忍耐の徳、最後まで耐え忍ぶことのできる恵は、祈りによってでしかいただけません

忍耐の徳、最後まで耐え忍ぶことのできる恵は、祈りによってでしかいただけません

1995年11月24日(金)

 
 6:55am

聖母:In Nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen.


イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

私は、無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶け、聖マリアです。

イマクラータよ、あなたたちが生きているこの時代は、まもなく終わりを迎えようとしています。

それは、血まみれの浄めを通って終わりに至るのです。

祈らない者は、この母のアドヴァイスを聞いていない者は、神のなさり方を理解出来ず、受け入れないでしょう。

神に「ノー」と言うとき、それはあなたたちが新しい神の国に入れないというだけではなく、天国にも行けないということを意味します。

母が祈りを懇願しているのは、多くの神を知らぬ子どもたちのためだけではなく、あなたたち自身のためでもあるのです。

祈りによって悟っていかねば、あなたたちは逃げ出すでしょう。

神の前から逃亡したユダのように。

子どもたちよ、だから祈りなさい。

忍耐の徳、最後まで耐え忍ぶことのできる恵は、祈りによってでしかいただけません

イマクラータよ、では質問を聞きましょう。

Q:(外国のある修道会で、敷地にテニスコートを作ると言う話をマリア・イマクラータは聞いた)○○(地名)でテニスコートを作る計画らしいですが、テニスコートとはどういう意味なのですか。

A:その計画は、気晴らし、運動のためのものです。あなたたちの生活に気張らしは必要と言えますが、一日は祈りと仕事とで満ちてしまうべきものでしょう。この世のものにひとたび心を許してしまうと、再現がなくなってしまうものです。あなたたちは、この世に属するものから少しづつ、そして完全に身をひかなければなりません。
バランスというものは確かに必要ですが、祈りのうちに悟らなければなりません。

(後略)

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