2017年4月

紐ロザリオ制作

以下のメールを始め、紐ロザリオ制作に関するメールが何人かの方から送られてきました。これから制作する、つまり制作のお手伝いをほのめかすメールもありました。
メール。
7本頼みます!
月曜日に振り込み致します

この紐ドザリオはイマクラータさんが作られたものでしょうか・」(原文マゝ)

現在このイマクラータのミッションである紐ロザリオの制作は行っておりません。その昔、当初、天の指示に従ってイマクラータを含む数人の方々がこの紐ロザリオの制作に従事しました。しかし、この紐ロザリオのほとんどは、視力が衰退した一人の婦人の手で制作されました。イマクラータが材料を送り、その方が制作し、10本を束にして段ボールに詰めてこちらに送ってくると言う作業が何年も続きました。2万本が制作された段階で、制作を打ち切りました。2万本と言う数字が天の指示であったかどうかは今となっては定かではありませんが、おそらくそうだと思います。

この婦人は、現在老人介護施設に入っていると聞きました。会では、JMJコミュニティーの恩人としてこの婦人のために祈っています。

この紐ロザリオは、天が与えて下さった恵みです




(2017年4月23日)





主の御復活、おめでとうございます!


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熊本地震一年
いまだに四万七千七百二十五人の人たちが避難生活を続けている。
そんな中、毎日新聞の「妻に救われた命 生きる」という見出しの記事が目にとまった。最近はゆっくり新聞を読むこともないのだが、記事を読んだ。

農業をやっている70代の夫婦が昨年4月15日、前夜の地震(前震)により崩れた物の片づけをし、再び大地震が襲うなどとはつゆ考えずに、それぞれ一階の別々の部屋で寝た。

『ドーン』と言う大きな揺れに襲われたのは日付が16日に変わって間もなくだった。」(毎日新聞記事より)

家が倒壊し、夫はすぐに別部屋の妻を呼ぶ。

気づくと、天井が目の前に迫っていた。『大丈夫か哲子』。思わず叫ぶと『はーい』と返事があった。(毎日新聞記事より)」

この「はーい」が胸をうつ。なぜなら夫人は大丈夫どころか、翌朝、はりの下敷きになったまま心肺停止状態で発見されたからだ。男性の方は、地震の数時間後にほとんど無傷で消防団によって救出された。

夫人は、地震直後、命を落とすことになるほどの程度に、崩壊した家の下敷きになっていた。その痛みと恐ろしい圧迫感はいかばかりのものであったか。妻は夫の呼びかけに「はーい」と答えたのだった。

この「はーい」は、50年連れ添った、妻の夫に対する、生き方そのものとなっていた愛情と思いやりを、一言で言い表した返事だっただろう。

それだけではなかった。地震後に見舞いに来た町長から夫は、妻が身動きの取れない苦しみの最中(さなか)に、「お父ちゃんばはよ助けてください」と携帯電話で役場に通報していたことを知らされた。

夫の悲しみは推して知るべし。

ここからは空想だが、もし神様がその場に現れて、夫人に、「あなたと夫のどちらか一人の命を助けてあげよう。」と言ったとしたなら、夫人は即答したに違いない。「お父ちゃんの命をば!」

友人のために命をあたえる以上の愛はない。私の命じることを守れば私の友人である」(ヨハネによる聖福音 (15―13,14)

(2017年4月14日)





今日から

聖金曜日の午後三時半までの断食。(個々人の状況に合わせていろいろな断食があります。主の苦しみに一致する、主の苦しみに感謝する、主の苦しみに賛同する、そして断食は霊魂を浄め、同時に人々の救霊に資する)

この聖週間に、告解の秘跡を受ける、十字軍の祈り第24番(カトリックの洗礼を受けていず告解の秘跡を受けられない人―7日間)、十字軍の祈り103番を3回祈る(できれば断食の間に)また、聖金曜日から御憐みのノヴェナをする(大警告Information参照)。毎日御憐みのチャプレットを祈る。

私たちには自覚がありませんが、こうすることでこの聖週間に多くの霊魂を救うことができるという主の言葉を信じるのです。信仰とは、楽園への道とは、こういうことの積み重ね、くり返しです。誰も平坦な道を通っては天国へ行けません。死んで、永遠の地獄の炎の中でそれに気づいても遅いのです。永遠の地獄、なんとも恐ろしい!!

かつて聖母は、永遠の地獄に関して、もしあなたがバラの花びら一枚で海水をくみ出したとしたら、海はいつかは空っぽになります(これは計算上です)、でも永遠とはそれよりも長い時間なのですとおっしゃったことがあります。

地獄の恐ろしいところは、そこから永遠に出られないという事実にあります。もしあなたが、カトリック信者だから、メッセージを信じているから、善行をおこなっているから地獄に行かないことが保証されているだろうと漠然と信じているとしたなら、その考えを改めなければなりません。(『霊魂の聖薬』参照)淑女と見えた敬虔そうな婦人も、模範的な修道院長も地獄へ行ったのです!

自分が地獄への道を辿っているかどうかを知る一つの基準として、嘘を平気で付くかどうかがあげられるでしょう。

自分が、嘘を平気で吐くようになっているという自覚がある人は、滅びの道を歩んでいると確言できます。それはその嘘のために地獄へ行くのではなく、そのように小罪に鈍感になって生きている人間は必ず何らかの大罪を免れることはないからです。

この件に関して、サタンの軍勢が手を抜くということはありえません。

カエルは、お湯の中に入れると熱さに慌てて飛び出しますが、水の中に入れて、その水に徐々にお湯を入れてゆくと、熱の自覚がなく、最後には熱湯になっても死ぬまで外に出ないそうです。これは昔理科の先生をしていたある司祭が説教で、小罪に鈍感になることの恐ろしさについて語っときの、その比喩でした。

つまり小罪に鈍感になっている人間には大罪を犯すことの恐ろしさの自覚が無くなるのです。

それは歯医者で根元だけがクレーターの様に残った奥歯を抜いてもらう時に似ています。ペンチで歯をごきごきと抜いてもらっている間、医者がペンチで歯の根元の肉の部分に先を突っ込みながら抜いているのだと、意識、理性では分かっていはいても、麻酔によってその状況から生じるはずの感覚はありません。ただ、判断として、今医者は自分の歯を器具を使って残酷なまでに強引に引き抜こうとしているのだと分かっています。

小罪に鈍感になっている人間が大罪を犯すときも同じです。大罪を犯している自覚はあっても感覚がマヒしているのです。

こういう状態の人間が、自分で自分の霊魂を救うことは困難なことです。ほとんど不可能と言ってもよいのです。

そのために十字軍の祈りがあります。(46番、62番、64番、65番、68番、89番、104番、107番、112番、118番、127番、130番(救いのノヴェナ)、133番、137番、139番、148番、152番、157番、など)

聖週間、主の御受難だけを考えましょう。どんな楽しみも控えましょう

(2017年4月10日)




2016年の教皇フランシスコの言動

現代の革新者として讃えられ、罪を大目に見るゆえ、彼は 俗世間から支持されるだろう」 (2013年2月25日 マリア・ディバインマースィーへの主のメッセージ)

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2016年
1月18日
教皇:「それは今までそのように行われてきた」と言うカトリック信徒は「閉ざした心」を持ち、「決して完全な真理を得ることはなく」「聖霊の予期せぬ賜を受け入れない」のです。

1月21日
教皇フランシスコは、聖木曜日の洗足式の儀式を、女性を入れることで変えてしまった。最後の晩餐でキリストは、すべて男性の使徒たちの足を洗ったのだった。

2月8日
教皇フランシスの避妊に関する誤った陳述は、世界中でカトリックの教えの変化と受け取られた。メキシコからの帰途の機内で、教皇フランシコは、ジカ熱ウィルスの感染の危険のある地域での「避妊」について尋ねられた。「偉大なる人、パウロⅥ世は、アフリカでの困難な状況下において、修道女に、レイプの際の避妊具の使用を許可しました」と教皇フランシスコは語った。堕胎は倫理的に決して正当化されるものではないと念を押した上で教皇は述べたー「一方で、避妊は絶対的な悪ではありません。私が福者パウロⅥ世の例を引いて語ったこの場合の様に、ある場合にはそれは明らかなことでした」

ヴァチカンは教皇フランシスが、重大なケースでは様々な避妊具やコンドームの使用を認めていたことを確認している。(しかし、それを認めることは、彼以前の教皇たちの明確な教えに反している

3月2日
教皇は、長期同棲中のカトリック教徒の首脳がその同棲相手を伴って教皇に謁見できるようヴァチカンの儀礼上のしきたりを変えた。

4月14日
教皇は「いわゆる掟への忠実」が霊に逆らうことを警告する。

4月16日
教皇は、ギリシャのレスボス島の移民を訪問した後、ヴァチカンにイスラム教徒の三家族を連れていったが、キリスト教徒の家族は連れてゆかず。

4月29日
アメリカ堕胎賛成団体の副会長ホセ・バイデンが、ヴァチカンのイヴェントで成人幹細胞について演説をする。

5月3日
教皇に近い大司教が、教皇は離婚後再婚した者への聖体拝領を自分が容認していることを隠したかったのだと語る。結婚と家庭に関するシノドスの特別書記官、ブルーノ・フォルテ大司教は、教皇フランシスコが、「もし私たちが、公然と離婚して再婚した人たちの聖体拝領について語るなら、どんな混乱を招くか分からない。だからこのことをあからさまに語ることはせずに、条件があるというような形で対処しよう。そうすれば私が結論を引き出す」と言ったと公けに語った。

