終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2018年6月

2018年6月

■6月4日―「救いの母の祝日」
マリア・ディバインマースィーを信じている人も信じていない人も、今日は十字軍の祈り第154番を祈りましょう。信じて祈る人には多くの恵みが、信じていないが祈る人にも信じる恵みが与えられるかもしれません。MDMを教会が否定しているから、あるいはMDMの所属する教区の司教がそのメッセージを天のものではないと公けに宣言した(これは教皇の下にある教区の司教としてのご愛嬌。教区司教が、現教皇を偽預言者として否定する内容のメッセージを天からの真実のメッセージであるとは言えるわけがないからです。まあ、その司教自身、本気で信じていないかもしれないが)からと言って、今日という特別な日に十字軍の祈り第154番を祈らないことは、信仰者として実に無駄な生を生きているとしか言いようがない。いくら、「マリア様は私たちのお母様です」と口先で言っても、その無駄の隙間は埋まらない。

天のメッセージは、預言の成就する日まで、繰り返し、繰り返し読まなければならない。読めば読むほど、信仰心がかきたてられ、理解、悟得のめぐみが注がれ、識別のめぐみが与えられます。MDMのメッセージの推敲集団「ファミリー」のメムバーが口をそろえて言うことは、メッセージを再読する機会が与えられたことへの感謝です。そう、「生活に追われて忙しい日々を送る現代人」である私たちは、忙しいから祈れず、忙しいから黙想できず、忙しいから聖書を読めず、もちろん毎日天のメッセージを読むなどとはとんでもない、やらなければならない事は山ほどある。

そんな中、ファミリーとして推敲の仕事を引き受けた人たちは、メッセージを読むことがやらなければならないことの領域に編入されたわけです。

話はそれますが、現代人は―信仰を持つ現代人は生活のバランスが必要です。祈りと生活のバランスです。生活のバランスとは、時間に対する意識です。さらに言えば、非宗教的な日常の時間帯にいかにして宗教的な要素(内的生活と言っても良い)を組み入れてゆくか、ある人にとっては、いかに宗教的な要素を暴力的に日常生活の中にねじりこんでゆくかということです。

目安は、天のメッセージで言われてきました。ロザリオにすれば1日3環、聖書は1日15分、ミサはできる人は毎日、そしてメッセージは過去のものを繰り返し読みなさいと再三言われてきました。毎日黙想をしなさいとも。この天の言われる標準を満たせる人と満たせない人がいますし、また通常は満たせる人でも、ある日、ある期間は満たせないという人もいます。ここで、信仰者は自分なりの工夫を凝らし、天の標準にできるだけ近づけるよう生活を改めるわけです。それがバランスを考えるということです。天の求める標準に達しない生活を選択しても、標準に近づけるよう日々意識して生活すればそれはバランスある生活です。

そうする意識、工夫が必要なのは、自然なまま放っておけば人間は安逸をむさぼるようにできているからです。安逸をむさぼる人間をサタンは放っておきません。あっと言う間に罪を犯します。

ですから、バランスとは、時間による切り替えということもできます。何時から何時まではテレビを見る、それ以後はロザリオに向う、というような切り替えです。テレビはとくに見たいもの以外は見ないと決めてかかる方が楽です。だらだらと見る習慣がつけばそこから抜け出すには多くの時間とエネルギーが必要となります。見ない習慣がつけば、なんということもない格闘です。

最近メールが来ました.たくさん祈るよりも心から祈ることが大事であると主張する内容の手紙でした。その通りだと思います。しかし、天は、心から、1日3環祈ることを願っておられるのです。心から祈ることの重要性をもってたくさん祈らないことを正当化してはなりません。天はあらゆるメッセージで、祈りが足らないと訴えておられるのです。

閑話休題。メッセージは、とくにMDMのメッセージを天のものではないと信じている人は、自分で実際にいくつかのメッセージを読むことが重要です。教会が否定しているから、司教が否定しているから偽物だと判断するのでは、あまりにももったない。読んで全体から受けるものを判断すべきです。逐語的に識別することは信仰する者の識別ではありません。主イエズス・キリストが地上を歩いておられたときに、「私の肉はまことの食べ物であり、私の血はまことの飲み物である。…(私を)食べる者は永遠に生きる」(ヨハネによる福音書6-54)と言われ、それを聞いた「弟子の多くは退いてその時からイエズスについて来なくなった」のでした。

主イエズスは12使徒に向い「あなたたちも去って行きたいか」とお聞きになられます。それに対してペテロは「主よ、だれのところに行きましょう。あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます。」と応えます。こう答えたときのペテロには「血」を飲むことも「肉」を食べることも、その真の意味は分かっていませんでした。しかし、信仰する者の識別がそう言わせたのです。

MDMのメッセージも同様です。日本も含め世界中でMDMのメッセージを天のものではないと決めつけているサイトは数多くあります。そのすべてが、「血」を飲み「肉」を食べるというキリストの言葉に躓(つまづ)いた古(いにしえ)の弟子たちと同じです。「神はこうは言わない」「預言が実現しない」「福音書に反する内容」などとありったけの言葉を費やしてMDMを否定します。彼らが、「血」と「肉」に対してペテロの様に理解を超えたところで、「あなたは永遠の生命の言葉を有しておられます」という信仰を示す言葉を宣言する機会を逸したことは、古今のこもごもこもる一幅の失望の絵を見るようです。

さあ、今日は信じるあなたも、信じないあなたも、十字軍の祈り第154番を祈る日です!



■罪に砕かれたるイエズスの聖心(みこころ)への祈り

投稿されたこの祈り、これを毎日唱えれば、主イエズス・キリストの聖心とその苦しみが理解できるようになるでしょう。暴れ馬のような私たちの自我を抑え込むには、主の聖心の苦しみを理解するしかありません。この祈りに含まれている主の苦しみは、現在、日々加えられているの主の苦しみそのものです。この祈りを毎日唱えることで、私たちは確かに主の聖心をお慰めすることができるでしょう。またこの祈りは、私たちの祖国への愛と聖母マリアの汚れなき御心へのあつき信心をも告白できるようになっています。(祈り文は「百千鳥」に掲載)

(2018年6月8日)



■「サタンは、毎日わが聖なるロザリオを唱える者すべてに対して、傷つけたり、攻撃したりはできません。三環、あるいはそれ以上祈ることによって、あなたたちは他の者たちにこの保護を拡張できるのです。たとえ百人の者たちであってもこのことをすることができたなら、彼らは自分たちの国を、邪悪なるものが広める汚染から救うことができるのです。」(2012年6月20日マリア・ディバインマースィーへの聖母のメッセージ)

(2018年6月18日)

画像の説明

■聖ミカエルの祈りを毎日唱えていたアメリカ海兵隊員に朝鮮戦争で起きた奇跡の実話

「ミカエル、朝のミカエル・・・」

「百千鳥」参照

(2018年6月14日)

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