キリストの教えに招かれた全ての者たちは、殉教者となるか、証人となるように呼ばれているのです。

1994年12月28日
9:10pm  

聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私は、あなたを祝福します。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

イマクラータよ、私の言葉を聞きなさい。

今日は幼子殉教者の祝日です。

殉教とは、神の教えを信じて死ぬことであり、キリストを証することです。

キリストの証し人になることは、身体の殉教を伴わなくとも、心の殉教者となることです。

この母は、全ての殉教者の母と呼ばれるのは、私もその殉教の心をもって生きたからなのです。

キリストの教えに招かれた全ての者たちは、殉教者となるか、証人となるように呼ばれているのです。

イマクラータ、わが子よ、あなたたちはキリストの背丈となるまで成長するように、この母に導かれるでしょう。

幼子のように、導かれるままにしていなさい。

では質問を聞きましょう。

Q:Cが12月18日のコーナーストーンでラテン語の祈りを混じって唱えてしまいましたが、そういう場合その祈りはどうなるのですか。有効なのですか、無効なのですか。


A:無効とはなりません。祈りとはすべて意向に基づいているからです。Cに伝えなさい。心配してはなりませんと。母がきれいに整えて御父の御前に持っていきますと。

(2019年8月14日)

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