トリエントミサ
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本日は、殉教者サルトルニーノの記念をお祝いします。「サルトルニーノは、ローマの司祭で、その助祭シシニオとともに、3世紀末、マキシミリアの帝の治下、ローマで殉教した。同名のフランス・ツールーズの最初の司教殉教者(257年)であり、祝日も同日であるサルトルニーノは、ここに祝うサルトルニーノとは別である。」
(『毎日のミサ典書』)(2011年11月29日)
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本日は、大修道院長、聖シルヴェストロの2級祝日をお祝いします。「シルヴェストロ・ゴッツォリーニは、1177年オジモ(イタリア)で生まれた。彼は、美貌をもてはやされていたある人の屍を見た時聖寵に打たれ、世間を捨てようと決心した。その時彼は、「いま私は、かってこの人がそうであった通りの者だが、いつか私も、今かれがなっているこんなふうになるであろう」といったという。
彼は、聖ベネヂィクトの戒律を守るシルヴェストロ会を創立した。1267年、90歳で歿した。1598年列聖。」
(『毎日のミサ典書』)(2011年11月26日)
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本日は、童貞殉教者、聖女カタリナの2級祝日をお祝いします。「エジプトのアレキサンドリアの聖女カタリナは、若くして深い信仰と学識とをもち、彼女の敵にまわった哲学者たちを論駁し、そのうちの何人かを回心させた。キリストへのその信仰のために、305年、斬首された。14救難聖人の一人であり、キリスト教哲学者の守護聖人。」(『毎日のミサ典書』)(2011年11月25日)
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本日は、教会博士、小聖者、十字架の聖ヨハネの2級祝日をお祝いします。「十字架の聖ヨハネは、1546年6月24日、カスティリア(スペイン)のフォンティベロスで生まれた。労苦多い青年期を経て、メディナのカルメル会に入り,はじめは聖マチアのヨハネと称したが、後に十字架のヨハネと改めた。アビラの聖テレジアに協力してカルメル会の刷新にあたり、聖テレジアが修道女会を改革したように、彼は男子修道院を改革し、そのため種々の苦難に遭遇したが、遂に成果をあげるに至った。
また、彼は、「カルメル山登攀」「暗夜』、『霊的讃歌』「生ける愛の焔」を書いた。彼はたえず主に、三つのことを求めていた。すなわち、主のために苦しむことのない1日もないこと、長上として死ぬことないこと、人知れざる者として一生を終ること、この三つであった。
1591年12月14日、帰天した。1726年12月26日、ベネディクト13世により列聖。1926年8月24日、ピオ11世教皇により、教会博士と宣せられた。」(『毎日のミサ典書』)(2014年11月24日)
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本日は、証聖者、ヴァルワの聖フェリチェの2級祝日をお祝します。「ヴァㇽワの聖フェリチェは、1127年フランス、ヴァㇽワに生まれた。司祭になって後、長らく隠遁生活をおくり、回教徒に捕えられ奴隷として苦役に従事するキリスト教徒を釈放するため、またの聖ヨハネ(祝日、2月8日)とともに、三位一体修道会を創立し、特に同会の内面的強化と完成に尽力した。1212年、パリで歿した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年11月20日)
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本日は、教皇殉教者、聖ポンツィアノ祝日をお祝します。「3世紀の教皇、聖ポンツィアノ(230-235在位)は、アレキサンドロ・セヴェロ帝迫害の時、歿した。235年9月28日」(『毎日のミサ典書』)(2014年11月19日)
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本日は、司教証聖者、奇蹟家の聖グレゴリオの単誦の祝日をお祝します。「聖グレゴリオは、213年ごろ、小アジア・ポントスのネオチェザレアの異教徒の家に生まれた。パレスティナのチェイザレアに遊学、オリジェネスの下に学んで、キリスト教に回心し、帰国後、教理の最初の司教となり、まだ異教的であったその町をキリスト教化した。また、彼は、教会著述家でもあった。
彼は霊魂と自然に対する不思議な能力に恵まれ、生存中から「奇蹟家」(タゥマルゴ)として名を知られていた。
彼がネオチュザレアに司教として任についたときは、わずか17人の信者に過ぎなかったのに、死去した時には(270年頃)異教徒は17人しかいなかったといわれている。
(『毎日のミサ典書』)(2014年11月17日)
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本日は、司教殉教者、聖ヨザファトの2級祝日をお祝します。「聖ヨザファトは、1584年、ポーランドのヴァラディミールで貴族の家に生まれた。20歳のとき聖バジリオ修道会の修道者となり、そののち、ヴィルナの大修道院長、次いで、リトアニアのポロツクの大司教となった。
彼は、大いに,ラテン教会とギリシァ教会の一致、離教者の帰正のために努力した。彼の熱心と聖徳とは、人の嫉妬と憎悪とを招き、1623年、ヴィテブスク市を巡察中,教敵にそそのかされた離教徒の暴民に襲われ殉教した。(1868年列聖)」(『毎日のミサ典書』)[2014年11月14日)
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本日は、司教証聖者、聖マルティーノの2級祝日をお祝します。「パンノニアのサバリア(ハンガリア)に生まれた聖マルチィーノは、ローマ皇帝の軍隊の一人として、ガリア(フランス)に来た。この時はまだ信者ではなかったが、ある日、アミアンの近くで貧しい人を見て、自分のマントをわけてやった。
その後信者になってから、ポアティエの聖ヒラリオのもとで隠修士となり、後にトゥールの司教となった。
宣教師、霊魂の牧者となり,修道生活をひろめるために大いに努力し、不朽の光栄をえたのである。397年トゥールに近いカンドで帰天した。
聖マルティーノは、西方教会最初の証聖者である。(『毎日のミサ典書』)(2014年11月12日)
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本日は、証聖者、聖アンドレア・アヴェッリーノの2級祝日をお祝します。「ランちぇっロット・アヴェッリーノは、1521年ナポリ(イタリア)の近くで生まれた。学識と敬虔に富み、司祭となり、教会の弁護士であった。ある日、ふといった嘘に非常に心を痛め、今までの職業をすて『御摂理の兄弟修道会(テアティノ会)に入り、イエズスの十字架への愛のために、アンドレアと改名し、三つの誓願以外に、自分の意志を全くすてるという誓願を立てた。
のちに、その修道会の総会長となったが、「私は神の祭壇に上ろう」ととなえつつ、ミサをはじめようとして息絶えた。1608年、ナポリで。1624年列福。1712年列聖。(『毎日のミサ典書』)(2014年11月10日)
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本日は、聖霊降臨後第二十二の主日の2級祝日をお祝します。「聖寵なくしては、われらに何一つ出来ない。われらのなしうることは、罪だけである。この事実こそ、<入祭文>の信頼の祈り*の説明である。
囚人となっていたパウロは、信頼の賜物、洗礼の時からはじめた善業を、最後まで守りつづけよと教える。
キリストの来臨を待ちつつ、われらの心には、ますます愛が増さねばならぬ。」(『毎日のミサ典書』)(2014年11月9日)
*入祭文は、詩編129ノ3-4、詩編129ノ1-2を参照
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本日は、殉教者、四人の聖なる戴冠者の祝日をお祝します。「四人の聖なる戴冠者とは、名を知られていない四人の殉教者である。この世人は、クレメンテ、シンプロニアノ、クラウディオ、ニコストラトの四人か、あるいは、セヴェロ、セバリアノ、カルポフォロ、ヴィクトリーノの四人かである。迫害時の混乱のため、公けの記録が失われたらしく、名は判然とせず、ただ四人の殉教者として知られ、崇敬されていた。ディオクレツィアノ帝の迫害の時、ローマで殉教した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年11月8日)
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聖霊降臨後第二十一の主日
本日のトリエントミサは、聖霊降臨後第二十一主日、2級祝日をお祝します。「典礼歴年もいよいよ終りに近くなり、われらも決定的な勝利へと、心を整えなければならぬ。この勝利を得るために、どんな武器を取るべきかを、<書簡>*1で聖パウロが教えている。
<聖福音>*2には、敵をゆるし、侮辱を忘れなければ、神のあわれみを得られないことが語られている。」(『毎日のミサ典書』)
*1-使徒聖パウロの、エフェゾ人への書簡の朗読(6の10-17)
*2マテオによる聖福音の続誦(18の23-35)
(2014年11月2日)
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トリエントミサ
本日のトリエントミサは、王たるキリストの1級大祝日をお祝します。十月の最後の主日です。『毎日のミサ典書』の説明文はカテゴリのトリエントミサの中に収録済みです。
また、同時に今日は殉教者、教皇、聖エバリストの記念日でもあります。「聖エバリストは、99年から107年まで教皇の座にあった。伝説によると、彼はペトロのかたわら、ヴァチカンの丘に葬られたという。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年10月26日)
トリエントミサ
本日のトリエントミサは、殉教者、聖クリザンテと聖女ダリアの記念をお祝します。
「聖クリザンテは、小アジアからローマに来て回心し、アテネ人のダリアと結婚した。二人は宣教をしたので逮捕され、キリストの信仰に殉じた。283年」
(『毎日のミサ典書』)(2014年10月25日)
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トリエントミサ
本日のトリエントミサは、証聖者、修院長、聖ヒラリオの記念をお祝します。
「ヒラリオは、291年ごろ、パレスティナのガザで生まれ、アレキサンドリアで修学中、キリスト信者になった。エジプトの聖アントニオの下で修練してガザに帰り、隠修士の生活をはじめ、多くの弟子たちが集まってきた。パレスティナに修道院を創設した。しかし、その聖徳の評判が高まったので、もう一度エジプトに逃げ、それからクプロ島に行って、そこで帰天した。373年。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年10月21日)
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トリエントミサ
本日のトリエントミサは、聖霊降臨後第19の主日の2級祝日です。「<入祭文>は、キリストの御言葉である。キリストは身体と霊魂との救い主である。
イエズスは、いつか、安息日に、ユダヤ人に向かっておおせられたように、人間の心身を医し給うたのである。洗礼をうけて、あがなわれたわれらは、神によってつくられた人間に生まれ代わった。しかし、生まれ代っただけではいけない。日とともに成長し、「完全な人間にならねばならぬ。」(『毎日のミサ典書』)
入祭文―民を救うのは私である、と主はいい給う。どのような艱難の中でも、私は、願う者の願いを聞き入れる。私は永遠に、かれらの主である。(2014年10月19日)
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トリエントミサ
本日のトリエントミサは、童貞、聖女マルガリタ・マリア・アラコックの2級祝日です。「毎日のミサ典書』からの説明は、カテゴリの中に収録済みです。聖心の信心をひろめるように主イエズス・キリストから命ぜられました。(2014年10月17日)
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本日のトリエントミサは、聖女ヘドヴィジェの単誦の祝日をお祝します。「聖女ヘドヴィジェは、1174年ごろ、メラニア伯ベルトルドの娘として、アンデックス城に生まれた。シレジア公ハインリヒ1世と結婚し、夫と協力して、国内の教化につくした。妻として母としてのすべての義務を果たして、夫の死後、シレジアのトレプニッツにあるシトー会女子修道院に入り、祈りと苦業とのうちに生涯を閉じた。1243年10月15日。1267年3月26日、クレメンテ4世により列聖。ハンガリアの聖エリザベトの叔母にあたる。ポーランドの守護聖人。」(『毎日のミサ典書』)(2014年10月16日)
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「217年、聖ゼフィリノのあとを継いで教皇となった聖カリストは、四季の断食日を定め、ローマ・アッピア通りの『カリストのカタコンブを拡張し、222年殉教した。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年10月14日)
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トリエントミサー聖霊降臨後第18の主日
「本日より典礼は、聖霊降臨後の第二期に入る。
『人が、私に、主の家に行こうと告げたので、私は喜んだ。』<入祭文、昇階誦>
聖パウロのように、教会は、主の来臨による全きよろこびを待ち望んでいる、本日の典礼は、次の主日と同様に、キリストの光栄の来臨の方にとわれらの目を向けさせ、義人にとってうたがうべからざる平和を望ませる。<聖福音>*は、キリストが、司祭を通じてわれらに与え給う罪のゆるしを信頼せよと教える」(「毎日のミサ典書」)(2014年10月12日)
*
書簡―コリント人への書簡前書1の4-8
聖福音―マテオ9章1-8
(10月12日)
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トリエントミサ
本日のトリエントミサは、証聖者、ボルジアの聖フランチスコの単誦の祝日をお祝いします.
「聖フランチスコは、1510年、スペインのガンディアのボルジア家に生まれた。カール5世帝の信任あつく、カタロニァ総督等の名誉ある職を賜り、父の死後はガンディア公であった。が妻の死後イエズス会に入り、1551年司祭になった。1565年イエズス会第三代総会長に選任され、在職中、会は偉大な発展をとげた。彼の卓越した点は、祈りに対する非常は熱烈さと、模範的厳格な苦業生活と寛容とであった。
1572年9月30日、ローマで帰天、1671年列聖された。」(『毎日のミサ典書』)[2014年10月10日)
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本日のトリエントミサは、聖女ビルジッタの2級祝日をお祝いします.
「スウェーデンの人、1303年ウプスラ近郊フインスタドに生まれた。聖女ビルジッタは、王家の出で、敬虔な教養をうけ、7歳のときから十字架にかかったキリストの幻視を見た。1316年グドマルソンと結婚し、4男4女をあげ(スウェーデンの聖女カタリナは、その娘)幸福な結婚生活であった。のち、その夫はアルバストラのシトー会修道院に隠退し、1344年歿した。彼女は全く世事から遠ざかり、厳格な苦業に身をささげた。「聖なる救い主の修道女会」(ビルジッタ会)を創立し、ローマに住んで、スウェーデンの学生と巡礼とのために宿泊所を設け、アヴィニョンにいる教皇のローマ帰還のために尽力し、多大の効果をおさめた。主イエズスから、多くの啓示をうけた。1373年7月23日、ローマで歿した。1391年列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年10月8日)
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本日のトリエントミサは、証聖者、聖ブルノの2級祝日をお祝いします.
「聖ブルノは、1032年、ケルン(ドイツ)に生まれ、パリ大学を卒えて、ランスの司教座大聖堂の参事会員になったが、この世の空しさを悟り、1084年、グルノーブル付近のシャルトル―ズ(フランス)の荒野に退き、隠遁生活を行った。
のちに、聖ベネディクトの戒律による「カルトゥジオ修道会』を創立した。
1101年10月6日、帰天した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年10月6日)
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本日のトリエントミサは、聖霊降臨後第17の主日の2級祝日をお祝いします.
「<書簡>において、囚人聖パウロは、まことのキリスト教生活を行えとわれらに教えている。この生活は、神秘体の一致性を実現することである。すなわち、平和と愛徳にむすばれた一つの身体と一つの霊魂となるべきである。
神の掟は、同じことを目的とするものである。この一つの目的とは、愛である。<聖福音>
聖体を制定してのち、死地におもむこうとするキリストは、普遍的愛の新しい掟を宣言し、御父にむかって、われらを一つにむすび給えと祈り給うた。」
書簡―使徒パウロの、エフェゾ人への書簡(4の1-6)
聖福音―マテオによる聖福音(22の34-46)
(『毎日のミサ典書』)(2014年10月5日)
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本日のトリエントミサは、証聖者、アッシジの聖フランシスコの2級祝日です.
『小さき兄弟の会(フランシスコ会)、クララ修道女会、フランシスコ第三会(1221年)の創立者アッシジの聖フランシスコは、1181(1182)年、イタリア・アッシジにおいて、豪商ピエトロ・ベルナルドーネの子として生まれた。世俗の生活ののち、祈りと償罪と愛の業とに精進し、その生活と事業とを、離脱心と清貧と謙遜との土台の上にきずいた。
詩的な感覚を有し、最高の清貧と地上の財物の完全な放棄、素朴・潤達な心、最深の謙遜な心、神の子たることの深い自覚から生まれた不動の喜悦、対神愛から生じた自然に対する愛好、燃えるごときキリストへの愛等は、この聖人の特性である。
神なるキリストを、よりよくまねることを念願とした彼は、その身体に聖痕を受ける恵み得た。(これは、9月17日に記念する)神に対して燃えるような愛をもっていたので、『熾天使的聖人』といわれる。
最上の神秘を悟りえた彼は、1226年10月3日帰天した。1226年7月16日グレゴリオ9世教皇により列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年10月4日)
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本日のトリエントミサは、幼きイエズスの聖テレジア童貞の「1級大祝日」(*1)です。『毎日のミサ典書』の説明はカテゴリの中に収録されています。今日は、『リジュ―のテレーズ365の言葉』(*2)から幼きイエズスの聖テレジアの言葉を引用しましょう。
「どんな小さな犠牲も断らないようにしましょう。
愛によって拾えば、
1本のピンも一人の人を回心させることができるのです!
なんと深い神秘でしょう!
イエス様だけが、
わたしたちの行いにこれほどの値打ちをお付けになれるのです。
ですから、力の限り主を愛しましょう。」
(2014年10月3日)
*1布教地では、「1級大祝日」となっている。それ以外では、2級祝日。
*2出版社は、「女子パウロ会」
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本日のトリエントミサは、守護の天使らの1級祝日です。『毎日のミサ典書』の説明はカテゴリの中に収録されています。今日は、『カトリック小事典』からの説明を引用したいと思います。
「生存中の各個人を見守るように神から任命された天上の霊。天使が各個人を見守るという一般的教理は、聖書と教会の教父たちの教えに基づいた、教会の変わらぬ伝承の一部分である。守護の霊の役割は人を導くことと守ることである。すなわち、神意を人間知性に伝える使者として人を導き、人を悪から守ることによって神の慈愛の道具として人を守る。この悪からの守護は,主に罪という悪と悪魔の策略から人を守ることである。しかし、人を霊的悪守るために身体的悪から守る必要がある時には、身体的危険からも人を守る。守護の天使の祝日は、全世界の教会において17世紀から10月に祝われてきた。現在では10月2日である。」
(2014年10月2日)
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本日のトリエントミサは、証聖者、司祭、教会博士、聖ヒエロニモの2級祝日です。「聖ヒエロニモは、聖アンブロジオ、聖アウグスティノ、聖大グレゴリオ教皇とともにラテン教会の四大博士である。ダルマツィア生まれの彼はローマに来て聖書を研究した。教皇聖ダマゾに依頼されて、聖書のラテン訳の改訂を行い、かたわら、四世紀にひろまっていたさまざまの異端を退けた。
ローマにおける彼の生活は、隠遁生活であったが、隠遁者として、また司祭としての自分の使命を充分に果たしえたのは、ベトレヘムにおいてであった。
420年、90歳で帰天した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年9月30日)
この下にべネディクト16世の115回目一般会見の中で、聖ヒエロニモについて語られたことを引用します。
「 聖ヒエロニモからわたしたちは何を学ぶことができるでしょうか。聖書における神のことばを愛すること――わたしには、何よりもこれだと思われます。聖ヒエロニモはいいます。「聖書を知らないことは、キリストを知らないことです」。だからキリスト信者が皆、聖書によって示される神のことばに触れ、神のことばと個人的に対話しながら生活することが重要なのです。わたしたちが行うこの対話には二つの次元が伴わなければなりません。まず、この対話は本当の意味で個人的なものでなければなりません。なぜなら神は聖書を通じてわたしたち一人ひとりに語りかけるからです。神には一人ひとりに告げたいことがあるからです。聖書を過去のことばとしてではなく、わたしたちにも語りかけていることばとして読まなければなりません。そして、主がわたしたちに何を語ろうとしているか理解しようと努めなければなりません。しかし、個人主義に陥らないために、神のことばは交わりを築くためにわたしたちに与えられたことを忘れずにいなければなりません。すなわち、神のことばは、わたしたちが真理のうちに一致しながら神へと歩むために与えられたのです。ですから神のことばは常に個人に向けられたことばですが、共同体を築くことばでもあります。すなわちそれは教会を築くことばでもあります。だからわたしたちは生きた教会との交わりのうちに神のことばを読まなければなりません。神のことばを読み、これに耳を傾けるための特別に優れた場は典礼です。わたしたちは典礼の中で、みことばを記念し、キリストのからだを秘跡のうちに現存させます。このことを通して、わたしたちはみことばを自分たちの生活の中で現実のものとし、わたしたちの間に現存させるからです。神のことばは時間を超越することを忘れてはなりません。人間の考えは生まれては過ぎ去ります。今日最新のものが、明日には古臭くなります。しかし、神のことばは永遠のいのちのことばです。神のことばはいつの時代にも通じる永遠のものをもっています。それゆえ、神のことばを携えることによって、わたしたちは永遠を携えます。すなわち永遠のいのちを携えます。 聖ヒエロニモがノラの聖パウリヌス(Paulinus Nolanus 353/354-431年)に宛てたことばで終りたいと思います。神のことばのうちにわたしたちは永遠、すなわち永遠のいのちを与えられます。パウリヌスへのことばの中で偉大な釈義学者ヒエロニモはまさにこの現実を語ります。聖ヒエロニモはいいます。「天においてもとこしえに有効なこの真理を、地上においても学ぼうと努めようではありませんか」(『書簡53』:Epistulae 53, 10)。
www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message260.htm
(カトリック中央協議会 司教協議会秘書室研究企画訳)(2007.11.12)
この素晴らしいベネディクト16世のお説教は、聖母がたびたび、私たちに「聖書を読みなさい…1日15分…」とおっしゃられたことを思い出させます。
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本日のトリエントミサは、大天使、聖ミカエルの1級大祝日です。本日の『毎日のミサ典書』からの説明文はカテゴリのトリエントミサの中に収録されています。大天使聖ミカエルは、私にとって、32年前に初めてヴィジョンでイエズス様とともに見たので、特別な大天使です。
(2014年9月29日)
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本日のトリエントミサは、聖霊降臨後第16主日の2級祝日です。「本日の主日より、<書簡>は、監禁中の聖パウロの書簡より抜粋される。パウロの、そして、われらのすべての苦しみは、やがて永遠の光栄に代わるべきものである。
肉の人は、墓の方へと近づくが、霊の人は、キリストの霊によって、信・望・愛において成長するであろう。」
(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月28日)
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本日のトリエントミサは、殉教者、聖コスマ、聖ダミアノの単誦の祝日です。「兄弟であったコスマとダミアノとは、二人とも医者であって、貧しい者に施療した。信仰のために捕えられ、その信仰を守るため、甚だしい拷問をしのび、キリキア(小アジア)で殉教した。303年ごろのことである。この二人は、ミサの典文、諸聖人の連騰の中に、今も名を残しているほど、ローマ教会であつい崇敬を受けていた。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月27日)
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本日のトリエントミサは、殉教者、聖チプリアノ、童貞殉教者、聖女ユスティナの記念をお祝します。「伝説によると、チプリアノはアンティオキアの魔術師であって、信者の聖処女ユスチィナを堕落させようとしていた。しかし、ユスティアノの徳に動かされ、聖寵にみちびかれて、自分もキリスト信者になり、二人ともに、4世紀のはじめごろ、ニコメディア(少アジア)で殉教した。(304年ごろ)(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月26日)
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本日のトリエントミサは、教皇殉教者、聖リノの祝日をお祝します。「聖リノは、聖ペテロの後継者で2代目(67年―90年)である。女性がヴェールをかぶって典礼にあずかることを定めたのは、この教皇である。斬首の刑をうけて殉教してのちヴァチカンの丘に葬られた。その名は、ミサ典礼文中に記されている。」同時に今日は、童貞殉教者、聖女テクラの祝日でもあります。(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月23日)
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本日のトリエントミサは、本来は聖霊降臨後15主日(2級祝日)なのですが、9月21日は使徒、福音史家、聖マテオの2級大祝日のお祝い日でもあります。祝日の競合があり、本日は、聖マテオのお祝いをします。主日は記念されます。聖マテオの『毎日のミサ典書』からの説明文はカテゴリの『トリエントミサ』の中に収録されています。(2014年9月21日)
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本日のトリエントミサは、殉教者、司教、聖エウスタキオとその伴侶をお祝いします。「アンティオキアの司教、聖エウスタキオは、トラキノトライアノポリスに追放され、信仰のために、その地で歿した。14救難聖人の一人。この東方教会の殉教者の崇敬は、中世初期ローマに導入された。
伝説では、東方教会のこの大いなる司教を、同名の一人のローマ士官と混同しているという。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月20日)
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本日のトリエントミサは、アッシジの聖フランシスコの聖痕の2級祝日をお祝いします。「アッシジの聖フランシスコは、死の2年前(1224年)に、アルヴェルニアの山上で祈り、その時、主の五つの傷を、わが身に受けた。本日はその記念である。
こうして彼は、身体的にも、主なるイエズスに最も似たものとなったのである。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月17日)
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本日の… ;
本日のトリエントミサは、聖霊降臨後第14主日の2級祝日をお祝いするのですが…「聖パウロは<書簡>において、肉の業と霊の業との対立を語っている。『霊によって歩め、そうすれば、肉の慾をとげさせないであろう。」
この内的生活は、けっして易しく実行しうるものではない。ゆえに、われらは、肉に対するたたかいにおいて、神の助力を願わねばならぬ。」
本日9月14日は聖なる十字架称賛の1級祝日でもあり、等級が上の聖なる十字架称賛のミサが行われます。聖霊降臨後14主日は同ミサの中で記念されます。「614年、ペルシア王コスラウ2世により、エルザレム占領後、奪われ、629年、ヘラクリオ皇帝が、ペルシアから奪い返した主の十字架を、そのとき荘厳に祝った。本日は、この歴史の記念の日である。
しかし、すでに4世紀から、この9月14日に十字架発見(320年9月14日)と、コンスタンティノ皇帝がカルワリオ山上に建てた大聖堂の奉献を祝っていた。
8世紀には、十字架発見の祝いが5月3日に移され、9月14日は、われらのあがないのしるしを称賛する祝日となった。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月14日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者,トレンティーノの聖ニコラをお祝いしました。「聖ニコラは1245年、イタリアのサン・タンジェロで生まれた。1263年、『聖アウグスティノの隠修士会』に入った。その苦行と純潔とによって特に有名であった。さらに、彼の生活には多くの不思議なことがあり、パドアの聖アントニオと並んで、奇蹟家として知られている。
1305年、30年来在住して、救霊のためにはたらいた中部イタリアのトレンティーノで帰天した。列聖は446年。」
(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月10日)
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トリエントミサ
本日は、殉教者、聖ゴルゴニオの記念日をお祝いします。「ディオクレツィアノ皇帝の士官であったゴルゴニオは他の人々に信仰を教えていたが、ある日、信者が殺されるのを見て、あえて皇帝に進言し、忠告した。そのためにむち打たれ、その傷に塩を入れられ、遂に殉教した。4世紀初めの事である。」
(『毎日のミサ典書』)
(2014年9月9日)
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トリエントミサ
本日は、聖霊降臨後第十三の主日の2級祝日をお祝いします。「信仰と洗礼とによって、われらは、神の契約にあずかる者となった。しかし、いまだに我らは世間に引きずられ、たえずおびやかされている。神が、われらを憐み、われらを見捨て給わぬようにと祈る。<入祭文、昇階誦>
神が、われらのうちに、信望愛の徳をつよめ<集祷文>われらをますます天的なものとする天のパンを与え給うように。<聖体拝領誦>」
(『毎日のミサ典書』)(2014年9月7日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、聖ステファノ王の単誦の祝日をお祝いします。「聖ステファノ1世王は、969年、ハンガリアのアルバート族の豪族ガイザの息として生まれ、4,5歳の頃、最初の殉教者ステファノの名をとって受洗された。995年ドイツの聖エンリコ2世の妹ギゼラを迎えて妃とし、ともにはげまし合って信心の行や修徳に精進し、教会修道院を建立し、多くの慈善を行った。ガイザの没後(997年)王位を継ぎ、施政公正、その行状、その政治および布教活動において、使徒的支配者の鑑となり、教皇に交渉し、ハンガリア国内の教会組織を確立し、ハンガリアに信仰公布のため努力し、その国を聖母にささげた。布教上の功により教皇シルべストロ2世は、彼に王冠[現存している]と国王の位と称号とをおくったが、これにより1000年御降誕の祝日に、彼はハンガリア最初の国王の位についた。
彼の謙遜と愛徳とは、今もことわざに残っているほどである。1038年8月15日没。1083年、彼の王子エメリヒ(1007-1031年)と共に列聖された。腐敗っしていないっ彼の右手は、ブダの城内礼拝堂に保管されている。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年9月2日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、大修院長,聖エディジオの記念日をお祝いします。「伝説によると、聖エディジオは、アテネから来て、フランスのニンムの荒野に退き、そこで隠遁者たちと生活したという。8世紀。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年9月1日)
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トリエントミサ
本日は、聖霊降臨後大12の主日の2級祝日をお祝いします。「本日の典礼では、二つの教えがのべられる。その一つは、われらが自分だけの力では何一つなしえないこと、第二は、神に奉仕するためには聖寵の助力が必要なこと、以上の二つである。
神の助力によって、われらは、神の思召と掟とを成し遂げるのである。神の思召というのは、神と隣人とに対する愛につきるのである。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年8月31日)
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本日は…
本日は、童貞、リマの聖女ローザの2級祝日をお祝いします。「毎日のミサ典書」の説明はカテゴリのトリエントミサの中にあります。また、同時に殉教者、聖女フェリチェ、聖アダウクトの祝日です。「司祭フェリチェが、殉教の場にひかれた時、一人の名も知らぬ人が、彼の信仰に感動し、『私もキリスト信者だ』と叫んだ。これがために、彼は裁判もされずにとらえられて、フェリチェとともに殉教した。信者は、彼の名を知らなかったので、その見知らぬ人を,アダウクト(加わった人)と呼んで尊んだ。303年ごろ。」(『毎日のミサ典書』)
これと同じことが日本の殉教の場でも起こりました。二十六聖人の殉教の時のことです。1597年2月5日長崎の西坂の丘で十字架刑に処されました。(2014年8月30日)
本日は…
本日は、洗者聖ヨハネの斬首の1級祝日をお祝いします。「毎日のミサ典書」の説明はカテゴリのトリエントミサの中にあります。また、同時に殉教者、聖女サビナの祝日です。「ローマ貴族の妻、サビナは、女中のセラぴあによって信仰を教えられた。セラピアが殉教してのち、サビナはその屍を葬った。このことがとがめられて、アドリアノ帝治下(117-138在位)2世紀、彼女も殉教した。(126年頃)」(『毎日のミサ典書』)[2014年8月29日)
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トリエントミサ
本日は、殉教者、聖ヘルメテの祝日をお祝いします。「ローマの富豪であったヘルメテは、キリスト信者となって、1200人の奴隷に自由を与えた。のちにその信仰のためにとらえられ、斬首された。(132年頃)(『毎日のミサ典書』)(2014年8月28日)
追記:本日の夕ミサでは、教会博士、証聖者、司教聖アウグスティノをお祝いしました。聖ヘルメテの記念をおこないました。
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トリエントミサ
本日は、聖マリアの汚れなき御心の2級大祝日です。「1942年12月8日、教皇ピオ12世は、当時全世界をまき込んでいた艱難を終わらせるために、全人類を、聖マリアの汚れなき御心にささげたのである。
1944年、5月4日、同教皇は、全人類を聖マリアの御心に捧げた記念として、この祝日を全教会で行うことを定めた。
1844年、日本宣教のため那覇に渡来したパリ外国宣教会フォルカード師は、5月1日、全日本を「聖母のいと潔き御心」(当時の名称)に奉献し、これを日本最上位の保護者とあおぐことを規定し、礼部聖省の認可をうけた。日本における本日の祝日は「1級大祝日」として祝われる。」(『毎日のミサ典書』)
(2014年8月22日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、童貞聖マリアの御父、聖ヨアキムの2級大祝日です。「聖ヨアキムは、愛の深い、利己心のない人であった。<入祭文、書簡、昇階誦>
その名は、”主の備え”という意味である。キリスト前の、キリスト教的な徳のために、救い主の無原罪の母を娘にもつ幸せがあった。<聖福音、アレルヤ>
公教会のこの偉大な保護者<集祷文、奉献文、聖体拝領誦>のとりつぎを祈ろう。(『毎日のミサ典書』)
(2014年8月16日)
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トリエントミサ
本日は、童貞聖マリアの被昇天の1級大祝日です。「聖母マリアの祝日の中で,もっとも荘厳で、おそらく最古の典礼は、帰天と被昇天との、本日の祝日である。被昇天の不思議な事実についての記録は極めて少ないが、古くからの伝承によってこう伝えられてきた。
聖伝によると、神の無原罪の御母の死は、原罪の結果としての死の苦しみと恥を追わなかったといわれる。聖母の死は、むしろ、死への勝利であった。これは、地上の生活から天の生命への、美しき移りであり、聖伝の言葉によると『平和の眠り』であった。
なぜなら、原罪なくして生まれ、神の母たる聖寵によって、極めて神に近い聖母は、死の鎖に縛られえなかったからである。
聖母マリアの被昇天に対するわれらの信仰は、われら自身の復活への希望を強め、人間生活の唯物論的な思想を排斥する一つの根拠ともなるのである。
ゆえに、教皇ピオ12世は、1950年11月1日、聖母被昇天を、信仰箇条として、次のように宣言したのである。
『神の無原罪の御母、終世童貞マリアが、地上の生活を終えて、霊魂と同時に身体をも天の光栄にあげられたことは、神の啓示による信仰の真理であると、余は、宣示し、明言し、定義する。』(『毎日のミサ典書』)
(2014年8月15日)
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トリエントミサ
本日は、童貞聖マリアの被昇天の前日 であり 証聖者、聖エオウゼビの祝日をお祝いします。この祝日の説明はカテゴリの『トリエントミサ』の中に収録されています。トリエントミサの連載は1年を経過したので今後は、主日と重なったり、ほかの理由で『毎日のミサ典書』からの引用しなかった分の祝日を掲載してゆきます。カテゴリのトリエントミサは2013年6月13日から始まっています。ですので、聖エウゼビオの祝日の記載は、カテゴリの「トリエントミサ』のはじまりの方に収録されています。」(2014年8月14日)
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トリエントミサ
本日は、 殉教者聖ヒッポリト、聖カッシアノの祝日、をお祝いします.「聖イレネオの弟子、聖ヒッポリトは、信仰のために、炭鉱重労働の刑をうけ、235(236)年頃、殉教した。聖カッシアノは、304年頃ディオクレッィアノ皇帝の迫害のとき、イモラで死をもってキリストを宣言した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年8月13日)
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トリエントミサ
本日は、童貞、アッシジの聖女クララの2級祝日 をお祝いします.「聖女クララは、1194年7月16日、アッシジのスキフィ侯爵家の長女として生まれた。霊的な父、聖フランシスコを模範として生活し、彼の指導の下にクララ修道会を創立し、生涯にわたって清貧を愛し、厳しい苦行をし、英雄的な受苦の典型(27年間病苦を忍んだ)を示した。1212年誓願を立て、死に至る目で聖ダアノの傍らの小屋に住んだ。また聖体への特別な信心をもち、祈りの生活の模範をのこした。クララの伝記者チェラノのトマスによれば、フリードリッヒ2世の傭兵サラセン人がウンブリア地方を席捲したアッシジにも侵入し、クララの修道院も危険にひんしたとき、クララは聖体をおさめた銀の容器をもってサラセン軍に近づき、聖体から放つ光により、敵を潰走させた。
1253年8月11日、アッシジにおいて帰天した。遺骸は、アッシジのサンタ・キアーラ聖堂にある。1255年、アレキサンドロ4世教皇により列聖された。」(『毎日のミサ典書』)(2014年8月12日)
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トリエントミサ
本日は、 聖霊降臨後第九の主日の2級祝日をお祝いします.「本日の<密誦>では、すべてのミサにおいてわれらの救いが新たにされていることを記憶させる。神秘的秘跡的に新たにされるこの事実は祈りの家なる聖堂で行われる。<聖福音>は、主イエズスが、いかに熱心にこの聖所を守り給うかを教える。聖堂においては、つねに信心深いうやうやしい態度を持し、世俗的なわずらいを遠ざける潜心を有しなければならぬ。」*ルカによる聖福音(19の41-47)(『毎日のミサ典書』)(2014年8月10日)
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トリエントミサ
本日は、 殉教者、聖チリアコ、聖ラルゴ、聖スマラグドの単誦の祝日 をお祝いします.「聖チリアコ(14救難聖人の一人)は、ローマの助祭で、ディオクレツィアノ帝のとき、聖ラルゴ、聖スマラグドとともに、信仰のため投獄され、おそろしい拷問の後に殉教した。303年ごろのことらしい。」(『毎日のミサ典書』)(2014年8月8日)
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トリエントミサ
本日は、 司教殉教者、聖ドナトをお祝いします.同時に今日は証聖者カイエタノの祝日です。(カテゴリのトリエントミサに収録済み)「聖ドナトは、ディオクレツィアノ帝の治下、両親が殉教してのち、アレッツォ(イタリア)に逃げのび、後に、その市の司教となった。(346年頃)神々にいけにえをささげる事をこばみ、棄教者ユリアノ帝のとき(361年)、斬首されて殉教した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年8月7日)
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トリエントミサ
本日は、主イエズスの御変容の2級大祝日をお祝いします.「5世紀以来、東方教会で行われてきたこの祝日は、1457年、カリスト3世教皇によって、全教会の祝日と定められた。
苦難と恥辱の御受難がせまった時、イエズスは使徒らを強めるために、中でも権威ある3人を選び、御自分が御父のもとに有する光栄の一端を、示し給うたのである。
本日記念するこの主の出来事は、<聖福音>*に記されている。」(『毎日のミサ典書』)(2014年8月6日)*マテオによる聖福音17の1-9
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トリエントミサ
本日は、鎖の聖ペトロの1級祝日をお祝いします.「本日は、使徒のかしらをたたえるために、ローマのエスクィーノの丘に建てられた大聖堂の献堂*の記念日である。この聖堂には、聖ペトロがしばられた鎖が保存され、昔から非常に尊敬を集めていた。」(『毎日のミサ典書』)
*カテゴリの中の8月5日の雪の聖母の大聖堂の献堂参照(2014年8月1日)*写真は下記のURLより
http://homepage2.nifty.com/hashim/roma/818/maggiore.html
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トリエントミサ
本日は、証聖者、ロヨラの聖イグナッイオの2級祝日をお祝いします。「『すべては、神のより大いなる光栄のために』これこそ、イエズス会創立者なる聖イグナッィオのモットーである。
聖イグナッイオは、1491年、スペインのバスコ地方、ギブスコア州のアスぺイティアの近くのロヨラ城に生まれた.両親とも由緒ある貴族の出身で、イグナッイオは、洗礼のとき,イ二ゴなる霊名を受けたが、後にアンティオキアの殉教者聖イグナッィオを崇敬して、イグナッィオと改めた。1517年軍隊生活に入り、フランス軍に対するバンプローナの防衛戦において、重傷を負った。(1521年5月20日)ロヨラ城にあって療養中、キリスト伝と聖人伝とを呼んで回心し、モンセラットにおいて聖母に献身し、1522-23年にかけてマンㇾサの洞窟で隠修士の生活をし、ここで彼の内的闘争と照悟の成果として『霊操』の大部分を草した。
聖地に巡礼した後、バルセロナその他で、さらに1528年以後はパリで学んだ。ここでフランチスコ・ザべリオ、ルーブル、ライネス等の同志と相知った。そして1534年8月15日、パリのモンマルトルにおいて誓願を立てた。1537年司祭に叙品され、彼の創立したイエズス会は、1540年9月27日聖庁から公認された。翌年選ばれて総会長に就任し、1556年7月31日、ローマで歿した。1622年3月12日列聖。彼こそは、16世紀におけるカトリック反宗教改革時代の最も顕著な指導者であるとともに、彼の創立になる活動性と統一性とにおいて、独自の修道会たるイエズス会は、青少年、神学生の教育、霊魂の指導、異端者の回心、不信仰の覚醒、学術の振興等によって公教会に寄与した。
その著『霊操』によって、彼は数世紀を通じ、今日に至るまで無数の霊魂の指導者となっている。1922年7月15日ピオ11世教皇により、彼は心霊修行と黙想所の守護聖人とされた。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月31日)
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トリエントミサ
本日は、童貞、聖女マルタの単誦の祝日をお祝いします。「マグダラのマリアの姉妹、聖女マルタは、主イエズスの弟子の一人であり、また、しばしば主を宿し奉った光栄をもち、その一生を主にささげたのである。救い主御死去ののち、マリアとラザロとともに、ユダヤ人の迫害をさけ、フランスに行き、そこで他の聖なる婦人らとともに、聖徳をもって一生を終わったといわれる。」
転載:
伝説によればマルタは、マグダラのマリアなどと一緒に追放され、小船にのせられて南仏プロヴァンスの海岸に漂着しました。その近くのローヌ河畔にタラスコンという町が あり、住民はいつもタラスクという怪獣に悩まされていました。怪獣はローヌ川に棲んで いて、人間や家畜を襲っては食べ、退治しようとしてもかなわず困っていたところ、それ をマルタが聞き、折伏にでかけたところ、不思議にも怪獣はヘナヘナと力を失い、首に縄をかけられ、犬のようにおとなしくマルタにつき従った。これを記念して、大きな作り物の怪獣タラスクをのせた山車をひきまわすお祭りが、今日に至るまでタラスコンの町で行われています。アルルの博物館には、かつてお祭りに使われていたタラスクが展示されていますが、たいへんユーモラスな感じの怪獣だそうです。
http://homepage3.nifty.com/ark-kingdom/taste%201%20seijin1.htm
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月29日)
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トリエントミサ
本日は、聖霊降臨後第七の主日の2級祝日をお祝いします。「本日の聖福音*は、よい言葉と徳の実行とを共に生かさねばならぬと教える。『私に向かって、主よ、主よという人が皆天国に入るのではない、天に益しますわが父の御旨を果たした者だけが入るであろう』といわれている。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月27日)*マテオによる聖福音(7ノ15-21)
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トリエントミサ
本日は、童貞殉教者、聖女クリスティーナの祝日をお祝いします。「トスカーナ(イタリア)生まれのこの聖女は、300年ごろ、ディオクレツィアノ皇帝の迫害のとき、殉教した。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月24日)
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トリエントミサ
本日は、司教殉教者、聖アポリナーレの2級祝日をお祝いします。「1世紀の司教殉教者(75年頃)聖アポリナーレの生活については、余り知られてはいない。殉教録には,『聖ペトロの直弟子、ラヴェンナ(イタリア)の初代司教』と記されている。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月23日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、聖アレクシオの単誦の祝日をお祝いします。「ローマ貴族のアレクシオは、キリストへの愛のためにすべてをすてて、聖地に巡礼した。17年ののち、摂理によって、イタリア海岸にもどり、乞食のような姿で父親の家に帰って行った。そして、父の家で、17年もの間、子であることを知らさずに貧しい生活をおくった。死んでのちに奇蹟的に身分が知れた。(5世紀ころ17年?ローマで)
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月17日)*
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トリエントミサ
本日は、大修院長、聖ヨハネ・グァㇽベルトの2級祝日をお祝いします。「ヨハネ・グァㇽベルトは、995年ごろ、イタリア・フィレンツェの貴族ヴィスドミニ家に生まれ、軍隊に入った。兄ウゴが殺害されたので、復讐の機を待っていたが。、ある年の聖金曜日に相手に遭遇し、まさに一撃を加えようとした際、相手の殺害者はグァㇽベルトの足元にひざまづき、十字架につけられたキリストの愛のため赦しをこうた。彼は聖霊の働きにより、敵をも愛せよ、とのわれらの主の掟を想起し、相手を赦すとともに兄弟として抱擁した。そしてすぐ後に修道士となり、1013年頃トスカーナのフィエゾーレの近くの深山の幽谷、ヴァㇾ・オムローザにおいて、聖ベネディクトの戒律によるヴァロンブローザ修道会を、創立した。当時イタリアでは汚聖がひろくおこなわれていたが、彼の説教と努力によりこの不秩序を一掃し、この国に信仰と道徳の十全性をとりもどした。1073年帰天した。1193年列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月12日)
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トリエントミサ
本日は、聖なる七兄弟殉教者および、殉教者、聖女ルフィナ、聖女セコンダの単誦の祝日をお祝いします。「本日は、二つの組の殉教者を合わせて祝う。はじめのは、ローマの聖女フェリチタ(11月23日。記念)の七人の子、すなわち、ヤヌアリオ、フェリチェ、フィリポ,シルヴァノ、アレキサンドロ、ヴィターレ、マルツィアーレである。彼女と七人の息子は棄教を拒否したため、フェリチタの面前で、1日の中に七人の息子が相次いで惨殺されて殉教し、(162年ごろ、ローマで)彼女もまた数か月のちに、殉教の栄冠をうけた。
あとのは、潔白を失うよりは、殉教する法をえらんだ姉妹ルフィナとセコンダとである。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月10日)
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トリエントミサ
本日は、聖女エリザベト王妃の単誦の祝日をお祝いします。「スペインのアラゴン国王ペドロ3世の王女として、1271年生まれた。父王はテュリンギア(またはハンガリア)の聖女エリザベトの甥である。彼女は大叔母聖女エリザベトの模倣者で、幼児より、聖徳にすぐれていた。ポルトガル王デイオニジオ王妃となり、王宮にあって、妻として、また未亡人として模範を示した。フランシスコ第三会員でもあり、貧しい人々への愛は驚くほど深かった。しかし彼女を特徴づけるものは、平和への努力であり、人を和睦させる才を有しており、ポルトガル、アラゴン、カステリィリャ諸王間、また諸王と国民の間の紛争の際平和をもたらした。夫の没後、コインブラのクララ会の修道院で修道生活をし、1336年7月4日帰天した。1625年ウルバノ8世により列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月8日)
トリエントミサ
本日は、司教証聖者、聖チリロ、聖メトディオをお祝いしました。2級祝日です。「この二人は兄弟で、スラヴ人の使徒として崇敬されている。チリロは826年ごろ、メトディオは815年、共にギリシャのテサロニケで生まれた。863年からモラヴィアで布教し、868年、アドリアノ2世によって司教に叙階され、聖チリロは、869年2月14日ローマで歿したが、聖メトディオは、モラヴィア、パンノニィアなどで宣教をつづけ、885年4月6日歿した。この二人は古代スラヴ語アルファベット(グラゴリサ文字)を創案して、聖書をスラヴ語に訳し、布教地の国語で典礼を行った。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月7日)
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トリエントミサ
本日は、聖霊降臨後第四の主日をお祝いしました。2級祝日です。「教会のために、全世界のために祈るのが、本日の集祷文である。キリストは、われらのために、世に勝ち給うた。その御光はわれらを照らし、その聖寵はわれらを強める。<入祭文、奉献文、聖体拝領誦>
しかし、われらは、まだ天の平和をうけていない。主の平和を味わうためには、この死の体においてたたかうべきであり<書簡>、御聖体によって、霊的エネルギーを補強されなければならない。<聖福音>」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月6日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、聖アントニオ・マリア・ザカリアの2級祝日を祝います。確かこの聖人は心臓の病の取り次ぎで有名だったという記憶があります。
「聖アントニオ・マリア・ザカリアは、1502年イタリアのクレモアで生まれた。最初医学を修めたが、志を転じて教区付司祭となった。1530年『聖パウロの律修聖職者会』(ミラノ市の聖バルナバ教会がこの新修道会の本拠であったため『バルナバ修道会』ともいわれる)を創立した。熱心に使徒事業に従事し、1539年7月5日、37歳で永眠した。1897年レオ13世教皇により列聖。
御(ご)受難と聖体を尊ぶために、大いに宣教した功績がある。また彼は、個人として司祭の模範を聖パウロとしたので、本日のミサは聖パウロの書簡からとられている部分が多い。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月5日)
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トリエントミサ
本日は、童貞聖マリアの御訪問の2級大祝日を祝いました。「神の母となるべく召されたマリアは、聖ルカの記すとおり、洗者聖ヨハネの母となるべき従妹のもとに、愛のわざをおこないに行かれた。この二人の出会いは、マリアにとって、『マグニフィカト』の賛美を歌う機会となった。
元、フランシスコ会で行われていたこの祝日は、1389年西方教会大離教終焉のためウルバノ6世により正式に制定され、ボニファチオ9世により全教会で行われることとなった。1849年ピオ9世教皇は、2級大祝日と定めた。」(『毎日のミサ典書』)(2014年7月2日)
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トリエントミサ
昨日の日曜日の修道院のミサでは、聖霊降臨後第三の主日の2級祝日をお祝いしました。しかし6月29日は、使徒、聖ペトロ、聖パウロの1級大祝日で主日との競合があり、1級大祝日が優先でしたが本日聖ペトロ、聖パウロの1級大祝日のおミサをお祝いします。
「使徒のかしらであるこの二人は、自分たちの血でもって、キリストの教えを証明した。この二人は、死ぬまで,師なるイエズスに忠実であった。ペトロは十字架につけられ、ローマ市民のパウロは、首をはねられて、共に殉教した。
本日の祝日は、初代教会のころから行われていた。しかし、6月29日というのは、この二人が殉教した日ではなく、おそらく遺体が移された記念の日であろうと思われる。
摂理は、教会の祈りと神により頼む者を、けっして見捨てることはない。<書簡>
使徒のいわおであるペトロは、亡びることなく、そのいわおの上に立つ公教会には、永遠の約束がある。信仰者は、ペトロの模範に従い、人をはばかることなく、活ける神キリストを宣言しなければならぬ。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月30日)
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聖霊降臨後第三主日
本日は、聖霊降臨後第三の主日の2級祝日をお祝いします。『迷った羔を探し出して、おりにつれ戻る『よい牧者』のミサである。われらは、試練のとき、聖ペテロのいうように、『霊魂の番人』であるキリストに祈らねばならぬ。
失ったドラクマをさがす女は、信者の霊魂を母のように見守る教会のかたどりである。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月29日)
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トリエントミサ
本日は、司教殉教者、聖イレネオの2級祝日をお祝いしました。「125年ごろ、アジアに生まれた聖イレネオは、福音史家聖ヨハネの弟子であった聖ポリカルポに教えられた人である。
リオン(フランス)の司教となり、東方教会とラテン教会との、聖伝の忠実な伝承者となった、彼の数多い著作の中で、異端を反駁する五つの著書が残っている。単に護教家であったばかりでなく、偉大な神学者でもあった。彼のグノーシス派異端を駁した著作中に、すでにローマ聖座の首位権の論証を見いだすことが出来るのである。
セッテミオ・セヴェロ皇帝の迫害のとき、殉教した。(202年)」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月28日)
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トリエントミサ
本日は、イエズスの聖心の1級大祝日(聖霊降臨後第二主日の週間の金曜日)をお祝いします。「聖心の祝日は、1765年、クレメンテ13世教皇によって認可され、1856年、ピオ9世によって、全教会に広められた。また、1885年、レオ13世によって1級大祝日とされた。
ピオ11世は、1929年1月29日の規定によって、この祝日を1級大祝日、3級特権の『八日間』付と定め、聖務日課とミサ典礼文を新しく規定した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月27日)
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トリエントミサ
本日は,殉教者、聖ヨハネ、聖パウロの2級祝日を祝いました。「ローマ人で、兄弟であったヨハネとパウロとは、全財産を貧しい人々に分け、のちに、偶像に香を捧げることを拒んだかどにより、棄教者ユリアノ皇帝のとき、ローマで362年殉教した。この二人の名は、ミサ聖祭の典文と「諸聖人の連祷」中に見える。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月26日)
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トリエントミサ
本日は,大修道院長、証聖者、聖グリエルモの2級祝日を祝いました。『1085年ヴェルチェッリ(イタリア)に生まれた聖グリエルモは、16歳の時、スペインのコムテポストラの聖ヤコボ聖堂に巡礼した。イタリアに帰ってから、南イタリアのアヴェリノ市に近いモンテ・ヴィジリアーノ(のちに聖母にあやかるために童貞山[モンテ・ヴェルジネ]と改称)に退いて隠修士の生活に入り、のち、聖べネディクトの戒律による隠修士の修道会を立て、1142年の本日、帰天した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月25日)
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トリエントミサ
本日は洗者聖ヨハネ誕生の1級大祝日を祝いました。「初代教会の昔から、大いなる尊敬を集めていた洗者ヨハネの誕生日を本日祝うのであるが、聖人の誕生日を祝うのは、聖母マリアと本日との二つだけである。
他の聖人らは、原罪を持って生れるが、聖ヨハネは、うまれる先に聖とされていたのである。こうして、洗者は苦業の生活をおくり、救い主の道を準備した。
その後、ヘロデ王の不倫をとがめたかどにより、その首をはねられた。(8月29日*の祝日を見よ)(『毎日のミサ典書』)(2014年6月24日)
*洗者聖ヨハネの斬首の1級祝日
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トリエントミサ
本日は、証聖者,ゴンザ-ガの聖アロイジオの2級祝日です。「聖アロイジオは、1568年イタリア・ロンバルディアのカステリオーネ城において貴族ゴンザーガ家の長子として生まれた。輝く純潔こそ、この聖人の特質というべく、聖会は「主は彼を、天使よりもやや低くおき……」との言葉をもって、その完き純潔をたたえている<入祭文>。聖カルロ・ボロメオから初聖体を受けた。<聖体拝領誦>すでに9歳のおり、終生童貞の請願を立て、宮廷生活にあって当時の悪風に染むことがなかった。長子としての一切の権利を弟に譲り、1585年ローマのイエズス会に入った。節欲にはげみ苦業を行った。修学修士のとき、ペスト患者の看護中感染して、1591年6月21日、23歳で歿した。
1605年列福、1726年列聖。ベネヂィクト13世は、かれを青年の特別保護者、模範と宣言し、ピオ11世はカトリック青年の保護者と宣布した。
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月21日)
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トリエントミサ
本日は、教皇殉教者、聖シルヴェリオの記念日です。「聖シルヴェリオ(536-537年在位)は、キリスト単意説の異端者コンスタンティノープル大司教、アンティモスを認めなかったので,テオドラ女帝のにくむ所となり、小アジアに追放された。のちにローマにもどったが、再び追放され、その労苦のため歿した。
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月20日)
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トリエントミサ
本日は、童貞、聖女ユリアナ・ファルコ二エリの2級祝日を祝います。「1270年イタリア・フィレンツェの貴族ファルコ二エリ家に生まれたユリアナは、16歳の時、童貞の請願を立て、聖母マリア下僕会の第三会員になった。1304年聖母マリア下僕会に属する『無袖被布修道女会』を創立した。この聖女の特徴は、主として愛徳と祈りと苦業の精神であった。その臨終に際し、奇蹟的な方法で聖体を拝領した。1340年帰天した。1737年列聖。」(『毎日のミサ典書』)
言い伝えによると、臨終の際ご聖体を飲みこむことができなかった聖女の胸に白い布の上に司祭は聖体を置いた。不思議にもその聖体は聖女の胸の中に消えていった。死後聖女の胸にはくっきりと聖体の跡が残り、十字架までがはっきりと見られたと言われる。(2014年6月19日)
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三位一体の主日
教会の絶えざる使命は、三位一体を礼拝し賛美することである。他のすべての奥義のもとである三位一体の奥義に対する信者の信仰を固めるために、本日が、その祝日と定められた。
新約の啓示の中心である三位一体の奥義は、また、われらの超自然的生活の中心でもある。神の光栄と、神へのわれらの宗教の究極の目的であるといってもよい。
典礼では、至聖なる三位一体に対する賛美の言葉<頌歌>が絶えずくり返されているけれど、それは、われらの仲介者なる御託身の御言葉を通して、三位一体にささげられるのである。
本日の祝いは、すでに十世紀ごろ、ある修道会で行われていたが、それが全教会の祝日となったのは、十四世紀のはじめ頃である。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月15日)
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トリエントミサ
本日は、教会博士、証聖者、司教聖バジリオの2級祝日をお祝いします。「小アジアのカパドキアのチェザレアに329年生まれた。ナツィアンツォの聖グレゴリオ(5月9日)の学友であった聖バジリオは、東方の修道生活の父祖と立てられている。また、アリウス派異端とのたたかいにおいて有名であり、神学者として多くの著作をした。
カパドキアのチェザレの大司教として379年1月1日歿した。彼が司教に叙階された記念日を、その祝日とする。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月14日)
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トリエントミサ
本日は、教会博士、証聖者、パドヴァの聖アントニオの2級祝日をお祝いします。「パドヴァの聖アントニオは、1195年ポルトガルのリスボンに生まれ、1220年、聖フランシスコ会に入った。彼はポルトガルに、次いでイタリアの各地で福音を説教し、神学者として民衆説教家として異端と戦った。その信仰、その単純さ、その謙遜のゆえにキリスト教的生活の模範としてたたえられた。1231年6月11日、イタリア・パドヴァで歿し、翌年グレゴリオ9世により列聖された。その聖遺物は、彼に奉献された聖堂に安置されている。1946年、ピオ12世により教会博士と宣言された。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月13日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、サン・ファクンドの聖ヨハネの2級祝日をお祝いします。「聖ヨハネは、スペインのサン・ファクンドに1849年生まれた。(サン・ファクンドは、略してサァグアンというところから、さァグアンの聖ヨハネともいう)素相手ベネディクト会の修道士から教育を受けた。やがて司教座聖堂付参事会員となったが、のちに、かつて重病の際にした誓願を守り、アウグスティノ隠修士会にはいった。厳しい生活と深い愛の人、人びとを和睦させる人として知られ、1479年6月11日帰天。1690年、アレキサンドロ8世により列聖された。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月12日)
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トリエントミサ
本日は、使徒、聖バルナバの1級祝日をお祝いします。「イエズスの72人の弟子の一人。バルナバが使徒と呼ばれるのは、本日のミサで朗読されるとおり、聖霊によって、異邦人に福音をのべるべく選ばれたからである。また、聖マティアと同様に、キリストの復活の証人でもあった。
バルナバは、ある期間、聖パウロの伝道旅行にしたがっていた。多くの人々をキリストに改宗させ、のちに故郷のクブロ島で、ユダヤ人から石殺しにされた。(63年―76年までの間)
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月11日)
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本日は、司教証聖者聖ノルベルトの2級祝日をお祝いします。「ドイツ・ケルンに近いクサンテンの貴族の家に生まれた(1082年頃)。聖ノルベルトは、司祭となってのち、プレモントレの荒れ地に退き、1121年、聖アウグスチィノの戒律に従うプレモントレ修道会を、そこに創立した。
1134年、マグデブルグの大司教として歿した。聖体に対する信心の熱烈な使徒であった。1582年グレゴリオ13世により列聖。
(『毎日のミサ典書』)(2014年6月6日)
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トリエントミサ
本日は、司教殉教者聖ボニファツィオの2級祝日をお祝いします。「英国の生まれてベネヂィクト会の修道者となったウィンフリッドは、フリジアに宣教するために、8世紀半ば頃ヨーロッパに渡った。
彼は、ローマで、教皇グレゴリオ2世によって、ボニファツィオを改名された。そして司教として、ドイツの宣教に派遣された。こうして彼は、各地に大修道院をつくるほか、マインツ大司教(747年)にあげられ、幾多の宣教活動を行い、754年、ほかの改宗者とともに、フリースランドで虐殺された。
現在、ドイツの使徒と称せられて、ひろく尊崇を集めている。(ドイツでは2級大祝日)その遺体は、彼の創立した有名なフルダの大修道院にある。(『毎日のミサ典書』)(2014年6月5日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、聖フランチスコ・カラッチョロの2級祝日をお祝いします。「ナポリ王国の貴族カラっチョロ家に生まれた(1563年)。アッシジの聖フランチスコの崇敬者の一人で、請願を立てたときに、その名を受けた聖フランチスコ・カラッチョロは、1588年ヨハネ・アウグスチィノ・アドルノとともに『小さき律修聖職者会』を創立した。
生涯、熱心に聖体の信心と聖母マリアへの崇敬をひろめ、最初の総会長職にあった。1608年6月4日、聖体の祝日の前日、ローマで帰天した。1807年ピオ7世により列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月4日)
*写真はグーグル画像集より。この写真によれば、天使の出現を受けていたように思える。
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トリエントミサ
本日は、殉教者、聖マルチェリーノ、聖ペテロ、司教殉教者、聖エラスモの記念をお祝いします。「祓魔師の聖ペテロは、自分を閉じ込めていた牢獄の番人の一家を回心させた。
彼と、その回心した一家に洗礼をさずけた司祭のマルチェリーノとは、拷問され、ついに首をはねられた。(4世紀のはじめ)この両殉教者の名は、ミサの典文中に見える。
元リバノンノ隠遁者で、カンパニアの司教であった聖エラスモは、303年ごろ殉教した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年6月2日)
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トリエントミサ
本日は、ジャンヌ・ダルクの祝日です。同時に恩寵の代願者なる聖マリアの祝日でもあります。どちらの祝日も等級がなく、随意ミサ*ではどちらの祝日を祝うかを選ぶことができます。
本日はジャンヌ・ダルクの祝日をお祝いします。「フランスのオルレアンの乙女。1412~1431.小村ドムレミの貧しい農夫の娘。1429年フランス軍をひきいてイギリス軍をオルレアン等多くの戦闘で撃破、ランスでシャルル7世の戴冠式を行ったが、王の側近の嫉みによって、ブルゴーニュ公の軍に捕えられ、イギリス軍に渡されてルアンに幽閉され、不正な裁判によって同地で異端者として火刑にされた。1909列福、1920列聖された。フランスの国民聖人。」(『キリスト教百科事典』)(2014年5月30日)
*随意ミサ―「一般に、祝日のミサは規定ミサであるが、しかし、二つの祝日が同じ日になる場合、典礼法規によってゆるされれば、等級の低い方のミサを挙げることもできる。しかし、典礼暦年と聖務日課に無関係なミサを挙げられる日もある。こういう日のミサは、随意ミサという。それは司祭または信者の望みによって、ミサを執行するからである。各自の信心によるミサである。」(『毎日のミサ典書』)
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トリエントミサ
本日は、主の御昇天の1級大祝日です。「死と地獄にうち勝ったイエズスは、御復活後40日経って弟子らの眼前で天に御昇りになった。
われらの救い主イエズスが、御昇天になったことを、公教会と心を合わせて喜び祝おう。イエズスが天にお昇りになったのは、われらのために天の門をひらくためであり、また、聖パウロのいうように、いつかわれらを御右に座らせるためである。
聖レオ教皇の言葉によると、われらは、キリストの聖寵によって、悪魔のねたみによって失ったものには比較にならないほどの多くのものを得たのである。(『毎日のミサ典書』)(2014年5月29日)
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トリエントミサ
本日は、司教証聖者、カンタベリーの聖アウグスティノの2級祝日です。「本日はイギリスの大いなる使徒聖アウグスティノを祝う。
聖アウグスティノは、ローマの聖アンドレア・ベネディクト会の修道士であったが、グレゴリオ1世教皇によりイギリスに派遣され、ベネヂィクト会の修道士40名をつれて597年に同地に到着、宣教に従事した。エーテルベルト王のころ、彼は、カンタベリーの初代大司教となり、604年に帰天した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月28日)
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トリエントミサ
本日は、教会博士、証聖者、聖ベダの2級祝日です。「ベネディクト会と、イギリスとの光栄とうたわれる聖ベダの学徳は、8世紀にあまねく知れわたっていた。
かれの聖書解釈は、その在世中から聖堂で朗読されていた。また、彼の『イギリス史』も有名で、英国史の父と呼ばれている。735年5月25日、御昇天の前日、90歳の高齢をもって歿したが、その臨終の言葉は、『願わくは、聖父と聖子と聖霊とに、光栄あれ。』であった。レオ十三世により、教会博士と宣言された。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月27日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、聖フィリポ・ネリの2級祝日です。「オラトリオ会の創立者、フィリポ・ネリは、フィレンツェに生まれた(1515年)36歳の時叙品されたが、その頃、もう広く彼の愛徳は知れわたっていた。
神と人々の救いとに対する彼の奮闘は、死のその時まで続いた。1595年の本日、帰天した。1622年列聖。(『毎日のミサ典書』)(2014年5月26日)
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トリエントミサ
本日は、証聖者、シェナの聖ベルナディーノの単誦の祝日を祝います。「シェナに近いマッサ・マリティマの貴族の子息として1380年9月8日に生まれた聖ベルナディーノは、少年時代から、貧しい人々に愛徳をほどこし、のちにフランシスコ会員となり、イエズスの聖名(みな)に対する信心をのべつつ、各地に布教した。フランシスコ会の規律を刷新し、1438-42年まで、会長総代理の職にあった。1444年5月20日,アクティラ市で帰天した。1450年列聖。美術において同聖人は、イエズスの聖名の組み合わせ文字IHSを胸にいだいているのをもってあらわされている。(『毎日のミサ典書』)(2014年5月20日)
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トリエントミサ
本日は、教皇、証聖者、聖ペトロ・チェレスチィーノの2級祝日を祝います。「イタリア・アブルッツィ州イゼルニアに1210年生まれた。モロネ山に隠修し、のちにベネディクト会の分会、チェレスティノ会を創立した。1294年7月5日、教皇に選出され、チェレスチィーノ5世となった。5カ月後、彼は、その座をゆずり、再び、隠遁生活に戻り、1296年帰天した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月19日)
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御復活後第四主日
本日は、御復活後第四の主日の2級祝日を祝います。「<入祭文>は、御復活の祝日によって受けた聖寵を思い出させるが、<聖福音>と<聖体拝領誦>とは、復活し給うた御者の御昇天と聖霊降臨という、他の重大な出来事を記している。
主が、天にお昇りになることは、必要なことである。そうでなければ、あがないの計画は、半端で終わることにアンリ、また、弟子らは、神の国がこの世にないことを、かくと知りえなかったであろう。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月18日)
入祭文ー詩編、97の、2
聖福音ーヨハネによる聖福音(16の5-14)
聖体拝領誦―ヨハネ、16の8
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トリエントミサ
本日は証聖者、聖パスカーㇾ・バイロンの2級祝日を祝います。「1540年スペインのアラゴン国トレエルモサの農家に生まれた。少年時代を羊かいとして過ごし、1564年フランシスコ会に入り、助修士となった。天使のような清浄さと信心をもって、フランシスコ会の光栄の一人となった。また聖体への信心のために特に有名である。
自身前もって告げたように1592年5月17日聖霊降臨の祝日に帰天した。
列福(1618年)、列聖(1690年)レオ13世は、1897年この聖人を、聖体大会と聖体に関係ある事業・信心会の守護者とした。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月17日)
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トリエントミサ
本日は司教証聖者、聖ウバㇽドの単誦の祝日を祝います。「聖アウグスチィノ律修参事会員であった聖ウバㇽドは、自分の生地グビオ(イタリア)の司教となり、霊魂のための熱心と苦業と祈りとのために特に聖徳のほまれが高かった。1160年帰天した。神は悪魔に打ち勝つ特別な力を彼に与え給うた。<集祷文>*
*主よ、願わくは、御心を和(なご)め、御たすけをわれらに下し給わんことを。また、主の証聖者、司教、聖ウバㇽドのとりつぎにより悪魔の罠よりわれらを守るべく、御保護の御手をのべ給え。神として、聖霊との一致において、御身とともに世々生き勝治め給うわれらの主よ、聖子、イエズス・キリストによりて、アーメン」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月16日)
*画像はイタリア・グビオの教会に安置されている聖ウルバルドの腐敗をまぬがれた遺体。「ドイツ再発見」より。
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トリエントミサ
本日は証聖者、聖ヨハネ・バプティスタ・ド・ラ・サㇽの2級祝日を祝いました。「聖ヨハネは、1651年フランスのランスで生まれた。ソルボン大学、サン・シュルピス校等で神学をおさめ、司祭叙品後、『キリスト教学校修士会』を創立した。この修道会は、貧しい青少年を教え導くのを目的とする。『近代教育の父』と称されている彼は、聖い生活を送り、1719年4月7日聖金曜日、ルアンで帰天し、レオ13世教皇により、列福、列聖(1900年)された。(『毎日のミサ典書』)(2014年5月15日)
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昨日は…
昨日5月13日はファチマの聖母出現の記念日でした。トリエント典礼では、教会博士、証聖者、司教聖ロベルト・ベラルミーノの2級祝日でした。ファチマの預言に興味のある方は、カテゴリの『ファチマの預言』のなかに「ファチマの記念日」(2013年5月13日)他の記事があります。
昨日、ミサの帰りに竹林の坂をキジが猫に追いかけられて猛然と走りぬけて行きました。なぜ、キジは飛んで逃げなかったのか?わかりません。調べたら、キジは飛べない鳥でした。飛んでも低空飛行くらいしかできないのです。猫は白地に茶色の斑がある猫で、はじめて見る猫でした。猫もまた猛然と走ってキジを追いかけていましたが、私の姿と物音に驚いてキジとは違う方向に逃げて行きました。また昨夜、車で走っていた時、猫くらいの大きさの丸い動物が道をちょこちょこと急いで横切りました。ブレーキを踏んだから、ひかずに済みました。ここは山の中ですから、いろんな野生動物が出現します。タヌキかハクビシンのようでした。あまり早く走れないのですね。
本日はトリエントミサでは、殉教者、聖ボニファツィオを記念します。「聖ボニファツィオは、306年ごろ、デオクレツィアノとマキシミノ皇帝のとき、小アジアのタルソ市で殉教した。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月14日)
*画像はグーグルの画像集から。なお聖ボニファツィオの画像は見つかりませんでした。司教の聖ボニファツイオの画像はありましたが、別人です。
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トリエントミサ
今日も晴れています。最近晴れの日が続いています。洗濯日和が続いています。冬物を洗い整理するのに都合がよいです。猫のチョコが椅子や窓辺のクッションではなく仕事中の私の膝の上で眠り始めました。これはまれなことです。甘ったれのくせにクールなチョコが膝の上で眠るなんて…うれしい反面ちょっと迷惑です。
本日は、「大天使聖ミカエルの出現」の1級祝日をお祝いします。「この祝日は、495年ごろ、アプリシアのシポンテ市(イタリア)の付近にあるがルガノ山における、大天使聖ミカエルの出現を記念する。。
この山に建てられた大聖堂には、年々多くの巡礼者がおとずれる。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月8日)
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ポーランドの殉教者
本日のトリエントミサは、司教殉教者、聖スタ二スラオの2級祝日です。『毎日のミサ典書』には次のようにあります。「クラコビア(ポーランド)のこの聖司教は、王の不倫を咎めたかどにより、1079年5月8日、殺された。インノチェンツイオ4世教皇により、1253年、列聖された。」
1993年6月にポーランドの黙想会に参加した際、幻視者たちと共にバス巡礼をした時に、共産主義者たち(秘密警察)の手により殺された司祭殉教者ポピエウシュコ神父(1947年~1984年)の墓に連れて行ってもらいました。のちに(2010年6月6日)聖体の人、真理の殉教者として列福されました。ポーランドつながりで思い出しました。ポーランドでは非常に尊敬されている殉教者で、彼の死によって共産主義の崩壊が早まったといわれています。目に見えない世界では、善と悪との戦いが行われています。しかし最後には神(善)が勝つことが決まっているのです。下に関連記事を貼り付けます。
http://www.geocities.jp/amsf_stm/hokybodybloodc.htm
「1984 年 10 月 19 日、この若い司祭は、 Bydgoszcz という隣町の小教区への訪問を終え、ワルシャワに戻る途中、治安維持機関によって誘拐されました。彼は、意識を失うまで容赦なく打たれ、身体は、動くことで自分自身を絞め殺すことになるやり方で縛られました。重しをつけられた彼の身体は、深い貯水池に放り込まれました。殺人者たちは前代未聞の残忍さで自分たちの仕事を成し遂げました。
それは、この司祭が体現していた信仰への憎悪を示しています。イエジの運転手はどうにか逃れて、起こったことを報道機関に知らせました。 10 月 30 日、 ポピエウシュコ の、縛られ、猿轡をされた身体は、 Wloclawek の近くの貯水池の凍てついた水の中で発見されました。イエジ神父の野蛮な殺害は、ポーランドの共産主義支配の崩壊を早めたと、多くの人々は信じています。
イエジ神父の葬儀は、 400 , 000 人を越える人々が参列して、大規模な公の示威運動になりました。
戒厳令が施行されて以来、初めて、「連帯」の正式メンバーが全国各地から姿を見せました。
神父は、彼の小教区である聖スタニスラス・コスカ教会の前庭に葬られました。そして、その日以来、 1,700 万人の人々が、その墓を訪れています。」(2014年5月7日)
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トリエントミサ
本日は、「教皇証聖者、聖ピオ5世」の祝日で2級祝日です。『ドミニコ会の修道者であった教皇ピオ5世は、教皇としての在位期間は短かったが(1566-1572年5月)、その教会規律の改革と、典礼の改正とによって特に有名である。彼が在位中、トルコ人に対するレパントの海戦(1571年10月7日*)の、あの大勝利があった。彼は、聖マリアのとりつぎによって、この勝利がえられたと宣言した。1504年イタリアに生まれ、1572年5月1日帰天した。1712年列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年5月5日)
*この時、教皇ピオ5世は、聖母の連祷中に『キリスト信者の助け、われらのために祈り給え』の1句を加え全信者に祈らせた。10月7日が「ロザリオの聖母」の祝日に定められたのは、この時の勝利への聖母のお恵みを思い起こすためである。なお現代典礼では、ピオ5世の祝日は4月30日となっている。
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:御復活後第二の主日
今日は青空で、雲一つありません。猫のチョコはどこかに遊びに行き、犬のグレイは竹林の涼しい場所で昼寝しています。そこは台所の窓から見える場所で、窓を開ければ、こちらの声もグレイに届くのでお互いに安心なのです。
本日は御復活後第二の主日です。『毎日のミサ典書』には次のように書かれています。「本日は、よき牧者の主日といわれていた。なぜなら、この日、教区会議が行われていたからである。
従って、本日は特に、長上に対する、或いは目下に対する義務のことが語られる。そして、その最高の模範として、牧者なるキリストが示される。」(2014年5月4日)
書簡―使徒ペテロ(前書、2の21-25)
聖福音―(ヨハネ、10の11-16)
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聖母の月、五月…
聖母の月に入りました。五月は1年のなかでもっとも美しい季節だと思います。
今日は曇り空で、ときおり小雨がちらつきます。昨夜は一晩中雨が降り続いていました。雨が降ると、グレイは夜の散歩に出かけられないので不満そうに夜中になきます。でもどうしたことか昨夜は泣きませんでした。人間の年で言えば、60歳過ぎになるグレイも、ようやく大人になったということでしょうか…。本日は,証聖者、童貞聖マリアの淨配、勤労者聖ヨゼフの祝日です。1級大祝日です。
「ピオ十二世教皇は、勤労の日である五月一日を、キリスト教的に聖別し、キリスト信者の模範として聖ヨゼフを祝う意向をもって、1995年5月1日、この祝日を定めたのである。
勤労は、神が人間にお定めになった法則であるが、これはまた、人の精神的物質的向上のために必要なものである。それで、人は機械的労働の奴隷となることはできず、自分の利己的な目的のためだけに、他人の勤労を利用することもできないのである。
<入祭文>には、『主が家を建て給わないならば、人が建てても無駄である』と記してあるが、これがキリスト教的勤労の原理である。
勤労者の傍らには、イエズスがある。聖ヨゼフがそうであったように。もしこの原理が守られれば、人間の社会は、正義と愛徳との上に建設されるのである。
五月一日を、暴力や憎悪や争いの機会とせず、人間同士の兄弟愛を固めるのに役立てなければならない。『ナザレトの謙遜な勤労者は、神と教会との前に、勤労者の威厳を身をもって示し、また摂理によって、勤労者とその家族との模範と保護者となるべく定められたお方である』(ピオ十二世)」(「毎日のミサ典書」)(2014年5月1日)
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白衣(びゃくえ)の主日;
今日も晴れて青空です。八重桜が咲きはじめ7分咲きというところでしょうか。八重桜は濃いピンク色で山の中の景色ではとても華やかな色です。山桜にソメイヨシノ、八重桜が咲きそろっているのが南向きの窓から見えます。梅の花はほとんど散りました。春は、都会と違って少々寂しい山の中も花々で華やかになります。近隣の農家は花をいっぱい植えています。みな花を大切にしているのです。
本日は復活の主日から八日目で白衣の主日です。1級祝日です。『毎日のミサ典書』には、「御復活の祝日八日間の主日である。
白衣の主日といわれるのは、ある地方で、新受洗者が白衣を本日脱いだからである。
新信者の受けた信仰をつよめ、慰めるために、ヨハネは<書簡>の中で、『成聖の聖寵によって神の子となった者は、この世に勝った』といっている。すなわち、キリストの神性を認め、その教えを守ることにおいて、この世に勝つのである。」今日は現代典礼では、御憐みの主日(神のいつくしみの主日)です。(2014年4月27日)
書簡―使徒聖ヨハネ第一書、5の4-10、聖福音―ヨハネによる聖福音20の19-31
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御復活後の火曜日
今日も八日間中の1級祝日です。この八日間について調べてみました。「最後に、「八日間」(Octovae)がある。ある大祝日は1週間続けられ、その八日間の最後の日を八日目という。
御降誕,御復活、聖霊降臨の三つの「八日間」だけが行われる。(1955年3月23日附礼部聖省法令による)。
御復活と聖霊降臨の八日間中の日は2級祝日(Duplex)となり、どんな祝日にも優先し、「記念」も許されない。
御降誕の八日間中の日も2級祝日となるが、この八日間内にある祝日は行われる。」(『毎日のミサ典書』)
つまり復活の主日の日曜日から次の日曜日までを八日間と呼び次の日曜日が八日目になるということなのです。復活の主日の八日目は白衣の主日です。現在典礼では、復活節第二主日は御憐みの主日(神のいつくしみの主日)と呼ばれています。(2014年4月22日)
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枝の主日
朝8時頃久しぶりにクロちゃんが来ました。チョコと鼻で挨拶をしておやつをもらいました。他の家の飼い猫なので、おやつを前ほどいっぱいあげません。それなのにエサを残してクロちゃんは帰ってしまいました。もっとおいしいおやつを期待していたのでしょう。
工事途中の池にはメダカとオタマジャクシが泳いでいました。今日は雲一つない青空です。
今日は枝の主日で、1級大祝日です。今日から聖週間が始まります。以前聖母は、聖週間の間はいかなる楽しみも犠牲にするようにとおっしゃいました。今、天は犠牲と祈りを必要とされています。ニュース以外のTVを断食したり映画館へ行くことや小説を読むことなどの楽しみをすべて断食するのです。『毎日のミサ典書』には次のように聖週間についての説明があります。「灰の水曜日ののち、御復活の大ドラマをひらく準備の40日が過ぎた。四旬節は聖土曜日までであるが、しかし、聖週間は、もはや単なる準備の時期ではない。これからの1週間は、主として記念の典礼である。
枝の主日よりわれらは、一歩ずつ主の御あとをしたっていく。
これより記念するのは、人間的神的な事件である。十字架の神秘と御復活とは、一つに結ばれたキリスト教の根本である。昔の教会の信者たちは、現在のわれわれよりも、もっとこの結合を意識していた。
パウロの<書簡>では、幾度も救い主の御受難の栄冠としての御復活の価値が物語られている。今も、典礼では、この奥義がしばしば語られる。ローマにおいて、聖週間に現在のような形が与えられたのは、大分時代を下ってからであり、東方教会においては、元来、聖金曜日の祝日が御復活の祝日より一層盛大に祝われていたが、これも、復活と御受難との結びつきをあらわすのである。
たしかに御受難の季節には、既に復活のよろこびが、胚胎しているのである。初代教会の典礼伝統の証人である聖レオ教皇(440-61年在位)は、聖週間の説教において、主の御死去の記念を苦行と悲嘆の日として語ってはいない。彼にとって、主の御受難の記念日は枝の主日よりはじまって復活の日にその絶頂に至る霊的よろこびの日々の一つである。
「われらの過ぎ越し祭は、いけにえとなり給うたキリストである」と公教会は、御復活の季節に賛美する。すると、このいけにえは、枝の主日よりはじまり、生命のために死を亡ぼすキリストの御死去をもって、その頂点に達する聖金曜日まで週間である。
つまり、御復活祭は、枝の主日よりはじまり、白衣の主日をもって終わると言ってもよい。聖アウグスティノは、「御復活の十五日」を極めて感動的に語っている。昔の信者は、この十五日間仕事を休んで聖なる復活の祝日にあずかっていた。繁忙な現代では、そういうことはできそうにもないと思うが、われらも、ふさわしく主の御復活の記念を祝う必要がある。
われらも、本日より、キリストの御心を心とし、その典礼において母なる公教会の告げる心を受け入れねばならぬ。十字架の奥義を通して復活の奥義に至り、やがて、光栄の昇天に至るであろう。五日、われらも、天において、主の光栄の生命を見るであろう。しかし、今から、信仰と希望とをもって、あがないの業を行いつつあることを忘れてはならない。」(2014年4月13日)
*画像はエルサレム入城のイコン。Wikpediaより。
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御受難の主日(四旬節第五主日)
「四旬節のはじめから、公教会は、信者が、救い主なるキリストの御心を心とするようにと勧めた。聖週間の大ドラマが近づくにつれて、信者は、より一層典礼に注目し、より深く潜心し、キリストの受難にあずからねばならない。
本日より、ミサ聖祭には、『神よ、私を弁護し……』(Judica me)の祈りを省略し、入祭文の詩編ののちの『願わくは・・・・・』<栄誦>をも省略する。(祝日のミサにはある)同じく、『手を洗って……』(Lavabo)『私に水を注いで……』の後の『願わくは・・・』も省略する。
これらの異例をもって、本日よりはじまる季節を『受難節』という。」(『毎日のミサ典書』)(2014年4月6日)
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*昨夜アーカイブ(1994年7月8日のメッセージ)をアップしました。聖母が祈り(ロザリオ)について語られています。
本日のトリエントミサ
証聖者、聖ヴィンセンツィオ・フェレリオの2級祝日を祝います。「聖ヴィンセンツィオ・フェレリオは、スペインのバレンシアで1350年頃生まれ、18才の時、ドミニコ会に入った。15世紀の最も名高い説教家の一人である。
その説教によって、何万という異端者が改宗したといわれる。厳格な聖徳の香りをとどめ、1419年4月5日帰天した。1455年列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2014年4月5日)
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本日のトリエントミサ
教会博士、証聖者、司教聖イジドロの2級祝日を祝いました。「スペインの教会の大聖人である.西ゴート族の侵入ののち、イベリア半島における公教会の再建者として有名である。スペイン・カルタヘナの名門の出身でセビリア大司教レアンドロ、カルタヘナ大司教フルゼンツィオの二兄、妹で修道女のフロレンチィナ、みな共に聖人である。長兄ㇾアンドロの没後、その後継者となり、セビリアの教会を約4十年間司教として治めた。がい博な知識を有し、百科的著述家といわれ、その著書は中世期に最もひろく読まれたものの一つである。聖年は560年頃。636年二歿した。ベネディクト14世の時教会博士にあげられた。」(『毎日のミサ典書』)[2014年4月4日)
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四旬節第四主日
今日は朝から雨が降っています。暖かいです。そろそろ湯たんぽが必要なくなるでしょう。この1,2ヶ月あまり体調がよくなかったので、毎朝の新聞を取りに短い散歩をしませんでした。久しぶりに1昨日ミサの帰りに、お天気も良いので短い散歩をしました。水仙がたくさんつぼみをつけていました。聖母像の前も家の前の小さな庭にも…。敷地のあちらこちらに小さな青い花が咲きだしていました。青空を気持ちよさそうにトンビが鳴き交わしながら、2羽輪を描いていました。
今日は1級大祝日です。「四旬節の半ばに行われるこの主日は、バラの主日とも言われ、ローマにおいては、教皇によって、黄金のバラが祝福され、公教会のすぐれた功労者におくられる。
本日、真実な心からの喜びをもてと典礼は勧める。四旬節において、われらの心はよろこばねばならぬ。聖ベネディクトは、聖霊のよろこびをもって復活をまてと、修道者に言い聞かせていた。こういう意味において、本日は、祭壇にも花を飾り、オルガン伴奏でうたい、バラ色の祭服をつける。
われらの喜びは、聖なるよろこびである。われらには神の子としての自由<書簡>があり、また天のエルサレムなる公教会に属しているからである。<入祭文、聖体拝領誦>(『毎日のミサ典書』)(2014年3月30日)
*画像はグーグル画像集より
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本日のトリエントミサ
証聖者、カピストラノの聖ヨハネの単誦の祝日を祝います。「イタリアの小さな町カピストラノに1386年生まれた。フランシスコ司祭。同会のシエーナの聖ベルナルディーノと清い友情に結ばれていた。巡回説教家として多くの人を改悛に導き、またイエズスの聖名に対して篤い信心をいだいていた。トルコ帝マホメット2世がコンスタンティノープルをおとしいれた余勢をかって、ベルグラードに進撃した際、教皇カリクスト3世の命により十字軍を説き、ハンガリア人、フンニャデ・ヤーノシュの助けを得て強力なキリスト教軍隊を結集し、トルコ軍をベルグラードに破った。(1453年)。この戦いによって、回教徒は、ヨーロッパ侵入を阻まれたのである。1456年10月23日帰天した。レオ13世はその祝日を3月28日とし、全教会で祝うことを規定した。(『毎日のミサ典書』)(2014年3月28日)
本日のトリエントミサ
教会博士,証聖者、ダマスコの聖ヨハネの2級祝日を祝います。「東方教会が生んだ最後の博士、シリアのダマスコの聖ヨハネは、聖画像破壊の異端者に対する功績のため、またその神学上の著作のために特に有名である。
聖画像への尊敬を守ろうとする熱心のために、レオ根・イザウリコ皇帝から目をつけられ、その右手を切られたが、しかし、後に奇蹟によっていやされた。754年帰天。レオ13世の時、教会博士にあげられた。」(『毎日のミサ典書』)(2014年3月27日)
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聖マリアお告げ
本日のトリエントミサは聖マリアお告げの1級大祝日を祝います。「聖マリアは、原罪をまぬがれ、ふさわしく神の御母となるべく準備されていた。そして、神の御母となったことは、マリアの童貞性は聖別せられたのである。
聖母マリアにおいて、本日、イザイアの予言が成就した。<書簡>ーイザイア予言書7の10-15マリアの「なれかし」という返事は、神と人間との間の契約を、永久不変のものとした。御托身の神の国には、もう終わりがないのである。<聖福音>-ルカによる聖福音1の26-38(2014年3月25日)
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大天使、聖ガブリエル
本日のトリエントミサは大天使ガブリエルの1級祝日を祝います。大天使ガブリエルは3大天使のうちの1位で有名な天使です。『毎日のミサ典書』には「聖マリアのお告げを祝う前日のこの日、神の言葉を告げた大天使ガブリエルを祝う。」とあります。(2014年3月24日)
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本日のトリエントミサー四旬節第三主日
今朝起きたら一面雪景色でした。さらに雪も降っています。まるで冬です。春はどこに行ってしまったのでしょうか。気象が変わってくるのも、御父は終りの最初のしるしであるといわれていました。でも積もった雪の間から水仙のつぼみともう咲いた黄色いクロッカスの花が顔をのぞかせています。花たちはけなげにがんばっています。
今日は四旬節第三主日です。「本日よりはじまる1週間は、昔は洗礼志願者にとって重大な日々で、本日より聖週間に至るまでに,郷里について名などの試験をうけることになっていた。
この各試験の日には、祓魔式があったので、本日の典礼文は、そのことを仄めかしている。しかし、光の子として生きるようにすすめる<書簡>は、全教会に対する勧告である。」(『毎日のミサ典書』)[2014年3月23日)
書簡―使徒パウロの、エフェゾ人への書簡5の1-9
聖福音―ルカによる聖福音11の14-28
*写真はグーグル画像集より
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本日のトリエントミサ
3月21日は、大修院長聖ベネディクトの1級祝日を祝いました。『毎日のミサ典書』には「歴史の転換期において、神は偉大な聖人を送って教会の、人びとに対する使命を達成するのを助け給うのである。ローマ帝国の崩壊、蛮族が欧州の天地を席捲している際にも、聖ベネディクト、聖グレゴリオ1世が相次いで起こったのである。西方教会の修道生活の太祖ともいうべき聖ベネディクトは、480年ウムブリア(イタリア)のノルチアに生まれた。
彼は、神の御旨にかなうことをのみ求め、少年時代にスビアコの洞窟に隠退し、数多くの弟子がそのあとを追って来るようになったので、年を経て529年、有名なモンテ・カッシーニ修道院を建てた。547年3月21日、モンテ・カッシーニ修道院聖堂内で67歳の生涯を閉じた。ベネディクト会における公式祝日は7月11日である。
この修道院は、ベネディクト会の、ようらんである。中世に至って、聖ベネディクトの戒律は、修道生活の法典となり、この修道会は、福音宣教と、そしてヨーロッパ文化との中枢となった。」(2014年3月21日)
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聖ヨゼフの1級大祝日
本日は、マリアの淨配、証聖者、聖ヨゼフの1級大祝日を祝いました。「神の御母聖マリアの淨配であり、神の御子イエズスの養父であった聖ヨゼフは、その生存中は、謙遜な隠れた生活を送ったので、教会史においても、長らく表面にあらわれなかった。
本日の祝日についての歴史がはじめてあらわれたのは、十世紀のころである。この日は、イエズスとマリアとにみおくられて去った、聖ヨゼフの光栄ある死の祝日である。
この聖なる死のために、聖ヨゼフは,よき死をむかえる準備をする保護者とされている。15世紀以来、聖ヨゼフに対する信心は、ますますひろまった。」(『毎日のミサ典書』)(2014年3月19日)
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本日のトリエントミサ
証聖者、司教、聖パトリッィオ(パトリック)の2級祝日を祝いました。「聖パトリッィオは、アイルランドの使徒といわれている。少年時代に、蛮族の奴隷としてとらえられたが、脱走してローマに来た。のちに司祭、司教となり、チェレスティーノ教皇によって、やがて”聖人の島”と呼ばれるはずの、アイルランドに布教におくられた。
461年歿し、キリストの福音の熱烈な使徒とうたわれた。3月17日は、アイルランドでは国祭日であり、また守るべき祝日でもある。」(『毎日のミサ典書』)(2014年3月17日)
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四旬節第二主日
本日3月16日は、四旬節第二主日の1級大祝日を祝います。「神は、われらの聖徳をのぞみ給う。その聖徳とは、神の思召に一致することに外ならない。これが、本日の典礼の教える所である。ゆえに、完徳に至ろうとする者にとって、神の思召を知ることこそ大切である。
パウロは、神の思召のあらわれとして、聖徳の手段として、神の掟を記憶させる。<書簡>天の御父は、キリストをさし示して「かれのいう所をきけ」とおおせられる。キリストはまず、自分の手本と教えによって神の思召をわれらに示し給うた。
キリストは、福音と教会とによって、道と真理をおしえつづけ給う。
御変容の奇蹟は、われらに、勝つまでたたかえと教える。」(『毎日のミサ典書』)(2014年3月16日)
書簡―使徒パウロの、テサロニケ人への書簡(前書、4の1-7)
聖福音―マテおによる聖福音(17の1-9)
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本日のトリエントミサ
教会博士、証聖者、教皇、聖グレゴリオ1世の2級祝日を祝いました。『毎日のミサ典書』には、「ベネディクト会の光栄の一人、聖グレゴリオ1世は、ローマとコンスタンティノープルとにおいて、宗教上、政治上の、重要な役割を果たし、後に衆望により教皇に選ばれた。教会の規律遵守、イギリス改宗への念願、聖書解釈、典礼と聖
歌への情熱などにより、永久に歴史に残る貢献をし、604年3月12日歿した。
教会の聖歌をグレゴリアンと称するのは、彼の名からとったためである。(2014年3月12日)
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本日3月10日は、殉教者、セバステの40聖人の単誦の祝日を祝います。「この40人の聖人は、アルメニアのセバステにおいて偶像にいけにえをささげることを拒んだローマ軍団兵である。多くの拷問をうけたのち、凍りついた夜、水の中にしずめられ、遂に足を折られて殉教した。320年頃のことである。」(『毎日のミサ典書』)
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四旬節第一主日
今日は1級大祝日です。『毎日のミサ典書』には次のようにあります。
『(指定順礼聖堂。ラテラノの聖ヨハネ大聖堂)
1年中の大祝日の、ローマの典礼は、この大聖堂で行われた。救い主の大聖堂といわれるこの聖堂は、カトリック全聖堂の母といわれているからである。
四旬節第一主日のはミサは、いわば志願契約である。われらは、キリストの下僕となることを志願するのである。
<書簡>(使徒聖パウロの、コリント人への書簡―後書、6の1-10)
しかし、この決心は、自分自身で立てるものではなく、聖霊の働きによって起こるもので、世俗からはなれ、罪とたたかう決心をとることである。<福音書>(マテオによる聖福音4の1-11)
この戦いにおいて、われらと共にたたかうのは、主とその天使である。<詠誦>
本日のミサの教えは、主として洗礼志願者のためであるが、全信者にも洗礼の約束を思い出させる。」
今日の『毎日のミサ典書』に関して、早朝、主は罪と戦うには、「まず罪を犯さないという心構えをすることが大事である」とおっしゃいました。罪を犯さないという心構えがあれば、たとえ罪を犯しても、悪習に戻ったとしても、霊魂が違います。痛悔の心がその霊魂に芽生えるからです。
心構えをしょうとする段階から主と天使が霊魂を見張ります。たとえ何回倒れても、主は何回でも助けてくださいます。主と聖母に信頼いたしましょう。必ず助けてくださいます。主イエズス・キリストは罪びとを救うために来られたのです。
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本日3月7日は、教会博士、証聖者、アクィノの聖トマの2級祝日を祝います。「『天使的博士』と称される聖トマは、アクィノ伯の居城(南イタリア)に1226年生まれ、モンテ・カッシーノのべネディクト会修道者から教育をうけた。のちにドミニコ会に入り、比類なき明白さと深遠さとをたたえられつつ、神学哲学を教授し、『神学大全』その他の名著を残した。この本は今も神学の最高峰として読まれている。『アクィノの聖トマの光栄は、人類の光栄である.彼は人類の最も高き天才の一人だからである。また、かれは公教会の光栄である。かれは最も正確に、深く、神学を証明しえたからである。更にまた、キリストの光栄である。キリストはこの高遠な、しかも謙遜な、かれの著作を、自ら証認し給うたからである。』(グランジェ)
聖トマは,第14回公会議(リオン第会議)に行く途中、ローマ近くのフォッサ・ヌウオヴァのシトー会修道院で1274年3月7日帰天した。1323年列聖。1567年教会博士に、1880年カトリック諸大学、研究所の守護聖人にあげられた。
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本日3月6日は、殉教者、聖女ペルペトゥアと聖女フェリチタの2級祝日を祝います。「貴族の出で、母になったばかりのペルペトゥアと、その奴隷女で、妊娠中だったフェリチタとは、信仰のためにとらえられ、裁判官の前で、勇敢にキリストを宣言し、拷問をうけて、カルタゴの円形劇場で、殉教した。(203年頃)(『毎日のミサ典書』)
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灰の水曜日
3月5日は、灰の水曜日です。昨夜、しんしんと冷えてきたと思っていたら、朝起きたら雪が降っていました。ここ数日とても暖かく敷地からほとんど雪が消えていました。このまま春になればいいなと思っていましたが、そう簡単にはいかないものです。
灰の水曜日は大斎小斎*の断食日です。『毎日のミサ典書』には、「本日、四旬節の断食節がはじまる。初代教会では、聖木曜日まで教会に入ることをゆるされない公けの罪びとだけ、灰をつけることになっていた。
ところが、11世紀に入ると、公けの罪びとの償いの習慣がなくなったので、信者全部に灰をつけることになった。人間のみじめさを反省させるこの灰の式には、昔は教皇から一信者に至るまで、はだしであずかることになっていた。
灰をかけるのは、復活の準備としてのこの季節に、どのような精神をもってあたれなければならないかをあらわしている。
昔はまた、四旬節に入る時、告白を行うことになっていた。それは、四旬節を清い心で過ごさねばならないからである。」(2014年3月5日)
*大斎は、1966年の教皇パウロ6世の教書『ぺ二テミ二』により、「大斎の掟は1日につき1回だけ十分な食事をすることを許可する。しかし朝と夕に軽食を取ることは禁じない。」とあります。大斎の掟を守らねばならないのは、満21歳から、60歳の全ての信者です。小斎は肉を食べません。大斎小斎を守る日は、灰の水曜日とキリストのご受難・ご死去の日の聖金曜日です。
*写真はドイツ連邦共和国大使館のブログより
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本日3月4日のトリエントミサは、証聖者、聖カジミロ王の祝日を祝います。「ポーランド王カジミロ4世と、オーストリアのエリザベットとの子、聖カジミロは少年時代から、潔白と、活ける信仰と、聖母への深い愛に恵まれていた。二十四歳の若さで1483年3月4日、天に去った。1522年列聖。」(「毎日にミサ典書』)
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:五旬節の主日
救霊の事業は、神の人間への愛と、キリスト教的生活によってわれらの行う愛とに、もとづいている。
四旬節の準備を終わるこの主日を行うに当たって、典礼は、以上のことをわれらに思い出させる。
われらがもし愛をもっていなければ、われらは空しいものである。本日、<聖福音>は、われらがこれから行う復活の奥義を省略して、高位っている。イエズスは死につき給うが、三日目によみがえり給うと。」(「毎日のミサ典書」)[2014年3月2日)
書簡―使徒聖パウロの、コリント人への書簡(前書、13の1-13)
聖福音―ルカによる聖福音の続誦(18の31-43)
カテゴリ→トリエントミサ
本日(2月27日)のトリエントミサは、証聖者、御悲しみの聖母の聖ガブリエルの2級祝日を祝います。
「修道者名として”御悲しみの聖母のガブリエル”は、俗名をフランシスコ・ポッセンティといった。1838年、アッシジに生まれた。十字架の聖パウロが創立した御受難修道会に入り、聖アロイジオの如く、若くして聖徳に包まれ、1862年歿した。
教皇ベネディクト十五世によって、1920年列聖された。1934年、この聖人の祝日を、全教会で祝うこととなった。
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本日2月24日は、使徒、聖マティアの2級祝日です。
「イエズスの七十二人人の弟子のうち、聖マティアは、イスカリオテのユダに代わって、12使徒の一人に選ばれた。彼は、パレスティナとエティオピアに宣教してのち、その宣教を、殉教をもって証認した。」(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
六旬節の主日
「(指定順礼聖堂。門外の聖パウロ大聖堂)
本日は、使徒聖ペテロと聖パウロとの1月の祝日の名残として、この聖堂で行われる。
それで、本日は、指定順礼聖堂の聖人の祝日の感がする。しかし同時に、四旬節の準備はつづいている。
聖パウロの模範は、キリストキリストの御名のために苦しむことが、いかに必要であるかを教える。苦しみは、キリスト信者として受けねばならぬものである。
それは霊的新生と光栄の条件とも言いうるのである。<書簡>
<聖福音>も、春の木々の芽生えと新生を思い出させる。すなわち、種蒔きのたとえである。聖寵の種は、われらの中に生き、芽生え、実を結ぶべきものであるから、われらは、肥沃な土地のように心を準備せねばならぬ。」(「毎日のミサ典書」)[2014年2月23日)
*書簡ー(後書、11ノ19-33.12ノ1-9)
*聖福音―ルカによる聖福音の続誦(8ノ4-15)
カテゴリ→トリエントミサ
本日2月22日は、''アンティオキアにおける聖ペテロの教座の記念の1級祝日を祝います。「元来はこの日、ローマにおける聖ペテロの教座を記念していた。そして1月18日は、『聖ペテロの鍵』の記念日であった。6世紀のころから、ローマにおける聖ペテロの教座と、アンティオキあにおける聖ペテロの教座を区別して祝うようになった。(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日(2月18日)のトリエントミサは、司教殉教者、聖シメオンの記念を祝います。「クレオファの子シメオンは、救い主イエズスの親戚であった。聖ヤコボの後をついでエルサレムの司教座にのぼり、トライアノ皇帝のころ、106年百二十才をもって十字架につけられた。(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日トリエントミサでは、七旬節の主日の2級祝日を祝います。典礼色は紫に変わります。「前の主日の典礼にもすでにあらわれていたが、人間的弱さの感情は、本日のミサにおいて、いよいよ強調される。
<入祭文>において、人間は、自分の苦しみと貧しさをなげき、神の助けをよび、自分の助けであり解放者であり給う神をたたえてうたう。
<書簡>では、節制の徳を教え、<聖福音>では、主のぶどう畑にはたらくようにすすめる。いずれも、信仰と聖寵のお召を受けるだけではなく、キリストの生活にならうことが、いかに重大であるかを反省させる。」(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日2月15日はトリエントミサでは、殉教者、聖ファウスティ―ノ、聖女ヨヴィタの記念を祝います。「この2聖人は兄妹であった。120年ごろ、トライアノ皇帝のころ、ブレシア(イタリア)で、信仰のために斬首された。(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日2月14日のトリエントミサでは、司祭殉教者、聖ヴェレンティーノの記念を祝います。「聖ヴァレンティーノは、ローマの司祭で、また医者でもあった。信仰のために投獄されていた信者たちに特に奉仕し、270年、彼自身も斬首された。」(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日(2月12日)はトリエントミサでは、証聖者、聖母マリアの下僕修道会の七人の聖なる創立者の2級祝日を祝います。『1233年、イタリア・フィレンツェの近くのセナリオ山に隠遁し、特に聖母マリアの御苦しみを黙想し説教するのを目的とする修道会を創立したフィレンツェの7人の貴族を祝うのが、本日の祝日である。
この7人とは、ボンフィリオ・モナルド、ボナユンタ・マネット、マネット・アンテッレーゼ、アメディのアメデオ、ウグッチョーニのウグッチョーネ、ソステネイのソステネオ、アレッシオ・フェルコエーリである。
聖母マリアは彼らに出現され、苦業のシンボルとして黒衣を決め、かれらの聖なる計画を認め給うた。(「毎日のミサ典書」)
カテゴリ→トリエントミサ
本日のトリエントミサでは、無原罪の聖母マリアのルルドにおける出現の
1級祝日を祝います。「1854年12月8日、教皇ピオ9世は、聖母マリアの無原罪を荘厳に宣言した。そのわずか4年後、聖母は、教皇のこの宣言を確認するため、羊飼の当時14歳のベルデナデット・スビルー(聖女)に、ルルドにおけるマッサビェルの洞窟で、18回(1858年2月11日から7月16日までの間に)御出現になった。そして、『私は無原罪のやどりである』とおおせられた。その時以来、ルルドは、聖マリアの恵みと奇蹟との聖地となった。」(「毎日のミサ典書)
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本日、2月10日は童貞、聖女スコラスティカの2級祝日を祝います。「聖女スコラスティカは、西方教会の修道院制度の父祖、聖ベネディクトの妹であった。その生活についてはあまり知られていない。
彼女も、聖ベネディクトの精神にしたがって、他の修道女とともに、修道生活を行っていた。聖ベネディクトは、毎年一度、妹と面会し、その修道生活を指導していた。スコラスティカが最後の訪問のときに、聖女の聖徳が皆の前に明らかにされた。すなわち、夕方近くなって、聖ベネディクトが面会所から自分の修道院へ帰ろうとすると、聖女がそれをひきとめた。しかし、聖ベネディクトが強いて帰ろうとするので、聖女が神に祈ると、大雨となって、遂に聖人は帰ることができなかった。そして一晩中、霊的生活について語り明かし、互いの歓喜をわかち合った。それから三日後、聖ベネディクトは、聖女の霊魂が、白い鳩の形をとって天に上るのを見た。(547年2月10日)(「毎日のミサ典書)
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御公現後第5主日
本日2月9日は、御公現後第5主日です。
昨日から大雪です。関東も東北も大雪が降りました。けが人は数百人、死者が5人も…関東でのことです。カトリックでは、お墓のそばを通ったり、死者のことを聞くと次のように死者のための祈りを祈ります。
主よ、永遠の安息をかれらに与え、絶えざる光をかれらのうえに照らし給え。かれらのやすらかに憩わんことを。
東北では毎年のことなので事故はほとんどありませんが。冬に雪のない地方は大変です。
うちのデッキの欄干には25センチ以上の雪が積もっています。
早朝午前3時頃チョコに起こされると、大きなトラックの行ったり来たりするような音が聞こえました。だれが何をしているのでしょうか。…除雪車でした。7年間ここに住んでいて初めて除雪車の音を聞きました。除雪車はこんな早朝に仕事をするのですね。ご苦労様です。
「本日の<集祷文>は、父なる神に呼びかける。御子の御托身は、われらを父なる神の子としたからである。イエズスはこうして、われらの兄弟となり給うた。
われらは、この神秘的なキリストに、深くあずかっている。
<書簡>では、キリスト教的兄弟性を、社会生活の根本とする。神は、まずもって人間を愛し給うたが、この愛こそ、キリスト教的完徳の結びである。
<聖福音>では、公教会の発展を知らせる。その不思議な発展は、外からの圧迫をうけつつ、たえず行われている。」(「毎日のミサ典書」)
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本日2月8日は、証聖者、マタの聖ヨハネの2級祝日を祝います。「聖ヨハネは、プロヴァンスで生まれた。その初ミサの時に見た示現により三位一体修道会を創立した。この修道会創立に当たっての協力者は、ヴァㇽテの聖フェリチェ(祝日、11月20日)であった。この2聖人は回教徒の捕虜となっていた信者釈放のために働いた。聖ヨハネは、1213年12月17日ローマで歿し、マドリッドに葬られた。」(「毎日のミサ典書」)
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本日2月7日は、修院長、聖ロムアルドの2級祝日を祝います。「聖ロムアルドは、イタリアのラヴェンナで生まれた。べディクト会の分会の、カマルドリ修道会の創立者であり、その厳しい生活のために有名で、1027年6月19日、120歳で歿した。全生涯のうち百年は苦業の生活であった。」(「毎日のミサ典書」)
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本日2月6日は、司教証聖者、聖ティトの2級祝日を祝います。「聖ティトは、聖パウロの弟子であり、協力者であった。叙階されてより、クレタ島の教会を司牧した。聖パウロは、一つの書簡を、この司教におくっている。105年(?)ごろ、または1世紀末、クレタで歿した。」(「毎日のミサ典書」)
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本日2月5日は、殉教者、聖ペテロ・バプティスタ、聖パウロ・三木等二十六聖人の2級大祝日を祝います。「ぺテロ・バプティスタ、三木パウロ、茨木ルドヴィゴのほか、二十三名の司祭・修道士・信者は、1559年2月5日(慶長元年12月19日)、長崎の立山で、十字架上の殉教をとげた。この二十六名のうち、三名はイエズス会、六名はフランシスコ会員であった。
1862年6月8日(文久2年5月11日)、聖霊降臨の祝日に、ピオ9世によって列聖された。(「毎日のミサ典書」)
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本日(2月4日)のトリエントミサは、司教証聖者聖アンドレア・コルシー二の2級祝日を祝います。「イタリアのフィレンツェにおける貴族コルシー二家に生まれたこの聖人は、カルメル会に入り、後に自分の意に反し、フィエゾレの司教二選定されたが、依然として厳格な苦業の生活を続けるとともに、教会の刷新、信者の訓育に力を尽くした。1372年御降誕の祝日に聖母が御出現になり、死の近いのを告げれれた。1373年、御公現の祝日にそこで歿した。」(「毎日のミサ典書」)
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本日(2月3日)のトリエントミサでは、司教殉教者、聖ブラジオの記念を祝います。「アルメニアのセバステの司教聖ブラジオは、拷問を受け,むち打たれてのち、首をはねられた。(316年頃)ある伝説によると、彼は、魚の骨がのどに刺さって死にかけていた子供の命を救ったというので、今も、のどの病気の保護者としてあがめられている。」(「毎日のミサ典書」)
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御公現後第四主日?聖マリアの御潔めの祝日?
今朝は昨夜からの雪が降り続いています。空は真っ白です。屋根に5センチくらい雪が積もっています。昨日は暖かくて昼ごろには、犬小屋の外の板の上でのびのび身体を伸ばして眠っていたグレイも、今朝は犬小屋の奥にこもって寝ています。
早朝の見回りから帰って、私の部屋でピンクのガウンを踏みふみしたチョコはリビングのテーブルの椅子の上に置かれたピンク色の丸い猫ベットの中で満足げに眠っています。動物たちは、今朝みな平和に眠っています。
日曜日は主の日と言われますから、日曜日には主の平安が充ちている、と思うのは私だけでしょうか…。
本日はトリエントミサでは、御公現後第四主日の 2級祝日を祝います。「本日のミサの<集祷文>は、5,6世紀ごろ、ローマが占領されたり略奪されたりしていた頃の、悲惨な状態を暗示する。
<書簡>には、隣人愛が社会義務であるばかりでなく、キリストの掟の中心であることをものべている。
<聖福音>では、嵐をおさめ、大自然を従える力を持つイエズスを紹介する。ここに出る舟は、公教会を象る。イエズスは、時としてねむっておられるように見えても、つねに舟の中にあって、舟を保護し、安全な港へとみちびき給うのである。」(「毎日のミサ典書」)
しかし、今日2月2日は聖マリアの御潔よめの2級大祝日でもあります。
祝日の競合がありますから、本日はまだ七旬節の前ですので、2級大祝日である2月2日の御潔めの祝日を祝います。(2014年2月2日)
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本日(2月1日)は、司教殉教者、聖イグナツィオの2級祝日を祝います。「使徒聖ヨハネの弟子、アンティオキアの教座における聖ペテロより3代目の後継者であるイグナツィオは、トライアノ皇帝の迫害のとき、ローマにおくられ、猛獣にかみ殺されて殉教した。(107年?)
彼は、殉教の前に、ローマの信者に公書いている。『私は、キリストの小麦でありますから、主なる神に嘉せられる清いパンとなるように、私が猛獣の牙にくだかれるのを、さまたげないで下さい。』」(「毎日地のミサ典書」)
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本日1月31日のトリエントミサは、証聖者、聖ヨハネ・ボスコの2級祝日を祝います。「イタリア・トリノ市で、サレジオ修道会と扶助者聖マリア修道女会を創立した証聖者聖ヨハネ・ボスコ。霊魂を救い、そして、信仰を布教するにあたっての、その奮闘と熱心とが尊ばれている。」と、殉教録に記されている。
聖ヨハネ・ボスコは、イタリアのピエモンテにおいて、1815年8月15日に生まれ、1888年1月31日、トリノで73歳で歿した。青少年の現代使徒としてあがめられ、創立した修道会によって教育・出版・布教事業に貢献した。その青少年に勧めた信心業は、聖体と聖母に対する信心、教皇に対する忠誠であった。1934年列聖された。」(「毎日のミサ典書」)
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本日(1月30日)のトリエントミサは、童貞殉教者、聖女マルティナの祝日を祝います。『ローマの執政官の娘であったこの聖女は、ウルバノ1世教皇のとき、226年、殉教した。」(「毎日のミサ典書」)
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本日(1月29日)のトリエントミサでは、司教、証聖者、教会博士サレジオの2級祝日を祝います。「聖フランチスコは、1567年8月21日、サボアのサール家の居城に生まれた。1602年、ジュネーヴの司教となった。それ以前に、その聖徳とシャブレでカルヴァン派からの改宗者を数多く出したことによって、つとに有名であった。
この聖人の徳は、柔和と愛徳とにつきるといってもよい。多くの書簡、著書をのこしたが、彼の著書の中で、今も親しまれ,ひろく読まれているのは、『信心生活入門』である。
シャンタㇽの聖女ヨハンナは、この聖人の指導の下に聖母訪問修道女会を創立した。彼は、1622年12月28日、リオンで歿した。1665年列聖。1877年教会博士にあげられ、1923年、カトリック出版事業と文筆家の守護聖人とされた。」(「毎日のミサ典書」)
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本日(1月28日)は、証聖者、聖ペテロ・ノラスコの2級祝日を祝います。「聖ペテロ・ノラスコは南仏ラングドッグに生まれた。ペニァフォルテの聖ライムンドと、アラゴア二ア王ヤコブ1世とともに、回教徒の捕虜となっていた信者を救い出すために、購虜の聖母修道会(メルセス会)を創立した。
彼は、1256年、御降誕の祝日の夜に帰天したが、そのとき、『主は御民にあがないを送り給うた』と言ったという。
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本日1月27日のトリエントミサでは、司教証聖者、教会博士、金口聖ヨハネの2級祝日を祝います。「コンスタンチノープルの大司教、聖ヨハネは、そのすぐれた雄弁によって、金口と呼ばれていた。かれは、専ら、信仰を擁護し教えるために、この雄弁を用いた。
エウドシア皇后の謀略によって、再度司教座を奪われ、407年9月14日、2度目の追放のとき、アルメニアで歿した。遺骨がコンスタンティノープルに移された記念の日、1月27日を祝日とする。
公教会の最も優れた教父の一人として尊ばれている。」(「毎日のミサ典書」)
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本日(1月25日)のトリエントミサでは、使徒聖パウロの回心の1級祝日を祝います。
「本日祝う聖パウロの回心の次第は,書簡に詳しくのせられている。われわれは生活において、この大いなる異邦人の使徒ののこした模範をまねうるよう、神に願わねばならぬ。」(「毎日のミサ典書」)
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本日1月24日は、司教殉教者、聖ティモテオの2級祝日を祝います。「聖パウロの回心の前日に、教会は聖ティモテオを祝う。聖ティモテオは、聖パウロの仲間であり、また忠実な弟子であって、パウロの布教旅行にも随伴した。初代エフェゾ司教となった。聖パウロの書簡の中に、この聖人にあてた二つの書簡がの子っている。1世紀末(97年?)エフェゾで殉教した。
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本日(1月23日)は、奇蹟家で知られている、証聖者、ぺニァフォルテの聖ライムンドの祝日です。「聖ライムンドは、スペイン国王の縁戚にあたる貴族ぺ二フォルテ家に生まれた。贖虜の聖母会の創立者ペテロ・ノラスコの助言者でもあった。学徳兼備、ドミニコ会の光栄とたたえられる一人である。霊魂のための奮励と、教会法の深い学問とのために有名である。また、数多くの奇蹟も行った。
<集祷文>は、マヨルカ島からバルセロナに行くために海を歩いたという彼の奇蹟を仄(ほの)めかしている。1275年に歿した。」(『毎日のミサ典書』)
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本日(1月21日)のトリエントミサでは、童貞殉教者、聖女アニュス(アグネス)の2級祝日を祝います。
「聖ヒエロニモは、本日の聖女アニュスについて、こう書いている。『キリストの全教会は、言葉と著作とをもって、聖女アニュスの行いを讃えている。アニュスは、その幼さにも、その敵の暴君にも勝った聖女である。彼女は、童貞女の栄冠と殉教のほまれとを同時に受けた。』(ローマにて、4世紀のはじめ頃)」(「毎日のミサ典書」)
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本日(1月20日)のトリエントミサでは、教皇殉教者、聖ファビアノ、殉教者、聖セバスティアノの2級祝日を祝います。
「聖ファビアノ(236-250年在位)は、デチオ皇帝のころの教皇である。ローマ教会をたて直し、殉教録をつくるように計画し、典礼上の種々の問題を解決した功績がある。在位15年、デチオの迫害の手によって殉教した。聖セバスティアノは、ローマンお軍団兵であった。勇敢な信仰者で、ディオクレツィアノ皇帝の迫害の時殉教した。(ローマで、280年ころ)(「毎日のミサ典書」)
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御公現後第2主日
本日は、御公現後第二主日、2級祝日です。『毎日のミサ典書』によると、「本日のミサの<聖福音>は、神の御子としてイエズスが、光栄をあらわし給うことを語る。
カナの婚宴のときのイエズスの奇蹟は、物質を超越する御力を示すが、しかし、われらは、この奇蹟がまた、聖体の前表であることをもみとめねばならぬ。」(2014年1月19日)
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本日(1月18日)のトリエントミサは、ローマにおける聖ペテロの教座の記念の1級祝日を祝います。「すでに4世紀のころ、ローマでは、聖ペテロの来訪と教座との記念を行っていた。6世紀ごろには、アンティオキアにおける聖ペテロの教座の祝日もはじまった。
パウロ4世教皇は、1558年、この二つの祝日を全世界で行うように定めた。」(「毎日のミサ典書」)
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トリエントミサでは、本日(1月17日)は大修道院長、聖アントニオの2級祝日を祝います。「聖アントニオは、4世紀ごろ、エジプトのテバイデに住んでいた隠修士たちのかしらで、共住修士制の創設者とされている。最初の隠修士、聖パウロの死を、啓示によって知ったのも彼である。百五歳の長寿デ、三五六年に歿した。
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本日(1月16日)は、教皇殉教者、聖マルチェロ1世の祝日を祝います。「聖マルチェロ1世教皇(308-309在位)は、コンスタンつぃお、ガれリオ、マクセンツィオ諸皇帝、すなわち最後の大迫害のころ、公教会をおさめていた教皇である。309年、殉教した。」
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本日1月15日は、最初の隠修士、証聖者、聖パウロの2級祝日を祝います。「最初の隠修者、聖パウロは、すでに15歳の時よりエジプトのテ-べの砂漠に入り、百一二歳で歿するまで、たえず苦業と観想生活を送った。
砂漠の隠修士の伝記によれば、聖アントニオがこの聖人パウロの死の近きを告げられ、行って死体を葬ったとある。(342年ころ)」(「毎日のミサ典書」)
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本日1月14日は、トリエントミサでは司教証聖者、教会博士、聖ヒラリオの2級祝日を祝います。「フランス・ポアティエの司教、教会博士、聖ヒラリオは三位一体とキリストの神性とを否定するアリウスの異端説を反駁するその著書によって有名である。
367年歿。1852年ピオ9世教皇は、かれを教会博士に挙げた。
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イエズス・キリスト受洗記念
1級祝日です。「1月6日には、主として博士たちの礼拝を祝うので、ヨルダン河の洗礼とカナにおける奇蹟は、これとは別の日に祝うことになっている。それで、本日、ヨルダン河におけるイエズスの洗礼を特に祝うのである。
ミサ聖祭は、御公現の大祝日と同じであるが、集祷文・密誦・聖体拝領後の祈りと聖福音とはちがっている。
<集祷文>は、神人キリストと信者の一致という奥義を強調し、<聖福音>は、洗者聖ヨハネの証明のくだりである。」(『毎日のミサ典書』)(2014年1月13日)
洗礼によって、私たちは原罪と自罪、そしてその罪の償(つぐの)いのすべてが赦され、『新しい人』となるのです。
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ナザレトの聖家族の祝日―御公現後第一の主日
1級祝日です。『毎日のミサ典書』によれば、「この御公現後第一の主日が、1月13日にあたれば、「聖家族の祝日』*だけを行う。
レオ13世教皇によって定められたこの祝日は、キリスト信者の家庭に、ナザレトの、愛に満ちた、聖なる家庭の模範を示すことにある。
<書簡>では、家庭の一致を強調し、<聖福音>では、聖家族の生活が、単に空想的なものではなく、あらゆる苦業と試練にみちていたことを教える。」
*1月13日が主日でなければ、主イエズス・キリストの受洗記念のミサを祝います。
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本日1月11日は、トリエントミサでは教皇殉教者、聖ヒジノの祝日を祝います。
「聖ヒジノ教皇は、140年、アドリアノ皇帝の迫害のときに殉教した。」(『毎日のミサ典書』)
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主の御公現
1月6日は、主の御公現の1級大祝日です。年間に1級祝日はしばしばありますが、1級大祝日はそれほどありません。最近では、御降誕の大祝日がありました。1級大祝日は年間に数日です。一般には、あまり知られてはいませんが、御公現の祝日は昔は盛大に祝われていたようです。フランスなどカトリック教国では公現のお祝い日に、「ガレット・デ・ロワ」というケーキを食べる習慣があります。「王様のケーキ」という意味です。紙の王冠とフェーヴ*という小さな人形(写真で見ると、フェーヴがケーキの中に入っていて、なかなかおいしそうなケーキです)がケーキについているのです。
「4世紀末まで東方教会では、御降誕の大祝日の日に御公現を祝っていたが、5世紀に入ってから、ローマ公教会の習慣にしたがうようになった。そこでローマ公教会では、御公現の祝日をとり入れて、1月6日に祝うことに定めた。
御公現は、人間の中に神の御子が出現したこと、特に、キリストの神性をあらわす出来事、すなわち、博士らの礼拝、鳩のような形で聖霊の下り給うたイエズスの受洗のとき,カナにおける奇蹟、などを祝うのである。遠い東国から礼拝に来た博士たちの事件は、イエズスがこの世にもたらした救いこそ、万民のものであることをあらわしている。
まずしい御誕生の有様であったが、しかしキリストは、王としてこの世に来給うた。<入祭文>
イエズスのまずしさは、イエズスの王国がこの世のものではないことを、人間に告げる。イエズスが重視することは、人間の重視しているものと同じではない。
<書簡>で語られるエルザレムは、王にして大司祭なるキリストの光栄と勢力とに満ちた聖なる公教会のことである。
洗礼・堅信・聖体によって、キリスト信者は、主イエズスに完全な礼拝をせねばならぬ。われらは、愛の黄金、祈りの乳香、労苦の没薬をもって、礼拝せねばならぬ。キリストと一致してささげるこの供物は、必ず神によみされるであろう。」(「毎日のミサ典書」)(2014年1月6日)
*陶器でできた小さな人形。イエズス・キリストの御降誕の、聖母、御子、聖ヨゼフ、3人の博士、牛、馬、羊などの小さな人形です。
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本日は、イエズスの御名の祝日、2級大祝日です。
「イエズスの御名に対する信心は、早くから行われていたが、15世紀になって、特にシエナの聖ベルナルディーノが、この祝日の使徒となった。
インノチェンツィオ13世教皇は、1721年に、この祝日を全教会の祝日とし、御公現後の第二主日と定めた。聖ピオ十世教皇は、1913年、この祝日をくり上げて、1月2日から5日までの間の主日と定めた。この間に主日がない年、あるいはより大きな祝日がある年は、1月2日に行うように定めた。
聖ベルナルドはいう、『この礼拝すべき御名は、光であり、かてであり、薬である。この御名をとなえれば心は照らされ、この御名を思い出せば心は養われ、苦難のときこの御名にこい願えば、平和と落ち着きと恢復(かいふく)とを得る』と。
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トリエントミサでは、今日は主の御割礼の祝日と御降誕の大祝日の八日目の2級大祝日をお祝いしました。『毎日のミサ典書』には、「罪の身体を負ってこの世に下り給うた神の御子は、モイゼの律法にしたがって、生後八日目に割礼をうけ、福音書にあるとおり、イエズスと命名された。
この名は、あらゆる名にまさる名であり、イエズスの使命と御業をあらわしている。」とあります。
(2014年1月1日)
本日(12月31日)は、の教皇証聖者、聖シルヴェストロの2級祝日をお祝いします。「314年、メルキアデス教皇の後を継いだ聖シルヴェストロ1世(314-35在位)は、カトリック教会への長い迫害がここに終り、コンスタンティノ皇帝に自ら洗礼を授けるよろこびを持った。
彼は、21年間教皇座に就き、忠実な信仰の擁護者として、ローマの会議において異端者アリウスを退けた。
本日をもって1年を閉じ、今年はもはや永遠の彼方へと遠ざかってゆく。
典礼においては、この1年の終わりに特に祈りをもうけていないが、われらは、1年を振り返って、受けた数多い恩寵を神に感謝しなければならない。(「毎日のミサ典書」)
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御降誕の大祝日の八日間中の主日
今日のミサ典礼書には、「指定順礼聖堂はない。指定順礼聖堂は、そのときそのときに信者に知らせる習慣であったか、それとも、小主日には、指定順礼聖堂に集まらず、各自の教会に集まっていたか、いずれかのためであろう。
御降誕の大祝日8日間中の主日であるから、<入祭文>には、平和の中にメシアが生まれるという予言を読む。<聖福音>は、復活という新しい考えにむかって、信者の心をひらかせる。神殿に奉献された幼児は、もはや、神の民の生命と復活である。<書簡>でも同じことを教える。イエズスはわれらの兄弟であり、イエズスの霊は、われらに「わが父」なる神をもたらした。(「毎日のミサ典書」)(2013年12月29日)
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今日12月28日は、殉教者、罪なきみどりごの2級大祝日です。「聖パウロ大聖堂で祭式を行う理由は不明である。ある典礼学者によると、聖パウロ大聖堂に、この罪なきみどりごの聖遺物があったからだという。しかし、おそらく昔、この日、聖ペテロと聖パウロの祝日を行ったからであろうと思う。あるいは聖パウロも、聖なるみどりごのように、ベニヤミン族であったからであろうか。聖なるみどりごの祝日が、ローマで何時のころからはじまったかわからないが、カルタゴでは、5・6世紀のころ、すでに行われていた。
本日の<聖福音>で語られる聖なるみどりごたちは、誕生したばかりの救い主によって、救われるべき選ばれた人々の初穂である。
みどりごたちは、言葉ではなく自分の血で、救い主を宣言した。彼らのとりつぎによって、われらは、日々の生活においてキリストを宣言するために、必要な助力を願うのである。」(「毎日のミサ典書」)
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今日は、福音史家、使徒、聖ヨハネの2級大祝日です。昨日は、最初の殉教者、聖ステファノの2級大祝日でした。「毎日のミサ典書」には、聖ステファノについて「昨日(12月25日)われらは、天の王の御降誕を祝い、今日は、キリストの兵士の天への凱旋を祝う」(聖フルジェンツィオの言葉)とあり、聖ヨハネについては、「昨日(12月26日)、キリストの最初の殉教者を祝い、今日は、公教会の最初の神秘家を祝う。童貞性のために特に主の寵愛を受けた、愛と真理の使徒聖ヨハネの祝日である。
使徒らの中で聖ヨハネだけが、聖マリアとともに十字架につけられるイエズスにしたがった。彼は、主イエズスの最後の証聖者である<聖福音>。また彼は、その清い心のために、御母マリアを守護する任務を受けた。ミサでは、<聖福音,昇階誦、聖体拝領誦>、聖ヨハネと聖ペテロとの友情にもふれる。
また彼は、愛の使徒と言われ、百歳になってからも、「兄弟たちよ、相愛せよ」とくり返していたといわれる。」
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本日は…
12月22日、本日は待降節第4主日の1級大祝日を祝います。「昔は、今日のミサを行わなかった。なぜなら四季の土曜日の典礼と叙品式とが、土曜日の夜から日曜日にかけて行われていたからである。
それで、本日のミサの典礼の殆どは、他のミサからとったものである。
<書簡>は、前日の叙品式を思い出させ、司祭たちに向かって、言葉と秘跡という聖なる奥義を行って神の僕となったことを記憶させる。
また、一般信者に向かって、司祭たちを批判しないようにとすすめる。
これはすべて、主のまじかき来臨に結びついている。」(「毎日のミサ典書」)(2013年12月22日)
先日12月21日は、使徒,聖トマの2級大祝日でした。「聖トマについては、福音書に記されている二つの出来事がある。一つは、最後の晩餐後、イエズスの話し給う時口をはさんだ出来事と、復活に対して、不信の行いのあった出来事の二つである。
キリストの復活を明らかに知った時の、「わが主よ、わが神よ」という彼の信仰告白は、今も一つの射祷として、信者の間で唱えられている。)(「毎日のミサ典書」)
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本日12月16日は、トリエントミサでは、司教殉教者、聖エウゼビオの祝日を祝います。「イタリア・ヴェルチェツリの司教、聖エウゼビオはアリウスの異端が公教会を荒らしつつあったとき、公教会の神聖を守って立った,護り手の一人であった。
のちに国を追放されたが、やがて司教座の市に帰り、371年、そこで逝去した。彼の忍んだ迫害とその追放とによって、殉教者の一人に加えられている。(「毎日のミサ典書」)
本日のトリエントミサは、教皇殉教者、聖メルキアデの祝日をお祝します。「マクシミアノ皇帝のとき、残酷な迫害を忍んだこの教皇《311-314在位》は、ミラノの勅令によって、公教会がローマ帝国内で正式に認可された時に遭う幸せがあった。)(毎日のミサ典書)
無原罪の御孕り
12月8日は、トリエントミサでは降誕節第二主日です。同時に聖なるマリアの無原罪の御孕りの1級大祝日です。現代では、無原罪の御孕りの大祝日を12月9日に祝います。「無原罪の御孕(やど)りの祝日を祝ったという歴史は、東方教会では6世紀、西方教会では9世紀からのことである。
聖アンセルモとべネディクト会、ドゥン・スコトとフランシスコ会は、マリアのこの特権を常に支持してきた。
クレメンテ11世教皇は、1708年に無原罪の御やどりの信心を全教会に勧め、1854年12月8日、ピオ9世によって”マリアはアダムの罪の結果を身におびずして懐妊されたもうた”ことを、信仰箇条として宣言された。
神の母となるべく予定されたマリアは、1瞬たりともサタンの支配下にはなかった。キリストの功徳の予定によって、聖マリアは、原罪なく、聖寵にみちたものとして宿られ、この世に生まれ出たもうた。(「毎日のミサ典書」)(2013年12月8日)
*右の絵は一七世紀、ベラスケスの描いた無原罪の御孕り
本日12月3日は、証聖者、聖フランチスコ・サヴェリオの1級大祝日です。「この大宣教師は、1506年4月7日、スペイン・ナバルラのサングエサ在住のハビエル城に生まれた。パリ大学時代、ロヨラの聖イグナチ緒と友情をむすび、イエズス会創立の協力者となった。1542年、福音宣教のために印度に派遣され、1549年8月15日には日本に渡り、1552年広東に近い上川島(サンシャン)デ帰天した。1622年列聖。
聖ピオ十世によって、彼は、信仰布教事業の保護者と定められた。日本の守護者も、この聖人である。(「毎日のミサ典書」)(2013年12月3日)
本日11月30日は、使徒聖アンドレアの2級祝日です。「本日の、<聖福音>にあるとおり、聖ペテロの兄弟聖アンドレアと聖ヨハネとは、イエズスに最初に呼ばれた弟子であった。
聖アンドレアについて語り残されていることは、ごくすくない。かれの殉教録には、『神なる師イエズスと同じように、十字架にかけられて死んだ』としるされている。」(「毎日のミサ典書」)
昨夜のトリエントミサでは、日本の「殉教者、福者レオナルド・木村とその伴侶」の2級祝日をお祝しました。「レオナルド・木村はイエズス会の修道士で、1619年11月18日(元和5年10月13日)、他の4名の伴侶とともに長崎で殉教した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月28日)
*本日11月28日は、童貞、聖女カタリナ・ラブレの1級祝日です。
本日(2013年11月24日)は、歴年最後の主日です。現代では、年間最後の主日と言っています。「典礼歴年の最後の主日は、主の光栄の来臨の準備の日のようである。この準備は、待降節につづく。実に、典礼歴年には終わりがないといってよい。歴年は、たえずめぐり、終わりもはじめもない神の方へと、われらをみちびいてゆくのである。<集祷文>は、われらの眠った意志をゆり起こし給えと願う。われらは、より高きに上り、至福直観に至るべき者である。<入祭文>は、神がわれらに対してもち給う平和と愛とを告げる。<聖福音>では、起こるべきわざわいの日に、余りおそれるなと、われらに教える。それは、主の日をむかえる前に、どうしても通らねばならぬ日だからである。
主の日は、誰も知らないうちに、突如として来るであろう。故に、主とその弟子らとのすすめにしたがって、たえず警戒しなければならない。(「毎日のミサ典書」)
本日は、トリエントミサでは、童貞殉教者、聖女チェチリア(セシリア)の2級祝日を祝います。「聖女チェチリアは、ローマ殉教者の聖女の中では,もっとも有名な一人である。
彼女が、潔白の徳に殉教の冠を合わせいただいたのは、3世紀末のことであろうと思われる。殉教の日は9月16日とされているが、古くから、この聖女の家の上に建てられた聖堂奉献の本日、祝日を行ってきた。」(2013年11月22日)(「毎日のミサ典書」)
本日は、聖マリアの御奉献の1級祝日です。「古い伝承によると、聖マリアは、幼時エルザレムの神殿に奉献され、神に聖別されたという。本日の典礼に合わせて、われらもいつか天の神殿に入りうるよう、その恩寵を祈ろう。
この祝日は、6世紀ごろから東方教会で祝われるようになり、西方教会では、14世紀から祝われるようになり、1585年シクスト5世教皇が全教会で行うこととし、クレメンテ8世はこれを1級祝日とした。」(毎日のミサ典書)(2013年11月21日)
本日は、チューリンゲンの聖女エリザベットの2級祝日を祝います。「チューリンゲンの聖エリザベットは、ハンガリアの聖女ともいわれる。
1207年、ブレスブルグにハンガリア王アンドレアス2世と、ドイツのゲルトルード。フォン・アンデックスの子として生まれた。1221年チューリンゲン(ドイツ)のヘルマン伯の子息、チューリンゲン領主、ルドウィヒと結婚し、幸福な生活の中に一男、二女をあげた。夫妻ともに人民を愛し、夫の不在中、エリザベットは夫に代わり国政をおさめ、大飢饉に際しては、全収入をあげて窮民を救った。十字軍遠征中の夫の没後(1227年)、フランシスコ第三会に入り,財をすて、マールブルグ市付近に小さい庵をむすび、祈祷と慈善の生活をおくった。1231年11月17日、24歳でマールブルグで没した。
自発的清貧、隣人愛への自己奉献、聖寵によって完成された魅力ある人格ゆえに、現代も尊崇されている。1235年、グレゴリオ9世教皇により列聖。」(毎日のミサ典書)(2013年11月19日)
本日は、童貞、聖ゲルトルード(ジェルトルーデ)の2級祝日を祝います。「中世紀における最大の神秘家の一人であり、大聖女と呼ばれる聖女ジェルトルーデは、1256年1月6日、ドイツ、チューリンゲンに生まれた。少女のころ、咲くソニアのヘルフタにあるシトー会修道女院(ベネディクト会修道女院とする説もある)に入り、二十五歳の頃すでにその聖徳をうたわれ、1281年にから神秘的経験をするに至った。教会の典礼と緊密に関連して、高度の聖寵をうけ、イエズスとの親しい一致のうちに、神秘的生活をおくった。至現において、「主は友のように」彼女に話しかけ、人々に対するその妙(たえ)なる愛をお示しになった。彼女は、聖女マルガリタ・マリア・アラコックに先立つこと四世紀、イエズスの聖心の信心をひろめ、「聖心の預言者」と言われる。主の啓示,示現を綴ったその著作は、神秘神学書中の白眉で、聖心に関する神秘神学形成に影響を及ぼした。
1302年、ヘルフタの修道女院において、46歳で永眠した。祝日は、クレメンテ十二世教皇により、1738年、全教会で祝うように定められた。(毎日のミサ典書)(2013年11月16日)
本日のトリエントミサでは、教会博士、司教、証聖者、大聖アルベルトの祝日をお祝します。「大聖アルベルトは、1193年シュワ―ベン州ンの小都市ラウインゲン(ドイツ)のボルトシュテット伯の子として生まれた。
ドミニコ会に入り、ボローニァ大学で神学を研究し、のちにパリ大学、ケルン大学で教鞭をとった。ケルン時代、その弟子として有名な聖トマス・アクィナスが出た。
ドイツのドミニコ会管区長となり、レーゲンスブルグの司教ともなった。しかし、神学を教えるためにまもなく司教座を辞した。1280年11月15日、ケルンで帰天した。
彼は、中世神学界の一権威であるとともに、スコラ哲学の先駆者であり、また自然科学に関する造詣も深かった。
1931年、ピオ十一世教皇により列聖され、教会博士と宣言された。」(毎日の典書)(2013年11月15日)
本日のトリエントミサは、証聖者、聖ディダゴの祝日を祝いました。「1400年ごろ、スペイン・アンダルシア州のサン・ニコラス・デル・プエルトの貧しい家に生まれた。アリザファのフランシスコ会に入り、助修士になった。極めて厳格に清貧と節欲とを実践し、また注腑的知識にも恵まれていた。1441年宣教師としてカナリア諸島に派遣された。そして単なる助修士であったにもかかわらず、フェルテベントゥラの修院長になった。1463年11月12日、アルカラ(スペイン)で帰天した。1588年列聖。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月13日)
本日はトリエントミサでは、教皇殉教者、聖マルティーノ1世の祝日です。「649年から655年まで教皇の座についた聖マルティーノ1世は、異端派(キリスト単意説)とのたたかいでも有名である。
のちにこの異端を信奉する東ローマのコンスタンす2世に逮捕されテ、コンスタンティノープルに連れて行かれ、屈辱や多くの苦しみをしのんだ。さらに囚人としてそこからケルソネソス島に流され、そこで餓死した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月12日)
本日は、トリエントミサでは司教証聖者、聖マルティーノの2級祝日を祝います。「パンノニアのサバリア(ハンガリア)に生まれた聖マルティーノは、ローマ皇帝の軍隊の一人として、ガリア(フランス)に来た。この時はまだ信者ではなかったが、ある日、アミアンの近くで貧しい人を見て、自分のマントを分けてやった。
その後信者になってから,ポアチィエの聖ヒラリオのもとで隠修士となり、のちにトゥールの司教となった。
宣教師、霊魂の牧者となり、修道生活を広めるために大いに努力し、不朽の光栄を獲たのである。397年トゥールに近いカンドで帰天した。
聖マルティーノは、西方教会初の証聖者である。
(「毎日のミサ典書」)(2013年11月11日)
本日は、至聖なる救世主の大聖堂献堂式の2級大祝日をお祝します。「本日は、ローマのラテラの大聖堂の記念日である。この大聖堂は、ローマの司教たる教皇座大聖堂であるので、「全聖堂の母聖堂」として尊ばれている。ローマ・チェリオ丘のラテラ二家の宮殿は、コンスタンティノ帝の皇妃ファウスタの所有するところであったが、皇帝のキリスト教回心の後、帝はこれを教皇の私邸として寄進し、ラテラノ大聖堂(バジリカ)を立て、324年11月9日、教皇シルベストロ1世が、これを救世主の大聖堂と命名し、献堂式、すなわち、聖別式を行った。
12世紀には、ラテレノの洗者聖ヨハネの大聖堂ともいわれるようになった。今もそうである。4世紀から16世紀にかけて、この大聖堂と隣接の宮殿で宗教会議が開かれること二十五回以上、そのうち五回は公会議であった。この大聖堂の大部分は、インノチェンツィオ十世教皇(1644-55年)により再築され、1726年11月9日、ベネヂィクと13世により、再度聖別され、レオ十三世は至聖所を拡大した。」(毎日のミサ典書)2013年11月9日
本日は、トリエントミサでは、殉教者、四人の聖なる戴冠者の祝日を祝います。
「四人の聖なる戴冠者とは、名を知られていない四人の殉教者である。この四人は、クレメンテ、シンプロニァノ、クラゥデイオ、ニコストラトの四人か、あるいは、セヴェロ、セヴェルアノ、カルポフォロ、ヴィクトリーノの四人かである。迫害時の混乱のため、公の記録が失われたらしく、名は判然とせず、ただ四人の殉教者として知られ、崇敬されていた。ディオクレツイアノ帝の迫害のとき、ローマで殉教した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月8日)
トリエントミサでは本日は、「信仰者の死者の記念」の2級祝日です。『毎日の典書』には、「死者への尊敬は、霊魂不滅の信仰に基づいて、人類のはじまりと同じく古いものであり、原始人、異教徒の中でも行われていたし、今も行われている。
ユダヤ人は、旧約時代にも、死者のために祈りといけにえとをささげていた。公教会でも使徒の時代から、死んだ信者のために祈っていた。
しかし、長い世紀の間、すべてのミサで、死んだ信者を記念してはいたが、特にそのためのミサは行われていなかった。
この死者の記念日を、初めて行ったのは998年聖オディロネ大修道院長であり、そこから、次第に全教会に広まっていったのである。
教皇ベネディクト十五世は、1915年8月10日の教令により、全世界のすべての司祭に、この日三つのミサを立てる許可を与えた。
公教会は、この前日(11月1日)、すでに勝利の国(凱旋の教会)に入った信者を記念し、そして、今日、まだ煉獄で苦しむ霊魂を思いやるのである。ここにあらわれるのは、公教会の神秘体の教義である。
煉獄(苦悩の教会)の霊魂は、凱旋の教会のとりつぎと功徳とをうけ、また同時に、この世の戦闘の教会の祈りの効果をもうけるのである。
「私の最も小さな兄弟にしたことは、私自身に対してしたのである。」というイエズスの御言葉は、煉獄の霊魂にも適用されねばならぬ。われらは、まずミサ聖祭によって、煉獄の霊魂を助けることができる。この煉獄の霊魂の中にはおそらくわれらの肉親、知人、家族のあることを考え、かれらにこのミサの功徳を与えねばならぬ。これは最も効果のある、また、誰でもなしうる愛の業である。
この3回のミサは、1回は煉獄にある死せる信者の霊魂のため、1回は教皇聖下の意向のため、1回はミサを捧げる司祭の意向のためにささげる。もしこの日が主日にあたるときは、翌日に行う。(2013年11月2日)
トリエントミサでは、本日11月1日は、諸聖人の1級大祝日です。『毎日のミサ典書』には次のように説明されています。「諸聖人がキリストとともに喜ぶ光栄の国!彼らは、輝く服をつけ、羔(こひつじ)につき従う。
本日、公教会が祝うのは、最も慰めぶかい情景である。公教会は、天の光栄に入った子らを、一人一人祝うことが到底不可能であったので、本日の祝日をもうけて、それを祝うのである。
この祝日の歴史は非常に古い。初代教会時代すでに、すべての殉教者の祝日として祝っていた。グレゴリオ4世教皇は、835年ごろ、その祝日を11月1日と定めた。本日は、キリストが、諸聖人によって得給うたキリストの勝利の日であり、また、典礼の秋、すなわち,贖いの実を感謝し、神秘的収穫を祝う日でもある。
公教会が本日祝う知られざる聖人のなかには、信仰のしるしをもって永遠の旅へ先だったわれらの親戚知友もあるであろう。また、天の報いをすでに受けている人々は、かつてこの世において、我らと変わらぬ生活をおくった人々である。聖アウグスチヌスの言葉をかりるまでもなく、かれらになしえた事なら、我らにも出来ないはずはないのである。」(2013年11月1日)
10月28日は、使徒、聖シモン、聖ユダの2級大祝日です。聖ユダ・タデオは日本の保護の聖人*です。
「聖ユダは、イエズスのいとこであった。現在までも彼の一つの短い書簡が残されている。ミサの『聖変化前の部』では、タデオと呼ばれている。
聖シモンは、ルカの福音書で『熱心なシモン』と呼ばれているが、これはキリスト教徒となる前に国粋熱心党に属していたからではなく、むしろ彼の性質から出たあだ名であったろう。
古い伝説によるとこの二人は、13年間、アルメニア、ペルシアに福音をのべ、スワニールという町で殉教したといわれる。」(毎日のミサ典書)
*以前翻訳した聖ユダ・タデオへの祈りがあります。みっかったら載せます。
(2013年10月28日)
王たるキリスト
十月最後の日曜日は、トリエントミサでは王たるキリストの1級大祝日です。現代の典礼では、11月23日の日曜日です。
「ピオ十一世教皇は1925年の聖年の記念として、1925年12月11日付回勅をもって、キリストの普遍的王制の祝日を定め、1926年から祝うことになった。典礼歴年の終わりに、公教会は、天の諸聖人の祝日を行い、煉獄の霊魂のために祈る。あたかもこの頃に定められている王たるキリストの祝日は、キリストの神秘体という大いなる真理を黙想させるのである。
「主、王の王」(ピオ十一世の言葉)なるキリストは、天地万物をさばき、すべてを一つに結ぶために、光栄をおびて再臨し給うであろう。」(毎日の典書)
大天使聖ラファエル
本日はトリエントミサでは、大天使聖ラファエルの1級祝日です。大天使聖ラファエルは癒しの天使として知られています。「『神の良薬』の意味である聖ラファエルは、トビア書によって一般に知られている。この書によると、ラファエルは、若いトビアの道ずれとなり、神に忠実であったある家でいろいろな奇蹟を行った。
本日の<聖福音>の天使は、聖ラファエルのことであるといわれる。」(毎日のミサ典書)
ヨハネによる福音5章1-4「…主の天使が,たびたび池に下って、水を動かすので、水が動いたのち最初にはいる者は、どんな病気でも治った。」
大天使聖ラファエルに対する祈り
栄えある大天使聖ラファエルよ、御身は天つ御国の気高き長(おさ)、叡智(えいち)の賜(たまもの)と恩寵にすぐれし者、海陸を旅する者を導き,不幸なる者を慰むる者、罪びとのよりどころなれば、かつて旅するトビアを助け給いしごとく、この世の困窮にあるわれを常に助け給わんことを願い奉る。御身は天主の聖薬にてましませば、もし我にとりて最善と見給わば、わが霊魂の数多(あまた)の病、並びに肉身を苦しむる悪よりわれを癒し給わんことを、へりくだりて願い奉る。されどわれ、聖霊の活(い)ける聖殿たるにふさわしき者たらんため、天使のごとき潔白を特に願い奉る。アーメン。(2013年10月24日)
昨日は福音史家、聖ルカの2級大祝日でした。トリエントミサでは、本日は証聖者、アルカンタラの聖ペテロの2級祝日をお祝いします。「1499年、スペインアルカンタラで生まれ、16歳でフランシスコ会に入ったペテロは、この修道会の本来の精神をとりもどそうと大いに努力し、また、カルメル会改革におけるアビラの聖テレジアの支持者でもあった。1562年10月18日帰天した。1669年列聖。」(毎日のミサ典書)(2013年10月19日)
イエズスの聖心(みこころ)の信心
本日は、童貞、聖女マルガリタ・マリア・アラコックの2級祝日です。「ヤンセウスの非人間的な異端説が、霊魂を神から遠ざけていたその世紀において、フランス・パレ・ル・モ二アルの聖母訪問修道女会の、修道女であった聖マルガリタは、主の聖心がかたどる無限の愛への委託の信心を広めよ、と3度の大啓示によって、主から命ぜられた。
彼女は、1647年、フランス・ブルゴーニュ州ロトクールに生まれ、1690年10月17日,四三歳で、パレ・ル・モ二アル修道院で帰天した。1864年ピオ9世教皇により列福、1920年5月30日ベネディクト15世によって列聖され、聖ピオ11世教皇は、1929年、その祝日を全教会で祝うことを規定した。」(毎日のミサ典書)
マルガリタ・マリア・アラコックに主イエズスが現れ、聖心を示しながら次のように言われた。
「見よ、人を愛するために数多くの苦痛を忍んだわが心を。我はそれに対して、感謝をこそ受くべきに、報いられるのはただ冷淡と忘恩ばかりである。」そして償いをお命じになった。
・聖心の特別な祝日を定めること。
・月の最初の金曜日に聖体拝領をすること。
・毎木曜日に聖時間を守るべきこと。
・信者の家庭を聖心に捧げること。
20年くらい前に、私はこのような絵を幻に見ました。それで9ケ月続けて、初金曜日に聖体拝領しました。終わってから何か特別なことが起こったという記憶がうっすらとありますが…よく覚えていません。9ケ月だけではなくその後もできるだけ毎日おミサに通い、聖体拝領しています。まもなくミサに与ることが難しくなります。(2013年10月17日)
本日は、トリエントミサでは、童貞、聖女テレジアの2級祝日です。『イエズスの聖テレジアは,同じ跣足カルメル修道会幼きイエズスの聖テレジアと区別するため、アビラのテレジア、大テレジア、あるいはスペインのテレジアとも呼ばれている。1515年3月28日,カスティリヤ(スペイン)のアビラで生まれ、18才の時アビラのカルメル会に入った。
16世紀のカルメル会の改革は、この聖女の功績である。(この刷新カルメル会を跣足カルメル会という。)1562年会規弛緩を改め生活を厳格にした最初の改革修道院(サン・ホセ修道院)をアビラに創設したが、種々の困難、反対を克服して、その生涯に、15の改革修道院を直接創設し、他の者を通じて17修道院を創設した。
彼女の豊かな神秘的体験を、従順ゆえに綴った著作は、「比類なき明白さで、内的・神秘的生活の秘訣」を記している。
「私は、公教会の娘として死ぬ」と言い残して、1582年10月4日、アルバ・デ・トルメスで帰天した。1622年列聖。』(毎日のミサ典書)(2013年10月15日)
神の母ー聖母マリアの栄光7
トリエントミサでは、10月11日は童貞聖マリアの母性の2級大祝日です。現代典礼では、神の母の祝日は1月1日に祝われています。「1931年、公教会は、聖母マリアが神の母であるという信仰宣言を行ったエフェゾ公会議の、1500年記念祭を行った。その時、ピオ十一世は、この記念として、さらにまたこの教義をより普及させるために、本日の祝日を定めたのである。」(「毎日のミサ典書」)
ロザリオの元后
本日は、トリエントミサでは童貞聖マリアの聖なるロザリオの2級大祝日です。現代典礼では、ロザリオの聖母の記念日です。「トルコ軍に対して、キリスト教徒軍が得たレパントの海戦における大勝利(1571年10月7日)は、信者の熱心なロザリオの祈りによるものであり、この勝利を記念して、1573年グレゴリオ十三世教皇は。この祝日を定めた。ベルグラードにおける、同じくトルコ軍に対しロザリオの祈りにより勝利を得たので、その感謝のため、クレメンテ9世は、1716年、この祝日を全教会の祝日と定めた。
さらに近年に至り、キリスト教会を攻撃する多くの敵に対し、ロザリオの聖母の保護を願って、レオ十三世教皇がこの祝日の位を2級大祝日に高めるとともに、新しいミサ文と聖務日課を定めた。
以前は十月第一主日であったが、ピオ十世教皇は、10月7日を祝日とした。」(「毎日のミサ典書」)
トップページのメニューのロザリオの項に、「ロザリオを唱える信者に対する、聖母の十五の約束」があります。十五番目は、「ロザリオの信心は神の計画の大いなる‘印‘です。」というものがあります。
1917年にファチマに現れた聖母は「毎日ロザリオの祈りなさい。罪を悔い改め回心しなさい。さもなければ大変なことになるでしょう。」と言われ、「ヨーロッパに不気味な光が見えるでしょう」と預言されました。1938年巨大なオーロラがヨーロッパで観測され、その直後第二次世界大戦が勃発しました。「たくさんの人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまう」ことを警告されたのです。
現在、聖母は緊急のメッセージ(マリア・デバインマースィ)で、「いま、中東おいて始まる戦争が、第三次世界大戦に発展し、世界の4つの地域が巻き込まれ、核が使われ、多くの者が苦しむでしょう」(2013年9月6日)と預言されました。「第三次世界大戦のためにもたらされる苦しみがやわらげれるように、今ロザリオを1日3環唱えつづけなさい」と私たちに願われています。(2013年10月7日)
本日はトリエントミサでは、殉教者、聖プラチドとその伴侶の記念をお祝します。「この殉教者ラ(プラチド、エウティキオ、ヴィクトリノ、ドナド、フィルマト、ファスト等)は、4世紀ごろ、シシリー島で、キリストのために殉教した。(聖ヒエロ二モの編した殉教録には、これらの名がのっているが、12世紀に至って、聖ベネヂィクトの弟子で殉教したと言われる聖プラチドト混同されるに至った。)(「毎日のミサ典書})(2013年10月5日)
布教地では…
今日はトリエントミサでは、幼きイエズスの聖テレジア童貞の1級大祝日をお祝いします。現代典礼では、10月1日に祝われています。毎日のミサ典書によれば、通常は2級祝日ですが、「布教地では1級大祝日となっている」とあります。聖テレジアは布教事業の守護者とされたので、このような特別な扱いとなっているのではないか、と推察されます。
テレジアの名前は知り合いに方に多い霊名です。私の霊名にも、堅信の秘跡*の時に追加しました。最近は、洗礼の秘跡を受けるときに同時に堅信の秘跡も受けることが多いです。ローマの許可があってのことです。
『「小さき花」幼きイエズスの聖テレジアは、1873年1月2日、ノルマンデイーのアランソン(フランス)に生まれ、模範的なキリスト教的家庭で育成された。1888年4月9日、リジュ―のカルメル修道女会に15歳で入り、1897年9月30日、24歳で同修道会において永眠した。
性(格)快活、しかも非常にやさしく、同情心と理解力とに富み、すべての者、ことに貧民に対してあふれるばかりの愛をいだき、全く聖寵の恩沢に身をゆだねた彼女は、修道生活において、福音の教えを深く理解すれば、霊的に幼児になり得るという鑑となった。
また罪人の回心、司祭、特に遠い布教地に働く宣教師のために祈るとともに、長い病臥中の名状しがたい苦痛をたえて、これを世界の果ての布教地に働く人々のために犠牲としてささげた。
ピオ十一世教皇により、1923年4月29日列福、1925年5月17日列聖され、さらに、同教皇により、1927年、全教会の祝日と定められ、布教事業の守護者とされた。
布教地では「1級大祝日」となっている。』(「毎日のミサ典書」)(2013年10月3日)
今日は、トリエントミサでは守護の天使の1級祝日です。「聖なる天使らへの崇敬は、初代教会のころから,たえず行われていた。
1670年、クレメンテ十世教皇により、全教会で祝うことに定められた本日の祝日は、摂理が、個人、全教会、教区、小教区、国家、家族などの守護者と定めた聖なる天使らを特に祝う日である。」(「毎日のミサ典書」)(2013年10月2日)
本日のトリエントミサでは、司教証聖者、聖レミジオの記念日を祝います。「長らくランス(フランス)の司教であった聖レミジオは496年、フランクのクロヴィス王とその家臣3千人に洗礼を授けた。かくて西欧のキリスト教文化創設者となり、フランスの偉大な聖人の一人として崇敬されている。535年帰天。(「毎日のミサ典書」)(2013年10月1日)
大天使聖ミカエルの大祝日
本日9月29日は大天使聖ミカエルの1級大祝日です。今日は主日ですが、トリエントミサでは大天使聖ミカエルの祝日をお祝します。主日は記念されます。現代の典礼では、9月29日は3大天使、大天使聖ミカエルと聖ガブリエル、聖ラファエルの祝日を祝いますが、日曜日と重なった今日は主日の典礼です。
『毎日のミサ典書』には次のようにあります。「典礼では、聖ミカエルは、天使の典型であり公教会の祈りの天使、戦闘の教会の天使であり、キリストの旗手である。
故に、選ばれた人々の霊魂を天にむかえる使命をもっている。
本日は、天軍のかしらに奉献されているローマ最古の大聖堂を記念する日である。
聖ミカエルは、また、聖フランチスコ・ザべリオによって、日本の守護者と定められた。」
私にとって、大天使聖ミカエルは思い出深い大切な天使です。約30年前に、夢の中に主イエズス・キリストとともに大天使聖ミカエルが現れ、その一夜の夢で私は回心し、洗礼を受けたからです。大天使聖ミカエルはかかとまで届く真っ白な翼をもっていました。(2013年9月29日)
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本日は、トリエントミサでは贖虜(しょくりょ)の聖マリア(写真)の1級祝日をお祝いします。「本日は、回教徒の捕虜となっていたキリスト教徒への聖母の御保護と、これらの捕囚信者の釈放のために働く「贖虜の聖母修道会」の創立とを祝うのである。
1696年、インノチェンツィオ12世により、全教会の祝日と定められた。」(「毎日の典書」)
この贖虜の聖母という称号は,今や悪魔のとりこになっている世界中の多くの子供たちの救霊のために非常に効果ある称号と思われます。
*この学校とは、私塾のようなものでした。(2013年9月24日)
本日のトリエントミサでは、聖霊降臨後第18主日をお祝しました。
典礼文の入祭文「主よ、主に希望する人々に平和を与え給え、主の預言者が真実と見定められるように。」とありました。世界平和は私たちの願いです。日本は今は平和のうちにありますが、まもなく中東で戦争が起こり、それが第3次世界大戦へ進み、核が使われると聖母が最近警告されました(マリア・デバインマースィ)。聖母は、その世界戦争による苦しみを和らげるために毎日ロザリオ3環を祈るように願われています。(2013年9月22日)
:聖マテオ(マタイ)
今日は、使徒、福音史家、聖マテオの2級大祝日です。「聖マテオも、神が大いなるわざを行うために選び給もうた謙遜な人々の一人である。
マテオ、またの名はレビといい、税吏であった。税吏は人々に歓迎されない賤しい身分で、ユダヤ人は、税吏と悪人を同義語としていたほどである。
ところが、マテオは、イエズスにしたがうために、すべてをすてる勇気をもつ偉大な人であった。これがために彼は、使徒のひとりとされたのである。
マテオは、最後までイエズスに忠実を守り、エチオピアで殉教したといわれる。」(「毎日のミサ典書」)(絵の中のマテオの背後の人物は福音書を書くためにインスピレーションをささやく天使。)
(2013年9月21日)
:
悲しみの聖母
本日は、トリエントミサでは聖マリアの七つの御苦しみの2級祝日をお祝いします。主日は記念されます。
「ここでいう聖母の七つの御苦しみとは、(1)シメオンの予言(ルカ、2の35)。(2)エジプトへの御避難。(3)エルザレムにおけるイエズスの行方不明。(4)十字架の道(カルワリオ)における御子との会合。(5)十字架の下にたたずみ給う。(6)イエズス十字架よりおろされ給う。(7)イエズスの御埋葬である。
聖母は、御子と苦しみを共にし給うた「同感受難」のゆえに、「殉教者の元后」として崇敬される。すでに中世紀、聖母マリア下僕会によって、この聖母の御苦しみの際式は行われていたが、ピオ7世(1800-23年在位)は、流謫・ナポレオンによる捕囚中における苦しみと、聖母のとりつぎにより解放されたことを記念して、1814年、この祝日を全教会で祝うことを規定した。以前は9月の第3主日に祝われたが、1912年、聖ピオ十世教皇のとき、9月15日に祝日を移された。」(「毎日のミサ典書」)
聖なる十字架の称賛;
上の写真は、ルーベンスの「十字架建立」の絵です。(ベルギー、アントワープの聖母大聖堂内)
9月14日は、トリエントミサでは、聖なる十字架の称賛の1級祝日です。「614年、ペルシァ王コスラウ2世により、エルザレム占領後、奪われ、ヘラクリオ皇帝が、ペルシァ人から奪い返した主の十字架を、そのとき荘厳に祝った。本日は、この歴史の記念日である。
しかし、すでに4世紀から、この9月14日に、十字架発見(320年9月14日)と、コンスタンティノ皇帝がカルワリオ山上に建てた大聖堂の奉献とを祝っていた。)
8世紀には、十字架発見の祝いが5月3日に移され、9月14日は、われらのあがないのしるしを称賛する祝日となった。 (「毎日のミサ典書」)
カトリック信者にとって、われらの贖いのしるしであるイエズス・キリストの御体のついた十字架は非常に大切なものです。ところが、天のメッセージによると近未来において、ローマ(*1) によって、十字架が禁じられ(*2)売られなくなるというのです。聖書も姿を消します。旧約聖書で預言された、神の言葉に飢え渇くという状況が出現するのです。
「その日、私は,地に飢えをおくる。
パンの飢えではなく、
水のかわきではなく、
主のみことばを聞こうとのぞむ、餓えである。
人は、こちらの海から、むこうの海へ、
北から東にいたるまで、よろめき歩く。
彼らは、主のみことばを求めて、さまようが、それを見いだすことは、できない。」(アモスの預言8章)
おそらくロザリオ、メダイも手に入らなくなると思われます。手に入れることのできる今のうちに、購入しておくべきです。
* 1 ラサレットの預言―「地上の悪…反キリスト」参照(2013年9月11日)
*2 「蛇の十字架」参照ー(2013年8月17日)
(2013年9月14日)
本日のトリエントミサでは、殉教者、聖プロト、聖ヒアチントの記念が祝われます。「プロトとヒアチントは兄弟で、聖女エウジェニアの召使であった。エウジュニアと共にローマに来て洗礼を受け、3世紀中葉、殉教した。1845年ローマにおいて、その墓が発見され、1934年以来、その遺骨はジャニクロ丘山のプロパガンダ大学新聖堂に保存されている。)(「毎日のミサ典書」)(2013年9月11日)
聖母の誕生日
9月8日は、童貞聖マリアの御誕生の2級大祝日です。本日は日曜日なのでふつうは主日のミサが挙行されますが、童貞聖マリアの御誕生は2級大祝日なので、トリエントミサでは、聖母の誕生をお祝いすることができます。主日は記念されます。「主日を記念する」とは、聖母の御誕生のミサの中で主日の典礼の中の集祷文、密誦、聖体拝領後の祈りを唱えることです。ミサ典書には、「永遠より予定され、ダヴィド王家に生まれた、聖マリアは、天と地を結ぶ橋である。」とあります。
聖母のお誕生日のお祝いのプレゼントとして、通常毎日祈るロザリオ以外に、「聖母の御意向のため」という意向でロザリオを1連捧げたらよいのではないか、と思います。聖母のお望みは、主イエズス・キリストのお望みと同じだと思われますが、聖母が自由にその1連を使えるようにと、そのような意向で祈るのはいかがでしょう。
主イエズス・キリストのお望みは、罪びとの救いと御父の栄光です。
今この終末のとき、主と聖母の願いとお望みは、とくに罪びとの回心と救霊です。そのために働き、祈る人を求めておられます。ロザリオ、御憐みのチャプレット、十字軍の祈りを祈る人たちを求めておられるのです。私たち一人ひとりには、神から与えられた特別な、個別的な賜物があります。それを見つけ育て、神のために使うことができるのです。歌うことのできる美しい声をもっている人は、神を賛美するために歌い、その賜物を使えます。祈ることが好きな人は祈り、貧しい人を助けることができる人は助けることができます。料理が得意な人も…誰もが神のために働く賜物をもっています。人間がこの世に生まれたのは、最終的に神に出会うためだからです。聖トーマス・アクイナスは次のように言っています。「霊魂はあらゆる事物を遍歴して、最終的に神に至る」と。25年前に読んだ言葉なので、少し細部が違うかもしれませんが…。つまり遍歴するのもよし、幼い1歳や2歳の頃から神のみもとにあった聖母マリア、幼きイエズスの聖テレジアや福者マリー・リヴィエ(*)のような特別な人生もよし。最終的に神に出会い、神を愛し、神に仕えることができれば、人生はどんなに悲惨でも苦しくとも、たとえ以前は罪深かったにしろ、終わりよければ、すべてよいのだ。聖トーマス・アクイナスはそう言いたかったに違いない、と若い頃の私は考えたのでした。この言葉で、私は、その当時の苦しみから救われました。
*聖母奉献修道会の創立者
追加 9月には、もう一つ聖母の祝日がありました。9月24日の贖虜(しょくりょ)の聖母の祝日です。(2013年9月1日の9月には…の項への追加です。)
(2013 年9月8日)
昨日のトリエントミサでは、司教証聖者、聖ラウレンツィオ・ユスティニアノの祝日を祝いました。
「聖ラウレンツィオは、15世紀におけるイタリアの偉大な聖人の一人で、ヴェネツィアの貴族、ジュスティ二アニ家に1381年生まれ、小さい頃から、敬虔できびしい生活をおくった。
アルガの聖ジョルジョの律修参事会の修道院に入り、その聖徳のために、エゥジェニオ4世教皇により、ヴェネツィアの総大司教に推された。1455年1月8日帰天した。1524年列聖」(『毎日のミサ典礼』より)写真は『聖者カレンダー』より。
(2013 年9月6日)
本日のトリエント・ミサでは、教皇証聖者、聖ピオ十世の2級祝日を祝います。「 1835年6月2日、北イタリアのトレヴィゾ州リエーゼの貧しい家に生まれた。1858年司祭に叙品され、司牧に従事し、1893年ヴェネツィア総大司教・枢機卿にあげられ、1903年8月4日教皇に選ばれた。実際的知力と強い意志力に恵まれ、柔和と謙遜にひいでていた。牧者としての配慮は、とくに教えの純粋保持、教会法の改革、聖職者と民衆の宗教生活の深化などであった。近代主義を論駁、日々の聖体拝領,小児の聖体拝領の奨励、聖書研究所の創設等は、その一端を示すものである。極めて温情に富み、民情に通じ、しかも他方峻厳な一面を有した。超自然的なものについての直観力と実際的組織的才幹とは、この教皇の政策に方向と特色を与えた。既に生前に聖人たる名声と奇蹟を行うとの評判が高かった。1914年8月20日歿。1951年6月3日列福。1954年5月29日列聖。」
(『毎日のミサ典書』)
(2013年9月3日)
本日のトリエントミサでは、証聖者、聖ステファノ王の祝日を祝いました。「聖ステファノ1世王は、969年、ハンガリアのアルパート族の豪族ガイザの息として生まれ、4・5歳の頃、最初の殉教者ステファノの名を取って受洗された。995年ドイツの[聖]エンリコ2世の妹ギゼラを迎えて妃とし、共にはげまし合って信心業や修徳に精進し、教会修道院を建立し、多くの慈善を行った。ガイザの没後(997年)王位を継ぎ、施政公正、その行状、その政治および布教活動において、使徒的支配者の鑑となり、教皇に交渉し、ハンガリア国内の教会組織を確立し、ハンガリアに信仰公布のため努力し、その国を聖母にささげた。布教上の功により教皇シルベストロ2世は、彼に王冠(現存している)と国王の位と称号とをおくったが、これにより1000年御降誕の祝日に、彼はハンガリア最初の国王の位についた。
彼の謙遜と愛徳とは、今もことわざに残っているほどである。1038年、彼の王子エメリヒ(1007―1031年)とともに列聖された。腐敗していない彼の右手は、ブダの場内礼拝堂に保管されている」(『毎日のミサ典書』)(2013年9月2日)
ペテロ・ノラスコが創立した男子メルセス修道会(贖虜の聖母会)に入った。彼は奴隷である信者たちの解放を交渉するためアフリカに派遣された。そのとき、彼は交換条件として自ら人質となり、その間にキリスト教徒を解放するとともに、多数の回教徒を回心させた。
1239年グレゴリオ9世により枢機卿に任命され、ローマに向かう途中、労苦がつもり間もなくコルドバで没した。1240年。36歳。1657年列聖。(『毎日のミサ典書』) (2013年8月31日)
本日のトリエントミサでは、童貞、リマの聖女ローザの2級祝日をお祝します。「南アメリカ人として最初に列聖されたこの聖女は、1586年リマ(ペルー)においてスペイン人を両親として生まれ、聖ドミニコの第三会員となり、自宅にあって、シェナの聖女カタリナにならって生活した。
十五年間、苦しい病気と霊魂の試練に悩まされたが、晩年は天的なよろこびにみたされ、三十一歳をもって、1617年8月24日帰天した。1671年列聖。南米とフィリピン諸島の守護聖人として崇敬されている。(『毎日のミサ典書』)(2013年8月30日)
*ご絵は、聖母と聖カタリナ、赤子(イエズス様)を抱くリマの聖ローザ
トリエントミサ
トリエントミサについての簡単な説明をしたいと、いろいろな文章を読みましたが、今日になって適切な説明を見つけました。アルフォンス・スティックラー枢機卿の『トリエント・ミサの魅力』です。その一部を引用します。
「トリエント・ミサとは、トレント公会議の要請により、教皇ピオ5世が定式化し、1570年12月5日に公布されたミサの典礼様式のことです。この時作られたミサ典書は古いローマの典礼様式を内容とし、その中から様々な追加や変更を取り除きました。それが発布されたとき、少なくとも200年以上の歴史を持っていた他の典礼様式は[廃止されずに]残されました。ですから、このミサ典書は、教皇ピオ5世の典礼と呼んだ方が正しいでしょう。」
関心のある方、もっと読みたい方は、上記のタイトルで検索すればすぐに見つかります。なお、現在カトリック教会で行われているミサはオルドノビスミサと呼ばれています。
洗者聖ヨハネの斬首の祝日
本日は、トリエントミサでは洗者聖ヨハネの斬首の一級祝日をお祝します。現代の典礼では、洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。
主イエズス・キリストは、「<私は使いを先に送る、あなたの道を整えさせるために>と書かれているのはその人のことである。まことに私は言う、女から生まれた者のうちで、洗者ヨハネより偉大な人は出なかった。だが、天の国でいちばん小さな人も彼より偉大である。…」(マテオによる福音第11章10)といわれました。バロバロ神父の注釈によれば、「旧約におけるもっとも尊い役<イエズスの先駆>さえも、洗礼によって与えられる恵みに劣る。洗者が神の時がきたと宣言した以上、人間はその国の果実を受けるために全力を尽くすべきである。ヨハネの時をもって旧約の計画は終わった。」とあります。
「6月24日に、公教会は、洗者ヨハネの誕生を記念しましたが、本日は、光栄ある帰天を記念するのである。本日の福音に、斬首の次第が語られる。
洗者聖ヨハネは、キリストの先駆者であるばかりではない。母として童貞を選び、その養父も童貞であったイエズスが、もっとも力説した純潔の殉教者なのである。」(『毎日のミサ典書』)
(2013年8月29日)
本日は、トリエントミサでは証聖者、聖ヨゼフ・カラサンクツィオの二級祝日です。「聖ヨゼフ・カラサンクツィオ(またはカラサンス)は、1556年、アラゴン(スペイン)のペルヴァイテに生まれ、ローマに行き、青少年の宗教教育を目的とするエスコラピオ(ピアリスト)を創立した。そして52年間にわたって驚くべき忍耐と謙遜をもって貧しい子供の世話をした。
この修道会は、彼の生存中にも大いに盛大となり、他の教育修道会のモデルとなった。1648年8月25日、彼はローマで没した。1767年、クレメンテ13世教皇より列聖」(『毎日のミサ典書』)(2013年8月27日)
本日は、トリエントミサでは教皇殉教者ゼフェリーノの記念を祝いました。「この教皇は(198-217年)典礼と教会規律に関する重大問題を取り上げた。アント二ノ皇帝の頃、217年、殉教した。」(『毎日の典書』) (2013年8月26日)
本日は 使徒、聖バルトロメオの2級大祝日です。「キリストは、この使徒の真面目な心を、称賛された(ヨハネ1章)。この使徒は、アルメニアで宣教し、その地で、皮をはがれて殉教した。
殉教録によると、後に信徒が、その遺骸を、リパリ島に移し、その地からべネベントにはこんだ。オット3世皇帝の時、ローマに移され、現在は聖バルトロメオ大聖堂に安置されている。(『毎日のミサ典書』)(2013年8月24日)
本日のトリエントミサでは、証聖者、聖フィリッポ・ベニツィの二級祝日をお祝いします。『一二三三年八月十五日、イタリア・フィレンツェの貴族、ベニツィ家に生まれたフィリッポは、パリ大学を卒業してのち、修道士として、『聖母マリア下僕修道会』に入り、最もいやしい仕事を受け持ってはたらいた。
のちに、長上の命令により司祭となり、さらに、その修道会の総会長に選ばれ、修道会の内部強化、存続、発展につくすとともに聖母下僕修道女会を創立し、諸紛争の調停をした。
彼は教皇に選ばれるのをさけ、長らくの間隠遁の生活をおくった。一二八五年八月二十二日帰天した。一六七一年、クレメンテ十世教皇より列聖。」(『毎日のミサ典書』)(2013年8月23日)
聖人たち
昨日(2013年8月20日)、途中から体調が悪くて、聖ベルナルドについて書き込みができなかったので、昨日の聖人と今日の聖人について『毎日のミサ典書』から書き写そうと思います。竹林の道のわきに植えたあじさいが1本を残して花が終わりました。青紫あるいは青のあじさいがまだ美しく咲いています。
やはり異常気象のせいでしょうか…。
トリエントミサでは昨日は、教会博士、大修道院長、証聖者、聖ベルナルドの二級祝日をお祝しました。「聖ベルナルドは、一〇九一年フランスのディジョンに近いフォンテーヌ城の貴族の子として生まれ、温和な信仰のあつい母(アレート・ド・モンパール)の監督のもとに敬虔な教育を受けた。一一一二年の春、三十名の貴族とともにシトーの修道院に入った。創立後間もない当時のシトー修道院は聖ステファノ・ハーディングの大修道院時代で、生活が厳格であったため、入院志願者もほとんどあとを絶っていた。が、ベルナルドの入会後いちじるしく興隆を見、シトー会は発展した。創設者・大修道院長として、一一一五年クレヴォ―に派遣され、ここに、修道院を建てたが、純潔と寛容、意力と柔和
との融合した高貴な精神、熱烈な感動と対神愛によって、あらゆる人々を自分にひきつけ、彼らを修道的完徳へ導いた。
彼はまた、当時の神学的誤謬・異端に反対して、精力的にこれとたたかい、離教を終息させ、教皇、諸王、宗教会議の顧問、教皇使節ともなり、第二十字軍を遊説する等、およそ三十年間にわたり、欧州の運命に関与し、『十二世紀を双肩にになった』といわれたのも、欧州の調停者としてのかれを表したものといえよう。イエズスの聖名、聖母に対する篤い信心による、その讃美歌、説教は有名であり、また雄弁をもって鳴り、ラテン語説教家としても、中世随一と称されている。
一一五三年八月二〇日、クレヴォ―で没した。一一七四年一月十八日列聖。その深遠にして純粋な著作により、ピお八世教皇は、一八三〇年七月二十三日、教会博士に挙げた。
本日は聖女ヨハンナ・フランチスカ・フレミオ・ド・シャンタルの二級祝日をお祝しました。
「聖ヨハンナ・シャンタルは、ディジョン(フランス)のフレミオ家二生まれ、一五九二年シャンタル男爵と結婚し、模範的な妻であり、母であった。夫の急死(一六〇一年)後、もっぱら祈りと慈善と子供の養育に献身した。やがて聖フランシスコ・サレジオの霊的指導を受け、一六一〇年サヴァのアンネシ―において、聖母訪問会を創立した。
一六四一年一二月一三日、ムラン(フランス)で没した。一七六七年列聖。その祝日は、聖母訪問会創立記念日の八月二十一日と定められている。(『毎日のミサ典書』) (2013年8月21 日)
本日のトリエントミサでは、証聖者、聖ヨハネ・ユードの二級祝日をお祝いします。「聖ヨハネ・ユードは、一六〇一年、リ市(フランス)に生まれ、一六四三年、ユード会といわれる「イエズスとマリアとの司祭修道会」を創立した。この修道会は、布教と神学校経営とを目的とする。
一六四四年、迷った娘たちの矯正を目的とする「愛徳の聖母修道女会」を創立した。
イエズスと聖母の御心に対する信心を広め、一六七〇年イエズスの聖心の祝日を祝う司教許可を得たが、これが公的なイエズスの聖心崇敬の始となった。さらに一六七二年自分の創立した司祭修道会のためにイエズスの聖心の聖務日課とミサの文を作った。一六八〇年カエン(フランス)で没し、ピオ十世によって、一九〇九年列福され、一九二五年五月三十一日列聖された。」(『毎日のミサ典書』) (2013年8月19日)
本日のトリエントミサでは、証聖者、聖ヒアチントの2級祝日をお祝いします。「 聖ヒアチントは、千百八十五年、ポーランドの貴族オドロヴォンジュ家の息として、上シレジアのグロース・シュタイン城に生まれた。クラカウの司教座聖堂参事会員となり、博学のほまれ高かった。ローマに云ったとき、聖ドミニコの説教を聞いたことから、ドミニコ会に入る決心を実行した。
宣教師として、ポーランドを始めバルト海沿岸をめぐり、多くの異教徒と異端者とを回心させた。『北欧の使徒』と称されている。
一二五七年の聖母被昇天の日、帰天した。一五九四年四月十七日列聖。」(『毎日のミサ典書』) (2013年8月17日)
今日のトリエントミサでは、証聖者、童貞聖マリアの御父、聖ヨアキムの二級大祝日を祝いました。「聖ヨアキムは、愛の深い、利己心のない人であった。
その名は”主の備え”という意味である。キリスト前の、キリスト教的な徳のために、救い主の無原罪の母を娘に持つ幸せがあった。
公教会のこの偉大な保護者のとりつぎを祈ろう。」(『毎日のミサ典書』) (2013年8月16日)
本日のトリエントミサは、証聖者、聖エオウゼビの祝日を祝います。現代の典礼では、日本にかかわりの深い聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の祝日です。「殉教録には、次のように記されている。『自宅のある部屋に監禁されたエウゼビオは、七ケ月の間、祈り続けて死んだ。四世紀、ローマにおいて』
聖エウゼビオは、ローマの司祭で、アリウス派の異端と戦った。アリウス派のコンスタンティオ帝に捕えられ、自宅に監禁され、餓死させられた。(三七〇年頃)」(『毎日の典書』)(2013年8月14日)
本日のトリエントミサでは、「殉教者、聖ヒッポリト、聖カッシアノ」の祝日を祝います。「聖イレネオの弟子、聖ヒッポリトは、信仰のために、炭鉱重労働の刑をうけ、二三五(二三六)年頃、殉教した。聖カッシアノは、三〇四年ごろ、デイオツィアノ皇帝の迫害の時、イモラで死をもってキリストを宣言した。」(『毎日の典書』)(2013年8月13日)
昨日のトリエントミサでは、聖霊降臨後第十二の主日をお祝いしました。
「主よ、願わくば、聖なる奥義にあずかるわれらを生かし、許しと保護とを下し給え。」(『毎日のミサ典書』) (2013年8月12日)
本日八月十日は、トリエントミサでは殉教者、助祭、聖ラウレンツィオの二級大祝日です。現代の典礼でも同じ聖人の祝日です。「本日祝うのは、ローマの有名な助祭殉教者、聖ラウレンツィオである。公教会の財産の管理、貧民への施与の分配にあたっていた。ローマの知事は教会財産を没収しょうとしたが、彼は知事に渡さず、余すところなく貧しい人々に分けた。このため逮捕され、拷問され、灼熱の鉄格子の上で焼き殺され、殉教した。二百五十八年ごろのことである。」(『毎日のミサ典書』)(2013年8月10日)
8月8日は、トリエントミサでは「殉教者、聖チリアコ、聖ラルゴ、聖スマラグド」の祝日でした。 「聖チリアコ(十四救難聖人の一人)は、ローマの助祭で、ディオクレツィアノ帝のとき、聖ラルゴ、聖スマラグドとともに、信仰のために投獄され、おそろしい拷問ののちに殉教した。303年ごろのことらしい。」
本日8月9日は、証聖者、聖ヨハネ、マリア・ヴィアンネの二級祝日です。「聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネは、一七八六年五月八日、フランス・リヨン市にほど近いダルディリに生まれた。家が貧農であったため、家の農牧の手伝いをし、十九歳のとき司祭に叙品された。三年後の一八一八年三十二歳の時、リヨンに近いアルスという小村の主任司祭となり、爾来四十二年間、この村において、神の摂理とあわれみとの手段となってはたらいた。彼は、フランス革命の余波を受けて、まったくたいはいしたこの地を根本的に改革し、人の霊魂に、超自然的力をおよぼした。聴罪司祭・説教家・祈りと苦業との生活をもって、非凡な司牧的効果をあげ、奇蹟的治療さえよくした。この聖人の名を聞いて巡礼者が諸国から、アルス村に杖を引き、おびただしい回心者を出した、この間彼は、尊者ジョゼフ・シャミナードによるマリア会の創立にも関与した。
悪霊によって、神のこのしもべは、さまざまに苦しめられたが、そのもえる信仰と苦業とによって試練にうちかつことができた。
一八五九年八月四日、七十三歳でアルスで没した。一九〇五年聖ピオ十世により列福。一九二五年、ピオ十一世により列聖、一九二九年、同教皇より、聖堂区付聖職者の守護者と定められた。通称『アルスの主任司祭』と呼ばれており、その遺骸は、アルスの聖堂に保存されている。」(『毎日のミサ典書』) (2013年8月9日)
本日は、トリエントミサでは聖カイエタノの二級祝日です。「聖カイエタノは、一四八〇年イタリア・ヴィチェンツァに生まれた。最初は法律家であったが、後に司祭となった。人々の救霊に熱心に働いたので、「霊魂の狩人」と呼ばれた。彼はピエトロ・カラッファ司教(のちのパウロ四世)とともに、テァティノ会という「摂理の兄弟ら」と称する司祭修道会を創立した。会名は、カラッファが司教であった地名テアテに由来する。この会の特質は神の摂理に全福的に信頼することで、反宗教改革(十六世紀)運動に挺身した。
彼は使徒職への愛と、神に対する委託にみちた生涯を終え、一五四七年八月七日、ナポリで帰天した。一六七一年列聖された。(2013年8月7日)
本日はトリエントミサでは雪の聖母大聖堂の献堂の一級祝日を祝います。「雪の聖母といわれるのは、聖母が、大聖堂を立てようと望み給うたところに、真夏に雪を降らせて、お示しになったという伝説があるからである。」(『毎日のミサ典書』)
(2013年8月5日)
本日は、トリエントミサでは聖霊降臨後第十一の主日をお祝いします。ミサ典礼のなかで昇階唱(詩編27ノ7)に、
「私の心は神に希望をかけ、こうして私は助けをえる。私の肉は若返った。ゆえに主よ、私は心をつくして御身をたたえ奉る。」とあります。
(2013年8月4日)
最初の殉教者、聖ステファノの遺骨発見
本日のトリエントミサは、最初の殉教者、聖ステファノの遺骨発見のお祝いをします。「415年十二月五日、エルザレム付近で、一司祭ルチアノにより、聖ステファノの遺骨が発見され、十二月二十六日エルサレムに移された。四百三十九年、皇后エウドシアの命令により、盛大に祝ってコンスタンティノープルにはこばれた。
本日はこの歴史を記念するのである。」(『毎日のミサ典書』)
(2013年8月3日)
昨日8月2日はトリエントミサでは、「教会博士、証聖者、司教、聖アルフォンソ・マリア・リグォリ」の2級祝日を祝いました。
聖アルフォンソは、一六九五年イタリアのマリアネラ(ナポリ郊外)で貴族の長子として生まれた。始め法学を学び、博士号を得て、弁護士となったが、この職業をすてて、聖職に入り、一七二六年司祭となった。一七三〇年から翌年にかけて救世主修道女会を創立することに貢献し、後、男子救世主会(レデンプトール会)を創立した(一七四九年認可)一七六二年、クレメンテ十三世の命により、サンタ・アガタ・ゴティの司教となり、病弱にもかかわらず、この教区を十三年間統括し、充実した使徒職を行った。一七七五年この職を辞して、パガ二の救世主会に退去し、同修道会の内外の困難、苦しみの中に、一七八七年八月一日没した。一八三九年五月二十九日グレゴリオ十六世により列聖。
聖体に対する愛と、聖母への深い信心と,また、深遠な倫理神学の著作とにより、一八七一年三月二十三日、ピオ九世により教会博士にあげられた。(『毎日のミサ典書』)(2013年8月3日)
八月に入りました。昨日八月一日は、トリエントミサでは、鎖の聖ペテロの一級祝日を祝いました。現代の典礼ではアルフォンス・リゴリ司教教会博士の記念日です。ローマのエスクィーノ丘に建てられた大聖堂の記念日(「毎日のミサ典書」)です。
ちょうど二〇年前、一九九三年六月にポーランドでの、当時活動していた幻視者たちの黙想会に招待され、参加するためにヨーロッパを旅行しました。ローマに立ち寄り、この雪の聖母大聖堂を訪れました。記憶にありませんが、その有名な鎖を見たかもしれません。その聖堂前で私たちはジプシー(ロマ)十人くらいに取り囲まれました。ローマ在住の案内をしてくれた司祭の機転で私たちは難を逃れましたが、その司祭の話によると取り囲んだジプシーたちは、お金やバッグを旅行者を取り囲んで盗むのです。ジプシーたちは女性、子供、男性のグループで、案内の司祭がいなければ、ぼんやりして警戒心のない私たちはバッグを取られていたことでしょう。多くの美しい大聖堂めぐりのローマの旅でしたが、ローマの裏側の闇をちょっぴりのぞいたような気がしました。(2013年8月2日)
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今日は、証聖者、ロヨラの聖イグナツィオの二級祝日を祝います。「『すべては、神のより大いなる光栄のために』これこそ、イエズス会創立者、聖イグナツィオのモットーである。聖イグナツィオは、一四九一年、スペインのバスコ地方、ギブスコア州のアスぺティアの近くのロヨラ城で生まれた。両親とも由緒ある貴族の出身でイグナツィオは、洗礼のとき、イニゴなる霊名を受けたが、のちにアンチィオキアの殉教者聖イグナツィオを崇敬して、イグナツィオと改めた。一五一七年軍隊生活にいり、フランス軍に対するパンブローナの防衛戦において、重傷を負った。ロヨラ城にあって療養中、キリスト伝と聖人伝を読んで回心し、モンセラットにおいて聖母に献身し、一五二二年~二三年にかけてマンセラットの洞窟で隠修士の生活をし、ここで彼の内的闘争と照悟の成果として「霊操」の大部分を草した。…一五三四年八月十五日、パリのモンマルトルで誓願を立てた。一五三七年司祭に叙品され、彼の創立したイエズス会は、一五四〇年九月二十七日聖庁から公認された。翌年選ばれて総会長に就任し、一五五六年七月三十一日、ローマで没した。…ぞの著書「霊操」によって、彼は世紀を通じ、今日に至るまで無数の霊魂の指導者となっている。一九二二年七月二十五日ピオ十一世教皇により、彼は心霊修行と黙想所の守護聖人とされた。(『毎日のミサ典書』)
(2013年7月31日)
7月29日は、聖マルタの祝日でした。トリエント典礼でも現代の典礼でも同じ聖マルタの祝日をこの日はお祝いします。「マグダラのマリアの姉妹、聖マルタは、主イエズスの弟子のひとりであり、また。しばしば主を宿し奉っつた光栄をもち、その一生を主にささげたのである。
救い主御死去ののち、マリア(マグダレナ―引用者)とラザロとともに、ユダヤ人の迫害を避け、フランスに行き、そこで他の聖なる婦人らとともに、聖徳をもって一生を終わったといわれる。」(『毎日のミサ典書』)
「2013年7月30日)
昨日のトリエントミサでは、聖霊降臨後第十の主日をお祝いしました。昨日の書簡聖パウロの、コリント人への書簡の朗読で『また聖霊によらなければ、誰も「イエズスは主である」ということができない。霊的な賜物は異なるが、霊は同じである。聖役は異なるが、主は同じである。』とあります。イエズス・キリストによらなければ、救いはないのです。イエズス・キリストは「道、真理、命」だからです。それを悟らせてくださるのは、聖霊です。そして聖母マリアは救い主の母です。(2013年7月29 日)
今日のトリエントミサでは、聖パンタレオの祝日を祝います。十四救難聖人の一人です。十四救難聖人とは、とくに困っているとき、その難を救ってくれるという14人の聖人たちです。15世紀以降さかんに崇敬されてきた聖人たちです。ほかには、アカキオス、アエギディオス、バルバラ、プラシウス、クリストファロス、キリアクス、ディオニシウス、エラスムス、エウスタキウス、ゲオルギウス、アレキサンドリアのカタリナ、マルガレーテ、ヴィトウスという聖人たちがいます。(2013年7月27日)
本日は、トリエントミサでは使徒、聖ヤコボの二級大祝日をお祝いします。現代の典礼でも同じです。「福音史家聖ヨハネの兄、大聖ヤコボは、主イエズスの御変容と御死去とを目撃した恵まれた三人の内の一人であった彼は、信仰のために殉教した最初の使徒である(エルサレムにおいて)。その聖遺骨は、スペインのコムポステラ市に移され、中世以来巡礼の中心地となっていた。」(『毎日のミサ典書』)(2013年7月25日)
7月22日は聖マリア・マグダレナの祝日です。トリエントミサでは2級祝日でした。20年くらい前にマグダレナの祈りを翻訳して祈りのカードを作りました。探していたのですが、今日になって見つかりました。
聖マリア・マグダレナへのノヴェナ*
おお、祝福されしマグダレナ、まことの改悛の模範よ、われに罪への深き悲しみと、イエズスへの優しく燃える炎のごとき愛とを得しめさせ給え。御身(おんみ)とともに、心の柔和、謙遜なるイエズスの御足元(おんあしもと)に学ぶために座し、疲れし魂の安らぎを見出すことを得しめ給え。マグダレナよ、御身のごとく、われ主の聖なる御足(みあし)を熱烈にいだかん。まことの改悛の涙もて御足を洗い、熱き感謝もて愛の口づけをなすを得しめ給え。「なんじの罪は多かれど、多く愛するがゆえになんじは許されたり」と、主の慈悲深き御声(みこえ)が平和の御言葉(みことば)を宣し給うを、共にわれにも聞かせ給え。
いとも慈悲深きイエズスよ、われ、祝されしマグダレナの謙遜を高められ給いし、大いなる恩寵に感謝し奉る。聖女の功徳と取り成しによりて、ここにつつしんで祈り奉る。われにまことの痛悔の涙を賜(たま)い、わが心に主の聖なる愛をそそぎ、恵み深くこの願いを聞き入れ給え(ここで願を述べる)。アーメン
主祷文、天使祝詞、栄唱、各一回
* ノヴェナとは、九日間連続して祈る、祈りのことです。(2013年7月24日)
今日7月13日は、ローザミスティカの祝日です。イタリア、モンテキァリのご出現です。また、毎月13日は地獄が閉じられます。つまり今日亡くなる人は、地獄へは落ちないのです。(神の摂理により地獄に落ちるような人は、今日は死なないのです。)
(2013年7月13日)
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7月11日は、トリエントミサでは、教皇殉教者聖ピオ1世の記念日です。今日は教皇ベネディクト(天がそう呼ばれている)のためにミサの中で祈ります。復活祭を主日に行うように定めたのは、この教皇様です。(2013年7月11日)
昨日の日曜日のトリエントミサは、聖霊降臨後第七の主日をお祝いしました。マテオによる聖福音7章のなかで、「私に向かって主よ主よという人が皆天の国に入るのではない。天にまします我が父の御旨(みむね)をはたした者だけ入るであろう」とわれらの主イエズス・キリストが言われておられます。(2013年7月8日)
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今日7月5日は、トリエントミサでは、「証聖者、聖アントニオ・マリア・ザカリア」の祝日を祝います。(2013年7月5日)
今日7月3日は、トリエントミサで「教皇、証聖者、聖レオⅡ世」の祝日をお祝いしました。このレオⅡ世教皇の名前で、京都の神の園にいらした故レオ神父様を思い出します。最期にお話ししたのは、アメリカの養老院にいらしたレオスタインバック神父様との国際電話でした。
*トランス脂肪酸については6月25日の記述「終末の田舎 生活!?3」を参照
(2013年7月3日)
;(2013年7月2日)
本日七月二日は、トリエントミサでは、童貞聖マリアの御訪問の二級大祝日を祝います。洗者聖ヨハネの母となる従妹、エリザベトのもとに、愛のおこないに行かれた。この二人の出会いは、マリアにとって「マグニフィカト」の賛美をうたう機会となりました。
今日は六月最期の日曜日です。トリエントミサでは、聖霊降臨後第六の主日を祝います。「あなたたちも、自分は罪に死んだもの、キリスト・イエズスにおいて神のために生きるものと思え。」と、今日の聖パウロの書簡にあります。(2013年6月30日)
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