1995年月9月25日
8:30am
聖母:聖父と、聖子と、聖霊との御名によりて。アーメン。私はあなたを祝福します。
私は無原罪の聖母、無原罪の御孕り、あなたがたの母、罪人の拠り所、罪人の母、キリスト信者の扶けなる聖マリアです。
イマクラータ、私のことばを聞きなさい。
そうです、どんな祈りでも神は聞かれます。
祈りはどんな祈りでも無駄にはなりません。
ですが母は言います。リップサービスはやめなさいと。
少なくとも、あなたたちは意向をきっぱりと立てて祈らなければなりません。
どんな祈りも祈らないよりはましなのです。
しかし、あなたたちは聖書を思いだしなさい。
イエズスの話です。
罪を痛悔して恥じて祈った者と、自分は神にふさわしいと思って祈った者との話です。
あなたたちの意向、心の持ち方はとても重大です。
イマクラータ、祈るとは謙遜な行ないなのです。
また、そうあるべきでしょう。(後略)
「二人の男が祈ろうと神殿に上った。ひとりはファリサイ人で一人は税吏だった。ファリサイ人のほうは立って心の中でこう祈った。(神よ、私は他の人のように、貪欲な人、不正な人、姦通する者ではなく、またこの税吏のような人間でもないことを、あなたに感謝いたします。私は週に二度断食し、全所得の十分の一をささげています)と。税吏は離れて立ち、目を天に向けることさえせず、胸を打ちながら、(ああ、神よ、罪びとの私をおあわれみください)と祈った。私は言う、この人は義とされて家に帰ったが、先の人はそうではなかった。高ぶる人は下げられ、へりくだる人はあげられる」(ルカ18章9-14)
(2018年7月26日)
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