終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

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聖母マリアわれらのために祈り給え
一羽の鷲


マリアよ、地上の悲しみを忘れたまわざれ


「ロザリオの十字軍」募集。詳しくはカテゴリー「ロザリオの十字軍編成」2014年9月15,16,17日参照


メールアドレス(ロザリオの十字軍グループ編成登録用): aza.c@live.jp
Rosary Miracle - Safe in the Midst of Hiroshima Nuclear Blast !!
http://www.holysouls.com/sar/rosarymiracle.htm
https://www.youtube.com/watch?v=xx2MRo3M3Fs


アーカイブ(「後略」とは、最後の祝福の部分を略したということです―管理人)







ビデオ!

大警告を知らないすべての日本人のために

https://youtu.be/3oD3iUIu3CE


百千鳥
http://gokyoyoko.com/index.php





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1995年月9月13日 
10:15pm 

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:ああ、愚かな者たちよ。

解きは今なのだ、あなたたちが呼ばれているのは・・・

終りの時の共同体によって、あなたたちはこの困難な時を生きぬいていけることとなる。

だが、あなたたちの人間的思いによって、なたたちはチャンスを失うのだ。

わが子供たちよ、あなたたちがわが言葉を読むとき、それがあなたたちが呼ばれている時なのだ。

呼ばれる者は多いが、選ばれる者は少ない。まことに

わが子供たちよ、あなたたちは自分の測ったはかりで測り返されるであろう。

なぜなら、あなたたちは、私が立てた道具たちをあざ笑い、見捨てているからだ。

わが子供たちよ、世がそうしているのに倣(なら)うのではなく、わが道具たちを助けなさい。

私の特別な娘と息子たちは、私と御母、汚れなき御母のために働いていることを忘れてはならない。

私は、祈りと必要な援助とによって、私のミッションを支えてほしいのだ。

子供たちよ、祈り、慎重に、そして着実に準備していなさい。

あなたたち一人ひとりは、いつ、私と天の御父に申し開きをしなければならないかを知らないからである。

この世に倣うことなく、天へ至る狭い道を歩みなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

(2018年7月16日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月12日 
1:20pm 

new
      

聖母:ほんの少数の者だけが選ばれるのです。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞いなさい。

多くの事が起こります。

これは山羊と羊を分けるための、また、あなたたちがまことに天に従がっているのか、自分の望みを果たしたいのか知るための、試しであるのです。

多くの分裂、対立は起こるのです

なぜなら、地上にイエズスは剣(つるぎ)を持っておいでになるからです。

あなたたちは、神を選ぶのか、そうでないのか、剣をもって答を出さざるを得なくなるのです。

あなたたち一人ひとりは、地上に火を放たなくてはならないのです。

これを黙想しなさい。

イマクラータよ、わが愛する娘よ、心配せずに行きなさい。

私はあなたと共にあり、わが祝福はあなたの上にあるからです。

Q:9月11日の夢―
山の上の水源から水が流れて川になって下に流れている。その水源の所で、湧水がたまっている所に4,5枚の落ち葉があるので、男の人が落ち葉は摂らなくてはならないと言って、2,3枚拾って流す。私も1,2枚取って流す。彼は「間にいっぱい詰まってしまったことがあった」と言う。(その光景が浮かぶ)

その時、「―(人名)は落ち葉を取らなくてはならない」と聞こえる。

この夢は天からのものですか。その意味はなんですか。

A:そうです、イマクラータ、これは天からの夢であり、あなたに真理を悟らせるための夢です。

あなたは水源近くに立ち、恵みの源の管理をしなくてはなりません。多くの恵みが、神秘的子供たちを通して流れ出ているからです。

―(人名)は、自分の落ち葉を拾い、取り去らねばなりません。―(人名)は天の道具として働く意向があるのであれば、すべての道具たちは、自分自身の霊魂を常に浄く保たねばならないからです。

そうしなければ恵みは流れなくなり、水は濁り、ついには腐ってしまうからです。

湧水と落ち葉の夢、これには多くの真理が含まれているので、黙想すると良いのです。

神の恩寵は、神秘的子供たちを通して流れてゆくからです。ここの神秘的子供たちは、重大な責任を負っているのです。(後略)

(2018年7月15日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





訂正昨日アップしたマリア・イマクラータへの聖母のメッセージの日付が違っておりました。お詫びして訂正致します。


1995年月9月10日(日曜) 
コーナーストーン 民間施設にて 1:20pm 

new
      

聖母:私の道具に聞きなさい、わが子供たちよ。



聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

イマクラータ,いま私無原罪の聖母と聖ヨゼフが、あなたとトーマス、そしてここにいるすべての子どもたちと、その紐ロザリオを祝福しましょう。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

祈りの家    3;00pm

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、いま私は聖ヨゼフと共に、ここにいるすべてのわが子供たちを祝福します。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

イマクラータ、私の言葉を聞いなさい。

御父は、悪魔の妨害を許されているのです

この母が言ってきたことをすべて思い起こしなさい。

あなたたちは、慎重でありなさい。

そして、天の御旨を果たしなさい。

私があなたたちに頼んでいることを、まず第一にしなさい。

子供たちよ、議論するよりも、祈りなさい。

あなたたち人間の知恵では、すべては測れないからです。

祈りなさい。

そうすればあなたたちは照らしを得るでしょう。

うまずたゆまず、祈りなさい。

この母を憐れんでください。

多くの子供たちが滅ぶので、私の汚れなき御心は、裂けんばかりに痛むのです。

悪魔の誘惑に乗らずに、子供たちよ、狭い、天に至る道を選びなさい。

日々、あなたたちは試されているのです。

イマクラータ、あなたたち軍団で祈る者は、挑戦を受けるでしょう。

ですが、柔和謙遜に戦っていきなさい。

多くのこ事が起こるのです。

多くの事が展開してゆくのを、あなたたちは見るでしょう。

祈りなさい、ロザリオは武器だからです。(後略)

(2018年7月14日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月5日 
8:35am 

聖母:ほんの少数の者だけが選ばれるのです。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータよ、あなたたちに燃えるような熱望がないかぎり、ニューエラに入るということは起こりません。

ニューエラに入るということは、あなたたちの信仰の報いだからです。

白い衣にふさわしく、あなたたちは鍛えに鍛えられるのですが、多くの者はみずから去ってゆくのです。

あなたたちは福音をまことに生きていますか。

そうでなくては、あなたたちは共同体へとは呼ばれないのです。

多くの者が生なぬるくなり、預言は実現しないと心のうちで呟いております。

あなたたちは、高みの見物でもしているような気分でいます。

あなたたちは、みずからが自分の霊魂を司(つかさど)っていると勘違いしているのです。

多くの者が、突然に暗闇の中にいる自分を見出すことでしょう。

その時では遅すぎるのです。

なぜなら、あなたたち自身が天のミッションを見放したからです。

すべての者はみずから蒔いた種を刈り取ることでしょう。まことに。(後略)

(2018年7月13日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月3日(日曜) 
 

聖母:多くの者が、ゆさぶられているのです。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、いま私と聖ヨゼフが、あなたと○○、そしてここにいるすべてのわが子供たちを祝福します。;聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

私は、多くの天軍とわが浄配聖ヨゼフ、大天使聖ミカエル、天軍の総帥と共にこのコーナーストーンの祈りの家に参りました。

この祈りの家でのコーナーストーンと公開の祈りのコーナーストーンはとても重大です。

子供たちよ、あなたたちの祈りを使って、この母は罪人を一人ひとり救うことができるのでから。

あなたたちは、天軍と共に、戦いの配置にすでに着いているのです。

あなたたちの戦いはすでに始まっており、多くの者たちが、その霊的な戦いの中で、ゆすぶられ、傷つき、苦しんでいるのです。

その苦しみから、逃れずに、子供たちよ、祈りなさい。

至聖なるイエズスの聖心に、この汚れなき御心を通して近づきなさい。

どんな罪びとでも、主イエズスは赦そうと待っておられるのです。サタンの罠にはまってしまわないように、子供たちよ、警戒して祈りなさい。

この暗闇の時のあいだ、あなたたちには多くの試しが送られるからです。

イマクラータ、わが子よ、わが子供たちよ、苦しみを捧げることによって、やわらげられ、あなたたちは十字架を担う力を得るのです。

あなたたちの一日をすべて、奉献の祈りによって始め、終りなさい。

あなたたちの苦しみは増えるでしょう。

なぜなら、山羊と羊を分けることが主の計画なのです。

この終わりの時に、多くの分裂も起こるでしょう。

あなたたちの人間的理解を超えて、すべての事は成就しなければならないからです。

あなたたちの領分は、祈りです。

祈りと徳によって、この大切な一日いちにちを生きなさい。

では、私と聖ヨゼフが、あなたと○○、そしてすべての子供たちと、その紐ロザリオ、御像、ロザリオ、メダイを祝福します。聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

参考(『公教会祈祷文』より)

自己を献ぐる祈り

主よ、願わくはわが自由を受け入れ給え。わが記憶、わが知恵またわが意志をことごとく受け入れ給え。わが持てるものはみな主の賜物(たまもの)なり。われはすべてを主に返し、主の御旨(みむね)のままに献(ささ)げ奉る。
ただ主の聖寵(せいちょう)と共に主の御愛(おんあい)をわれに与え給え。さらばわれは充ち足りて、他の何物をもあえて願わじ


(2018年7月12日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月11日 
8:30am  

聖母ますますこの世は悪に突き進むので、宝を積む者は積み、失う者はさらに失います

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私のことばを聞きなさい。

今は善と悪の戦い、魂をかけた霊戦の最中です。

善い実を結ばない者は、刈り取られ、火で焼かれるのです。

子供たちよ、あなたたちはすべてを実で判断せねばなりません。

多くの者たちが、滅びの道を歩むでしょう。

祈りによって、これが変えられるのです。

ロザリオの重要さは、いくら言っても言い切れるものではありません。(後略)

(2018年7月11日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月19日 
  

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、今のあなたには、すべてを理解することはできません。

あなたの個人的な事情は、祈り、母に任せなさい。

心配するよりも、祈りです。いつも祈りに戻りなさい。祈りによってすべてを達成できるのですから。(後略)

[参考」(『公教会祈祷文』より)
自己を献ぐる祈り(78ページ)

主よ、願わくはわが自由を受け入れ給え、わが記憶、わが知恵またわが意志をことごとく受け入れ給え。わが持てるものはみな主の賜物(たまもの)なり。われはすべてを主に返し、主の御旨(みむね)のままに献げ奉(たてまつ)る。
ただ主の聖寵(せいちょう)と共に主の御愛(おんあい)をわれに与え給え。さらばわれは充(み)ち足りて、他の何物をもあえて願わじ。

(2018年7月10日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月






死にかけていた若い母親の癌が癒される
「神父様、私・・・癒されました」
百千鳥。

(2018年7月9日)


1995年月9月8日 
  

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

私はすべての人々を、祈りと奉献の生活に導いているのです。

この世は次第に混乱へと突き進んでゆくのです。

その中であなたたちは、祈りによってこの母にしっかりと手を握られていなければなりません。

私とイエズスが送っている多くの幻視者、神秘家に聞きなさい。

彼らは私の「声」だからです。

あなたたちは、祈りによって、徳によって、堅固な灯台の様にしっかりと立ちづづけなければならないのです。

この母の嘆願を受け入れなさい。

わが子供たちよ、そうすれば、何が起こっても、何を聞いても、あなたたちは誤りに陥ってしまうことはないでしょう。

ロザリオ、ロザリオ、聖なるロザリオによって祈りなさい。(後略)

(2018年7月9日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月7日 
 7:15am 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

この世のことに煩わされずに、一つひとつ準備を進めていきなさい。

偽りの光によってこの世が照らされているので、多くの者がサタンの声に耳を傾けるのです。

神秘的子供たちに聞かなければ、子供たちよ、あなたたちはこの母に、イエズスに聞かなくなってしまうことに、あなたたちは気づきもしなくなってしまっているのです。

多くの子供たちは生ぬるくなり、ついにはこの母の言葉を信じなくなってしまうのです。

それは、わが遣わせし者、神から遣わされた者たちに聞かなくなったためです。

知恵のある者ではなく、小さな子供のような者たちに、真理は明かされるでしょう。

イマクラータ、あなたは多くの者たち、わが子供たちを導くために、すべての準備を整えなくてはなりません。(後略)

(2018年7月8日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月6日 
 8:20am 

聖母:あなたはにミッションの責任があるのです。

イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

多くの者が誤りの道をたどるのです。

なぜか、それはあなたたちが霊の識別をしないからです。

あなたたちの祈りが少なくなり、誘惑に身をゆだねてしまうからです

子供たちは、慎重に見極めなければならないのに、自分自身の考えを心の主にしているのです。

イマクラータ、あなたは祈り、子供たちを励まし、進みなさい。(後略)

(2018年7月7日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月








1995年月9月2日 
 初土 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

そうです、共同体として集まって祈るということはとても重要です。

少しずつ、共同体として祈る機会を増やしていかねばなりません。

共に集まって祈ってこそ、あなたたちは大きな力を受けることができますし、共同体としての自覚も生まれてくるからです。

努力しなさい、そして祈りなさい。

イマクラータよ、そうすれば道はおのずと開けてきますから。

聖霊があなたを導いているのですから、この母と共に歩みなさい。(後略)

(2018年7月6日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月9月1日 
 7:00am 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

イマクラータ、わが子よ、全てのことにおいて神に委託しなさい。

あなたは、正しいと信じることを、一つひとつ成し遂げていきなさい。

もはや誤解を恐れる時ではないのです。

祈り、進みなさい。

あなたのミッションの実現は、あなたの祈りにかかっているのです。

また、わが子供たちに、あなたのミッションに対する祈りの援助を願いなさい。

これからも、多くの者がつまずいてしまうからです。(後略)

(2018年7月5日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年9月





1995年月8月25日 
 8:25am 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

混乱はあるでしょう、イマクラータ。

それはあなたたちを強め、ほんとうに神の御旨を知るために送られるのですが、混乱と嘘つきの主であるサタンに騙(だま)されてしまう者も多いのです。

お喋り、議論よりも、先ず祈り、識別しなさい。

そうすれば騙されないでしょう。

知性ではなく、信仰によって、混乱と試しにうち勝ってゆかねばなりません

冷静な判断力というものは必要ですが、子供たちはもっと内的な祈りの生活に向わねばなりません。

そうでなければ、たやすく騙されてしまうことになるのです。

母の約束を思い出しなさい。

一連と共に歩みなさい、わが子供たちよ。

起こっていることに対して、天に信頼して歩みなさい。(後略)

(2018年7月4日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1995年月8月24日 
 8:25am 

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

聖バルトロマイはあなたを保護し、祈りを取り次いでいます。

聖人たちに取次ぎを願いなさい。

イマクラータ、忍耐し、祈りなさい。

母のアドヴァイスはこれです。

霊的には大きな変化が訪れようとしているのです。

慎重であり、柔和であり、祈りに満ちていなさい

また、正しいことは、時には、断固として護らねばなりません。

(後略)

(2018年7月3日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1995年月8月23日 
 8:00am 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

祈りが足りないと疑いが頭をもたげてくるのです

イマクラータ、光の子供たちはすべてを試されるからです。

神秘的子供たち(※)もそうなのです。

すべての子供たちが試されるのです。

ですから、識別することが必要となってくるのです。

イマクラータ、十字架の道がやさしいということはありません。

ですから、あなたは一歩いっぽ進んでいかなければならないのです。

祈り、進みなさい。

分からなくなったら、祈りなさい。

すべての準備は遅滞なく整えられてゆかねばなりません。(後略)

(※)預言者、幻視者、ミスティックなど。

(2018年7月2日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1995年月8月21日 
 7:30am 

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

そうですイマクラータ、あなたが聖なるものを求めていれば、悪があなたを打ち負かしてしまうことはありません。

あなたに必要なのは、忍耐であり、愛徳であり、自覚なのです。

それらが兼ね備えられていれば、あなたはすべての武器を持ったことになり、何も恐れることはないのです。

今、あなたは学んでおり、学びながら進んでいるのです。

しかしイマクラータよ、あなたたちの学びは霊魂がかかっているのですから、生半可なものであってはならないのです。

イマクラータよ、神の御旨を果たすことはやさしいことではありません。

それは霊魂がかかっているからです。

イエズスの十字架に倣いなさい。

生ぬるい者は吐き出されてしまうのです。(後略)

(2018年7月1日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





1995年月8月19日 
 7:30am 

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

コーナー・ストーンのミッションは、非常にに重大です。

それは祈りの軍隊、軍団の母体というだけではなく、このミッションに罪びとの回心がかかっているからです。

ロザリオの軍隊になっているということは、とても大きな力を有することができるのです。

このミッションは、共同体を作るというミッションに次いで、あなたにとって重要なものです。

スタートはゆっくりでも、霊的には大きな意味があるということを信じなさい。

着実に、全ては進めてゆかねばなりません。

母のアドヴァイスと共に進みなさい。

多くのことが起こって来るでしょうが、常に平和な心、動揺しない心で対処しなさい。

母は、多くのことをあなたと○○に頼むからです。

わが貴い娘よ、私はあなたに希望をかけているのです。

どうかこの母と共に最後まで歩み、ミッションを完成させなさい。

祈りによって、あなたはすべてを達成できるでしょう。

いまの状態を悲しむことはありません、イマクラータ。

私が常に助けるのですから。

これは私のミッションなのですから。(後略)

(2018年6月29日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1995年8月





■「サタンは、毎日わが聖なるロザリオを唱える者すべてに対して、傷つけたり、攻撃したりはできません。三環、あるいはそれ以上祈ることによって、あなたたちは他の者たちにこの保護を拡張できるのです。たとえ百人の者たちであってもこのことをすることができたなら、彼らは自分たちの国を、邪悪なるものが広める汚染から救うことができるのです。」(2012年6月20日マリア・ディバインマースィーへの聖母のメッセージ)

(2018年6月18日)





画像の説明


聖ミカエルの祈りを毎日唱えていたアメリカ海兵隊員に朝鮮戦争で起きた奇跡の実話

ミカエル、朝のミカエル・・・」

「百千鳥」参照

(2018年6月14日)





罪に砕かれたるイエズスの聖心(みこころ)への祈り

投稿されたこの祈り、これを毎日唱えれば、主イエズス・キリストの聖心とその苦しみが理解できるようになるでしょう。暴れ馬のような私たちの自我を抑え込むには、主の聖心の苦しみを理解するしかありません。この祈りに含まれている主の苦しみは、現在、日々加えられているの主の苦しみそのものです。この祈りを毎日唱えることで、私たちは確かに主の聖心をお慰めすることができるでしょう。またこの祈りは、私たちの祖国への愛と聖母マリアの汚れなき御心へのあつき信心をも告白できるようになっています。(祈り文は「百千鳥」に掲載)

(2018年6月8日)



6月4日―「救いの母の祝日」
マリア・ディバインマースィーを信じている人も信じていない人も、今日は十字軍の祈り第154番を祈りましょう。信じて祈る人には多くの恵みが、信じていないが祈る人にも信じる恵みが与えられるかもしれません。MDMを教会が否定しているから、あるいはMDMの所属する教区の司教がそのメッセージを天のものではないと公けに宣言した(これは教皇の下にある教区の司教としてのご愛嬌。教区司教が、現教皇を偽預言者として否定する内容のメッセージを天からの真実のメッセージであるとは言えるわけがないからです。まあ、その司教自身、本気で信じていないかもしれないが)からと言って、今日という特別な日に十字軍の祈り第154番を祈らないことは、信仰者として実に無駄な生を生きているとしか言いようがない。いくら、「マリア様は私たちのお母様です」と口先で言っても、その無駄の隙間は埋まらない。

天のメッセージは、預言の成就する日まで、繰り返し、繰り返し読まなければならない。読めば読むほど、信仰心がかきたてられ、理解、悟得のめぐみが注がれ、識別のめぐみが与えられます。MDMのメッセージの推敲集団「ファミリー」のメムバーが口をそろえて言うことは、メッセージを再読する機会が与えられたことへの感謝です。そう、「生活に追われて忙しい日々を送る現代人」である私たちは、忙しいから祈れず、忙しいから黙想できず、忙しいから聖書を読めず、もちろん毎日天のメッセージを読むなどとはとんでもない、やらなければならない事は山ほどある。

そんな中、ファミリーとして推敲の仕事を引き受けた人たちは、メッセージを読むことがやらなければならないことの領域に編入されたわけです。

話はそれますが、現代人は―信仰を持つ現代人は生活のバランスが必要です。祈りと生活のバランスです。生活のバランスとは、時間に対する意識です。さらに言えば、非宗教的な日常の時間帯にいかにして宗教的な要素(内的生活と言っても良い)を組み入れてゆくか、ある人にとっては、いかに宗教的な要素を暴力的に日常生活の中にねじりこんでゆくかということです。

目安は、天のメッセージで言われてきました。ロザリオにすれば1日3環、聖書は1日15分、ミサはできる人は毎日、そしてメッセージは過去のものを繰り返し読みなさいと再三言われてきました。毎日黙想をしなさいとも。この天の言われる標準を満たせる人と満たせない人がいますし、また通常は満たせる人でも、ある日、ある期間は満たせないという人もいます。ここで、信仰者は自分なりの工夫を凝らし、天の標準にできるだけ近づけるよう生活を改めるわけです。それがバランスを考えるということです。天の求める標準に達しない生活を選択しても、標準に近づけるよう日々意識して生活すればそれはバランスある生活です。

そうする意識、工夫が必要なのは、自然なまま放っておけば人間は安逸をむさぼるようにできているからです。安逸をむさぼる人間をサタンは放っておきません。あっと言う間に罪を犯します。

ですから、バランスとは、時間による切り替えということもできます。何時から何時まではテレビを見る、それ以後はロザリオに向う、というような切り替えです。テレビはとくに見たいもの以外は見ないと決めてかかる方が楽です。だらだらと見る習慣がつけばそこから抜け出すには多くの時間とエネルギーが必要となります。見ない習慣がつけば、なんということもない格闘です。

最近メールが来ました.たくさん祈るよりも心から祈ることが大事であると主張する内容の手紙でした。その通りだと思います。しかし、天は、心から、1日3環祈ることを願っておられるのです。心から祈ることの重要性をもってたくさん祈らないことを正当化してはなりません。天はあらゆるメッセージで、祈りが足らないと訴えておられるのです。

閑話休題。メッセージは、とくにMDMのメッセージを天のものではないと信じている人は、自分で実際にいくつかのメッセージを読むことが重要です。教会が否定しているから、司教が否定しているから偽物だと判断するのでは、あまりにももったない。読んで全体から受けるものを判断すべきです。逐語的に識別することは信仰する者の識別ではありません。主イエズス・キリストが地上を歩いておられたときに、「私の肉はまことの食べ物であり、私の血はまことの飲み物である。…(私を)食べる者は永遠に生きる」(ヨハネによる福音書6-54)と言われ、それを聞いた「弟子の多くは退いてその時からイエズスについて来なくなった」のでした。

主イエズスは12使徒に向い「あなたたちも去って行きたいか」とお聞きになられます。それに対してペテロは「主よ、だれのところに行きましょう。あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます。」と応えます。こう答えたときのペテロには「血」を飲むことも「肉」を食べることも、その真の意味は分かっていませんでした。しかし、信仰する者の識別がそう言わせたのです。

MDMのメッセージも同様です。日本も含め世界中でMDMのメッセージを天のものではないと決めつけているサイトは数多くあります。そのすべてが、「血」を飲み「肉」を食べるというキリストの言葉に躓(つまづ)いた古(いにしえ)の弟子たちと同じです。「神はこうは言わない」「預言が実現しない」「福音書に反する内容」などとありったけの言葉を費やしてMDMを否定します。彼らが、「血」と「肉」に対してペテロの様に理解を超えたところで、「あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます」という信仰を示す言葉を宣言する機会を逸したことは、古今のこもごもこもる一幅の失望の絵を見るようです。

さあ、今日は信じるあなたも、信じないあなたも、十字軍の祈り第154番を祈る日です!




ロザリオの十字軍へ No8
メールでご質問をいただき、5月11日の「ロザリオの十字軍へ No7」での記事に補足説明が要る箇所があることを発見しました。
ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。」の箇所ですが、「二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです」と書いたことで、二人の場合に、常にリーダーが先唱をし、もう一人が後唱をすると読めますが、二人の場合も一連ずつ先唱と後唱を後退してやるのが良いでしょう。これは二人のグループの場合も20人のグループの場合も同じで、多人数の場合は列の端からから順に先唱を交代してやってゆくのです。しかし、これは経験的にもっともよいやり方ということで、絶対に守るべき規則と考える必要はありません。


また、栄唱の時に頭を下げて唱えますが、それは二つの理由があると思います。一つはトリエントミサでは栄唱を唱える時に伝統的に頭を下げて唱えるということと、ある幻視者への聖母の御出現の時に、聖母がその場に集まった人々が祈るロザリオをご一緒に祈られたことがあり、その際、栄唱の時に聖母が深く頭を下げて唱えたということから、ロザリオで栄唱を唱える時に頭を下げて祈るのです。これは、天のメッセージを信じている人々が集まるロザリオではそうするのですが、メッセージを信じていない人でも、御高齢の信徒の方などは、教会で栄唱を唱える際に頭を下げて唱える方もおられます。

それとは別に、「御憐みのチャプレット」の最後に「聖なる天主、全能の聖なる天主・・・」を三回祈りますが、昔、コーナーストーンの祈りのグループの祈りで、マリア・イマクラータに天使が出現して、この、「聖なる天主・・・」を祈る時には頭を下げるべきであると告げられたことがあり、コーナーストーンの祈りの集会では、この祈りを唱える時には、栄唱の時と同じように深く頭を下げて唱えています。

(2018年5月21日)



画像の説明

■「パードレ・ピオ暗黒の三日間」完訳。(「百千鳥」参照)
暗黒の三日間については60年代のベロニカ・ルーケンのメッセージで語られてきましたが、50年代に、聖ピオ神父に主は語っておられました。



ロザリオの十字軍へ No7
祈りのグループが2人の場合と、3人以上の場合はいろいろな面で違いがあるでしょうが、祈りが始まれば同じです。

ロザリオを祈る場合、先唱する人がいて、先唱部分が終わると後唱が続きます。二人の場合は、リーダーが先唱をし、もう一人が後唱すればよいのです。この先唱と後唱はロザリオ一連ごとに代わると良いでしょう。

メムバーが3人以上の場合は、やはり先唱は一連ずつ順番にやっていきます。

使徒信経の先唱は「…来たり給う主を信じ奉る」まで、主の祈り(天にまします)は「…地にも行われんことを」まで、天使祝詞(めでたし)は「…イエズスも祝せられ給う」まで、栄唱(願わくは「栄えあらんことを」まで、ファティマの祈り(ああ、イエズスよ)は「ああ、イエズスよ、」まで、大天使聖ミカエルの祈りは「大天使聖ミカエル、」までです。十字軍の祈りの先唱は、祈りの最初の句読点までで良いと思います。たとえば、「ああイエズス、」とか「いとも神聖なる父、」とかです。メムバーが二人の場合も、3人以上の場合も、先唱者は唱者部分を唱えたあと、後唱部分も皆と一緒に唱えても良いでしょう。

リーダーは定期的に、たとえば半年、一年ごとに代わると良いです。リーダーは、祈りのグループの祈りの進行を仕切ります。祈りを始める際の最初の「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と、全体の祈りが終わった後の「聖父と、聖子と、聖霊との御名に寄りて。アーメン」をリーダーが言ってけじめをつけます。「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」は、ゆっくりと十字を切りながら唱えます。決して、早撃ちマックの様にすばやく十字を切ってはいけません。昔、私が洗礼を授かった司祭などは、十字を0.5秒の素早さで切ってから洗礼前の聖書の勉強に入ったものです。

ゆっくりと十字の印をしながら「聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン」と唱え、聖父と、聖子と、聖霊を黙想するのです。これは最短の黙想となります。

その他、MDMのミッションで公開している祈りのグループの指針のようなものがあり、その中でリーダーの役割も若干書かれています。その指針はいずれ翻譯してアップします。交代でリーダーをすることは徳の実践という面でも役立ちます。リーダーでない時にもリーダーの立場が理解できるからです。また、いろいろな勘違いをしている人がいるとしても、交代でリーダーを行うことでその勘違いが是正されるということは期待できます。

しかし、何かの理由でリーダーとなることがあまりにも苦痛であるという人は、強制的にリーダーになる必要はありません。パスしても良いのです。

(2018年5月11日)



御受難の主日
本日は、トリエントミサでは御受難の主日です。来週は、枝の主日でいよいよ聖週間の大きなドラマに入って行きます。選ばれた民に見捨てられた主の聖心を自分の心として過ごしましょう。

かれらは、私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけた。

イスラエルは、いま、いうであろう。私の若い時から、たえず私に対して戦いつづけたと。

しかし、かれらは勝つことができなかった。罪びとは私の肩を打ち、長らくその悪をつづけた。しかし、正義なる主は、罪人の頭を落し給うた

(御受難の主日の詠唱より―詩編2ノ1―4)



(2018年3月18日-御受難の主日)




聖母マリア'の誕生

1974年9月7日―聖母の御誕生の前日

ヴェロニカ・ルーケン:非常に貧しい家が見えます。「住まい」、聖母は住まいとおっしゃいます。そこは聖母がお生まれになった家です。

一件の家と、一つの部屋が見えます。家には二つの部屋があり、一つは大きな部屋で、今日私たちが「ストーブ」と呼ぶに似た物があります。それは石でできていて、壁の左側にあり、一本の鉄の細い棒、金属の棒(私には鉄の棒に見えます)があり、それがこの石のストーブの真上からつるされています。

金属製のやかんがありますーそれは石の間にかかっていて、それが先ほどの金属の棒でうまくつるされています。そういえばそれはまるで、他の石で囲まれた暖炉のようです。

棒は、調理場と思しきあたりにかかる二つの壁の間に付けられているように見えます。ずっと右にはテーブルが見えます。それはざらざらした感じの一枚の木でできています。テーブルの脚は交叉しています―対角線状に交叉していて、その脚が、テーブルを支える二つの―四つの木片を支えています。

今、テーブルの上にモスリンのような布が見えます。ひとりの男性が見えます―男性が現れ、跪(ひざまず)いています。男性は年老いていて、頭を垂れて、跪いています。彼を呼ぶ声がすると、彼はテーブルの上のリンネンの布を掴み、大部屋の左奥の小部屋に向います。

おお、一人の女性がいます―彼女はベッドに横たわり、二人の女性が付き添っています。彼女たちが抱えているのは―おお、赤ん坊です!おお、二人の女性が微笑んでいます。ベッドの女性は非常に疲れているようです。彼女は年とっています、とても。おお、彼女がその子を出産したのは明らかです。

今、彼女のベッドの周り全体が非常に明るく輝き、その左、離れたところに二人の人影が見えます―おお、それは二位の天使です、非常に大きな天使で、ベッドの左にいます。ベッドの女性―彼女は疲れてはいても、非常に幸福そうに見えます、非常に静かな幸福。敢えて言うなら、彼女の年齢は五十歳かそれ以上、五十代前半ではないかと思います。二人の女性、彼女たちは私には分からない言葉で語っていますが、その語っていることは私には分かります―「主はこの大事な賜をあなたにお授けになられました。これは預言の成就です。あなたの一生は―」

おお。声は立っているニ位の天使から聞こえてきます―声は―二位の天使から同時に聞こえてくるようです―声は彼らから同時に聞こえてきます―「預言の始まりです。あなたの生活は喜びに満たされます。預言の始まり、聖父の遂行。」

今、あの男性が見えますー彼はあごひげをたくわえ、かなりの歳です。彼は今は包んだもの抱えています。それはとても小さな赤ん坊、生まれたばかりの赤ん坊です。彼は木のベンチに座り、その頬に涙が伝います。彼は泣いているのです。彼は言います―「私はこの大きな喜び、御父からのこの贈り物には相応しくはない」そして彼は赤ん坊を自分に引き寄せます。



(2018年2月28日)



ヨゼフ・マリ・ジャック神父
「静香」さんから百千鳥に投稿されたものです。かつて日本にはこのような司祭がいたのです。


1982年にある司祭が日本の司教団に対して書いたもの(もう亡くなっている司祭)。その中のある部分を読んで涙が出そうになりました。苦しみが伝わってきます。(静香)

「私は、ここで、特に、我が教区の司教であられる、濱尾文郎閣下に対し、私の、聖職者としての良心にかかる重大問題を、日本司教協議会の前に、申し述べるよう、お勧めくださったその、御配慮と、御親切に、心より御礼を申しあげます。

イエズス・キリストの代理者なる、聖なる教皇の命令に従うことによって、私の尊敬する司教様のお望みに、抵抗を、感じなければならないことは、私に、生れて初めて、死する程の憂いを、覚えさせます。

聖会に忠実であろう、とするために、その同じ教会から、これ程の苦しみを受けることは、決して、想像できることでは、ありませんでした。この時代、人々は、今までにない暴力と、拷問の、苦しみの時代に、生きています。

しかも、聖なる教会までが、自分の子どもらを、拷問する時代にまで、なっています。このことについて、私は、多くの例を出すことができます…

とにかく、どんなことであっても、自分よりも遥かに愛する、この聖会に、いつも、服従いたします。

正しさをもって、教会に勝つよりも、むしろ、間違っても、その教会に従って一緒に損する方が、信仰においてましだと思っております。

しかし、それと同時に、白状しますと、自分の良心に背きながら、手で御聖体を授けることによって、イエズス・キリストの尊い御体を汚すよりも、即座に死ぬほうが、私にとって、ましであると、告白いたします。

何故なら、私の、司祭としての良心には、このことは、全ての不敬に、戸を開くことであって、それは、信仰と、愛と、特に、謙遜の欠けた処から生じてくる甚だしい涜聖だからです。」(「口でのご聖体拝領に関する弁論」ヨゼフ・マリ・ジャック神父著より抜粋)


(2018年1月10日)







90%

ジム・カヴィーゼル
―「私たちは福音のために命を懸ける覚悟のある『戦士』でなければなりません

2004年にキリストの受難を描いた映画『パッション』が公開されました。その映画でイエズス・キリストを演じた俳優がジム・カヴィーゼルです。

アメリカ合衆国のシカゴで、正月の2日から昨日の6日まで、FOCUS(カトリック大学学生協会)の主催でSLS18(学生幹部サミット2018)が開催されました。

その会合に、3日の水曜日に『パッション』スターのジム・カヴィーゼルがサプライズで登場しました。

そこで彼が語ったこと、それは生ぬるい信仰生活を送る者たちの横っ面を張るような内容でした。

カトリック教徒は世の悪を打ち負かすために命を、評判を賭ける覚悟がなければならない、と彼は言います。

信仰とキリストの教えによってのみ私たちは救われるとカヴィーゼルは語り、と同時に救いには戦い、犠牲をし、苦しむ覚悟のある人たちが必要だとも語りました。

聖マキシミリアン・コルベを引きながら彼は、無関心は20世紀の、そして21世紀の最も大きな罪であると語ります。

私たちはこの無関心、この悪に対する破壊的な寛容さを打ち捨てなければなりません。しかし、信仰とキリストの教えだけが私たちを救うことができるのです。しかし救いには、真理のために自らの評判を、名を、そして命さえをも賭する覚悟のある戦士が必要です

この腐敗した世代から自らを引き離しなさい]俳優は聴衆に訴えかけます。「聖人たれ。皆さんは(腐敗に)なじんでしまうために創造されたわけではありません。抵抗するために生まれたのです


これから公開される『パウロ―キリストの使徒』の出演の経験が、神の眼に偉大であるためには、私たちは先ず小さき存在となり、神を完全に受け入れ、神が私たちを導くに任せることだと知ったと彼は語る。

カヴィーゼルはまた苦しみの重要性についても語り、一般に普及している誤解―キリスト教とは「幸福な語らい」であるということをも非難しました。

彼は、いかにして(役者としての)初期の役がメル・ギブソン監督の『パッション』でキリスト役を演じることに繋がったかを語りながら、自分が演技することに呼ばれたのは偶然ではないと言いきります。

カヴィーゼルはFOCUSに集まった学生たちにも、彼らの人生は偶然の連続から成り立っているのではないと語りました。

あなたたちの中には現在惨めな、混乱した、未来に不安を覚える、心痛む生活を送る人もいるかもしれません。しかし、今は引き下がったり、屈したりする時ではありません

彼は、キリストの役を演じ切ることでいかに大きな試練、苦しみを味わわなければならなかったかを語った。それは鞭打ちや磔刑、雷に打たれるシーンの肉体的苦しみ、5か月間低体温症で苦しんだ後の心臓手術をも含む試練でした。

十字架を担う撮影中にカヴィーゼルの肩もまたはずれ、彼はそのシーンの撮影終了までそれを我慢しつづけたたのでした。それはまるで償いのようだったと彼は言います。

私が十字架に掛けられたとき、キリストの苦しみは私たちの贖いであることを悟りました。僕は主人に勝らないということを思いだしてください

私たちは一人ひとりが自分の十字架を背負わなければなりません」彼は続けました―「復活―実際には私たちの救い―には大きな代償がいるのです

☆☆☆

わが母は神と人間の仲介者としてあなたたちを訪れてきた。彼女は多くのバラをあなたたちの元へ送り、まき散らす。多くの者には刺があるーバラに刺はつきものだ。わが子よ、わが子供たちよ、あなたたちはいつもバラの下に十字架を見出すだろう。
天国への道は十字架の道である。自分の十字架を担い私に従いなさい。その道は狭く、留まるものは非常に少ない。多くの者が呼ばれるが選ばれる者は少ない。変わらずにいなさい、わが子供たちよ。忠実でありなさい。忠実で真実でいなさい、そうすればあなたたちは救われる
」(イエズスのヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ 1979年7月25日)
(TLDニュースより)

 
(2018年1月7日)


謹賀新年
2018年1月1日


 

1996年月9月24日 
 9:15am 

聖母:イマクラータ、あなたが作っている『絶えざる御扶けのノヴェナ』は拡がるべきであり、広められなければなりません。

多くの、困難にある子供たちを救うからです。

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