十字架の道行は、たびたび祈られるべきです。

1997年7月2日(水)
 

Q:十字架の道行の最中に見た、主と天使のヴィジョンは天からのものですか。もしそうならば意味を教えてください。

聖母:イマクラータ、書き記しなさい。

聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。

私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。

マクラータ、私の言葉を聞きなさい。

そうです、それは天からのヴィジョンであり、主が、いかほどに十字架を担われたかを示したのです。

おお、なんという重い十字架。

主のその十字架には、全世界の罪の重みがのしかかっていたのです。

何者も、主の苦しまれた受難を想像するのはまことに難しいのです。

主は、あなたたち、全ての人々のために苦しまれました。

主は、全人類を救うために、十字架にかかりました。

その重み、その苦しみ、一位の天使が助けなければ、主は担いきれなかったのです。

十字架の道行は、たびたび祈られるべきです。

大変に大きな恵みがあるからです。

主は十字架の道行を祈る者に、目をとめられます。

そして、神の母である私が、ともに歩むのです。

バラの冠を被った天使は、バラの階級から遣わされたのです。

主は真に神であられますが、人でもあられたのです。(後略)


(2016年6月13日)

カテゴリ→アーカイブ抜粋1997年7月





powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM