1994年6月18日
11:05pm
聖母:イマクラータ、書き記しなさい。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。
私は天の元后聖マリアです。
イマクラータ、私はあなたの質問を聞くために参りました。
確認(※)とは、一致のためでもありますが、メッセージに関して、真実のことを知るためには必要なことなのです。
確認をしすぎるということはないのです。
イマクラータ、確認から学ぶこともあるのです。
さあ、祝福します。あなたとCを。
聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。
※確認:ある幻視者がメッセージを受け、それが真実のメッセージ(天からのメッセージ)かどうかを、他の幻視者を通して天に聞いてもらうことを、メッセージを(天に)確認すると言います。
それは、真実の幻視者であっても、天から受けるメッセージの一部、または全部に、恐怖や自分の願望から自分の潜在意識がメッセージに入り込んでしまうことがよくあるからです。その現象を「混じる」といったりします。あのメッセ―ジは混じっている、などと言います。
これは、落ちた(ミッションを失った)幻視者や偽幻視者が天のものではない出現によって天のものではないメッセージを受けるのとは違います。天の出現を受けながらも、メッセージに自分の願望や考えが混じってしまう現象で、落ちた(ミッションを失った)幻視者や偽預言者が天のものではないメッセージを受けるのとは異なります。真の天の出現を受けながらも、天のメッセージに自分の考えやサタンのメッセージが混じってしまうのです。
このことが常態化すると、その幻視者はもはや天の道具としては機能しなくなります。天が白といっても黒と受けてしまい、天が左と言っても右と受けてしまうからです。天の御旨よりも、幻視者個人の願望が優先されてしまうのです。
ですから、メッセ―ジの確認が必要なのですが、その確認自体、また混じることが多いのです。ある幻視者にその受けたメッセージの確認を頼まれた場合、その幻視者の気にいるような確認のメッセージを確認を頼まれた幻視者が混じって受けてしまうのです。これは幾度となく眼にしてきたことです。
幻視者同士がなれ合いになった場合、互いに自分の願望の混じったメッセージを受け、それを互いに確認し合うというスパイラル現象も起きます。ですから、聖母が、すべてのメッセージは識別が必要だとおっしゃるのです。
その様な意味で、確認を絶対的なものだと考えることはできないのです。
かつてイマクラータは聖母に質問したことがりあります。
Q:ある一人の幻視者において、確認が100%正しいというような状態は、実現可能なのでしょうか。
A:可能です。イマクラータ、それは、聖成の道と同じように、厳しいことではありますが。(1994年6月22日のメッセージ)
つまり、確認のメッセージを受ける幻視者はあらゆる人間的感情―恐怖、願望などを抑えて、天の御旨だけを行なおうとしない限り、すこぶる混じりやすいものなのです。「確認から学ぶ」とはそういうことをも含めての言葉だと思います。―管理人
(2018年12月10日)
カテゴリ→アーカイブ抜粋1994年6月
a:279 t:1 y:0
powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM