終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2013年11月

2013年11月

シスター聖ファウスチナ

なぜ御憐み(おんあわれみ)のチャプレットなのか…

MDM のメッセージで、毎日ロザリオ(聖母のお望みでは、できれば3環)と御憐みのチャプレット、十字軍の祈りを祈りなさいといわれています。御憐みのチャプレットは、ポーランドのシスター聖フォスチーナ(*ファウスチナ)が主イエズス・キリストからいただいたチャプレットです。霊魂の救いのために、非常に恵みの多いチャプレットなのです。

*ここではフォスチーナと『白い祈祷書』では翻訳されていますが、ファウスチナと翻訳されてもいます。同じように『御憐み』を『御いつくしみ』と翻訳している書物もあります。(『わたしの霊魂における神のいつくしみ』聖母の騎士社)




由来

1935年、一位の天使がシスター・フォスチ―ナ(ファウスチナ)に現れた。天使は手にロザリオを持ち、もう一方の手には雷と稲妻があり、天使は地球のある所を撃つところだった。
主は、シスター・フォスチーナの心をその憐みぶかい聖心と同じようにしたので、彼女は主に憐みを願った。しかし、自分の祈りでは神の怒りをなだめることができないことを悟った。そのとき、三位一体の神が現れ、この祈り(御憐みのチャプレット)を彼女に教えた。

約束

主はシスター・フォスチーナに伝えた。「私があなたに教えたこのチャプレットを,絶えず祈りなさい。これを唱える者は誰でも、臨終に際して大いなる恵みを得るだろう・・・司祭は救いの最後の望みとして、この祈りを罪びとに勧めるだろう。このチャプレットを1度でも唱えるならば、もっとも頑なな罪びとさえ、わが無限の憐れみから恵みを受けるだろう・・・ああ、私はこのチャプレットを唱える霊魂に、なんと大いなる恵みを与えることだろう・・・もし、あなたが願うことが私の意志にそぐわぬものでない限り、この祈りによってあなたはどんなことでも願い、得ることができる私は全世界に、わが無限の憐れみを知らせたい。私はわが憐みに信頼する者に、思いも及ばぬ恵みを与えたい。
シスター・フォスチーナは日記に書いた。『主は、憐れみの祝日(復活祭後の最初の日曜日)の前の九日間この祈りを唱えるように言われた。それは聖金曜日に祈りはじめるということ。さらに主は言われた。”このノヴェナによって、すべての可能な恵みを霊魂に与えるだろう。”(「白い祈祷書」)

(2013年11月30日)

カテゴリ→御憐みのチャプレット


本日11月30日は、使徒聖アンドレアの2級祝日です。「本日の、<聖福音>にあるとおり、聖ペテロの兄弟聖アンドレアと聖ヨハネとは、イエズスに最初に呼ばれた弟子であった。
聖アンドレアについて語り残されていることは、ごくすくない。かれの殉教録には、『神なる師イエズスと同じように、十字架にかけられて死んだ』としるされている。」(「毎日のミサ典書」)


聖カタリナラブレ修道女の腐敗を免れた遺骸

昨夜は…

昨夜は、寒さで冴えわたった夜空に星がとてもきれいでした。私の体調が悪いのと猫にパソコンの前の椅子を占領され、昨夜中にこの話題をアップできませんでした。眠っている幸せそうなチョコの顔を見ていたら、席を取るために起こすことができなかったのです。
2013年11月27日は、ふしぎのメダイを作ることを、フランスの聖ビンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会のカタリナ・ラブレ修道女*に聖母がご出現して命じられた記念日でした。
「1830年11月27日夜のご出現のとき、聖母の美しく輝いたお姿のまわりに金の文字で次のことばを書かれたのです。『原罪なく宿り給いし聖マリア、御身により頼み奉るわれらのために祈り給え』聖母はやさしく愛情あふれたお姿で両手をひろげ、次のようにおっしゃいました。『この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。このメダイをつける人はみな、大きな恵みを受けるでしょう。信頼をもってそれを持つ人には、特別に豊かな恵みが与えられるでしょう。』
そのとき、聖母の両手から光が四方に輝き、聖母は次のようにおっしゃいました。『この輝きは私に願う人びとの上に与えられる恵みのかたどりです。』このおことば通りにマリアのお姿と金の文字のことばを刻んで作られたのが『ふしぎのメダイ』です。
メダイの裏には、+とMの字があり、+の文字は私たちの救いのために十字架上でなくなられたイエズス・キリストをあらわし、Mは苦しむキリストに同伴されたマリアをあらわします。下の部分にある二つの心臓は、受難のときの茨の冠に囲まれたキリストの聖心(みこころ)と、人びとのために御子を犠牲にされ、苦しみの剣で貫かれたマリアの御心(みこころ)をあらわしています。
なぜ、『ふしぎのメダイ』というのでしょうか。それは、このメダイがおどろくべき速さで人びとの間にひろまり、これを身につけた人に多くの恵みが与えられて,いつの間にか『ふしぎのメダイ』と呼ばれるようになったのです。このメダイを身につけた人たちは精神的にも肉体的にも数えきれない大きな恵みをいただいています。
聖マキシミリアノ・マリア・コルベは、このメダイを『聖母の弾丸』と呼び、これをできるだけ多くの人が身につけて、人びとがマリアの恵みに導かれるようにと、あつく望んでいました。」(『ふしぎのメダイ』より)

*死後56年たってから発掘された聖カタリナ・ラブレの遺骸はまったく腐敗を免れ、聖母を見た青い瞳孔までが残っていた。聖カタリナの遺骸はパリの愛徳修道会本部、ふしぎのメダイ教会に安置されている。(2013年11月28日)

カテゴリ→聖母マリアの栄光

昨夜のトリエントミサでは、日本の「殉教者、福者レオナルド・木村とその伴侶」の2級祝日をお祝しました。「レオナルド・木村はイエズス会の修道士で、1619年11月18日(元和5年10月13日)、他の4名の伴侶とともに長崎で殉教した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月28日)

*本日11月28日は、童貞、聖女カタリナ・ラブレの1級祝日です


冬の薔薇…祈り

今日も晴れました。窓から白い雲が流れてゆくのが見えます。
先週竹林の階段を、朝のぼっていたら、ばさばさと大きな音がして桑の大木が葉を落としていました。朝10時頃です。葉がかれているわけでも、色が変わっているわけでもない緑の葉がばさばさ音を立てていっせいに落ちています。もちろん中には黄色い葉や枯れかかって葉もありましたが…。まるで桑の木が自らの意志で葉を落としているようでした。1時間くらいの内に全部の葉を落としました。丸6年ここに住んで、このようなことは初めてでした。
桜の木はもうすっかり葉を落とし裸になっています。その桜の木の隣の無原罪の聖母像の前に、一つ咲いていた白バラは枯れましたが、新たにもう一つつぼみができていました。冬の薔薇です。(2013年11月26日)

カテゴリ→四季

うつくしい聖母への祈り(挨拶)を紹介します。

めでたし高貴なるマリア

めでたしマリア、永久(とわ)の平和なる栄光の三位一体の白ゆり。
めでたし,天のよろこびの園の輝けるばら。
おお御身、その者によりて神が生まれんことを望み給い、その者の乳もて天の王が養われんことを望み給いし御者よ!流れ出ずる神の恵みもてわれらの霊魂を養い給え。アーメン!

「このように私にあいさつをしてくれた霊魂がその肉身を離れるときに、彼らの大いなる慰めのために、楽園の喜びのいくばくなりともを味わうほどの壮麗な美しさをもって、私は彼らに現れるでしょう」
祝されし乙女マリアから、大聖ゲルトルードへ
(啓示の書Ⅲ、第ⅩⅧ章)


エンメリックの部屋の再現

福者アンナ・カタリナ・エンメリックの伝記2

カタリナは、北ドイツ、ウエストファーレン地方、コースフェルト近郊にある農村で1774年9月8日生まれ、9人兄弟姉妹(男6人女3人)の5番目、最初の女の子として育った。…

1811年ウエストファリア国王の命令で、デュルメンの聖アウグスチノ修道院は閉鎖された。エンメリックは他のシスターたちと共に修道院を出た。
当初はフランスから逃れてデュルメンに住んでいたアベ・ランベール神父の家政婦となっていたが、すぐに病気となってしまい、その司祭の世話により、ある貧しい未亡人の家に身を寄せた。1813年、寝たきりになりベットの上で生涯を送ることとなった。エンメリックが胸に十字架の形の聖痕を受けたのはこの頃で、エンメリックは長い間いばらの冠の聖痕による痛みに耐えていたが、さらに胸の十字の聖痕の痛みそして、両手、両足、右わき腹に聖痕を受けることとなった。その聖痕の特徴として、いくつかのものは毎週水曜日、そしてその他のものは金曜日に血をふきだすことが記録に残されている。
病床にあっても、エンメリックは人々への愛情にあふれ、助けが必要な人々を助けようとした。貧しい子供たちのために服を縫うことで、子供たちを救えることを非常に喜んだ。彼女の病床には多くの訪問客が訪れ、明らかに彼女には迷惑であったにもかかわらず、彼女は親切にそれらの人々を受け入れ、それらの人々に励ましと慰めの言葉を与えた。エンメリックは、自分の苦しみを人々の救済のための賜物であると考えた。彼女はこう言っていた。

私を、過ちや弱さのために間違った道を歩んでいる人々の罪の償いとしていただけるよう、神から特別な賜物をいただけるように、いつも願っています。

1819年、詩人クレメンス・ブレンターノと出会い、最初の訪問いらい彼は5年間デュルメンに滞在し1819年からエンメリックが死ぬ1824年までエンメリックが見た幻視の内容を聞き取り、記録した。それはエンメリックの死後約10年後にエンメリックの著作として出版した(邦題:『キリストの御受難を幻に見て』)。
エンメリックの死後、ブレンターノは他の原稿も準備したが、ブレンターノが1842年に死亡したため、同書はその後1852年にミュンヘンで出版された。(邦題:『聖家族を幻に見て』)

*右上の写真は、デュㇽメン・ドイツ:聖十字架教会内部にあるエンメリックの部屋の再現。 家具類はオリジナル。

エフェソス近郊にある聖母マリアの家



聖母マリアの家

エンメリックがヴィジョンとして見た『聖家族を幻に見て』(光明社)には、聖母マリアがエフェソスの近郊にある丘に暮らしていたとの記述があった。1881年フランスのジュリアン・ゴヤット神父が聖母マリアの家に関する記述からその遺跡を発見した。その後マリー・デ・ゴンセ修道女がゴヤット神父が発見した場所に聖母の家があったことを主張。ほかの二人の司祭も遺跡の発見を確認した。
1896年に教皇レオ13世が訪問し、1951年に教皇ピオ12世はこの家が聖なる場所であると宣言した。教皇ヨハネ23世は、後にこれを永久宣言とした。パウロ6世が1967年、ヨハネ・パウロ2世が1979年、そして教皇べネディクト16世が2006年にこの家を訪れ、この家を聖地とみなした。

*右上の写真は、エフェソス近郊にある聖母の家の遺跡の上に建てられた礼拝堂。トルコ(2013年11月24日)(『Wikipedia』より)

本日(2013年11月24日)は、歴年最後の主日です。現代では、年間最後の主日と言っています。「典礼歴年の最後の主日は、主の光栄の来臨の準備の日のようである。この準備は、待降節につづく。実に、典礼歴年には終わりがないといってよい。歴年は、たえずめぐり、終わりもはじめもない神の方へと、われらをみちびいてゆくのである。<集祷文>は、われらの眠った意志をゆり起こし給えと願う。われらは、より高きに上り、至福直観に至るべき者である。<入祭文>は、神がわれらに対してもち給う平和と愛とを告げる。<聖福音>では、起こるべきわざわいの日に、余りおそれるなと、われらに教える。それは、主の日をむかえる前に、どうしても通らねばならぬ日だからである。
主の日は、誰も知らないうちに、突如として来るであろう。故に、主とその弟子らとのすすめにしたがって、たえず警戒しなければならない。」(「毎日のミサ典書」)


エンメリックの生家

福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言4

1820年9月27日 幻視

私はまことに嘆かわしいことを見ました。人びとは教会の中で、賭け事をし、飲食し、話をしているのです。彼らは女性を連れてきて、あらゆる忌み嫌われることをしでかしています。司祭はそれらすべてを許し、大いなる不敬を以てミサをとり行っています。若干の人々は信仰が篤く、ほんとうに一握りの人々だけが健全な心を持っているのが見えました。


1821年6月1日 幻視

私が見た幻の中で最も奇妙なのは、長い司教の行列です。彼らの思想や話は、私には彼らの口から出るイメージを通してわかりました。彼らの宗教に対する欠点は彼らの外形の不恰好さでわかります。若干の人々は頭の代わりに暗い雲で身体だけの姿です。他の人々は頭があるだけで、胴体や心はあつい水蒸気に包まれています。ある人々はビっこで、ある人々は身体がまひしています。また他の人々は眠りこけたり、よろめいたりしています。ほとんど全ての司教はこんな姿ですが、ほんの少数の人は健全です。

*司教や司祭たちのために祈ってほしいと御出現でたびたび、天の方々は私たちに願われております。(2013年11月22日)

カテゴリ→福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言


伝記によると、エンメリックは幼少の頃より数多くの神秘的体験をしていた。自分の守護の天使や聖母が現れた。聖母がエンメリックを愛しており、ずっと守り続けると確約してくれたこと、また聖母が幼いイエズスを連れてきてエンメリックと遊ばせたこと、大勢の聖人たちが現れ、彼女の作った花の輪を受けとったことなどが語られている。この頃、彼女は特殊な能力を授かっていた。薬草や毒草を見分ける能力だった。彼女は16歳ときから修道院に入ることを望んでいた。しかし病弱と持参金の少なさからどの修道院も受け入れてくれなかった。
28歳の時、1802年聖アウグスチノ修道院に入ることができた。それはオルガニストを探していた修道院が親友のクララ・ソエントゲンのオルガニストの才能を認め、クララとエンメリックを同時に受け入れてくれなければクララを入れないと主張するクララの父親のソエントゲン氏に妥協し受け入れたからだった。当時は修道院が持参金なしで受け入れることはありえなかった。神秘的体験がたびたびあるエンメリックは周囲に反感を持たれたが、エンメリックは肉体的に過度に弱っていたにもかかわらず、元気に忠実に修道院での職務を遂行した。
エンメリックがいばらの冠の聖痕を受けたのは1798年で、修道院に入る4年前であるとエンメリックが語っている。エンメリックが教会で祈っていると、イエズス・キリストが現れ、花の冠といばらの冠をもち、どちらを選ぶか聞かれた。エンメリックがいばらの冠を選ぶとイエズス・キリストはいばらの冠を彼女の頭に載せた。エンメリックがその冠を両手で押しかぶると、イエズスの姿は消えた。その直後に頭部、特に額とこめかみに激痛が走り、翌日以降はいばらの冠の跡のような傷が現れた。その傷は時に血を流した。
修道院では聖痕については秘密にしていた。流血に気づいたシスターは一人だけでそのシスターは秘密を守り通した。
修道院時代からエンメリックは超自然的な力で、病人やけが人を治癒できたことは有名で、修道院に医師にかかることができない貧しい人や医師に見放された人々が押し掛けた。それも他のシスターたちの反発を受けることになった。だが、反感を持っていたシスターたちも病気になると、エンメリックの治癒力の世話になった。(続く)

聖セシリア



本日は、トリエントミサでは、童貞殉教者、聖女チェチリア(セシリア)の2級祝日を祝います。「聖女チェチリアは、ローマ殉教者の聖女の中では,もっとも有名な一人である。
彼女が、潔白の徳に殉教の冠を合わせいただいたのは、3世紀末のことであろうと思われる。殉教の日は9月16日とされているが、古くから、この聖女の家の上に建てられた聖堂奉献の本日、祝日を行ってきた。」(2013年11月22日)(「毎日のミサ典書」)


クリスマスカクタス、イメージ

初冬…聖母の祝日

今日の朝は雨です。昨日までは晴れていましたが…。しかしこれを書いているうちに空が晴れて明るくなってきました。ここ数日、晴れが続いていました。一昨日の夜は、きれいな満月でした。すっかり寒くなったので、家の前の庭の花はほとんど枯れ、薄紫のスミレのみが咲いています。窓辺では、ここ2年くらい咲かなかったクリスマス・カクタスがあざやかなピンク色の花をつけ始めました。3年前に子猫のチョコが家に来たとき、このカクタスの花のつぼみを全部食べてしまいました。子猫のチョコは好奇心がとても強いです。臆病なくせになんにでも興味を持ちます。猫は好奇心の強いせいで、よく命を落とすことがあると、猫の専門誌で読んだことがあります。
その次の年はつぼみができませんでした。今年咲いたのは、肥料をたっぷりあげたからです。野菜も花も肥料が肝心なのでした。
パソコンの前で打ち込みをしていると、チョコが私の膝にのりグルグル喉を鳴らしています。幸せそうなチョコの姿を見ていると、私の気持ちも平和になります。(2013年11月21日)


カテゴリ→四季


本日は、聖マリアの御奉献の1級祝日です。「古い伝承によると、聖マリアは、幼時エルザレムの神殿に奉献され、神に聖別されたという。本日の典礼に合わせて、われらもいつか天の神殿に入りうるよう、その恩寵を祈ろう。
この祝日は、6世紀ごろから東方教会で祝われるようになり、西方教会では、14世紀から祝われるようになり、1585年シクスト5世教皇が全教会で行うこととし、クレメンテ8世はこれを1級祝日とした。」(毎日のミサ典書)(2013年11月21日)


ガブリエル・フォン・マックスによる肖像画

福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言3

1820年8月25日 幻視

昨夜どうやってかはわかりませんが、私はローマに連れて行かれました。私はサンタ・マリア・マジョーレの大聖堂近くにおりました。そして私は教皇のおすがたがどこにももう見られないので、また街のうわさのために心配し、悲しんでいる多くの人々を見ました。この人々は教会の扉が開いていることは期待していないようで、ただ外で祈っていたいだけのように見えます。個人ごとに内なる声に導かれてここへ集まったのでした。私は内部におりましたので教会の扉を開けました。彼らは扉が開いたのでびっくり仰天しながら入ってきました。礼拝は何も行われていなかったのですが、御聖体のランプはついていました。人びとは全く平和にお祈りをささげました。

私は聖母のお姿を見ました。聖母は苦しみは非常に大きくなるだろうと言われます。そしてこの人々に両手を伸ばしてできるだけ長く(ゆっくり)主祷文を三回熱心に唱えねばならぬと申されます。これが救い主が十字架上で彼らのためにお祈りになったなさり方なのです。彼らは夜中12時に起きて教会にやってきて、このやり方で祈らなければなりません。何事よりも、まず、暗闇が教会より去るように祈るべきです。
また聖母は非常に多くの事をお話くださいましたが、それらを書くのは苦痛です。そして、たった一人の司祭が、使徒がなさったようなやり方で価値あるミサ聖祭をおささげしたら、来るべき災害を全てさけることができると申されました。
これらの人々は御出現は見ていませんが、何かしら超自然的なものに心を動かされたようで、聖母が両手を開いて祈らねばならぬと言われたとき、ただちに彼らは全員手をあげました。この人々は善良で信心深い人々です。

*この 幻視は、大警告の前に教皇がローマを去る時の幻視と思われます。その時には教会の扉は閉ざされているのです。
*冒頭右の絵は19世紀後半・オ―ストラリアの画家ガブリエル・フォン・マックスによるエンメリックの肖像画。

1820年9月10日 幻視

私は聖ペトロ大聖堂を見ました。至聖所と主祭壇をのぞいては、全て壊されていました。武具に身を固めた聖ミカエルが下りてこられました。彼は沢山の入って来ようとする悪い司祭たち(bad pastors)*を剣で止め、脅しております。破壊された教会の一部は軽い木材で囲まれたので祭儀はとり行われるようになりました。それから全世界から、司祭や平信徒がやってきて(破壊者は重い基礎の石を動かすことはできなかったので)石壁を再び積みなおしています。(この項続く)(2013年11月19日)

*この悪い司祭たちとは、反教皇側の司祭たちのことと思われる。

カテゴリ→福者アンナ・カタリナ・エンメリック

本日は、チューリンゲンの聖女エリザベットの2級祝日を祝います。「チューリンゲンの聖エリザベットは、ハンガリアの聖女ともいわれる。
1207年、ブレスブルグにハンガリア王アンドレアス2世と、ドイツのゲルトルード。フォン・アンデックスの子として生まれた。1221年チューリンゲン(ドイツ)のヘルマン伯の子息、チューリンゲン領主、ルドウィヒと結婚し、幸福な生活の中に一男、二女をあげた。夫妻ともに人民を愛し、夫の不在中、エリザベットは夫に代わり国政をおさめ、大飢饉に際しては、全収入をあげて窮民を救った。十字軍遠征中の夫の没後(1227年)、フランシスコ第三会に入り,財をすて、マールブルグ市付近に小さい庵をむすび、祈祷と慈善の生活をおくった。1231年11月17日、24歳でマールブルグで没した。
自発的清貧、隣人愛への自己奉献、聖寵によって完成された魅力ある人格ゆえに、現代も尊崇されている。1235年、グレゴリオ9世教皇により列聖。」(毎日のミサ典書)(2013年11月19日)


福者アンナ・カタリナ・エンメリック

福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言2

1820年6月12日 幻視

私は聖なる皇帝ヘンリー*を幻視しました。私は夜大きな教会に彼がただ一人主祭壇にひざまづいているのを見ました。また聖母が御ひとりで下りてこられるのを見ました。彼女は祭壇に、白いリンネルに覆われた赤い布地をかけられました。また宝石のちりばめられた聖書をおかれました。ローソクと御聖体のランプに灯をつけられます。そこへ司祭の服をお召しになった救い主がお出になります。カリスとそれを覆う布を持っておられます。2位の天使が主に仕え、2位の天使が後に従っています。祭壇の鈴はありませんが、瓶は置いてありました。ブドー酒は血のように赤く、水も置かれています。

御ミサは短いものでした。最後に聖ヨハネの福音書は読まれませんでした。御ミサが終わると、聖母はヘンリーの所へお出になり、手をお延ばしになって彼の純潔を認めると申されました。1位の天使がヤコブのように彼に手をふれると、ヘンリーは激痛を覚え、その日よりびっこをひくようになりました。


*終わりのとき、これから現れサタンの軍隊と戦うことになると預言されている偉大なる君主のことで、フランスから現れると預言されている。

1820年8月より10月までの幻視

私は多くの殉教者を見ています。--今ではなく、未来のです。私は秘密結社(フリーメイソン)が、無残にも偉大な教会を傷つけるのを見ています。彼らのそばに海から昇ってきた恐ろしい獣を見ました。世界中の信心深い善良な人々、特に聖職者が圧迫され、投獄されます。私は彼らが殉教者となるのだと感じています。

教会がほとんど破壊され、至聖所と祭壇だけが残った時、私は秘密結社(フリーメイソン)の人間が獣と共に教会に入ってくるのを見ました。そこで彼らは子連れの上品な婦人*を見て、その人に恐怖を与えようとしましたが、獣は一歩も前進できません。獣は彼女に喰いつこうとするかのように、首をつき出しますが、彼女は向きを変えて(祭壇に向かって)お辞儀をします。彼女の頭が地にふれると、獣が再び海に向かって突進し、敵は大混乱のうちに逃げ出すのを見ました。それから私は遠方に大部隊が近づいてくるのを見ました。前面に一人の人*が白馬に乗っているのが見えます。捕虜が解放されてこの人と合流します。敵は全て追われ、教会は迅速に建て直され、以前のより立派となりました。

*黙示録の婦人すなわち聖母を表していると思われる。
*偉大なる君主(皇帝ヘンリー)!?

1820年8月10日 幻視

私は非常な苦しみの中にある教皇*を見ました。彼は以前と違った離宮に、極く少数の友人と住んでおられます。私は偽りの教会が進展してゆき、人々に怖ろしい影響を与えるのを見ています。教皇と教会は悲しみの極みにありますから、私たちは昼も夜も天主に嘆願せねばなりません。

昨夜、私はローマに連れて行かれましたが、聖父(教皇)は悲しみの内にまだ(彼に対してなされた)危険な要求から逃げて隠れておられました。彼は弱弱しく、疲れ果てておいでになりますが、悲しみと気苦労と(長い)お祈りのためです。今はもう数人の人しか信頼できる人がおりません。これが隠れておられる主な理由です。しかしまだおそばに老人ではありますが、素朴で信仰の篤い司祭がおります。彼は教皇の友人であり、彼ら*もこの人を移動する必要もないと考えました。しかしながらこの人は天主より多くの聖寵を受けている方でした。彼は多くの事を見聞きして、忠実に教皇にお知らせしています。私は、教皇のおそば近くにおりながら裏切っている高位聖職者や、邪悪な人々を、そのために祈っておられる教皇にお知らせしたいと思いました。

*この教皇がベネヂィクト16世であられることはこの預言から明白だと思われる。
*彼らとは、反教皇とその周囲の人々を指すと思われる。(この項続く)(2011年11月18日)

カテゴリ→福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言

福者アンナ・カタリナ・エンメリック

福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言1

アンナ・カタリナ・エンメリック(1774年9月8日~1824年)ドイツの聖アウグスチノ会の修道女。聖痕を受けた。2004年故教皇ヨハネパウロ2世によって列福。
知人から送られたきたアンナ・カタリナ・エンメリックの預言を下記に載せます。15年以上前にある団体が発送したものです。MDMのメッセージが広まるべき今こそ、この預言も読まれるべきだと思います。今この幻視を読むと、MDMのメッセージと約200年前の預言との相似に驚きます。

1820年5月13日 幻視

私は偽りの教会の結果がいかに有害であるかを見ました。それは次第に大きくなってあらゆる種類の異端が、ローマに入ってくるのを見ました。地方の聖職者は生ぬるくなり、大きな暗闇が見えます。……それから幻視はあらゆる方面に広がりました。全てのカトリック共同体は圧迫され、悩み、制限され、自由を奪われます。多くの教会が閉じられ、全地に悲惨、戦争、流血があるでしょう。野蛮で無知な大衆が過激な行動をとります。しかしそれは長くは続きません。
私はもう一度聖ペテロの教会が、嵐が吹き荒れている間、秘密結社(フリーメイソン)によって展開された計画によって傷つけられるのを見ました。しかし私はまた悲しみの極みに達した時、助けがやってくるのを見たのです。……聖母が再び教会の上にお昇りになり、ご自分のマントを広げられるのを見ました。教皇*はすぐにしっかりとおなりになり教会は新しく生まれ変わり、空高く昇るのを見ました

*この教皇は、べネディクト16世のことを指していると思われます。MDMのメッセージ参照。

1820年9月12日 幻視

私は定則に反して建てられた見慣れぬ教会を見ています。一位の天使すらもその建築作業を監督していません。教会の内部には天より来たものは何一つありません。ただ混乱があるだけで、多分人間の手による新しい異端と同種類の流行の教会なのでしょう。
私は再びローマに建てられる奇妙な大教会を見ました。その中には聖なるものは何一つありません。全ての仕事は機械的に行われたのです。
私はあらゆる種類の人間、もの、教義、意見を見ました。傲慢で、僭越で暴力的でありましたが、大変成功しているように見えました。しかし、一位の天使も、一人の聖人もこの仕事を助けてはいませんでした。その背後に武装した残忍な人々の席があり、笑いながらこう言っている人影を見ました。「できるだけしっかり建てろ。我々がそれを地面に引き倒してやる」(この項続く)(2013年11月16日)

カテゴリ→福者アンナ・カタリナ・エンメリックの預言


本日は、童貞、聖ゲルトルード(ジェルトルーデ)の2級祝日を祝います。「中世紀における最大の神秘家の一人であり、大聖女と呼ばれる聖女ジェルトルーデは、1256年1月6日、ドイツ、チューリンゲンに生まれた。少女のころ、咲くソニアのヘルフタにあるシトー会修道女院(ベネディクト会修道女院とする説もある)に入り、二十五歳の頃すでにその聖徳をうたわれ、1281年にから神秘的経験をするに至った。教会の典礼と緊密に関連して、高度の聖寵をうけ、イエズスとの親しい一致のうちに、神秘的生活をおくった。至現において、「主は友のように」彼女に話しかけ、人々に対するその妙(たえ)なる愛をお示しになった。彼女は、聖女マルガリタ・マリア・アラコックに先立つこと四世紀、イエズスの聖心の信心をひろめ、「聖心の預言者」と言われる。主の啓示,示現を綴ったその著作は、神秘神学書中の白眉で、聖心に関する神秘神学形成に影響を及ぼした。
1302年、ヘルフタの修道女院において、46歳で永眠した。祝日は、クレメンテ十二世教皇により、1738年、全教会で祝うように定められた。(毎日のミサ典書)(2013年11月16日)


マリアの最大の約束;

「地獄の門は、毎月の初土曜日に閉じます。この日には誰も地獄へは行きません。しかし煉獄の門は開いています。ですから、多くの霊魂が天国へ到達することができます。これは御子の憐みぶかい愛の御業です。これは、わが汚れなき御心を崇敬する霊魂への報いなのです。」

ーハンガリーの一教区の司教認可

聖母の汚れなき御心を崇敬するということは、どのようなことでしょうか。聖母マリアの嫌われることをしない―罪と悪徳を避けること。聖母の汚れなき御心とイエズスの聖心の画像を家に飾ること*。聖母の意向(罪人の回心、世界平和、等)で、ロザリオを祈ること。聖母が好まれることをすること。―徳を実践すること。(謙遜、柔和、従順、愛徳等)
家が守られるように各部屋に聖母の汚れなき御心とイエズスの至聖なる聖心の画像を飾るようにという指示が、かつて幻視者を通してありました。またこの20年の間に、ほかの幻視者によって、家を守るために各部屋にイエズス・キリストの『御憐みの御絵』を飾るようにというメッセージもありました。この御絵はポーランドの聖フォスチナ(ファウスティナ)が受けたイエズスの御出現のときの絵です。そのメッセージを受けた幻視者の名前は思い出せませんが…。私の家では、各部屋にこれらの3枚の御絵を飾っています。

(2013年11月15日)

御憐みの御絵

カテゴリ→聖母マリアの栄光

本日のトリエントミサでは、教会博士、司教、証聖者、大聖アルベルトの祝日をお祝します。「大聖アルベルトは、1193年シュワ―ベン州ンの小都市ラウインゲン(ドイツ)のボルトシュテット伯の子として生まれた。
ドミニコ会に入り、ボローニァ大学で神学を研究し、のちにパリ大学、ケルン大学で教鞭をとった。ケルン時代、その弟子として有名な聖トマス・アクィナスが出た。
ドイツのドミニコ会管区長となり、レーゲンスブルグの司教ともなった。しかし、神学を教えるためにまもなく司教座を辞した。1280年11月15日、ケルンで帰天した。
彼は、中世神学界の一権威であるとともに、スコラ哲学の先駆者であり、また自然科学に関する造詣も深かった。
1931年、ピオ十一世教皇により列聖され、教会博士と宣言された。」(毎日の典書)(2013年11月15日)


田舎生活…

昨日ヤマメの卵がすべて孵りました。3個の卵は白くなり捨て、一個は、卵から孵ったものの小魚の下の卵が白くなり死んでしまいました。96匹が元気に孵り、一生懸命体を動かしています。
傾斜がついている土地をなおすのに、土がどうしても必要になり、池の予定の穴をさらに掘りました。雨水がたまってもやがて土に吸収されてしまいます。穴の底にコンクリートを近いうちにひかなければなりません。泉から引いている水を小川と池に、近い将来ふり分けるのです。穴の深さが150センチほどあり、けっこう深いので鷺には食べられないと思います。冬になると,鷺が飛んできて小川の金魚を食べてしまいます。水深が浅いと、鷺が水の中に立ちじっと観察していて金魚を食べてしまうのです。小川は犬小屋にも近いので、グレイが鷺を脅かしてくれるとよいのですが…そうはしないのです。鷺は身長が1メートルくらいあるので、犬も猫も怖いのかもしれません。わたしから見ても、鷺の顔はけっこう怖いです。
予定の池は深いので、ヤマメはそこに放しても鷺が池の中に立てないので安全なはずです。小川の方は、小川の底にたまった泥を最近かき出しました。それでも水深は30センチくらいです。冬までには、小川の鷺対策をなんとかしなければなりません。(2013年11月13日)

カテゴリ→田舎生活

本日のトリエントミサは、証聖者、聖ディダゴの祝日を祝いました。「1400年ごろ、スペイン・アンダルシア州のサン・ニコラス・デル・プエルトの貧しい家に生まれた。アリザファのフランシスコ会に入り、助修士になった。極めて厳格に清貧と節欲とを実践し、また注腑的知識にも恵まれていた。1441年宣教師としてカナリア諸島に派遣された。そして単なる助修士であったにもかかわらず、フェルテベントゥラの修院長になった。1463年11月12日、アルカラ(スペイン)で帰天した。1588年列聖。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月13日)


画像の説明

初雪…追加

昨夕、6時前後に雪が降り始めました。猫のチョコはお外が大好きなのですが、ちょっと出かけたと思うと、もう帰ってきました。それを何回も繰り返しています。本来猫は、冬には家の中で炬燵で丸まって過ごすらしいのですが、うちでは炬燵は出していません.まきストーヴと電気ストーブで暖を取っています。炬燵を出すと、人間の行動が不活発になりがちです。チョコは猫ベットに寝たり、その日の好みの椅子の上で寝ています。
今朝、目が覚めて窓から外を見ると、所々うっすらと雪が積もっていました。断続的に、雪も降っています。チョコは小雪が舞う中、朝5時ころに散歩に出かけました。
昨日のテーマの『病院で殺される』の著者船瀬俊介さんの長女真愛美(没年14歳)さんは「埼玉医大に殺された」という短い報告が本の最後に載っていました。その部分を引用します。「入院してわずか33日。小さな命は消えた……。『医師の説明どおり、投薬は病状をなおしてくれる』。そう信じきっていた。しかし、急死後、『注入液には悪性症候群という致死的副作用があったのです』と医師はポツリと漏らした。『まさか!』『だまされた』私は弁護士を立てず、個人訴訟を決意。同医大を提訴し、主治医を刑事告訴した。そして全面勝訴。主治医には、業務上過失致死罪で有罪判決が下った。」
そして過激だと思われる各項目は、それぞれの章の中で、サイエンス雑誌、論文、医師の証言等証拠をあげて証明されています。単なる陰謀論やセンセーショナルな読み物ではないのです。
『病院で殺される』という本は、病院で幼い娘を殺された父親の戦いの記録でもあったのです。(2013年11月12日)

カテゴリ→終末のしるし


本日はトリエントミサでは、教皇殉教者、聖マルティーノ1世の祝日です。「649年から655年まで教皇の座についた聖マルティーノ1世は、異端派(キリスト単意説)とのたたかいでも有名である。
のちにこの異端を信奉する東ローマのコンスタンす2世に逮捕されテ、コンスタンティノープルに連れて行かれ、屈辱や多くの苦しみをしのんだ。さらに囚人としてそこからケルソネソス島に流され、そこで餓死した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月12日)


地上の悪2…国際医療マフィア

この半年の間に、「病院には行かない、医者には掛からない」というテーマの本を数冊読みました。うちでは基本的に医者にはかかりません。昔は違いましたが、この山の中ではよい医者が見つかりにくいということもあります。7年間病院には行きませんでした。これからも外科(外傷)はしかたがないにしろ、行くつもりはありません。でも、それはこれらの本を読んだからというわけではありませんでした。
最近、
知人から『病院で殺される』(三五館)という本が送られてきました。それを読んで、気分が悪くなりました。あまりの医療現場のひどさに、です。医療が、医療マフィアと呼ばれるロックフェラー財団に牛耳られているというからです。イルミナティとも呼ばれている、イエズス・キリストがグローバルパワーと呼んでいる地球を支配下に置こうとするグループが、医療も独占していたとは!
これらの本に共通していることを羅列してみます。

・インフルエンザワクチンは打たない。理由は絶えず変化するインフルエンザウイルスには無意味である。

・抗がん剤ー毒ガス兵器から作られた。

・予防接種―時限爆弾(つまり後々病気が発生する!?)

次の下記の項目は『病院で殺される』からの引用です。過激ですから必要であれば本を読んで識別してください。自分の身体であり命です。

ワクチン:(劇薬)で子供を殺す。
予防接種:有害無益、病人狩りの仕掛け罠(わな)
輸血:昭和天皇も殺した近代医学の最大の失敗。
血液製剤:副作用まみれの吸血ビジネス。
白血病:ガンではなかった!団十郎も殺された。
抗がん剤:ガン死亡率41倍の毒ガス兵器が化けた。クスリ:飲むのは動物以下の愚行。
臨床試験:3分の2はねつ造、科学雑誌の半分以上は無効。
風邪クスリ:絶対飲むな!治す薬はない。寝てれば治る。
ガン治療:拒否した人は4倍以上長生きする。
三大療法:抗がん剤・放射線・手術で年28万人を殺戮。
うつ病薬:自殺リスクが10倍増!暴力衝動で犯罪多発。
老人医療:最後は裏の”薬殺マニュアル”で「処分」。
平均寿命:長寿神話の嘘。ペテン数値にだまされた?

何事も他人(医者)任せにせず、自分で調べ自分で決めるしかありません。今の時代は、地上に悪が跋扈している終末のときだからです。(2013年11月11日)

カテゴリ→終末のしるし

本日は、トリエントミサでは司教証聖者、聖マルティーノの2級祝日を祝います。「パンノニアのサバリア(ハンガリア)に生まれた聖マルティーノは、ローマ皇帝の軍隊の一人として、ガリア(フランス)に来た。この時はまだ信者ではなかったが、ある日、アミアンの近くで貧しい人を見て、自分のマントを分けてやった。
その後信者になってから,ポアチィエの聖ヒラリオのもとで隠修士となり、のちにトゥールの司教となった。
宣教師、霊魂の牧者となり、修道生活を広めるために大いに努力し、不朽の光栄を獲たのである。397年トゥールに近いカンドで帰天した。
聖マルティーノは、西方教会初の証聖者である。
(「毎日のミサ典書」)(2013年11月11日)


死を想う

毎日、書くテーマについてはっきりしない時や思いつかない時は、聖櫃の前で黙想するか、聖櫃のイエズス様に相談します。そうするとたいていヒントやこれについて書きなさいという示唆が聖櫃から飛んできます。アイデアが飛んでくるのです。
今日のテーマもそうでした。死者の月ですから、死について書くのは妥当だと思いますが…。人間はいつか必ず死にます。早いか遅いかの違いだけです。死ねばその行き先は、天国か地獄かのどちらかです。煉獄に寄って罪の償いをして天国へという道もありますが、煉獄の霊魂は天国行が確定している、祝福された聖なる霊魂なのです。
罪を犯しかねない重大な誘惑を感じたとき、地獄の恐ろしさ、悪魔とともに永遠に過ごさなければならないことを思えば、罪を犯す誘惑から逃れられます。地獄に落ちた霊魂が、「もっと司祭が地獄について説教してくれてたならば…」と恨み言を言っていました。たったひとつの大罪を告解しないために、地獄へ落ちた霊魂がたくさんいるのです。サタンは罪を犯すときには取り去った羞恥心を、告解のときに霊魂に返します。霊魂が救われないように。恥ずかしくて、大罪を告解できないように恥じと失望とをささやきます。このサタンの誘惑から逃れるためには、聖母により頼むことです。ロザリオを祈ることです。
カトリック信者は(特に修道者)、毎月日を決めて死について黙想するよう昔は指導されました。静修*と呼ばれていたと思います。
四終という言葉が公教要理には出てきます。人間の生活の最後に起きることがらです。死・審判・地獄・天国の四つです。ピオ十世の公教要理には、次のようにあります。「死はこの世の人にとっては最後に起こること、神の審判は人の受けるべき裁きの最後のもの、地獄は悪人が受ける最悪のもの、天国は善人が受ける至福の栄光のことです。」
「四終について考えれば罪を避けるために効果的ですから、毎日、特に起床の祈りと就寝の祈りのとき、そして誘惑を感じたときに四終について考えなければなりません。」
審判には、死の直後に受ける私審判(霊魂の個人的な罪の裁き)と公審判(霊魂と肉体が共になり復活して、全人類が受ける公開の裁き)があります。公審判では、罪が公に裁かれるのです。天国へ行く霊魂はその栄光のため、地獄へ行く霊魂はその罪と恥じのため、公けに裁かれるのです。

*良い死の練習


(2013年11月9日)

カテゴリ→公教要理

本日は、至聖なる救世主の大聖堂献堂式の2級大祝日をお祝します。「本日は、ローマのラテラの大聖堂の記念日である。この大聖堂は、ローマの司教たる教皇座大聖堂であるので、「全聖堂の母聖堂」として尊ばれている。ローマ・チェリオ丘のラテラ二家の宮殿は、コンスタンティノ帝の皇妃ファウスタの所有するところであったが、皇帝のキリスト教回心の後、帝はこれを教皇の私邸として寄進し、ラテラノ大聖堂(バジリカ)を立て、324年11月9日、教皇シルベストロ1世が、これを救世主の大聖堂と命名し、献堂式、すなわち、聖別式を行った。
12世紀には、ラテレノの洗者聖ヨハネの大聖堂ともいわれるようになった。今もそうである。4世紀から16世紀にかけて、この大聖堂と隣接の宮殿で宗教会議が開かれること二十五回以上、そのうち五回は公会議であった。この大聖堂の大部分は、インノチェンツィオ十世教皇(1644-55年)により再築され、1726年11月9日、ベネヂィクと13世により、再度聖別され、レオ十三世は至聖所を拡大した。」(毎日のミサ典書)


まっすぐ天国へ行く方法…祈り

まっすぐに天国へ行けるということは煉獄で罪を償う必要がないということです。償いをする所である煉獄は、罪を償うところですからとても苦しいところです。一番低い煉獄は地獄とさほど変わりがないと言われます。ただ必ず天国へ行けるという希望があります。下記の祈りを祈ると、大罪がない限り、まっすぐ天国へ行けるといわれます。

日々の怠りを償う祈り


一つには、わが今日および全生涯の間に犯せしすべての罪を償わんがために。
願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを……*!

二つには、わが今日および全生涯の間に悪しく行いし善を浄めんがために。
願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを……!

三つには、わが今日および全生涯の間に行うべきに行わざりし善に代えんがために。
願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを……!

死んだばかりの一人の貧しいクララ会の修道女が彼女のために祈っていた女子修道院長に現れて申しました。「私は真っ直ぐに天国へ参りました。というのは、毎夕唱えましたこのお祈りによって私は負債を払ったからです。」(この祈りは告解に代用されるものではありません。)(「ピエタ」)*栄唱

カテゴリ→祈り

本日は、トリエントミサでは、殉教者、四人の聖なる戴冠者の祝日を祝います。
「四人の聖なる戴冠者とは、名を知られていない四人の殉教者である。この四人は、クレメンテ、シンプロニァノ、クラゥデイオ、ニコストラトの四人か、あるいは、セヴェロ、セヴェルアノ、カルポフォロ、ヴィクトリーノの四人かである。迫害時の混乱のため、公の記録が失われたらしく、名は判然とせず、ただ四人の殉教者として知られ、崇敬されていた。ディオクレツイアノ帝の迫害のとき、ローマで殉教した。」(「毎日のミサ典書」)(2013年11月8日)


ヤマメ孵る

今日は曇り空です。ベイ(出窓)のカーテンを開けると、外の台の上の猫ベットにいるチョコがにやーと鳴いて「おはよう、早くおうちに入れて」と挨拶しました。ドアを開けても入ってきません。お姫様のように台の上でお迎えを待っているのです。
ビニールハウスの中においてある水槽に、一昨日五ミリほどのヤマメの卵の中に目ができていました。すべての卵の中に目のようなものが見えました。そして昨日、一個の卵の上に小さな稚魚がのっているのを見つけました。孵化したのです!卵の上に稚魚がのっている、つまりボールの上に棒がのっているという恰好です。稚魚の身体に比べ卵が大きすぎるので、まだ泳げないのです。稚魚は卵の上でじっとしています。時々頭をグイッと動かします。これから来春氷が解けて池に放されるまで、水槽の中で生きていくのです。卵が小さくなり、最後になくなればエサをあげます。
一個の卵が白くなり死んだので捨てました。水槽に入れておくと、伝染します。腐って水も悪くなります。
水温が一五度だと少し高すぎるかもしれない、と親切に会社(養魚場)からメールが来てました。ヒーターの最低温度が一五度なので、ビニールハウスの窓を開けて、水温を下げるようにしました。
今日ビニールハウスに稚魚を見に行くと、尾を激しく動かして移動していました。なんとなく体も少し大きくなったようです。(2013年11月7日)

カテゴリ→田舎生活


チーター

青空…地震対策?


昨日はよいお天気になりました。雲一つとない青空です。洗濯をしてベランダで干しながら、グレイに声をかけました。グレイは寒いこの季節が気持ちよいのか、外で寝ています。グレイはちょっと、目を動かしまた眠ります。私の声が聞こえたのか遠くからニャーと聞こえました。少し大きな声で「チョコ―」と呼ぶと、チョコが泉との境の土手にある木の下から這い出し、物凄い勢いでかけてきました。まるでクッキーのようです。前猫のクッキーは呼ぶとよく遠くの田んぼのあたりから、チーターのようにかけて帰ってきました。
午前9時頃,新聞を取りに出かけたついでに、イチジクの実をチェックしました。うちのイチジクは固い上に小さくて、生では食べれません。去年赤ワインと砂糖で煮る方法を知り、やってみました。なんとかおいしいデザートになりました。今年もそうしてみようと思いますが、肥料をまったくあげていないので、来年は、実のために肥料をあげて試してみようと思います。肥料をあげても固い、小さい実しかできないのならそういう種類のイチジクだとあきらめるしかありません。
今日もお天気が良いので、太陽光発電のシートをベランダに広げました。充電のためです。太陽光発電についてさんざん調べ、結局あまりにも予算がかかりすぎるのでその100分の一の予算の太陽光発電シートにしたのでした。晴れた日に充電しておけばランタンや携帯電話の充電に使えます。3・11の東北大地震の時この地域は約1ケ月、電気が使えなかったのです。その時はろうそくでやりくりしました。なるべく夜は早めに寝て、朝早く起きたのでした。食品は、約1ケ月お店がすべて閉まり何も買えませんでした。3月10日に買い出しに行っていたので、二つの冷蔵庫に満杯の食料と終わりの時の準備の食品で約1ケ月持ちこたえました。水だけは最後まで大丈夫でした。湧水を使っている村の水道だからでした。
太陽光発電は、地震対策というよりも、終末の準備の一つのつもりです。食料、水、ろうそく、毛布等の準備をするように30年以上前から天のメッセージで言われてきています。物々交換用に多少の金や銀をもつことを言っていたのは、メアリー・J・イーブンのメッセージでした。MDM のメッセージでは、ある程度食料をためておけば(信仰によって)イエズス・キリストが増やしてくださると言われています。それゆえ大量にためなくともよい、と。しかし無い物は増えません。自給自足について天が言及されているのは、野菜や果物のような新鮮な食料のためではないかと思われます。(2013年11月6日)
*写真は「National Geogrphic]より

カテゴリ→終末の準備


人工関東地震?…悪魔

昨日、頭が風邪でぼんやりしていたのか、驚くべきブログを見たのに全く驚きませんでした。今朝、目が覚めたら、書かなければとのインスピレーションがありました。(怖ろしい話なので、天からのインスピレーションでなければよいのですが…)
さてはて帳というブログに、関東の建設会社の株が急騰したとのニュースがありました。3・11の時も同じように「佐田建設」の株が3・11の1週間前に急騰したとのこと。2013年10月28日に株が急騰したので、その1週間後というと、11月5日です。詳しくは下記のブログへ。

http://satehate.exblog.jp/20885010/

画像の説明


さてはて帳のトップページに、9・11の写真が掲載されています。ビル崩落の噴煙・粉塵の雲でできた巨大な悪魔が、煙を吐いている貿易センタービルの隣に写っつています。その悪魔の顔は何かヘンテコなのですが、どこかで見たと思えば、聖ミカエルの踏んづけている悪魔の顔にそっくりなのです。(目がそっくり!)
大天使聖ミカエルと悪魔


ある人は、雲の悪魔の胸のあたりに十字架にかかったイエズス・キリストが見えると言います。イエズス・キリストは今も、世界の悪と罪に苦しんでおられます。もしも本当にそこにイエズスの姿が現れているならば、その写真は本物に違いありません。私たちが救われるのは、イエズス・キリストへの信仰によってなのです。地上には悪と陰謀がうづまいています。何か目が回りそうなくらい恐ろしい気がします。しかし、聖母により頼み(ロザリオ)、十字軍の祈りを祈り、天のアドバイスにしたがって終りの時の準備をするならば,苦しみはあっても心安らかになれるはずです。(2013年11月4日)

カテゴリ→終末への準備


田舎暮らし…ヤマメの卵

先日水槽(45センチx30センチx30センチ)を買いました。卵からヤマメを育てるためです。本当はニジマスを育てようと、この地方に引っ越してきた時から考えていたことでした。田舎暮らしの本の中で、小さな池を掘ってニジマスを飼い、お客が来るとニジマスをつって串に刺して炉辺で焼いてもてなしているという話を読んだことがありました。うちの敷地には湧水があり、自然にそれが浅い小さな池となっています。それをもっと掘って深い池にしてニジマスを飼おうという計画を立てていたのです。でも、いろいろやるべきことが多く、今秋やっと卵を100個インターネットで買ったのです。それも偶然ヤマメの卵を売っている会社から電話がきたからです。以前問い合わせて卵1万個からしか売りません、と断られてあきらめていたのでした。その時の先方の対応に勘違いがあったと電話の主は詫びたあと、ニジマスの卵は今の時期ではない(この養魚場では8月)が、ヤマメは今買えるというのです。しかも一個10円で少数の個数から。
田舎暮らしをしょうとは30年前から考えていたことでした。それは天のメッセージ(ベイサイド)で、イエズス・キリストと聖母が田舎へ行き、自分で食料を、農作物を育てなければならないと言われたと知って計画を立て始めたからでした。ところが、田舎暮らしが実現して引っ越しができたのは、ようやく7年くらい前です。それからは病気や老齢(?)、仕事ですべてがゆっくり進んできました。それが思いもよらない電話からヤマメの卵を買い育てることとなったのでした。一昨日、卵が宅急便で届き、泉の水を張った水槽に卵を入れました。水道水を入れるときはカルキの処置をしなければなりません。水槽の中にはヒーターと空気が出るエアポンプを入れました。ヒーターは15度に合わせました。うまく稚魚が孵るかどうか…楽しみです。

(2013年11月4日)

カテゴリ→田舎生活

白バラ・イメージ

冷秋…俳句

昨日、新聞を取りに行くと、聖母像の前に白薔薇が咲いていました。他の薔薇は咲いていません。つぼみもありません。薔薇は、秋でもいいなと思います。
昨日は、朝から急に寒くて寒くて、ついに風邪を引いてしまいました。丸1日寝込みました。足がふらふらするし、鼻水も…。服装一式を冬物に変えました。もともと寒がりでしたが、昨日の寒いという感覚は少し異常でした。2,3日前(10月31日の新聞)、「冷秋」という言葉を俳句に見つけていました。初めて見る言葉でしたが、昨日にはぴったりの言葉だと思いました。その俳句を今日探すと、なんとそれは、「秋冷(しゅうれい)」でした。「秋冷の深夜の位置をインク壺」(杉野一博)同じ作者に「秋暁(しゅうぎょう)の星屑(ほしくず)のこる洗面器」という句もありました。今朝は、日本語の繊細な美しさにふれた日になりました。

カテゴリ→四季


トリエントミサでは本日は、「信仰者の死者の記念」の2級祝日です。『毎日の典書』には、「死者への尊敬は、霊魂不滅の信仰に基づいて、人類のはじまりと同じく古いものであり、原始人、異教徒の中でも行われていたし、今も行われている。
ユダヤ人は、旧約時代にも、死者のために祈りといけにえとをささげていた。公教会でも使徒の時代から、死んだ信者のために祈っていた。
しかし、長い世紀の間、すべてのミサで、死んだ信者を記念してはいたが、特にそのためのミサは行われていなかった。
この死者の記念日を、初めて行ったのは998年聖オディロネ大修道院長であり、そこから、次第に全教会に広まっていったのである。
教皇ベネディクト十五世は、1915年8月10日の教令により、全世界のすべての司祭に、この日三つのミサを立てる許可を与えた。
公教会は、この前日(11月1日)、すでに勝利の国(凱旋の教会)に入った信者を記念し、そして、今日、まだ煉獄で苦しむ霊魂を思いやるのである。ここにあらわれるのは、公教会の神秘体の教義である
煉獄(苦悩の教会)の霊魂は、凱旋の教会のとりつぎと功徳とをうけ、また同時に、この世の戦闘の教会の祈りの効果をもうけるのである。
私の最も小さな兄弟にしたことは、私自身に対してしたのである。」というイエズスの御言葉は、煉獄の霊魂にも適用されねばならぬ。われらは、まずミサ聖祭によって、煉獄の霊魂を助けることができる。この煉獄の霊魂の中にはおそらくわれらの肉親、知人、家族のあることを考え、かれらにこのミサの功徳を与えねばならぬ。これは最も効果のある、また、誰でもなしうる愛の業である。
この3回のミサは、1回は煉獄にある死せる信者の霊魂のため、1回は教皇聖下の意向のため、1回はミサを捧げる司祭の意向のためにささげる。もしこの日が主日にあたるときは、翌日に行う。(2013年11月2日)


天国へのイメージ

11月は…

11月は「死者の月」と言われます。カトリック信者の死者が煉獄にいれば、一番望むものは、ミサを自分のために捧げてもらうことです。今は、死者の80%から90%が地獄へ行くと聖母のメッセージで言われています。サンダミアーノの聖母が30年くらい前にいわれたのは「80%の死者が地獄へ雪が降るように落ちています。」と、その後メアリー・ジエーン・イーブンには「90%以上の死者が地獄へ落ちています。ある日には一人も救われなかった(全員地獄へ行った)」と聖母が言われたことがありました。肉の罪によって地獄へ落ちると聖母ははっきりおっしゃいました。同性愛、不倫、ポルノグラフィ等による罪で地獄へ落ちるのです。痛悔しなければ地獄へ落ちます。
残りの20%から10%の死者のうち天国へまっすぐ行ける者は5%くらいだというのです。残りの15%から5%は煉獄へ行って苦しみながら罪の償いをします。ミサにより償いの期間が短縮されます。ゆとりがある人は、ミサを司祭に頼めます。お金のない人は、ミサに与り、その恵みを死者に譲ることができます。贖宥(免償)は、死者のみに譲れます。
伝統的にカトリック信者は、死者の月に親せき縁者、友人のためにミサを司祭に依頼します。ミサ依頼の金額は、その地方によって違いますが、大体3000円~5000円くらいです。東京では、10年くらい前までそうでした。ミサ依頼はカトリック信者でなくとも司祭に依頼できます。死者はミサによって大いに慰められ天国に入るか、煉獄のレベルが上がり、天国に近づきます。おミサを捧げてもらうことで、死者は大いに慰められ、捧げた者には霊的な個別的な恵みがあることが多いようです。煉獄の霊魂のためにミサを捧げた孤児がその日から運命が変わり幸せな人生を歩んだというようないくつかの話が『煉獄の霊魂』の本にありました。天国へはいった霊魂は、恩を決して忘れません。あなたが天国へ来るまで、あなたのために祈るのです。地上で真の友達が一人もいなくとも、天国に真の友ができるのです。

カテゴリ→公教要理

トリエントミサでは、本日11月1日は、諸聖人の1級大祝日です。『毎日のミサ典書』には次のように説明されています。「諸聖人がキリストとともに喜ぶ光栄の国!彼らは、輝く服をつけ、羔(こひつじ)につき従う。
本日、公教会が祝うのは、最も慰めぶかい情景である。公教会は、天の光栄に入った子らを、一人一人祝うことが到底不可能であったので、本日の祝日をもうけて、それを祝うのである。
この祝日の歴史は非常に古い。初代教会時代すでに、すべての殉教者の祝日として祝っていた。グレゴリオ4世教皇は、835年ごろ、その祝日を11月1日と定めた。本日は、キリストが、諸聖人によって得給うたキリストの勝利の日であり、また、典礼の秋、すなわち,贖いの実を感謝し、神秘的収穫を祝う日でもある。
公教会が本日祝う知られざる聖人のなかには、信仰のしるしをもって永遠の旅へ先だったわれらの親戚知友もあるであろう。また、天の報いをすでに受けている人々は、かつてこの世において、我らと変わらぬ生活をおくった人々である。聖アウグスチヌスの言葉をかりるまでもなく、かれらになしえた事なら、我らにも出来ないはずはないのである。」(2013年11月1日)



a:1931 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional