2016年9月

ホーチュナ・アグレリ


1996年3月3日のマリア・イマクラータへのメッセージで聖母は、

今日は、ロザリオの元后として、私がわが娘ホーチュナ・アグレリに現れた記念日です

と語られました。(アーカイブ参照) ホーチュナ・アグレリとは聞いたことがあるがどなたかはすぐには分かりませんでした。検索しても出てきません。諦めていたら、ヴィジターの方が、「白い祈祷書」に彼女の名前があることを教えてくださいました。そこを抜粋してみます。

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ロザリオのノヴェナ(魅力のノヴェナ)

このノヴェナは、願いを込めて二十七日間ロザリオ一環を唱え、その後すぐに、願い事が叶えられたかどうかにかかわらず、感謝を込めて二十七日間ロザリオ一環を唱える

歴史と約束
このノヴェナは、ナポリのひとりの少女、ホーチュナ・アグレリが、十三ケ月に渡って激痛に苛まれたときに端を発する。1884年2月26日、彼女と親戚の者たちは、彼女の回復を願ってロザリオのノヴェナをはじめた。3月3日、膝に幼きイエズスを抱いて玉座に座した聖母が、ホーチュナに出現した。聖母は手にロザリオを持ち、聖ドミニコとシエナの聖カタリナを伴っていた。
ホーチュナは聖母に嘆願した。「ロザリオの元后、どうか私に慈悲をお示しください、私の健康を回復させてください…」聖母は答えた。「あなたはいろいろな称号のもとに私に祈り、願い、いろいろ私からの恵みを受けてきました。いま、あなたは、’ロザリオの元后’という私を大変喜ばせる称号で呼んでくれました。私は、もはや、あなたが願っている恵みを拒絶できません。なぜなら、この名前は私にとって、もっとも貴く、愛すべきものであるからです。三回のノヴェナをやりなさい。あなたの願いはすべて叶えられるでしょう」
ホーチュナが癒された後、聖母は再び現れた。今回、聖母は言った。「誰であれ私に願い事をする者は、その願い事のために三回のロザリオのノヴェナをし、そして、感謝のためにもう三回のロザリオのノヴェナをしなさい」
この奇跡は、教皇レオⅩⅢ世の心をうち、彼はキリスト教徒に、ロザリオを愛し、それを熱心に唱えるよう強く勧めた。


神意に尺度や基準は在りません。いかなる恵みにも、ふさわしい者などこの世に存在しないからです。神は一方的な憐みの神です。

しかし、ここに、どれほどの犠牲でどんな恵みが与えられたかという一例があるのです。十三か月続いた激痛が癒されるのに、ロザリオ一環の九日間のノヴェナを三回、そして感謝のノヴェナをもう三回行う犠牲でした。感謝のノヴェナ三回は「願い事が叶えられたかどうかにかかわらず」行います。それは、恵みが降ってもすぐに人間の眼に明らかになるとは限らないことと(神の時)、またある種の願い事(ある人の回心を願う場合など)は実際に恵みが降っても本人の自由意志で恵みが無駄になる場合もあり、また願い事をする人の救霊にマイナスとなるような願い事(たとえば宝くじ一等が当たりますように、など)や、天が犠牲としてある苦しみを求めておられる場合などには、願い事が叶えられなかったということそのことが、示された神意と考え、それを恵みと解せば感謝すべきことであるからです。
私たちは、これを、十三か月続いた激痛が癒されるには、27日間毎日ロザリオ一環を唱えなければならないとも、27日間毎日ロザリオ一環唱えれば癒されるとも考えるべきではないでしょう。上述したように、降る恵みにふさわしい人間など存在しないからです。では、人はなぜ、27日間ロザリオを祈って恵みを乞うのでしょう。それは、私たちの天の母である聖母の仰ったことに従順に従う心からそうするのです。そして、結果に関わらず感謝の27日間のノヴェナを加えるのです。

ある場合、「知る」ということは重荷を背負うことになります。カトリック信徒になる、あるいは天のメッセージを信じることがそうです。今まで、聖母に願い事をするのに、一環のロザリオ、あるいは一連のロザリオで「よい」と考えていた人は、「ロザリオのノヴェナ」を知った今、重荷を背負うことになると感じるかもしれません。しかし、一方で聖母は「一連と共に歩みなさい」とも言われています。また、私たちには聖母への願い事が日々あります。その願い事一つ一つに、27日間ロザリオ一環を唱えるわけにはいきません。この27日間(感謝のノヴェナをいれると54日間)のロザリオのノヴェナは、13カ月にわたり激痛に苦しんできた少女が、その苦しみから解放されることを願ったように、その求める恵みの大きさに釣り合うべきだとは言えるでしょう。しかし、人によっては、朝4時半に起きる恵みを願って「ロザリオのノヴェナ」をしてももちろん良いわけです。
いづれにせよ、この話は、恵みと犠牲について考える契機となり、また、今まで慣れきって唇を滑って発せられた「ロザリオの元后」と言う聖母のお名前を、小さなときめきと共に発するようにもなりました。

(2016年9月30日)


リジューの聖テレーズ

大歓声で終わった公演
カーテンがゆれ
お辞儀をするプリマドンナ
花束が群衆に投げられても
一輪のバラほども
私はあなたを受けとめられない
五月のように音楽あふれる
季節に生きる人は
温かい詩とスイカズラの文で
あなたの「小さい道」を
まき散らしているようだけれど
比ゆの中では生きられぬほど
真実、本物であるテレーズ
言い伝えが消えたとしても
ほんとうのあなたは消えない
謙遜と愛の痛みの中で
一人の少女がひざを抱えてすすり泣いた
ゲッセマネの真の美しさに
心奪われて

アルフレッド・パレット(イエズス会)によるソネット(『モーリスとテレーズ』女子パウロ会 パトリック・エイハーン編著 岡田 茂由子訳より)

(2016年9月14日)




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