかった。罪びとは私の肩を打ち、長らくその悪をつづけた。しかし、正義なる主は、罪人の頭を落し給うた

(御受難の主日の詠唱より―詩編2ノ1―4)



(2018年3月18日-御受難の主日)




1996年月9月4日
   6:10AM  東京 
 聖ローザ(ヴィテルボ) おとめ
   

聖母苦しみ、痛み、悩み、悲しみ―地上で生きるあいだは、これから逃れることはできません。

逃れるよりも、それを抱きしめながら神と共に歩む道を選択しなさい。

それらはすべて、あなたたちにとって有益なものです。

苦しみは人を浄めるからです。

今日の聖人を敬いなさい。第三会の聖人であり、力強い取り次ぎ手だからです。(後略)



(2018年3月8日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年月9月2日
   7:35AM  
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータよ、私の言葉を聞きなさい。

人は一生のあいだ、多くの恵みを受けるのです。

しかし、自我と罪に凝り固まってしまった人間には、この多くの恵みはむなしくなってしまうのです。

あなたたちに一人ひとりは、この神からの恵みによって責任があるのです。

自分の魂を浄く保ち、自らの魂を救わなければなりません。

たとえ全世界を受けても、自分の魂を失って、何の利益になりますか。

あなたたちは、罪深いこの世から退いて、祈りの生活を確立しなさい。

誕生日ごとに人は恵みを受けます。

一位の天使がつくというのは、まことのことです。(後略)



(2018年3月4日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



1996年8月31日
   9:00AM  
     

聖母:イマクラータ、それは私の望みです。(絶えざる御助けの聖母のノヴェナを広めること)

絶えざる御助けの称号は、わが子供たちにとって貴いものであり、このノヴェナは非常に強力で力あるものなのです。

この称号は、教皇様のミッションとも大変深い関わりがあるものなのです。

ローマ、永遠の都は破滅の淵にあります。

教皇様を擁護しなさい。
&brこのノヴェナによって、教皇様のためにも祈りなさい。(後略)



(2018年3月2日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年8月



聖母マリア'の誕生

1974年9月7日―聖母の御誕生の前日

ヴェロニカ・ルーケン:非常に貧しい家が見えます。「住まい」、聖母は住まいとおっしゃいます。そこは聖母がお生まれになった家です。

一件の家と、一つの部屋が見えます。家には二つの部屋があり、一つは大きな部屋で、今日私たちが「ストーブ」と呼ぶに似た物があります。それは石でできていて、壁の左側にあり、一本の鉄の細い棒、金属の棒(私には鉄の棒に見えます)があり、それがこの石のストーブの真上からつるされています。

金属製のやかんがありますーそれは石の間にかかっていて、それが先ほどの金属の棒でうまくつるされています。そういえばそれはまるで、他の石で囲まれた暖炉のようです。

棒は、調理場と思しきあたりにかかる二つの壁の間に付けられているように見えます。ずっと右にはテーブルが見えます。それはざらざらした感じの一枚の木でできています。テーブルの脚は交叉しています―対角線状に交叉していて、その脚が、テーブルを支える二つの―四つの木片を支えています。

今、テーブルの上にモスリンのような布が見えます。ひとりの男性が見えます―男性が現れ、跪(ひざまず)いています。男性は年老いていて、頭を垂れて、跪いています。彼を呼ぶ声がすると、彼はテーブルの上のリンネンの布を掴み、大部屋の左奥の小部屋に向います。

おお、一人の女性がいます―彼女はベッドに横たわり、二人の女性が付き添っています。彼女たちが抱えているのは―おお、赤ん坊です!おお、二人の女性が微笑んでいます。ベッドの女性は非常に疲れているようです。彼女は年とっています、とても。おお、彼女がその子を出産したのは明らかです。

今、彼女のベッドの周り全体が非常に明るく輝き、その左、離れたところに二人の人影が見えます―おお、それは二位の天使です、非常に大きな天使で、ベッドの左にいます。ベッドの女性―彼女は疲れてはいても、非常に幸福そうに見えます、非常に静かな幸福。敢えて言うなら、彼女の年齢は五十歳かそれ以上、五十代前半ではないかと思います。二人の女性、彼女たちは私には分からない言葉で語っていますが、その語っていることは私には分かります―「主はこの大事な賜をあなたにお授けになられました。これは預言の成就です。あなたの一生は―」

おお。声は立っているニ位の天使から聞こえてきます―声は―二位の天使から同時に聞こえてくるようです―声は彼らから同時に聞こえてきます―「預言の始まりです。あなたの生活は喜びに満たされます。預言の始まり、聖父の遂行。」

今、あの男性が見えますー彼はあごひげをたくわえ、かなりの歳です。彼は今は包んだもの抱えています。それはとても小さな赤ん坊、生まれたばかりの赤ん坊です。彼は木のベンチに座り、その頬に涙が伝います。彼は泣いているのです。彼は言います―「私はこの大きな喜び、御父からのこの贈り物には相応しくはない」そして彼は赤ん坊を自分に引き寄せます。



(2018年2月28日)



1996年8月29日
 
     
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聖母東京は滅ぼされます。罪によって汚された都市だからです。

東京が壊滅してしまう前には、あなたたちには、あなたには、わが警告が与えられます。

それゆえ私の子供たちは避難することができます。

あなたと、あなたたちの住んでいる土地は護られますが、それはミッションの進み方とも、また、人々が天に向かって捧げる祈りの量とも係ってくるのです。

どちらにせよ、共同体は護られるのです。

イマクラータよ、東京が完全に滅ぼされつくす前に、私の子供たちにはチャンスが与えられます。

それは、あなたたちの祈りににもかかっているのです。

コーナーストーンは、東京の救いの防波堤であり、この日本の救いのためにうち立てられた、私の軍隊、軍団の母体だからです。

日々祈り、よい生活をしなさい。

わが子供たちよ、あなたたちは呼ばれる日を知らないからです。(後略)



(2018年2月17日)

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1996年9月29日
 コーナーストーン 祈りの家   3:00PM  
     
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聖母:イマクラータ、書き記しなさい。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。今、わが浄配聖ヨゼフと共に、ここにいる全てのわが子供たちを祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

イマクラータ、母は何回も同じことを言います。

あなたたちがすべきことは祈りであり、償い、犠牲です。

これらはどの出現でも言われてきたことです。

私は、あなたたちを大警告、そして大奇跡、主の再臨に対して準備させるために、たびたび子供たちを訪れ、願っているのです。

その準備をしているのは、ほんの少数の子供たちだけだからです。

理解し、祈り、働いている子供たちのみではなく、私は、全ての子供たちを救いたいのです。

こうして多くの天罰が延ばされてきました。

しかし、時が延ばされたとしても、預言は成就するのです。

ですから子供たちよ、いま祈り、償い、犠牲の生活を生きなさい。

この世の生活に流されてはなりません。

サタンの誘惑に「No!」と言わなけばならないのです。

あなたたちの道は、狭くて苦しい、険しくなってゆく十字架の道です。

あなたたちはそれを受け入れれ、十字架を担って行くために、多くの恵みが必要なのです

自分と、多くの神を知らない子供たちのために祈りなさい。

祈りと、徳に満ちた生活を始めなさい。

(後略)



(2018年1月31日)

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1996年9月8日
 コーナーストーン 祈りの家   3:00PM  
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、今、わが浄配聖ヨゼフと共に、ここにいる全てのわが子供たちを祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

イマクラータ、私のことばを聞きなさい。

時が進むにつれて、祈りの軍団、祈りのグループは、もっと頻繁に祈るよう要請されます。

今は週一回の集会ですが、あなたたちはもっとしばしば集まって祈るよう頼まれるのです。

あなたたちは、多くのことを犠牲にして、祈りの集会に出ること、祈りのグループを形勢することを望まれているのです。

この世界は、多くの危機に満ちているがゆえに、また、あなたたちの道が護られるために、祈りを増やすことを求められるのです。

一人で祈る恵みは限られていますが、集まって祈れば、あなたたちは本当に多くの恵みを短時間のうちに受けることができるからです。

あなたたちの地域で、天罰とのバランスをとるのは、あなたたちの祈りの量と聖化にかかっているからです。

あなたたちは、私の僕たちの多くのメッセージから、多くのことを学び、実践してゆかなければなりません。(後略)



(2018年1月21日)

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1996年9月1日
 コーナーストーン 祈りの家   3:00PM  
     

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、今、わが浄配聖ヨゼフと共に、ここにいる全てのわが子供たちを祝福しましょう。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

イマクラータ、私のことばを聞きなさい。

時が進むにつれて、典礼が変わってゆくので、わが子供たちは教会を変えなくてはいけなくなるでしょう。

よいミサを捜して、あなたたちは遠出しなければならなくなるのです。

子供たちはミサを中心にしての一日の、一週間の生活を組み立てなおさなくてはならなくなるでしょう。

あなたたちがよい司祭を捜し、よいミサにできるかぎり与ることは必要であり、重要なことなのです。

時が進めば、ミサに与ること自体が難しくなるでしょう。

まことに、あなたたち一人ひとりは、神のために殉教の思いを体験することになるのですが、ニューエラに入るために、多くの子供たちは、地上で煉獄の苦しみを体験することになるのです。

あなたたちは、サタンではなく、神に従がって、十字架の道を歩まねばなりません。

今のうちにあなたたちは典礼を学び、教皇ヨハネ・パウロⅡ世の回勅を読んでいなければなりません。

何も知らぬうちに流されてゆく愚かなアヒルとなってはいけません。

あなたたち一人ひとりは、ローマ・カトリック信者として真理を擁護しなければならないからです。

私と、聖櫃にこもられるイエズスに、そしてわが浄配聖ヨゼフに助けを願いなさい。

あなたたちは祈り、努力しなければならず、終りの時のために働かなければならないからです。

あなたたち一人ひとりは、自らの魂に責任があるのです。(後略)






(2018年1月13日)

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ヨゼフ・マリ・ジャック神父
「静香」さんから百千鳥に投稿されたものです。かつて日本にはこのような司祭がいたのです。


1982年にある司祭が日本の司教団に対して書いたもの(もう亡くなっている司祭)。その中のある部分を読んで涙が出そうになりました。苦しみが伝わってきます。(静香)

「私は、ここで、特に、我が教区の司教であられる、濱尾文郎閣下に対し、私の、聖職者としての良心にかかる重大問題を、日本司教協議会の前に、申し述べるよう、お勧めくださったその、御配慮と、御親切に、心より御礼を申しあげます。

イエズス・キリストの代理者なる、聖なる教皇の命令に従うことによって、私の尊敬する司教様のお望みに、抵抗を、感じなければならないことは、私に、生れて初めて、死する程の憂いを、覚えさせます。

聖会に忠実であろう、とするために、その同じ教会から、これ程の苦しみを受けることは、決して、想像できることでは、ありませんでした。この時代、人々は、今までにない暴力と、拷問の、苦しみの時代に、生きています。

しかも、聖なる教会までが、自分の子どもらを、拷問する時代にまで、なっています。このことについて、私は、多くの例を出すことができます…

とにかく、どんなことであっても、自分よりも遥かに愛する、この聖会に、いつも、服従いたします。

正しさをもって、教会に勝つよりも、むしろ、間違っても、その教会に従って一緒に損する方が、信仰においてましだと思っております。

しかし、それと同時に、白状しますと、自分の良心に背きながら、手で御聖体を授けることによって、イエズス・キリストの尊い御体を汚すよりも、即座に死ぬほうが、私にとって、ましであると、告白いたします。

何故なら、私の、司祭としての良心には、このことは、全ての不敬に、戸を開くことであって、それは、信仰と、愛と、特に、謙遜の欠けた処から生じてくる甚だしい涜聖だからです。」(「口でのご聖体拝領に関する弁論」ヨゼフ・マリ・ジャック神父著より抜粋)


(2018年1月10日)







90%

ジム・カヴィーゼル
―「私たちは福音のために命を懸ける覚悟のある『戦士』でなければなりません

2004年にキリストの受難を描いた映画『パッション』が公開されました。その映画でイエズス・キリストを演じた俳優がジム・カヴィーゼルです。

アメリカ合衆国のシカゴで、正月の2日から昨日の6日まで、FOCUS(カトリック大学学生協会)の主催でSLS18(学生幹部サミット2018)が開催されました。

その会合に、3日の水曜日に『パッション』スターのジム・カヴィーゼルがサプライズで登場しました。

そこで彼が語ったこと、それは生ぬるい信仰生活を送る者たちの横っ面を張るような内容でした。

カトリック教徒は世の悪を打ち負かすために命を、評判を賭ける覚悟がなければならない、と彼は言います。

信仰とキリストの教えによってのみ私たちは救われるとカヴィーゼルは語り、と同時に救いには戦い、犠牲をし、苦しむ覚悟のある人たちが必要だとも語りました。

聖マキシミリアン・コルベを引きながら彼は、無関心は20世紀の、そして21世紀の最も大きな罪であると語ります。

私たちはこの無関心、この悪に対する破壊的な寛容さを打ち捨てなければなりません。しかし、信仰とキリストの教えだけが私たちを救うことができるのです。しかし救いには、真理のために自らの評判を、名を、そして命さえをも賭する覚悟のある戦士が必要です

この腐敗した世代から自らを引き離しなさい]俳優は聴衆に訴えかけます。「聖人たれ。皆さんは(腐敗に)なじんでしまうために創造されたわけではありません。抵抗するために生まれたのです


これから公開される『パウロ―キリストの使徒』の出演の経験が、神の眼に偉大であるためには、私たちは先ず小さき存在となり、神を完全に受け入れ、神が私たちを導くに任せることだと知ったと彼は語る。

カヴィーゼルはまた苦しみの重要性についても語り、一般に普及している誤解―キリスト教とは「幸福な語らい」であるということをも非難しました。

彼は、いかにして(役者としての)初期の役がメル・ギブソン監督の『パッション』でキリスト役を演じることに繋がったかを語りながら、自分が演技することに呼ばれたのは偶然ではないと言いきります。

カヴィーゼルはFOCUSに集まった学生たちにも、彼らの人生は偶然の連続から成り立っているのではないと語りました。

あなたたちの中には現在惨めな、混乱した、未来に不安を覚える、心痛む生活を送る人もいるかもしれません。しかし、今は引き下がったり、屈したりする時ではありません

彼は、キリストの役を演じ切ることでいかに大きな試練、苦しみを味わわなければならなかったかを語った。それは鞭打ちや磔刑、雷に打たれるシーンの肉体的苦しみ、5か月間低体温症で苦しんだ後の心臓手術をも含む試練でした。

十字架を担う撮影中にカヴィーゼルの肩もまたはずれ、彼はそのシーンの撮影終了までそれを我慢しつづけたたのでした。それはまるで償いのようだったと彼は言います。

私が十字架に掛けられたとき、キリストの苦しみは私たちの贖いであることを悟りました。僕は主人に勝らないということを思いだしてください

私たちは一人ひとりが自分の十字架を背負わなければなりません」彼は続けました―「復活―実際には私たちの救い―には大きな代償がいるのです

☆☆☆

わが母は神と人間の仲介者としてあなたたちを訪れてきた。彼女は多くのバラをあなたたちの元へ送り、まき散らす。多くの者には刺があるーバラに刺はつきものだ。わが子よ、わが子供たちよ、あなたたちはいつもバラの下に十字架を見出すだろう。
天国への道は十字架の道である。自分の十字架を担い私に従いなさい。その道は狭く、留まるものは非常に少ない。多くの者が呼ばれるが選ばれる者は少ない。変わらずにいなさい、わが子供たちよ。忠実でありなさい。忠実で真実でいなさい、そうすればあなたたちは救われる
」(イエズスのヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ 1979年7月25日)
(TLDニュースより)

 
(2018年1月7日)


謹賀新年
2018年1月1日


1944年のクリスマスミサはこんなふうだった―映画「クリスマスホリデー」のワンシーン
https://vimeo.com/115477075


(2017年12月26日)



聖母マリア
覚えておきなさい、わが子供たちよ、わが母のもとへ来なさい。地上でのわが母の人間としての日々を想い起せば、何よりも先ずわが母は創造された人間であった―罪の無い、罪の汚れの無い、罪のない完全な地上での生活、そして身体と霊ともども天に挙げられた―わが母はあなたたちの母であるゆえにとりわけあなたたちを導き得るのだ、わが母は天の元后にして地上のすべての人間の母である」(主のベロニカ・ルーケンへのメッセージ 1979年8月14日)




メリークリスマス!


ヴェロニカの見た最初のクリスマスのヴィジョン
メリークリスマス!

ヴェロニカ:丘の中に深く掘られた洞窟が見えます。入口が非常に広い洞窟です。地べたに一人の女性が座っています。地面は埃っぽく、固く感じられます。その女性の周りには何頭かの動物がいます―三匹の羊がいます。その女性は、藁か枯草を盛り上げた上に寝かされた赤子の周囲の暖をとるために子羊たちをそばに寄せました。

一人の男がいます―聖ヨゼフに違いありませんが、彼は茶色の生地のローブを着ていて、赤子を見下ろしています。赤子はとても小さく、クリーム色の布に包まれています。女性―祝されし御母は、羊たちをさらに赤子のそばに押しやります。牝牛ほどのサイズの、角をはやしたいかつい、茶色の一頭の大きな動物が入口付近に立っています。

洞窟の中は非常に暗いのですが、彼らの周りには光がさしているようです。その光は空中から発しているように見えます。男の背後には非常に大きな二位の天使がいます。でも、女性ー祝されし御母は、ずっと見下ろしたままなのでそれらの天使に気づいているとは思えません。

ああ、彼らの何と貧しく見えることでしょう。でも彼らはとても幸福そうです。聖母は、ほこりまみれの固い地面にじかに座っておられます。子供をこの世にもたらすことは彼女にとり非常に困難を伴ったに違いないのですが、彼女はとても幸福そうです!

バラの聖母:私たちが食べた食べ物はとても固い物でした、でも光は私たちを包み、私たちはすべてを喜びをもって受け入れました。

ヴェロニカ:聖母が乾燥した魚と思しき物を一匹手にしているのが見えました。それは非常に噛みずらい物です。ヨゼフは濃い色、ほとんど黒といってもよい、薄いパン切れと思しき物を手にしています。それは固まりではなく、ふくらますことなく焼いたか、その類いの物です。そのパンもまた固く、乾燥しているように見えます。

音楽が聞こえます。聖母とヨゼフはその音楽が聞こえるので微笑んでいます。洞窟は、小さな子供たちの歌声で溢れかえります。その声は歌っていますー「めでたし、光をまとった小さき救い主。天の戦いに馳せ参じるためにお生まれになった

バラの聖母:多くの者たちが送り物をもってやって来ました。でも私たちはその心を見透かし、帰ってもらいました。

ヴェロニカ:誰か、白いガウンを着た男が入口を伺い洞窟の中に入って行きました。でも彼には音楽も聞こえなければ天使も見えませんでした。(彼の顔からそれは明らかです)その男はヨゼフに話しかけました。その言葉の内容は分かりません。

人が、超自然的顕れを体験できるのは、御父による特別な恵みによる場合だけだということを私は確信しました。

幼子の顔は非常に珍しいお顔でした。幼い顔の中に、年寄りの知識と叡智が宿っているのです。マリア様は愛くるしいぐらいに幸福そうです。と同時に悲しみの陰りがうかがえます。聖母はすでに前途―将来味わう悲しみを知っておられたのです。それは彼女に知らされていたからです。マリア様は、優しく語られます―

バラの聖母私は主のはしためです。あなたのみことばのとおりになりますように」

ヴェロニカ:天使がマリア様の傍らに来て言いました―

天使この子は光によって養われるでしょう
―1970年12月24日

(2017年12月23日)






「浄め」と「よろこび」をもって
一年のミサ典礼において「喜べ」という言葉で始まる日が二日あります。
待降節第三主日(Gaudete in Domino semper 主において常によろこべ)と、四旬節第四主日(Laetare Jerusalem よろこべ、エルザレムよ)です。Gaudete も Laetare も「よろこべ」という意味です。
司祭はこの日のミサでバラ色の祭服を着ることから、バラの主日と呼ばれます。

待降節第三主日では、バラ色は御降誕の聖なるよろこびの始まりであるこの週の主日を、昔は盛大に祝ったその習慣の名残りです。

苦しみは霊魂をきよめます。ですから救い主を待ち望む待降節は「苦行の時」です。その苦行の表れとして、四旬節の苦行を想いださせるべく司祭は紫の祭服をつけ、オルガン伴奏を禁じ、また御降誕まで栄光の讃歌は歌いません。

しかし待降節はまた「心のよろこび」の季節でもあります。それは特に待降節第三主日に表れています。

人類の歴史の中で唯一の事件と言ってもよい救い主の地上への来臨の時が、一週間後に迫っています。この週を、「浄め」と「よろこび」の中に過ごしましょう。また今日から二四日までクリスマスノヴェナです。そのための特別な祈りをもっていない人は、毎日一連のノヴェナをしましょう。(参考:『毎日のミサ典書』)


(2017年12月16日)








重要―マリア・ディバインマースィーのための祈り

主の預言者は苦しみ、聖家族と共に痛み煩悶(はんもん)しています。親愛なるレムナントの皆さん、世間と自分の仕事で心が当惑している彼女のために祈り、多くの犠牲を捧げてて下さい。

彼女は主の御手(みて)が彼女の上にあることを知っています。彼女はすべきよう呼ばれた仕事が自分よりも偉大であるということを知っています。

人類の救いのミッションを成し遂げるために必要とする強さを彼女にもたらすために、どうか次の祈りを来週いっぱいお祈りください。

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おお、天の栄光の父よ、今日、そして日々、御身(おんみ)へのわれらの願いと叫びを聞き給え。御身の言葉、御身の憐みの警告、御身の愛をわれらに与えんがために、愛を込めてわれらに送り給いし預言者を祝福し給え。

彼女こそ、われらが正当なる遺産を受け継ぐを助くるがために、御身が何十億もの中より選びし唯一の者なり。彼女を御身の恵みで満たすべく、また御身の聖書を成就(じょうじゅ)すべく導き給え。

すべてが成し遂げらるるまで彼女を祝福し強め給うよう、御子(おんこ)の流し給える御血(おんち)によりて、御身、全能・永遠の御父に願い奉る。アーメン。




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