終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

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聖母マリアわれらのために祈り給え
一羽の鷲


マリアよ、地上の悲しみを忘れたまわざれ


「ロザリオの十字軍」募集。詳しくはカテゴリー「ロザリオの十字軍編成」2014年9月15,16,17日参照


メールアドレス(ロザリオの十字軍グループ編成登録用): aza.c@live.jp
Rosary Miracle - Safe in the Midst of Hiroshima Nuclear Blast !!
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アーカイブ(「後略」とは、最後の祝福の部分を略したということです―管理人)







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大警告を知らないすべての日本人のために

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百千鳥
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マリア・イマクラータのメッセージ
今日で、マリア・イマクラーの1995年9月のメッセージは終了です。次回から、遡って1994年3月のメッセージからアップしていきます。メッセージの内容そのものに解釈や説明を加えることは控えねばなりません。しかし、メッセージが与えられた背景に最小限の説明を加えることは、今、メッセージを読む読者の助けになると思います。
メッセージが与えられた時期は、1994年8月15日を境に前後、A、Bの時期に分けられます。

 Aの時期    (1994年8月15日)      Bの時期

1994年8月15日:日本、世界の幻視者たちが分裂した日

Aの時期:日本に於ける終わりの時の共同体づくりが具体的に始められる時期。日本において多くの幻視者が立てられる。(秋田のシスター笹川から数えてイマクラータで13人目)
        
Bの時期:マリア・イマクラータを中心にして日本における「霊的再編成(聖母の言葉)」が行なわれた時期

1994年8月15日は、一致のために日本中から、世界中から来た幻視者やプロモーターが一堂に会しましたが、一致のそのシンボルであるその日の会合を境に一気に分裂へと突き進みます。分裂後は、日本ではマリア・イマクラータを中心に聖母の汚れなき御心の軍隊・軍団のさらなる拡大、東京での黙想会、バスを借り切っての巡礼などが行われていった時期で、共同体づくりのために、物質的、霊的準備がすすめられていった時期でもあります。A、Bの時期を通してそれは「篩(ふるい)」の時期であったと言えます。多くの人間がさまざまなレヴェルでふるわれたのです。そのような大まかな背景を念頭に入れてメッセージが読まれればと思います。

重要なことは、あらゆる天のメッセ―ジがそうであるように、これが過去の遺物ではなく、現在、未来に直結する霊的指導書であるということです。これから起こる事柄(NWO、反キリストの台頭、さまざまな災害、戦争、大迫害など)を乗り越えてゆく秘訣がそこには語られています。

(2018年7月29日);



1994年月4月26日
 コーナーストーンの祈りのうちに B宅にて     3:00pm
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聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて.アーメン。私はあなたとC、BとAを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、書き記しなさい。

イマクラータ、天の元后である汚れなき乙女マリアは、愛する子供たち、あなたたちに挨拶し、わが汚れなき御心よりの愛を与えに参りました。

イマクラータ、わが子よ、わたしの心を思ってください。

私はあなた方の母です。

いまのあなたたちを見て、私の心にどんなに愛が溢れているか、イマクラータよ、あなたは分かるでしょう。

あなたの心の中の愛と一致の思い、それはこの母の思いなのです。

この思いをもって、この愛によって人々を導きなさい。

わが子よ、私の汚れなき御心と一致した愛をもってあなたが生きるとき、あなたがたの人世の一瞬いっしゅんがどんなに生き生きとしていて、晴れやかで熱情に満ちた者となるでしょうか。

この思いで、救霊の事業をあなたがたがするとき、まことに巨人のように歩めるのです。

わが汚れなき御心の、この燃えるような愛をもって働きなさい。祈りなさい。

わが汚れなき御心の子供たちよ、わが愛する子供たちよ、あなたたちは成し遂げなければなりません。

わが汚れなき御心に溢れているこの愛、これを受け取りなさい。

コーナーストーンはわが望み、希望です。

私は、何回でも繰り返します。

イマクラータ、やり遂げなさい、Cとともに。そしてわが愛する光の子供たちとともに。

B,Aに伝えなさい。

心してミッションをやり遂げなさいと。

あなたたちの一致、霊的一致はとても大切です。

わが幻視者たちの一致を、とても点が求めているように。

イマクラータ、わが愛する子よ、B,Aのためにいつも胃の入りなさい。

彼らがミッションをやり遂げることができるように。

あなたたちは祈り合わねばなりません。

愛し合い、祈り合いなさい。

わが子供たちよ、それがあれば何も恐れることはないでしょう。

恐れることなく歩みなさい、わが愛する子供たちよ。

私はあなたとC,B、Aをわが汚れなき御心より祝福します。アーメン。

(2018年9月23日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





守護の天使もどうすることもできない

落ちた幻視者はなぜ地獄へ行くか
「幻視者が落ちる」という意味は、幻視者が天から与えられたミッションを失う結果になることを意味しますが、「落ちる」と表記するのは、英語の「fallー落ちる」からきていると思われます。「落ちた幻視者」は英語では「a fallen seer」といいます。「堕ちる」と言う漢字を当てる人もいます。それは「堕天使」を英語で「fallen angels」ということからそう表記するのかもしれません。

一般的に、いまの時代に死んだ人間の霊魂が地獄に行くということは珍しいことではなく、それどころか雪が降るように霊魂が地獄に落ちていると聖母マリアはメッセージで告げられます。今は死ぬ人の80%が地獄に行っているというメッセージもあります。地獄に行くということはけっして稀なことではないのです。それどころか「いま死ぬ人のほとんどは地獄に行く」といってもよい状況です。その多くが性的罪のために地獄に行くと言われています。

そのような時代的霊的状況がある一方で、教会で司祭は地獄については黙して語らず、人道主義や政治問題を喧伝します。ある司教は、小教区を訪れ、ミサを挙行し、ミサ後の講話の初めに「みなさんのなかで地獄を信じている人はいますか」という問を投げかけ、そのあまりにも唐突かつ愚かしい質問のせいだと思われますが、信徒がそのままだれ一人挙手する者がいないのを確認してから、その司教は「安心しました」と言い放ったそうな。この「安心」の意味するところは何でしょうか。

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もう何年も前に、日本で新しく立たされた一人の幻視者に、来日した外国のベテラン幻視者が関西のホテルでアドバイスをする、その現場に居合わせたことがあります。その外国人幻視者は、日本の新人幻視者に「幻視者というものは、普通の人間には与えられない特別な恵みが与えられる。神の声を聞き、主や、聖母、天使の姿が見える。そのような格別な恵みを与えられた幻視者が落ちるならば、必ず地獄に行くことになる」と説き伏せました。新人は神妙な顔つきで聞き入っていました。

当時はそうなのか、と単純に思ったものですが、その後、いろいろなメッセージを読んでゆき、「どんなひどい罪を犯そうが、痛悔するならば赦す」と主は言われていることを考えても、いかに特別な恵みを与えられた幻視者が落ちたとしても、それを痛悔するならば地獄へは行かないで済むのではと考えるに至りました。落ちてほしくないという気持ちが溢れるあまり、ベテランが新人に、オーバーに語ったのではないかと思うに至ったのです。ちなみにこのベテランは、後に落ちました。

しかし、主が上のメッセージを語ったときに「聖霊に対する罪だけは別である」と言われていることから、また「聖霊が存在しなければ私はメッセージを伝えることはできない」とも言われていることから、幻視者は落ちるだけで地獄に必ず行くというのは真実ではなく、落ちた幻視者が、嘘のメッセージを出し始めたとき、聖霊の業であるメッセージを騙(かた)ることで、聖霊に対する罪となるので地獄に行く、と理解するようになりました。しかし、それでも痛悔すれば許されるものと思ってます。それは聖霊に対する直接的な罪ではないと思えるからです。

聖霊の罪云々と理解せずとも、本来天の存在が人間にメッセージを語るところを、嘘のメッセージを、あたかも天の存在が語ったかの様に偽って公開するという行為が、どれほど神に逆らう重大な行為であるかは分かります。

イマクラータが受けて世界中にメールを通じて拡散された以下のメッセージは、そのことを言っていて、このメッセージのなかの「死なねばならない」というのは、生物学的にこの地上から取り除かれるという意味での死ではなく、「霊魂の滅び(死)」、地獄へ行くという意味です。

このメッセージは2005年に、JMJコミュニティ―の日本の関係者に向けて発送され、2012年に英訳され全世界(アメリカ、カナダ、フィリピン、フランス、アイルランド,クロアチア、オーストラリア、他)のメッセージ関係者にメールで送られたものです。

永遠の御父

永遠の御父 :娘よ、わが娘イマクラータ、

ユダの家々に預言して言え。
偽りの預言をした者は死なねばならない
その責任は預言した者だけではなく、責任者たちの上にもある。

憐みのあるうちに立ち戻れ、偽りの預言をする者たちよ。
わたしは全ての者を愛しているが、骨を腐らせ、命を失わせる者たちを憎む。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。(2005年9月5日)


ですから、幻視者は落ちただけでは地獄へは行きません。しかし落ちた幻視者が地獄をまぬがれるためには、絶対的条件として、落ちたことを痛悔しなければならないのです。

世界中で何百人もの幻視者が立てられ、何百人もの幻視者が落ちていきましたが、悲劇的なことは、落ちた幻視者は自分が落ちたことを認めたがらないということです。落ちた幻視者のその後に関しては、すべての情報を得ているわけではありません。今まで落ちた幻視者は、国内外を問わず、音信不通となりそのまま消えてゆくことが多いからです。しかし例外的に、たった一人、落ちたことを認め痛悔していると思われる落ちた幻視者がいます。それは上述した新人の幻視者で、彼女は、彼女が立てられたある都市に、新たな新人幻視者が立てられた際に、日本のあるプロモーターに「私の代わりに立てられたのですね」と電話で語ったという話を、当のプロモーターからじかに聞いたことがあります。これなどは、その幻視者が自分が落ちたことを認めている言葉です。痛悔すら感じさせます。しかしこれは例外で、大体は、落ちてもそのことを認めない幻視者が多いのです。幻視者が落ちて、落ちたことを認めないということは、落ちたことをまったく痛悔していないということを意味します。つまり、ベテラン幻視者が言う「幻視者が落ちるならば、必ず地獄に行くことになる」とすれば、それは痛悔がないということに原因があるのです。

さらに悲劇的な例は、落ちた幻視者が偽りのメッセ―ジを発信し続ける場合です。これには世界的に有名なヨーロッパの幻視者たちがいます。

落ちた幻視者が天のものではないメッセージを世に送り続けるのは、一つにはサタンからのメッセージ、一つにはその幻視者の心、考えから出たメッセージです。両方とも、幻視者自身が天からのものと信じている場合には、罪とはなりません。信じているわけですから。信じているのか、それとも偽りと知ってか、それは神とその幻視者自身には分かります。

しかし、最悪のケースは、幻視者が自分で偽りのメッセージを故意に「創作」して世に広める場合です。それも含めて偽りのメッセージだと分かっていて世をあざむく場合は、「死なねば」なりません。それは、偽りと分かっているその幻視者の霊的指導者、そのメッセージを偽りと知りながら広めるプロモーターも同罪です。「その責任は預言した者だけではなく、責任者たちの上にもある」とはそういうことです。

落ちた幻視者が、救われる20%の仲間に含まれるということは、至難の業という他はないのです。

偽りのメッセージを世に発信していた幻視者が、ある日、突然痛悔して、告解し、その罪を赦されても、それだけでは十分ではありません。埋め合わせをしなければならないのです。ある司祭が、説教台から「地獄は存在しません」と言い、それを真に受けた信徒の何パーセントかがそれを鵜呑みにして信じたとします。その後司祭はそのことを痛悔して告白すればその罪は赦されますが、それだけでは十分ではありません。その司祭は説教台から、「地獄は存在しないと言いましたがそれは誤りです、地獄は存在します」と訂正する必要があります。偽りのメッセージを広めた幻視者も同じです。偽りのメッセージを広めたその同じルートを通じて、今までのメッセージは天のものではなかったと、訂正の宣言をなさねばなりません。しかし、今までそのような幻視者は見たことはありません。

永遠の御父は「憐みのあるうちに立ち戻れ、偽りの預言をする者たちよ」と言われますが、偽りのメセージを出し続ける幻視者たちは、「憐みのある」時がこのままずっと続くと思っているのかもしれません。

裁きの時は突然訪れます。それは全てが手遅れとなる時です。

つまり、ベテラン幻視者が言った通り「幻視者が落ちるならば、必ず地獄に行くことになる」という言葉はかなりのパーセンテージで真実を含んでいる言葉だと言えるのです。

当のベテラン幻視者は今どうしているかというと、相変わらず聖母のものだと称するメッセージをせっせと発信し続けています。当該幻視者が、それを天のメッセージだと信じて発信し続けていることを祈るばかりです。

この種の記事を書くのはこれが最初で最後です。(2018年9月10日)




■マリア・イマクラータによる『絶えざる御助けのノヴェ
ナ』のあとがき


「文語体の祈りがなかなか手に入らないので、復刻版を作ることにしました。体裁は変わりましたが、祈りそのものは昔のままです。

なお、絶えざる御助けの聖母の祝日は、六月二十七日です。

また、日本で絶えざる御助けの聖母に捧げられている教会は、鎌倉の「雪の下カトリック教会」、レデンプトール会が建てた教会です。レデンプトール会は、聖アルフォンソによって創立されました。

歴史的にも、聖母はたびたびこの「絶えざる御助けの聖母」に祈るよう出現され願われてきました。またピオ九世教皇は、「イエズスの聖心と、絶えざる御助の聖母は、時の最後の時機に世を救うであろう」と言われました。主イエズスは「(聖母の)絶えざる御助けの信心を持つ人々を、独占的に特別の愛をもって眺めよう」とも仰せられました。この終わりの時、皆様が救霊と天の栄光のために働くなかで、「絶えざる御助けの聖母」が文字通り強力な助け手となりますように。

一九九六年十月七日 ロザリオの元后の祝日」

1996年月9月24日  9:15am    

聖母:イマクラータ、あなたが作っている『絶えざる御扶けのノヴェナ』は拡がるべきであり、広められなければなりません。

多くの、困難にある子供たちを救うからです。

私は、非常に、非常に多くの恩寵をもってこのタイトルのもとに子供たちを助けます。

ですから、イマクラータ、わが子よ、あなたはこのノヴェナを広めなさい。

私は、あなたにこの使命を託しています。(後略)

※マリア・イマクラータが作成した冊子『絶えざる御扶けのノヴェナ』の在庫があります。お申し込みは
aza.c@live.jpまで。

(2018年7月19日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年9月



LEFT:■ヴィガノ大司教のレポートが世に出るまでの経緯1

マカリック枢機卿

今年の夏、2018年6月20日、一人の高名な枢機卿が使徒座によって公職から解任された。それは、ニューヨークのローマカトリック大司教区の再調査委員会が、その枢機卿がニューヨークの司祭であったときに、聖パトリックカテドラルにおいて、1971年と1972年に、当時19歳の侍者に性的虐待を加えたとの訴えが「信用かつ実証」できるものであるとの結論を出したことによる。

その枢機卿の名は、9つ以上の大学から名誉博士号を授与された経歴をもつテオドール・エドガー・マカリック枢機卿である。(写真は、2008年、スイスのダボス世界経済ホーラムで語るマカリック枢機卿)

※続きは「百千鳥」でお読みください。
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1994年月4月26日
  5:25am

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて.アーメン。私はあなたを祝福します。

私は天の元后、汚れなき乙女マリアです。

イマクラータ、わが愛する子よ、私の子よ、祈りなさい、絶え間なく祈りなさい。

私があなたに与えた祈りを…どうか救霊のために祈り続けてください。

あなたに与えた、この祈りの使命は重大なのでrす。

シスター・コンソラータの本を読み返しなさい。

祈りがいかに重要であるか…祈りによって、この世界は危うくバランスをとっているのです。

世界は破滅の淵にあります。

マリア・イマクラータ、心を騒がせることなく、日々の祈りの使命を果しなさい。

私とともに…この母とともに・・・

心配することはありません。

ただひたすら祈りなさい。

励みなさい。

私があなたをどこに連れてゆくか、先のことは考えずに、ただこの現在、今の時を十二分に働きなさい。

母がこの地上で苦しみのうちに遭ったように、あなたも苦しむでしょう。

母のあとに従いなさい。

わが子よ、今日Bの家で少し話ますから、準備していなさい。

何もかも母に任せて、祈りなさい。

完全なる委託…この道を歩みなさい。

天に対するまったき愛、信頼がなければ、この道は歩めないのです。

今、あなたに与えているイメージを忘れないように。

母と共に歩んで行きなさい。

私は聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたを祝福します。アーメン。(2018年9月14日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





1994年月4月25日
  5:40am

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

私は、聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて.アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。。

私はあなたに伝えたいのです。

私はあなたに言います。

あなたたちは愛し合いなさい。

一致し合いなさい。

この一致は、すべての幻視者、光の子供たちの一致を言っています。

祈り合いなさい。

どんな不一致が存在しても、祈り合えば必ず一致するチャンスを神が与えます。

一致して働きなさい。

一致するということは、心の、意向の問題です。

物理的距離は問題ありません。

神のことを考えてごらんなさい。

神は愛であり、どこにでも遍在され、なおかつあなたたちの魂の神殿にもましまし給います。

神の愛とは、一致を要求せざるを得ない、すべてを包括してしまう愛なのです。

愛とは一致を望むものです。

一致を望まないのは、愛がないからです。

愛がなければ、そこに神はおられません。

愛、一致、祈り、この大切さを忘れてはなりません。

どれが欠けてもあなたたちは崩れてゆくでしょう。

今日、私は長くは話しません。

イマクラータ、あなたは疲れているからです。

イマクラータ、苦労することを恐れてはなりません。

日のくれるまで苦労しなさい・・・私とともに。

私があなたの涙をぬぐっているのですから。

あなたが泣くとき、私もともに泣いているのです。

あなたの心に喜びが溢れるとき、私もともに喜んでいるのです。

イマクラータ、わたしの愛する子よ、忍耐しなさい。

打ちひしがれたとき、母のもとに来なさい。

いつも私の心のなかで憩いなさい。

私はあなたの母、汚れなき乙女、マリアです。

小さい子よ、私とともにいるのですから、悲しまずにいつも喜んでいなさい。

そうです、私はあなたの母のなのですから。

私にすべての心を打ち明けて、祈りなさい

あなたのすべてが祈りでありますように。

母の生涯を黙想しなさい。

私はあなたをひとりにしておきません。

イマクラータ、母は帰ります。

辛くともいつも祈りなさい。(後略)(2018年9月13日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





1994年月4月24日
 コーナーストーンの祈りのあいだに  3:00pm

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

私は、聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたとここにいる子どもたちを祝福します。アーメン。

イマクラータ、私は天の元后、汚れなき乙女マリアです。

イマクラータ、私の子よ、私の言葉を聞きなさい。

私は、このコーナーストーンの祈りの場に、あなたたちに挨拶し、私の汚れなき御心の愛を与えに参りました。

イマクラータ、わが愛する子よ、わが愛する子供たちよ、祈ってください。

いつもロザリオを祈ってください。

このコーナーストーンはまことの神を知らぬ子供たちを救う溜めに、御父より、私の願いによって、イマクラータに与えられた、特別なミッションなのです。

イマクラータ、Cとともに歩みなさい。

わが子供たちよ、あなたたちはあなたたちはこれから本当に、あなたたちの信仰を試されるのです。

強くありなさい、わが子供たちよ。

強く立って、コーナーストーンと、イマクラータとCを支えてください。

二人のためにも祈ってください。

コーナーストーンはこれから多くの妨害を受けるのです。

どのような嵐が襲ってきても固く立ちつづけなさい。

なぜなら、あなたたちの祈り、犠牲、苦しみを使って、私は多くの子供たちを回心させるからです。

あなたたち一人ひとりがミッションをやり遂げる自覚を持ちなさい。

生半可な気持ちで東京を支えることができると思いますか。

関東一帯を救う心構えを持ちなさい。

コーナーストーンに与えられた旗をごらんなさい。

富士の上に立つ白い十字架、そこにかかるロザリオと、十字架の上に三つのみ心、イエズス、マリア、ヨゼフの三つの至聖なるみ心を見てごらんなさい。

あなたたちの救いの、救霊のミッションの意味、神秘がこの旗の中にあるのです。

すべては偶然ではなく、あなたたちは、私、母マリアによって呼ばれてここに来たのです。

この恵みに感謝してははとともに働きなさい、わが子供たちよ。

これから、色々な子供たちが集まってきます。

イマクラータ、Cとともに心を一致させ、強く一致させ、立ち続けなさい。

あなたたちが東京に残された意味を考えなさい。

天の御父の壮大な計画が次第に明らかにされてゆくのです。

何もかもが救霊のためなのです。

わが子供たちよ、わが御心の騎士と呼ばれるのにふさわしい働きをしなさい。

私は、聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたとC、そしてここにいるわが愛する子どもたちを特別に祝福します。アーメン。
(2018年9月10日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





1994年月4月23日
 市川  5:20am

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたを祝福します。アーメン。

私は天の元后、聖マリアです。

イマクラータ、わが子よ、書き記しなさい。

イマクラータ、わが言葉を聞きなさい。

私、母マリアはあなたに願います。

人びとに告げてください。

私とともに歩んでください、と。

今は終末の時です。

大いなる時の終わりに、あなたたちは突入しているからです。

この時代は、母とともに歩まねば、まことにたやすく、光の道からそれてしまうのです。

母とともに歩むということは、ロザリオを祈ることです。

ロザリオは、偉大な神秘が隠されております。

この救霊の神秘が日本から、G(地名)から明らかにされようとしています。

神は何事も代償なしにはなさらないのです

恩寵ということについて、私は言っているのです。

自分たちの愚かなはかりで神を測ってはなりません。

私に倣いなさい。

神の母である私、恩寵に満ちみちた私は、贖いのために、本当に多くの苦しみと涙のうちに、この地上で過ごしたのでした。

『聖母マリアの詩』を読んでごらんなさい。

私は祈りのうちに神に呼び求め、祈りのうちに神の答を待ったのでした。

この母に倣いなさい。

この時代は、特にこの時代は…今の時は、特別な時です。あなたたちが迷ったとき、何もかも分からなくなったとき、沈黙のうちに祈ってください。

心を清めて、御聖櫃の前で祈りに潜心してみなさい。

あなたたちは、私とイエズスのみ心から、すべてを得ることができるのです。

力を得るのです。

十字架を担う勇気、聖霊の働きである愛を、受け取るでしょう。

イマクラータ、わが愛する子よ、忍耐しなさい。

愛を分け与えようと注意しなさい。

日々、私たちは、あなたにチャンスを与えます。

救霊の、贖いのチャンスを。

私とともに歩みなさい、わが子よ。

明日、コーナーストーンの祈りの時に、少し、母は語りますから、安心していなさい。

私は、聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたとあなたの家族を祝福します。アーメン。
(2018年9月9日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





1994年月4月22日
 市川  5:25am

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて、あなたを祝福します。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、書き記しなさい。

イマクラータ、私は天の元后、汚れなき乙女マリアです。

注意して私のこ言葉を聞きなさい。

イマクラータ、私はあなたに告げます。

私の願いを聞いてくださいと。

祈りが足りません。

私はあなたがたに言います。

祈ってください、祈ってください、祈ってくださいと。

世界中で、私はロザリオを祈ってくださいと嘆願しております。

余力のある者は、天からもっと求められます。

あなたたちは、祈りの嵐とならなければなりません。

ロザリオの元后として私が勝利するためには、あなたたちのロザリオが要るのです。

私とともに勝利するあなたがたよ、ロザリオを祈ってください、絶え間なく。

この地球を、私のロザリオによって、ロザリオの珠によって巻き取りたいのです。

ロザリオは、あなたたちを漁(すなど)る溜めの網なのです。

霊魂を漁りなさい、わが御心の騎士たちよ。

私はあなたたちに要求します。

全面的な奉献を、まったき信頼、そして嵐のような祈りを。

私とともに戦いなさい。

ロザリオの戦士となりなさい

この霊的な軍隊は、私が組織するのです。

祈りなさい、祈りなさい、イマクラータ、私は日々、あなたとともにあり、あなたを導くのですから、祈りなさい。

巻物がほどけるように、次第に時は解かれています。

強い信仰を持ちなさい。

強くありなさい。

イマクラータ、恐れずに日々戦いなさい、ロザリオの剣によって。

ロザリオはまことに悪を払う剣、最大の武器です。

恐れることはありません、私と共に戦うのですから。

人びとを導きなさい。

私があなたに力を与えているのです。

あなたたちは祈りの軍隊、私の祈りの軍隊となるのです。

旗印は、私です。

汚れなき御心の勝利のために祈りなさい。

教皇ヨハネ・パウロⅡ世が、すべての事を成し遂げる力を得るように祈りなさい。

わが教皇は、バチカンのうちで孤立させられております。

あなたがたの祈りによって助けなさい。

すべての楽しみを犠牲にしなさい。

まったき奉献とはそういうことではありませんか。

イマクラータ、日々の霊戦に打ち勝ちなさい。

ダムに小さな穴があれば、いつか堤(つつみ)は崩れてしまうのです。

自分自身を甘やかさないようにしなさい。

時は短いのです。

母の願いを聞き入れてください。

祈りのうちにいつもありなさい。

イマクラータ、今日はこれで終わります。

日々前進しなさい。

カトリック信者としての基本を忘れてはなりません。

人びとは基本に立ち戻らねばなりません。

祈り、犠牲、心の糾明、あなたたちの神である主を礼拝しなさい。

ロザリオは、そのもっともよい道です。(後略)
(2018年9月8日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年4月





訂正メッセージで明かされた聖母の御誕生日は8月の5日でした。7日は、「月の祈り」でした。訂正してお詫びいたします。

    
聖母マリアの誕生日!8月5日。

聖母の披昇天に向けてのノヴェナ
昨日から始めた人は14日に、今日から始める人は15日にノヴェナが終わります。



今日アップするメッセージ(1994年3月25日)について
このメッセージはアップすべきかどうか逡巡しました。平和な日常生活のなかで信仰生活を送る人にとっては、つまずきの種となるのではという懸念が払しょくされなかったからです。しかし、この終わりの時に生きるわたしたちの信仰は、このような一面をも実際のこととして認めることも必要です。教皇ベネディクトⅩⅥ世からして、退位させられ、近い将来は命を狙われ、ヴァチカンから逃げます。大警告は教皇がヴァチカンから逃げた後に起こるとされています。

米国のある幻視者は、南米を講演旅行中に銃で襲われ、それ以来髪を伸ばしかつパーマをかけて「パッと見」を完全に変えましたし、豪州のある幻視者は自宅にてライフル銃で狙われましたが、寸前に守護の天使が伏せるよう言い、難を逃れたといういこともありました。カトリック的価値観を重んじた政策を公言してきたトランプ大統領も選挙運動中に遠隔コンピューター操作による、自動車事故を装った暗殺未遂に遭いました。わたしたちの近未来にも、獣の印(ICチップ)を体内に入れることを強制され、拒めば殺されます。このように、殉教も含めて、わたしたちの信仰と「暗殺」は、元来、無縁ではないのです。

今日のメッセージにでてくる「D」という幻視者も、当時、日本において、また世界においても、人々の救霊のための大きなミッションを天から与えられた人でした。敵はそのようなミッションを持った彼女を亡き者にして、そのミッションを阻止しようとしたのでした。


寄せられたメール

「絶えざる御助けの聖母のノヴェナは、力ある祈りだと思います。
確実に願いが聞き入れられます。今まで3回のノヴェナをしました。意向は全て違います。いま3回目の最中ですが、今回、すでに明らかに願いを取り次いで下さっていると感じます。
結果がすぐに分からないものもありますが、いつか叶うと信じます。
ノヴェナのことを教えて下さり、ありがとうございました。」(M・R)

実はこの方は推敲集団「ファミリー」の一員です。いわば身内ですが、メールは真実のものです―管理人

(2018年8月4日)


訂正昨日アップしたマリア・イマクラータへの聖母のメッセージの日付が違っておりました。お詫びして訂正致します。


死にかけていた若い母親の癌が癒される
「神父様、私・・・癒されました」
百千鳥。

(2018年7月9日)


■「サタンは、毎日わが聖なるロザリオを唱える者すべてに対して、傷つけたり、攻撃したりはできません。三環、あるいはそれ以上祈ることによって、あなたたちは他の者たちにこの保護を拡張できるのです。たとえ百人の者たちであってもこのことをすることができたなら、彼らは自分たちの国を、邪悪なるものが広める汚染から救うことができるのです。」(2012年6月20日マリア・ディバインマースィーへの聖母のメッセージ)

(2018年6月18日)





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聖ミカエルの祈りを毎日唱えていたアメリカ海兵隊員に朝鮮戦争で起きた奇跡の実話

ミカエル、朝のミカエル・・・」

「百千鳥」参照

(2018年6月14日)





罪に砕かれたるイエズスの聖心(みこころ)への祈り

投稿されたこの祈り、これを毎日唱えれば、主イエズス・キリストの聖心とその苦しみが理解できるようになるでしょう。暴れ馬のような私たちの自我を抑え込むには、主の聖心の苦しみを理解するしかありません。この祈りに含まれている主の苦しみは、現在、日々加えられているの主の苦しみそのものです。この祈りを毎日唱えることで、私たちは確かに主の聖心をお慰めすることができるでしょう。またこの祈りは、私たちの祖国への愛と聖母マリアの汚れなき御心へのあつき信心をも告白できるようになっています。(祈り文は「百千鳥」に掲載)

(2018年6月8日)



6月4日―「救いの母の祝日」
マリア・ディバインマースィーを信じている人も信じていない人も、今日は十字軍の祈り第154番を祈りましょう。信じて祈る人には多くの恵みが、信じていないが祈る人にも信じる恵みが与えられるかもしれません。MDMを教会が否定しているから、あるいはMDMの所属する教区の司教がそのメッセージを天のものではないと公けに宣言した(これは教皇の下にある教区の司教としてのご愛嬌。教区司教が、現教皇を偽預言者として否定する内容のメッセージを天からの真実のメッセージであるとは言えるわけがないからです。まあ、その司教自身、本気で信じていないかもしれないが)からと言って、今日という特別な日に十字軍の祈り第154番を祈らないことは、信仰者として実に無駄な生を生きているとしか言いようがない。いくら、「マリア様は私たちのお母様です」と口先で言っても、その無駄の隙間は埋まらない。

天のメッセージは、預言の成就する日まで、繰り返し、繰り返し読まなければならない。読めば読むほど、信仰心がかきたてられ、理解、悟得のめぐみが注がれ、識別のめぐみが与えられます。MDMのメッセージの推敲集団「ファミリー」のメムバーが口をそろえて言うことは、メッセージを再読する機会が与えられたことへの感謝です。そう、「生活に追われて忙しい日々を送る現代人」である私たちは、忙しいから祈れず、忙しいから黙想できず、忙しいから聖書を読めず、もちろん毎日天のメッセージを読むなどとはとんでもない、やらなければならない事は山ほどある。

そんな中、ファミリーとして推敲の仕事を引き受けた人たちは、メッセージを読むことがやらなければならないことの領域に編入されたわけです。

話はそれますが、現代人は―信仰を持つ現代人は生活のバランスが必要です。祈りと生活のバランスです。生活のバランスとは、時間に対する意識です。さらに言えば、非宗教的な日常の時間帯にいかにして宗教的な要素(内的生活と言っても良い)を組み入れてゆくか、ある人にとっては、いかに宗教的な要素を暴力的に日常生活の中にねじりこんでゆくかということです。

目安は、天のメッセージで言われてきました。ロザリオにすれば1日3環、聖書は1日15分、ミサはできる人は毎日、そしてメッセージは過去のものを繰り返し読みなさいと再三言われてきました。毎日黙想をしなさいとも。この天の言われる標準を満たせる人と満たせない人がいますし、また通常は満たせる人でも、ある日、ある期間は満たせないという人もいます。ここで、信仰者は自分なりの工夫を凝らし、天の標準にできるだけ近づけるよう生活を改めるわけです。それがバランスを考えるということです。天の求める標準に達しない生活を選択しても、標準に近づけるよう日々意識して生活すればそれはバランスある生活です。

そうする意識、工夫が必要なのは、自然なまま放っておけば人間は安逸をむさぼるようにできているからです。安逸をむさぼる人間をサタンは放っておきません。あっと言う間に罪を犯します。

ですから、バランスとは、時間による切り替えということもできます。何時から何時まではテレビを見る、それ以後はロザリオに向う、というような切り替えです。テレビはとくに見たいもの以外は見ないと決めてかかる方が楽です。だらだらと見る習慣がつけばそこから抜け出すには多くの時間とエネルギーが必要となります。見ない習慣がつけば、なんということもない格闘です。

最近メールが来ました.たくさん祈るよりも心から祈ることが大事であると主張する内容の手紙でした。その通りだと思います。しかし、天は、心から、1日3環祈ることを願っておられるのです。心から祈ることの重要性をもってたくさん祈らないことを正当化してはなりません。天はあらゆるメッセージで、祈りが足らないと訴えておられるのです。

閑話休題。メッセージは、とくにMDMのメッセージを天のものではないと信じている人は、自分で実際にいくつかのメッセージを読むことが重要です。教会が否定しているから、司教が否定しているから偽物だと判断するのでは、あまりにももったない。読んで全体から受けるものを判断すべきです。逐語的に識別することは信仰する者の識別ではありません。主イエズス・キリストが地上を歩いておられたときに、「私の肉はまことの食べ物であり、私の血はまことの飲み物である。…(私を)食べる者は永遠に生きる」(ヨハネによる福音書6-54)と言われ、それを聞いた「弟子の多くは退いてその時からイエズスについて来なくなった」のでした。

主イエズスは12使徒に向い「あなたたちも去って行きたいか」とお聞きになられます。それに対してペテロは「主よ、だれのところに行きましょう。あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます。」と応えます。こう答えたときのペテロには「血」を飲むことも「肉」を食べることも、その真の意味は分かっていませんでした。しかし、信仰する者の識別がそう言わせたのです。

MDMのメッセージも同様です。日本も含め世界中でMDMのメッセージを天のものではないと決めつけているサイトは数多くあります。そのすべてが、「血」を飲み「肉」を食べるというキリストの言葉に躓(つまづ)いた古(いにしえ)の弟子たちと同じです。「神はこうは言わない」「預言が実現しない」「福音書に反する内容」などとありったけの言葉を費やしてMDMを否定します。彼らが、「血」と「肉」に対してペテロの様に理解を超えたところで、「あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます」という信仰を示す言葉を宣言する機会を逸したことは、古今のこもごもこもる一幅の失望の絵を見るようです。

さあ、今日は信じるあなたも、信じないあなたも、十字軍の祈り第154番を祈る日です!




ロザリオの十字軍へ No8
メールでご質問をいただき、5月11日の「ロザリオの十字軍へ No7」での記事に補足説明が要る箇所があることを発見しました。
ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。」の箇所ですが、「二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです」と書いたことで、二人の場合に、常にリーダーが先唱をし、もう一人が後唱をすると読めますが、二人の場合も一連ずつ先唱と後唱を交代してやるのが良いでしょう。これは二人のグループの場合も20人のグループの場合も同じで、多人数の場合は列の端からから順に先唱を交代してやってゆくのです。しかし、これは経験的にもっともよいやり方ということで、絶対に守るべき規則と考える必要はありません。


また、栄唱の時に頭を下げて唱えますが、それは二つの理由があると思います。一つはトリエントミサでは栄唱を唱える時に伝統的に頭を下げて唱えるということと、ある幻視者への聖母の御出現の時に、聖母がその場に集まった人々が祈るロザリオをご一緒に祈られたことがあり、その際、栄唱の時に聖母が深く頭を下げて唱えたということから、ロザリオで栄唱を唱える時に頭を下げて祈るのです。これは、天のメッセージを信じている人々が集まるロザリオではそうするのですが、メッセージを信じていない人でも、御高齢の信徒の方などは、教会で栄唱を唱える際に頭を下げて唱える方もおられます。

それとは別に、「御憐みのチャプレット」の最後に「聖なる天主、全能の聖なる天主・・・」を三回祈りますが、昔、コーナーストーンの祈りのグループの祈りで、マリア・イマクラータに天使が出現して、この、「聖なる天主・・・」を祈る時には頭を下げるべきであると告げられたことがあり、コーナーストーンの祈りの集会では、この祈りを唱える時には、栄唱の時と同じように深く頭を下げて唱えています。

(2018年5月21日)



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■「パードレ・ピオ暗黒の三日間」完訳。(「百千鳥」参照)
暗黒の三日間については60年代のベロニカ・ルーケンのメッセージで語られてきましたが、50年代に、聖ピオ神父に主は語っておられました。



ロザリオの十字軍へ No7
祈りのグループが2人の場合と、3人以上の場合はいろいろな面で違いがあるでしょうが、祈りが始まれば同じです。

ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。

メムバーが3人以上の場合は、やはり先唱は一連ずつ順番にやっていきます。

使徒信経の先唱は「…来たり給う主を信じ奉る」まで、主の祈り(天にまします)は「…地にも行われんことを」まで、天使祝詞(めでたし)は「…イエズスも祝せられ給う」まで、栄唱(願わくは「栄えあらんことを」まで、ファティマの祈り(ああ、イエズスよ)は「ああ、イエズスよ、」まで、大天使聖ミカエルの祈りは「大天使聖ミカエル、」までです。十字軍の祈りの先唱は、祈りの最初の句読点までで良いと思います。たとえば、「ああイエズス、」とか「いとも神聖なる父、」とかです。メムバーが二人の場合も、3人以上の場合も、先唱者は唱者部分を唱えたあと、後唱部分も皆と一緒に唱えても良いでしょう。

リーダーは定期的に、たとえば半年、一年ごとに代わると良いです。リーダーは、祈りのグループの祈りの進行を仕切ります。祈りを始める際の最初の「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と、全体の祈りが終わった後の「聖父と、聖子と、聖霊との御名に寄りて。アーメン」をリーダーが言ってけじめをつけます。「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」は、ゆっくりと十字を切りながら唱えます。決して、早撃ちマックの様にすばやく十字を切ってはいけません。昔、私が洗礼を授かった司祭などは、十字を0.5秒の素早さで切ってから洗礼前の聖書の勉強に入ったものです。

ゆっくりと十字の印をしながら「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と唱え、聖父と、聖子と、聖霊を黙想するのです。これは最短の黙想となります。

その他、MDMのミッションで公開している祈りのグループの指針のようなものがあり、その中でリーダーの役割も若干書かれています。その指針はいずれ翻譯してアップします。交代でリーダーをすることは徳の実践という面でも役立ちます。リーダーでない時にもリーダーの立場が理解できるからです。また、いろいろな勘違いをしている人がいるとしても、交代でリーダーを行うことでその勘違いが是正されるということは期待できます。

しかし、何かの理由でリーダーとなることがあまりにも苦痛であるという人は、強制的にリーダーになる必要はありません。パスしても良いのです。

(2018年5月11日)



御受難の主日
本日は、トリエントミサでは御受難の主日です。来週は、枝の主日でいよいよ聖週間の大きなドラマに入って行きます。選ばれた民に見捨てられた主の聖心を自分の心として過ごしましょう。

かれらは、私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけた。

イスラエルは、いま、いうであろう。私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけたと。

しかし、かれらは勝つことができなかった。罪びとは私の肩を打ち、長らくその悪をつづけた。しかし、正義なる主は、罪人の頭を落し給うた。
(御受難の主日の詠唱より―詩編2ノ1―4)

(2018年3月18日-御受難の主日)

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