2015年12月

大雪…クリスマス・プレゼント?


12月26日朝6時頃外を見たら、大雪(10センチくらいの積雪でしたが、昼前までにほとんど溶けてしまいました。)

今日(2015年12月29日)も早朝6時頃外を見ると大雪で木の枝に7センチくらいの積雪でしたが昼前ころには木の枝の積雪はほとんど溶けました。今年は暖冬なのです。
本日の最低気温-2度。最高気温3度。家の中は16度。

今年のクリスマスには、天からのクリスマス・プレゼントがあったように思えるのですが…。頑固な不眠症がその日1日だけ治っていたのでした。深夜12時頃から不眠症のための準備をするのが、常でした。聖書、本、ロザリオ、BBCのチャンネルセット等です。

ところが、クリスマス・イブには、12時過ぎから眠くなり朝まで爆睡!久々にぐっすり眠れました。(神に感謝!!)クリスマス後は、早朝3時~6時の間眠れないのですが、なんとなく眠れる日も出てきました。

不眠やひどい肩こりで苦しんでいた時にとても参考になった聖母のメッセージを、下に貼ります。

2012年6月6日

苦しみと闘っている者たちよ、あなたたちは、あなたたちの最愛の救いの母に、苦しみに対処できるよう助けを願わなければなりません

私はあなたの苦しみを運び、霊魂の救いのためにあなたたちに代わってわが貴き聖子にそれをお捧げします。

わが聖子は必要なものをお取りになり、あなたたちに慰めをお与えになられます。それからわが聖子はあなたたちの荷を軽くなさいます

苦しみは霊魂の浄めの一つの形たり得るものです。苦しみを拒み、抗(あらが)うなら、それから解放されません。それはさらに重い荷となるでしょう。

苦しみを愛をもって捧げるなら、あなたの荷は軽くなり、あなたは喜びに満たされるでしょう。

苦しみを決して恐れてはなりません、苦しみはわが聖子の至聖なる聖心(みこころ)にあなたたちを近づけるからです。

あなたたちの最愛の母
救いの母


(2015年12月29日)

カテゴリ→田舎生活



御降誕の大祝日の八日間中の主日


本日2015年12月27日、2級大祝日です。典礼色は白。

「指定巡礼聖堂はない。指定巡礼聖堂は、その時その時に信者に知らせる習慣であったか、それとも、小主日には、指定巡礼聖堂にあつまらず、各自の教会にあつまっていたか、いづれのためであろう。
御降誕の大祝日八日間中の主日であるから、<入祭文>には、平和の中にメシアが生まれるという予言を読む。<聖福音>は、復活という新しい考えに向かって、信者の心をひらかせる。神殿に奉献された幼児は、もはや神の田茂の生命と復活である。<書簡>でも同じことを教える。イエズスはわれらの兄弟であり、イエズスの霊は、われらに「わが父」なる神をもたらした。」(『毎日のミサ典書」)

カテゴリ→トリエントミサ2





クリスマス、おめでとうございます


本日2015年12月25日、主の御降誕の1級大祝日です。八日間付。典礼色は白。

「われらの主の御降誕は、御復活、聖霊降臨と同様に、典礼暦年の高嶺ともいうべき、もっとも盛大な祝日である。
待降節から七旬節までの他の祝日は、御降誕を基準として決定される。
御降誕節は四十日間で、12月25日から2月2日までである。御降誕の祝日後の初めての主日、御割礼の祝日、新年御のはじめての主日、御公現の祝日と、その後の祝日がこの期間に行われる。
御公現後には、御復活が遅いか早いかによって、二つ、あるいは六つの主日がある。
この期間の主日の聖福音は、厳密に歴史的な時に従っているわけではなく、ただ、御降誕から御壮年までのご生涯を祝うだけである。
この期間の特色は、人間となり給うた「御言葉」の御来臨について、信者の心にみなぎるよろこびである。典礼では、この喜びを、幼き御子と、童貞母とに結び付けて祝う。」(『毎日の典礼』)

カテゴリ→典礼




霙、または雪


ここ1週間みぞれが降ったり、雪が降ったりしていますが敷地に積もるということはありません。外気温はマイナス1度あるいはマイナス2度だったりして、もう真冬の雰囲気。(本当のところ真冬には、最低気温がマイナス6度になる日もあります。)

ハスキ―犬のグレイは寒い夜の散歩も大喜び。猫のチョコさんは、日中も眠っていることが多くなってきました。

今年はクリスマスが近づくのがとても速いように感じます。待降節第四主日ももはや過ぎて25日は目前です。

今年の待降節は四旬節の有様に似て、苦しかった。いくつかの体調不良が重なり、このまま老人で病人となり恢復することはあるんだろうか…と。イエズス様とマリア様の聖画を深夜仰ぎ見ながら幾度かうとうとしたり、祈ったり…。ジャンヌ・ダルクのロザリオとおん父のロザリオをゆっくり唱えたり・・・。

苦しみを紛らわすためにいろいろしてみましたが、人間的には効果があったかどうかはわかりません。

今日本では苦しんでいる人が多いと思われます。どうか、日本が救われますように!(2015年12月21日)

カテゴリ→四季




待降節第四主日


[(指定巡礼聖堂。12使徒の大聖堂。)
昔は、今日のミサをおこなわなかっ。なぜならた、四季の土曜日の典礼と叙品式とが土曜日の夜から日曜日にかけて行われていたからである。
それで、本日(2015年12月20日)のミサの典礼の殆どは、ほかのミサからとったものである。
<書簡>は、前日の叙品式を思い出させ、司祭たちに向かって、言葉と秘跡という聖なる奥義をおこなって神の下僕なったことを記憶させる。
また、一般信者に向かって、司祭たちを批判しないようにとすすめる。
これはすべて、主のまじかな来臨に結び付いている。」(『毎日のミサ典書』)(2015年12月20日)

書簡―使徒パウロの、コリント人への書簡の朗読(前書4の1-6)

聖福音-ルカの聖福音の続誦3の1-28

カテゴリ→トリエントミサ2





小教区より 3


無効のミサとは聖変化が起きないミサです。将来、無効なミサが私たちにもはっきり無効だと分かる日が来ます。今は、司祭が唱える「聖変化の言葉」を会衆が全員で司祭と共に唱和したり、司祭が聖変化の言葉を故意に変えて言ったりした場合にはそれは無効なミサだと考えればよいと思います。有効なミサか無効なミサか分からない時には、有効なミサだと信じて与ればよいのです。次のお手紙では、司祭が天のメッセージについて説教中に触れたことが報告されています。(Hさん)


「うちの小教区では ミサにあずかる方は100人程です。数ヶ月前から聖変化時の跪きがなくなっています。 変更のプリントが配布されてミサ後の祈りを跪いて行われていたのもなくなり、 違和感を覚えました。ミサの中で跪くという姿勢はとらない、と説明がありました。

聖変化の時に跪いている方は見かけません。 土曜の少人数のミサでは時々 外国の方が跪かれています。 聖体拝領時に口で受ける方は私の他にひとりか二人くらい、以前に外国の方で跪いて口で拝領されている方を見たことがあります。

私は変更があってから聖変化では立っています。 聖体拝領は立って 口で受けています。ただ拝領後とミサ後は跪いて祈りを捧げるようにしています。

他にも今年に入り ミサの形式でいろいろな変化があり、 とまどいを感じます。

ミサの説明で 過ぎ越しの祝いという言葉を多く使われるようになりました。

ミサ中の奉献文や使われる言葉に、わかりにくいものの変化があるように思えることがあります。それで 有効なミサとそうでないミサというものを 私達一般信徒に見分けられるのだろうかと疑問をもちました。ロザリオを捧げて導きを信じるばかりです。

ミサ中に司祭が、マリア様が手で聖体を受けてはいけませんと言われたということは有り得ない、と話されて マリア様は分裂をもたらさないと言われたので、 その後で 口で聖体拝領するには勇気がいりました。 弱い自分を感じましたが、 天からの助けも感じられ口での拝領を続けさせて頂いています。

以上のような状況です。 皆さんと祈りでつながって、日本のために霊魂の救いのために祈り小さなことを捧げる日々を過ごしています」



次のお便りを送って下さった方はで、典礼委員長の梅村司教様がご聖体を口に授けておられる写真を送ってくださいました。2014年5月18日の教会報「やまて」に掲載された写真です。ご希望の方がいらしたら、メールで送ります。(Iさん)


「先程、梅村司教様のご聖体授与の図を送らせていただきました××です。

イマクラータさんに送らないと、と思ってしまいまして


お忙しいことと思いますので、お返事はどうぞご心配なく。

地方などで困っている方がいらっしゃれば、よろしかったら差し上げてください



ミサの後でロザリオを祈ることができる教会があります。平日の朝ミサで、人がいなくなってから数人で祈っているそうです。以前、ロザリオを祈る教会は護られます、という聖母のメッセージがあったのを思い出しました。(Jさん)


「最近の×××教会では、平日(月~金]は7時の朝ミサ後、2人以上集まれば、一連(または2連)、土曜日は教会の祈りと1環を祈っています。

当×××教会でも、舌で御聖体を受けている方は、平日ですと、3,4人です。主日でも、プラス3,4人くらいかと思います。与っている人数は平日20~30人。主日:早朝:50人くらい。10時:100~120位でしょうか?」

「又、本日の10時のミサ(待降節第一主日)にあずかりましたのでその後の状況につきまして、追記致します。
ミサの前に典礼委員から簡単な説明がありましたが、ひざまずいていた人も何人か(2~5人位?)居たそうです。(自分含む)。ミサ後の委員からの説明でも『初めてだから間違えても気にしないでください。』『色々意見があるでしょうが、(できるだけ?)御協力お願いします』と言うニュアンスのお知らせは在りましたが、強い圧力的なものは感じられなかったので、一まず安心しました」



もう一つ、現段階での小教区の状況を伝えてくださったお手紙を紹介し、この「小教区より」を終えたいと思います。(Kさん)
そして最後に、東京の三河島教会の教会報「虹」が送られてきましたのでその記事も紹介したいと思います。今回、小教区の現状報告をしてくださった方々、ありがとうございました。


「現時点におきましては、膝まづきも舌による拝領もそれほど問題視されておりません。約150人ほどの教会なので個人的な所作におきましては、他の信者様からも何も苦情はでておりません。舌による拝領される方は10人ほどおられます」



☆☆☆

「虹」

深まりゆく秋、
魂の力なるロザリオを手に

協力司祭  李 春燮

昨年の冬、義兄がストレスによって、緊急入院したとの連絡があった。事業関係で、本人の力で解決出来ない程の法的、金銭的な問題等による精神的な病で病院での検査と治療、家族の介護も虚しく、結局亡くなり、急ぎで韓国に帰ることになった。

葬儀の後、残された家族の悲しみと傾いた事業で、姉と残された三人の子供達は気力を失いかけていた。不幸に不幸が重なることに葬儀の数日後、姉は長男と義兄の事業場を見回っているうちに倒れ、亡くなった義兄と同じ病院に緊急入院した。脳梗塞だった。

何もできない私は、これが人生というものかと苦しみに踠(もが)くだけだった。意識も戻っていない姉と未だ成人していない甥を残して日本に戻らざるを得なかった。韓国を離れていて、兄弟として何も出来ない自分を思うと、無力感と鬱で苦しんだその時、弟であり、家族であり、司祭である私が出来る事は、ロザリオの祈りだった。ロザリオの祈りの時は、限りなく悲しくもなるが、私たちの母、マリアの痛みを思うと限りない慰めも感じることができた。

マリアの一生を黙想しながら、ひたすら祈り続けた。その祈りが、マリアの取次ぎによって神様に届いたのか。姉は、子供の顔と名前が分かるようになり、身の回りの事もある程度できるまでに回復に向かっている。小さな奇跡ではないかと思う。

生きて行く中で、私が経験した最も悲しい事は、愛する家族との死別でしょう。また、若い義兄がこの世を突然去った後、残された家族の悲しみは余りにも大きなものです。

苦しみの中に居る時のロザリオの祈りは、最高の祈りです。ロザリオの祈りはカトリック信者の普遍的な、いつ、どこでも捧げられる簡単な祈りです。習慣的に速く唱える祈りになりがちですが、イエス様の一生をマリアと共に思い巡らしながら、黙想する祈りです。祈りを捧げる度、聖母の心でイエス様を黙想してみましょう。馬小屋で生まれ、温かい聖家族での生活、希望に満ち、活気溢れる公生活、善い牧者として生き、苦しみの十字架上の死、栄光の復活をゆっくり吟味すると、いつの間にかすべてが癒され、神様の愛を感じることでしょう。

悲しみや深い心の傷を覆った(マゝ)時、
 迷わずロザリオを手にしてみてください。
深け行く秋、魂の力であるロザリオを
 手にマリアの様に生きて行きましょう

(太字は原文)

(2015年12月17日)

カテゴリ→聖別の時にひざまづく


待降節第三主日


[(指定巡礼聖堂。ヴァチカンの聖ペトロ大聖堂。)
叙品式をうける前の試験と断食の行われるこの週間のはじまりにあたって、公教会の初代の教皇である聖ぺトロの保護を願うのである。
御降誕の聖なるよろこびをはじめるこの週の主日を、昔は盛大に祝う習慣があった。現在では、オルガンの伴奏を行うことと、助祭と副助祭とが前を折らないダルマティカと、トウニチュラを付けることと、バラ色の祭服をつけることに、往昔の盛大な行事の名残りをとどめている。
キリスト教には、悲嘆の席はない.もっともきびしい季節さえ、喜びをひかえた季節である。今週もその一つである。

しかしキリスト教的よろこびは、キリストの愛によってもたらされたものであるから、主においてそのよろこびを見出さねばならぬ。
本日<聖福音>は、われらの内にすでにあるメシアを告げる。そのメシアを見出すためには、世俗的なわずらいにくもらされた目から、そのくもりを取り払わねばならぬ。」(『毎日のミサ典書』)(2015年12月13日)

書簡―使徒パウロの、フィリピ人への書簡の朗読(4の4-7)

聖福音-ヨハネの聖福音の続誦1の19-28

カテゴリ→トリエントミサ2





小教区より 2



今回、送られてきた小教区の情報では、それぞれの小教区で舌で拝領する人が複数いることが分かりました。しかし、たった一人という小教区もあります。(Dさん)


「私だけです。口でごせいたいをうけているのです」


次のお手紙は関東の小教区の信者さんからの報告です。お手紙には、勇気ある、聖なる司祭のことが紹介されています。(Eさん)


待降節からの変更箇所については、事前にいろいろな情報があり気にかかっておりました。
道理や意味をご説明くださり、大変参考になりました。
まずは、在籍している、××県○○教会の状況をお伝えいたします。

信徒数:約1700名
聖変化時:私も含めみなさん立ってお辞儀をする方のみ
聖体拝領:私とほかに一人の方が跪いていただいている

11/22の王であるキリストの日に添付の書面が聖水盤横においてあり、各自お読みくださいとお知らせでアナウンスされました。
11/29の待降節第1主日には、ごミサの前に神父様より数点の説明がありました。

①福音朗読の前に額、口、胸で十字のしるしをすること
②聖変化では立っておじぎをすること
③奉納の時は座ること
が説明されました。その他はおいおいにします、ということでした。

神父様が特にご説明熱心だったのは、①です。何回も丁寧にやり方をお話ししてくださいました。神父様はフィリピンの方です。

幸い聖体拝領は現在も跪いていただけております。
私自身、聖変化での敬意を表す動作について、今回のことで非常に勉強になりました。

現在、所属は○○教会ですが、○○2、△△△1(母の所属)、□□□□□修道院1の割合でごミサにあずかっております。
まだ△△△教会の対応については、わからない状況です。
しかし、△△△教会は今年より中央協議会の神父様の司式が増え、先日その神父様に今後は立って聖体拝領するよう注意されました。
母は、神父様に立たされそうになったのを拒否して、跪いたままいただいたとのことです

△△△教会は下記の状況です。
聖変化時:母も含めみなさん立ってお辞儀をする方のみ
聖体拝領:母とほかに一人の方が跪いていただいている

今回のことは非常に嘆かわしいことですが、いずれ起こることだったことであり神の御手のうちにあるものなのでしょう。

昨年イマクラータ様のローキューションにあった、「群れを二分させるため」ということにもあてはまるのかなと考えております。

御聖体は跪いて受けるべきと教えてくださっていた横浜教区のある神父様は、7月末に祖国に帰国されてしまいました。

帰国予定の2週間もない状態での発表や、行く先が決まっていないことなど不自然な印象でしたが真相はわかりません。

日本での最後のお説教で、イエズス様(イエズス様といつもおっしゃっておりました)は神の子であり、つまり神様である。教会へ行く意味はイエズス様のためだけであり、その他の目的はない。ほかに目的があったとしたら捨てるよう仰いました。
イエズス様のためだけ、永遠の命を得るためだけを目標をしていれば、共同体の分裂など対立なども起きないとも仰いました。

私たちはこれから更に厳しくなっていく中で、真理を信じ、守っていかなければならないのでしょう。

イマクラータ様の仰る通り、御聖体に対する信心を燃え上がらせてゆかねばなりません。

ノヴェナもあと2日ですが、日本の救いのためというのはこういう意味も含んでいると考えて行っております

ロザリオの十字軍のためにもお祈りいたします。祈りのうちに。



自分の信じるところを信徒に向って言う司祭は迫害を受けます。そのような勇気ある司祭のために私たちは祈らねばなりません。次の手紙は埼玉教区の小教区の方のものです。(Fさん)


「平日は××教会の朝ミサに通っています。ほぼ10人程度の参加者があり、自分以外に、聖変化、聖体拝領の際にひざまずく(省略)の女性が一人います。司祭は教区司祭で自分とほぼ同年代の人なのですが―(省略)―、先日ミサの説教中に待降節からの変更箇所の説明があり、

『日本の教会では、どういう訳か立つ事を基本姿勢としてひざまずかなくなったが、ローマの規範版ではひざまずく事が書かれてあり、日本の適用の物より上にあるのでひざまずく事を禁止はしない。もし今、祭壇の前でマリア様がひざまずいて祈っていたら、立たす事はできない』という話をされたのでほっとしました」

「その後埼玉教区の司牧者会議があり、今度の待降節から始まる典礼の変更箇所の説明が岡田大司教(教区管理者)と担当司祭から説明されたそうなのですが、――(省略)――『新しい指針に従わない人がいても取り締まったりする事はないように、ただベトナム人などの外国人の司祭叙階式など千人以上の参列者がある場合には、ひざまずく信者が多数いるとミサが滞るので立つ様に指導するように』という話をされたようです」



次のような司祭もおられます。東北の小教区の方からのお手紙です。(Gさん)


「聖変化の時に立つ様にと指示がありましたが、当神父様は、立っていようがひざまずこうがどちでもいいじゃないかと云うことでした。

ひざまずき台もありますので問題ないと思っています。××教会の信者はミサにあずかる人は5、6人です。フィリピンの信者も何人か来る時もあります。60歳以上、80歳です。私も調子が悪い時もありますので月に一日くらいで―(省略)―ロザリオと十字軍の祈り、全免償、霊的聖体拝領をしております
」(以下は次回に)


(2015年12月12日)

カテゴリ→聖別の時にひざまづく




小教区より 1



小教区の状況をお知らせくださいましてありがとうございました。返事は出せませんでしたが、この場を借りて御礼を申し上げます。

当たり前ですが、教会は一枚岩ではないと感じました。今回寄せられたお手紙から、関係個所を引用させていただき、情報を皆様と共有したいと思います。

以前いただいたお手紙では、「舌で拝領するためにはパテナが必要で、この教会にはパテナを口の下にあてがう人がいないから手で拝領してください」という内容のことを言われたり、あるいは、ある小教区では口で拝領する人が、小教区に関係するシスターに、手で拝領することが司教様の御意向ですと手で拝領するよう圧力をかけられたりした経験が伝えられました。また、一方ではこれは10年ほど前に私が通っていた都内の教会で、主日のミサの説教である修道会の修道院長がおっしゃったことですが、ある教会の神父は舌で拝領する信徒に「お前は犬か」と言ったということを信徒から聞いたと語り、その司祭の態度を非難しつつ、むしろ舌での拝領が本来の拝領の仕方だ、と憤慨しておられたことを思いだします。

以下に今回寄せらたお手紙を部分的に紹介させていただきます。尚、ご迷惑がかかるといけませんから、固有名詞は伏字にします。

先ず、以前にも引用させていただいたお手紙の一部です。(Aさん)


今日はooo教会では、ミサの変更箇所の動作の確認とゆうことで、御聖体の手の拝領と、聖変化時に起立をし御辞儀する。など 説明がありました。一番先にoo神父様から講話の形で色々お話が有りましたが、頭に残っていません。
印象として、簡単に言えば司祭は「跪かせたくない、舌の拝領をさせたくない」様々な理由を付けて「神様を礼拝させたくない」のだろうなと思ってしまいました。サンダミアーノで手の御聖体拝領を強要された時は、霊的聖体拝領をしなさい。と教わりました。

その時が来たんだなと思いながら帰ってきました。これから「侮辱を恐れざる恵をこいねがわん」の祈りが真に必要な時が来たと感じました
。」


次は少し長いですが、いろいろ示唆に富む文章なのでそのまま引用させていただきます。尚、このお手紙は、ミサ中、聖別のときにひざまずくこと3をアップする前に頂いたものです。(Bさん)


私(××県)でも ミサの変更の説明がありました。正直… 居場所がなくなると不安を感じました
××はご想像の通りの田舎で、神父様3人で4つの教会を順にまわっています。

御聖体に御血をつけて…
との聖体拝領もありました。
これは禁止の筈ですが…されています。
勿論、私だけ霊的拝領にて席を立ちません。

私も今回の改正の件で悩みました。
色々、葛藤があり(省略―原文まゝ)自分の持つ信心を通します
決心しました。

口での御聖体、ひざまずく事を神父様に告げる予定です

自分の信心を守りつつ御ミサに参加しても宜しいですか?と

神父様は従順との決まりがあり意思とは別の返事をしなければならないお辛い状況の方もいらっしゃいます。
なので… Yes Noのお返事によりその教会を去る決心をしました。静かに消えて行くイメージです

去る←信心を捨てるとの意味ではありません。
信心を守れる場所でミサに預かります
それが私の答えでした。

神様へ嘘はつけないんですよ
敬意捨てたくないって気持ちもお見通しなんです(^o^)
だから素直に生きます。

ただ…県内は、全て同じ神父様なのでNoと言われた時には…帰郷時にしかミサに預かれない悲しい状況になりますが

個人的に平日…告解をお願い出来るし
霊的聖体拝領も出来るし
求めてる以上…残された通を大切に進みます

××に限らず田舎の教会の方々は私と同じ、苦しい状況と思われます

どうか、強い信仰
神様を愛する気持ち、道は必ずあること
絶対、妥協しないこと
司祭達を責めないこと
強く願って、皆様を応援しています。

あの頃の不安だらけの私とは違い祈りのパワーが私に力をくれました

1日4~5環のロザリオ
子供達は朝の祈りと1環のロザリオ
今も続いています (^o^)



口での拝領は、私たちは絶対妥協はできません。

次のお手紙です。多くの小教区では、かなり以前から聖変化の時に立っているようです。そのように仕向けた人たちがいることは確かです。(Cさん)


「私は××市の××教会に行ってます。26年前に洗礼を受けました。その時以来ずっと聖変化のとき膝まずく人をみたことはありません。私も周りに流されて、数回しか聖変化のときに膝まずいたことがありません。」

「ご聖体は、当時は一回のミサで五人ほどは口で拝領していた記憶あります。いまは私のほかに一、二名?」

「ミサが終わり神父様が出ていかれたあとの聖堂は、まるで教会の目の前にあるデパートの中のようににぎやかです。以前よりひどい。祈る人も数人いるのですが、多分、気づかないのでしょう…それ以前に、聖堂では沈黙なのですが、大変悲しく思います。目の前にイエズス様がおられるのに。社交場になっています。」

「祈り続けることは甘美でもありとても苦しいと、この年で初めて知りました。神にすがりついています… 」



そして11月29日の待降節第一主日のミサの後で連絡がありました―


「ミサの帰りです。

隅っこの席で聖変化のときひざまずくことが出来ました。私の場合、ただの人間的な恐れです。誰も立つようには言われませんでした。

ご聖体もお口でいただきました。

感謝です。」
(以下は次回に)



(2015年12月9日)

カテゴリ→聖別の時にひざまづく




ノヴェナを終えて…


12月7日で、ロザリオの十字軍のノヴェナが終了しました。
ノヴェナの第2日目の深夜(11月30日)に、ヴィジョンがありました。大きな白い十字架とその下に黒いシルエットの山のヴィジョンでした。黒いシルエットの山は、やはり富士山でしょうか。

ヴィジョンを見た当初は、富士山に将来現われる白い十字架を見たのだろうと思いながらも、何かぴんときませんでした。しかし、12月7日のノヴェナの最終日に、ノヴェナの意向「日本の救い」のためということが、この20年来の日本の救霊のため―富士山の真上に現われると預言されてきた白い十字架の出現の預言とダブりました。

今回のノヴェナの意向の『救い』の中には、福島の水蒸気のこと、中国軍、第三次世界大戦のことなどが私の念頭にあったのですが、しかし、天の御意向は、日本人の救霊という「日本の救い」という点にあったのではないでしょうか!

もっとも大切なことは、霊魂の救済です。救霊です。イエズス・キリストが望まれているのは、救霊なのです。

ノヴェナの期間中にもう一つのヴィジョン(ローキュション)がありました。12月2日の深夜です。讃美歌が聞こえてきました。カトリック幼稚園のころ、うたった記憶のある讃美歌でした。

神ともにいまして
ゆく道をまもり
あめのみ糧(かて)もて
ちからを与えませ

カトリック聖歌集の660番の一部が聞こえてきたのでした。

神が共におられるならば、恐れることはありません。そのうえ、私たちには、あめのみ糧―御聖体があります。この讃美歌から勇気をいただきました。

本日は聖母の無原罪の御孕りの1級大祝日です、おめでとうございます。(2015年12月8日)

カテゴリ→預言




待降節第二主日


[(指定巡礼聖堂。エル座レムにおける聖十字架の大聖堂。)典礼色は紫。
イエズスがこの世に来給うたのは、人々をあがなって、十字架上で御死去になるためであった。ベトレヘムは、直ちにカルワリオを思い出させる。これがために、本日は指定聖堂は、元、聖女ヘレナ皇后の宮廷があった所に立ったもので、「エルザレムにおける聖十字架』大聖堂という。
ローマ典礼では、このローマの大聖堂をエルザレムの十字架の大聖堂に模したものと見做していて、現在もイエズスの十字架の断片が保存されている。
そこで、本日のミサでは、エルザレムを度々暗示している。公教会のかたどりと見、主の近き来臨をよろこび祝っている。」(『毎日のミサ典書』)(2015年12月6日)

書簡―使徒パウロの、ローマ人への書簡の朗読(15の4-13)

聖福音-マテオの聖福音の続誦11の2-10

カテゴリ→トリエントミサ2




12月3日は、…


本日は、証聖者、聖フランチスコ・サヴェリオの1級大祝日です。典礼色は白です。

『この大宣教師は、1506年4月7日、スペイン・ナバルラのサングエサ在のハビエル城に生まれた。パリ大学時代、ロヨラの聖イグナチオと友情をむすび、イエズス会創立の協力者となった。1542年、福音宣教のために印度に派遣された。1549年8月15日には日本に渡り、1552年広東にほど近い上川島(サンシャン)で帰天した。1622年列聖。

聖ピオ10世によって、彼は、信仰布教事業の保護者と定められた。日本の守護者も、この聖人である。」(『毎日のミサ典書』)

カテゴリ→トリエントミサ2





12月、待降節に入りました。


昨夜は久しぶりに月と星が明るく輝いていました。山に囲まれたこの村の空気は澄んでいて、とても寒かったです。

今月の主な祝日は…


12月3日、証聖者、聖フランチスコ・サヴェリオの1級大祝日、典礼色は白。
12月7日は、司教証聖者,教会博士、聖アムブロジオの2級祝日
12月8日は、聖マリアの無原罪の御孕りの1級大祝日、白。
12月21日は、使徒聖トマの2級大祝日、典礼色は赤。
12月25日は主の御降誕の大祝日、八日間付。典礼色は、白。
12月26日、最初の殉教者、聖ステファノの2級第祝日、赤。
12月27日は,福音史家、使徒、聖ヨハネの2級大祝日、白。
12月28日は殉教者、罪なきみどりごの2級大祝日、紫。


(2015年12月1日)

カテゴリ→トリエントミサ2

















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