5月12日
教皇は、教会は女性の助祭叙階について研究すべきだという。

5月16日
教皇は、イスラム過激派をカトリックの福音宣教に譬える。「征服という考えがイスラム教の精神に固有なものであるということは事実です。しかし同時にそれはまた、イエズス様は、征服という同じ考えによって弟子たちをあらゆる国へ派遣すると、マタイの福音書の中の事実を解釈することも可能です」

5月29日
教皇フランシスコは、ハリウッドの堕胎擁護者、反結婚主義者のリチャード・ギア、ジョージ・クルーニ、サルマ・ハエックに賞を与える。

6月2日
教皇は、姦淫を犯した女に対するキリストの言葉、「行きなさい、もう罪を犯すな」が過剰に注目されることを嘆く。「時折私は、イエズスが彼女に言った最後の言葉『行きなさい、もう罪を犯すな』を人々がまともに解釈する時、私は少々悲しくなり、思い悩みます。彼らはこの言葉を、掟を無視したイエズスを正当化するために使うのです」

6月9日
教皇フランシスコ ー「これか、さもなくば無だ・・・融通のきかなさ」カトリック信徒は「異端的です」そして「カトリック的ではありません」

6月17日
教皇フランシスコー「同棲は実際の婚姻であり、真正な結婚と同じような恵みがある

6月26日
教皇フランシスコは、同性愛についてのカテキズムを誤り伝える。アメリカ訪問の帰途の機内で、教皇フランシスコはカトリック信徒は同性愛者たちに謝罪しなければならないと語った。「私は、同性愛者たちは差別されてはならない、彼らは敬われなければならず、思いやりをもって迎い入れられるべきであるという、『カトリック教会のカテキズム』の述べていることを繰り返します」と教皇は語った。「問題は、そのような事情を有し、善意の神を求める人たちです、(彼らを)裁く私たちは何者でしょう。私たちは好意をもって彼らに接しなければなりません…これがカテキズムの述べていることです、わかりやすいカテキズムです」と教皇は付け加えた。同性愛に関するカテキズムの教えは、220語以上を費やし三段落に渡っている。教皇の応答の中の引用は、有害な性的行動に対して警告する多くの文節を無視した、第二段落の真ん中の20語に過ぎない。

7月7日
教皇フランシスコは、シカゴのブレイズ・キューピック(ソーピッチ)大司教を、司教聖省のメムバーとして働くよう任命した。
教皇フランシスコは、「非常に保守的な」司教とは距離を置いている。

7月18日
ヴァチカンは、サラ―枢機卿の「東向きのミサ」への呼びかけを即却下する。

7月26日
教皇―「マルティン・ルターの意向は間違っていなかった、彼は改革者であった

7月27日
ワールドユースデイ(世界青年の日)で、ヴァチカンは、親たちと大罪を取り除き、性的に露骨な写真と映画を含む十代の性のプログラムを公表する。

8月2日
教皇の婦人奉仕委員会に女性司祭支持者が含まれる。

8月23日
リークされたeメールで、ジョージ・ソロスが左翼グループに金を払って教皇の合衆国訪問を実現させたことが明らかになる。一連のeメールには、考えられる連絡先として、教皇のキーアドヴァイザー、マラディアガ枢機卿の名が記されている。

9月1日
教皇フランシスコー「リサイクルのためではなしに、プラスチックや紙の使いすぎを悔い改め、エコロジカル的回心と新たな慈善の務めのために告解に行きなさい」

教皇ー「『アモリス・レティティア』(使徒的勧告『愛の喜び)』)の解釈は、離婚して再婚した信徒の聖体拝領をある場合に許すということ以外にはありません」

教皇フランシスコ―「分裂は、教会を内部から破壊するためにデヴィルが最もよく使う武器です」

10月1日
教皇フランシスコ―「ギリシャ聖教会を改宗させようとすることは重大な罪です」「エキュメニズㇺ対して重大な罪が存在します―改宗です」

10月2日
教皇フランシスコは、(女性から男性に)性転換手術をした女性を「男性(man)」と呼び、そのパートナーと共に「夫婦(married)」と呼ぶ。(カトリック教会は性転換手術による性の変化を認めていない。すなわち手術によっての性の転換を図っても、洗礼台帳の性はもとのまま―訳注)

10月6日
教皇―「教義は、イデオロギーがそうであるように、法に対して、魔法にかける融通の利かない添付書類ではない」

10月9日
教皇は、ヨハネ・パウロⅡ世協会の開業式でのサラ枢機卿のスピーチを交代させ、枢機卿の他の会合でのスピーチを許可せず。

「地殻変動(的人事)」において教皇は、急進的シカゴ大司教ブレイス・キューピックと、もう二人のアメリカの急進的な大司教を17名の新しい枢機卿の中に任命した。教皇はまた、ベルギーン人の進歩的なヨゼフ・デ・ケセルを枢機卿に任命する。

10月13日
教皇は、ヴァチカンにルターの像を受け入れる

10月13日
教皇はルターの像をヴァチカンに受け入れ、「生ぬるさ」の新しい定義を示す。教皇は、ヴァチカンへの巡礼者に語った―「(非キリスト者に)あなたたちの信仰を納得させるのは許されません」「皆さんは、自分のキリスト教生活を証しなければなりません。あなたたちを見る人の心を揺り動かすのはあなたたちの証です」教皇は付け加えて結論付けました。「あなたたちの証しをもって心を動かすのは聖霊なのです―これはあなたたちが求めるやり方ですがー、また、注意深く「理由」を伝えることができるということに関してです。しかし納得させたいと思わずにです」

同じ会合で教皇はまた「生ぬるさ」の新しい定義を与えた。教皇によれば「生ぬるさ」とは、キリスト者が、「一方で西側において熱心にキリスト教を擁護し、他方で難民や他の宗教を嫌う」ことということになる。

10月24日
厳格さの下には、その人間の生活の何かが隠されています。厳格は神の賜ではありません。

10月28日
教皇フランシスコは再び、ヴァチカンの典礼秘跡省の総点検において教会の革新派を昇進させる。

11月8日
教皇フランシスコは再び、イタリアの指導的な堕胎支持者を歓迎する。

11月10日
教皇「生命のための教皇アカデミーの会員は、これからは堕胎反対宣言に署名することは求められない」

11月11日
ラテン語ミサを好む若者たちに対して教皇フランシスコ―「なぜそんなにも硬直している(rigidity)のでしょう」教皇フランシスコは、ある若者たちは、昔のラテン語ミサで育ったわけでもないのにそれを気に入っている。「そして私は自問します。なぜそんなにも硬直しているのか。探究に探究を重ねてみなさい、この硬直さは常に何かを隠しています、不安か、あるいはさらにほかの何かをです。硬直さは受身的です。真の愛は硬直していません」

インタビューで教皇フランシスコは語った―「私たちが望んでいるのは不平等との戦いです。これはこの世で最も大きな悪です」

11月18日
四人の枢機卿の書簡のすぐあとで教皇フランシスコは『アモリス・レティティア』(使徒的勧告『愛の喜び)』に対する批判の「形式主義」を非難する。

ヴァチカンの専門家:もたらされた情報によると、教皇フランシスコは、『アモリス・レティティア』の批判に対して「怒りで煮えくりかえっている」

11月27日
教皇は公けにスカトロジーの専門用語「汚食症状(coprophagia)」、「不潔物嗜好(coprophilia)]を使用する。

12月21日
教皇は、コンドームスキャンダルをめぐって「マルタの騎士団」でトップ役員が解雇された後、「マルタの騎士団」の調査を開始する。

教皇庁への年次のクリスマスの挨拶で、教皇フランシスコは、教皇の改革に対する「伝統を拠り所とする」「故意の抵抗」はデビルからのものだと語る。(LSN reported on January 3, 2017:by John-Henry Westen)(The picture from TLDNews)

(2017年4月4日)





誠実な司祭たちよ、潜んで立ち上がれ!

小教区からのメールです。抜粋です。
良い祈りが残っている日本の教会において、悲しいことが続いておりますが、昨日はうれしいこともありました。

それは、母の所属教会である○○教会の主任司祭がお知らせの時に、

『御ミサが終わった後のお聖堂、うるさくありませんか?お聖堂は祈る場所ですよ、沈黙の場所です。』

とおっしゃったのです。・・・司祭に対する祈りの大切さが、今特に感じられます。

(2017年4月3日)





正当な抗議
地方の小教区からのメールがありました。一部抜粋してアップします。

ミサで聖母への終業の祈りがなくなり、それでも数人唱える声が聞こえました。ささやかな抵抗ですが、気持ちはよく分かります。ロザリオのとき一人、老婦人が役員の男性に食って掛かっていました。なぜいま、何十年も続いた祈りを無くしてしまうのか?と。愛がない、と聞こえたように思いました。

(2017年4月2日)




紐ロザリオの工夫説明の補足

昨日説明したセメダイン塗りでコーティングした紐ロザリオを首にかけて入浴した場合、セメダインが水に対して強いか弱いかは経験していないので判断がつきかねます。この件に関しては、ご自分で実験するよう、お願い致します。

(2017年4月2日)





   
紐ロザリオに関するちょっとした工夫

多く方から紐ロザリオのご注文があり、この人数分の司祭が真実を知る恵みが賦与されることを思うと、積極的な信仰の行いを感ぜずにはにはおられません。

余分に注文された方は、カルメル山の聖母のメダイや聖ベネディクトのメダイを紐ロザリオに付けておくと、入浴時には外さずにそのまま入れます。

長年使用していると、紐ロザリの不思議のメダイを取り付けた箇所が切れることがあります。ポケットに入れたりしていると擦り切れるのです。丁寧に使う人は何年使用しても切れることはありませんから、切れる、切れないは個人差があるようです。

そこで対策として、百円ショップなどで売っている万能セメダインを、不思議のメダイを取り付けてある箇所に塗ると切れません。

塗り方には二通りあります。
 まずメダイを上か下にずらし切ります。メダイを除けた部分、1.5センチほどの三本糸の寄せ合った部分にセメダインを塗り付けていきます。先ず、親指と人差し指(左右どちらの手でも可)のどちらかに、セメダインチューブから押し出したセメダインを一盛りつけ、それを親指と人差し指の両方を擦り合わせるようにしてから、今度は先ほどの1.5センチの紐部分に、親指と人差し指で塗り込むのです.二、三度、同じことを繰り返します。一晩乾かすと、1.5センチの三本の紐部分がセメダインによって一本化し、程よく固まります。

もっと効果が強く表れるようにセメダインを塗りたい方は、一度塗って乾いた上から、もう一度上塗りして同じように一晩乾かすと、セメダインの層は厚くなり、補強が強固になった気がしてきます。この塗り方の欠点は、何度も塗らなければならない場合があることと、塗った後、親指と人差し指のセメダインを落とすのに苦労する場合があるということです。

 もう一つのセメダインの塗り方は、1.5センチの部分を定めるところまでは①と同じです。そのあと、右利きの人は右手でセメダインのチューブを持ちます。(左利きの人は左手で)利き腕の方で持たないとうまく塗れません。その時、あらかじめチューブの蓋を開けてから手に持つと、自然圧力でセメダインが口から出てくる場合がありますから、栓を閉じたまま手に持ちます。そして左手で、何度か、机の上などに置いた紐ロザリオを、1.5センチ部分が即座にセメダインのチューブ口に用をなすべく当たるように取り上げる練習をします。コツは、1.5センチ部分の、メダイを押し切った反対側の端を指で掴むようにすると良いです。

その訓練を二、三度した後、左手でセメダインの蓋を開けて、自然圧力でぷぁーと有無をいわさずに出てくるセメダインを、即座に、つまんだ1.5センチの部分の上から下にじかに塗り付けてゆくのです。そしてつまんだ左手の親指と人差し指を擦り合わせるようにして紐を回してゆき、まわしながらセメダインを上から下に均等に塗り付けてゆくのです。ぼったりと塗り付けられたセメダインが局所的に圧力から下方に膨れ上がってきますから、右手の空いた指を使って紐ロザリを両手の指で持つ様にして水平にしたり、逆さにしたりしながら、なるべく平らにしてゆきます。少々、ムラができてところどころが盛り上がって塗られても、乾くとさほど気にはなりません。透明なコーティングが出来上がります。
このやり方が好きでない方は、机などの上に新聞広告などの紙を敷き、その上に紐ロザリオの1.5センチ部分が主要な位置を占めるように置き、セメダインをチューブ口から出るに任せてぼってりと塗り、紙の上に置いた紐ロザリオの1.5センチ部分を裏返しにするように置き変え、同じようにセメダインをこってりと塗るのです。

乾かす際に、引力のままにセメダインが下方に膨らんでゆくようであれば、息を「ふー、ふー、ふー」と吹きかけ、表面が固まりふくらみが生じなくなるまで根気よく対処するのです。

このようにしておけば、この紐ロザリオはいつまでももち続けるでことしょう。

(2017年4月1日)




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