気ままで、自由な生活を望む者は、徳をみがき、それを自分の宝とすることはできないでしょう
1995年7月3日''
6:30am
聖母:天はあなたたちの自由意志を尊重するのです。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。
イマクラータ、書き記しなさい。私は、無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶け、聖マリアです。
イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。
多くの、本当に多くの信仰の試しがあるのです。
そのような試しなしには、あなたたちの信仰は分からないからなのです。
謙遜な者だけが最後まで残るのです。
徳というものは、霊的訓練なしには養えないのです。
気ままで、自由な生活を望む者は、徳をみがき、それを自分の宝とすることはできないでしょう。
完徳を目指す、それぞれの立場、身分に従って聖化するということはどのようなことであるか、一人ひとりが黙想せねばなりません。
では、質問を聞きましょう。
Q:以前のvisionで、器の中の二つの豆は(信徒名)さんと(信徒名)さんのことだったのですか。それとも、(信徒名)さんと(信徒名)さんのことだったのですか。
A:イマクラータよ、このことはあなたたちの識別の課題です。祈り、悟りなさい、わが子よ。
Q:7月2日に選んだ9人は御旨にかなっていますか。
A:祈りによって選ばれた人々を天は祝福するでしょう。一歩いっぽ歩みなさい。イマクラータ、祈りのグループを作ることは、非常に、非常に重要なことです。
(後略)
powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM