2016年4月

・寄せられたメール

2016年4月26日に送られてきたメールです。

皆様の大きな祈りのおかげで大きな余震は起きていません。あと一度7.3クラスの余震が起きていたらと想像すると

何があっても聖母が護って下さると信じると、不思議と家の中で寝ても怖くなくなり、それが子どもたちにも伝わり、余震は相変わらず頻繁ですが不安感がうんと減りました。

久しぶりに水道の水がでたときにカセットボンベで作ったゆで卵のおいしかったこと。庭の片隅に植えたじゃがいもの花が今日咲いたこと。その上に蝶々とてんとう虫がいたこと。神様からのごほうびのようでした。 いままだ祈ることができるうちに、さあ頑張りなさいと言われているようでした

よかったですね、と言うにはまだ時期尚早でしょうか。

寄せられたメールを読むと、私たちの日常生活というものがいかに神の恵みで成り立っているかが感じられます。ささやかな事象に神の意志を感じることができるということは、神のそばにいるという証拠です。

苦しみは霊魂を浄めるという聖人の言葉が思い起こされます。

数日前にアップしたマリア・イマクラータのメッセージで、主は苦しみと愛とを同義語として使っておられます。

天は、全人類を神に向かわせるために,これから全地球的に苦しみを送られるということが、天のメッセージの一つの要点です。神は全人類を愛しておられるからです。

(2016年4月26日)


寄せられたメール

管理人の出したメールの返事として4月19日に寄せられたメールです。

あのときは本当に不安でした。気象庁からはまた大地震と大雨と言われていたんです

ガス水道まだですね。電気がないかたもいます。夜は怖くて避難場所か車の中にいるかたが多いです。私もいま車のなかで一人です。そのほうが祈れます。両親子どもたちは校舎のなかです。

今日は倒れそうな疲労感で今まで車のなかで寝ていました。 みんな疲れてイライラしつつあります

まだ泣けません。頑張ります。店も開きつつあります。学校は連休明けまで休校です

祈ってくれる人がいると思うと心強いです」


避難されている方たちの状態は、限界に達していらっしゃるようです。


お祈りによって支えましょう。

引き続き、お祈りいたしましょう。避難されている方々が苦しみの中で護られますように。その苦しみによって多くの霊魂が救われますように。


(2016年4月21日)







届いたメール

(管理人が出したメールへの返信です)


「土曜日の夕方あたりから断続的だった余震が少し減っています。あと一度は7,3クラスがくると注意されていたのですが、いま落ち着いています。避難してますが、今夜はやっとみんな寝ることができました。まだ油断できない状況です

長い揺れの間震えながらめでたしを、御憐れみを唱えました。お花のようなお香のようなよい香りがしたので、マリア様が守っておられるとわかりましたが、自分の無力さを感じました。信仰の弱さもです。恐怖心のほうが強かった

まだブログを見られませんが、たくさんの方のお祈りのおかげで助けられています。ありがとうございます。感謝します。」


このような状況で恐怖心を抱くのは、肉体を持つ人間の防衛本能としてごく自然なことです。恐怖心を抱くから信仰が弱いとはいえません。信仰による理性によって恐怖心とたたかうことでまた信仰も強まるのだと思います。

聖コルベは、ドイツ兵に修道院から連行されるとき、震えていました。しかし、その後、ユダヤ人収容所で聖人が見せたカトリック的、英雄的行為は、勇気と犠牲、その極みでした。

管理人







(2016年4月16日)




届いたメール

「去年夏、ロザリオ十字軍に呼ばれた意味はこの地震でしょうか? 熊本はどうなるのか。恐怖です。どうか皆さん祈って下さい。一人では力足りません」

祈り、天の御旨を果たそうとして生活している人は、何も恐れる必要はありません。これからは、準備している人もしていない人も、すべての人間が苦しむのです。

マリア・イマクラータのメセージで、人類は災害と戦争によって罰せられると言われています。しかし、これは人間を霊的に目覚めさせる、救霊の上での、人間には理解しがたい神の愛でもあります。

ロザリオの十字軍は、日本の救い、特に共産主義の侵略から日本を護るためのものです。今、日本の人びとは目覚めて祈るべきです。

祈りの生活に向かうためには知恵と勇気が必要です。何かを犠牲にする心も必要です。昔、ベイサイドのメッセージで聖母は、あなたたちから祈りの時間を奪うテレビとアイスクリームを捨てなさい、という内容のことを語られたことがあります。

私の知り合いに、今でも、一日七環祈っている人がいます。一環も祈れないと思っている人は、いつもより30分早く寝て、いつもより30分早く起きてロザリオを祈れば、それだけで一環祈れます。問題は、そういう決意をするだけの、時を読む信仰があるかどうかです。実際に共産軍が攻めてきた時に決意して祈るのでは、遅いのです。

マリア・イマクラータのメッセージは、ただ読むだけでなく、その内容を黙想すべきです。信仰のない人は、何か起きないと目覚めませんが、メッセージを信じることができる私たちは、祈りと黙想によって目覚めていなければなりません。

そうでないと、私たちは天によって荒々しく目覚めさせられることになるでしょう。

ですから、祈り、天の御旨を果たしている人間は、何があっても恐れることはないのです。


今回の地震で命を落とした人々、また突然、日常生活を奪われて苦しんでいる方々のために、このサイトを訪れている人たち皆で祈りましょう。

(2016年4月16日)

管理人



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