聖母 マリア
聖母 マリア
救世主をお生みになられた女性。
神の特別な恵みを受けて、準備された女性。その恵みの最大のものは、原罪を免れて母である聖アンナの胎に孕られたこと。これを「無原罪の御孕り」と称する。
大天使聖ガブリエルの出現を受けて、神の計画を知らされた時のマリアの「なれかし」が、救世主をこの世にもたらすことを可能にした。神への委託の模範とされる、マリアの徳である。
聖母の月、五月
聖母は悪魔の頭を踏み砕くお方ですから、悪魔は怖れます。
この半年の間に霊的なことで3、4人の方からメールをいただきました。悪魔の攻撃が凄くて困っているという方と悪魔の攻撃らしきものを受けているという方もいました。
悪魔との関わりは、犠牲ということでサタンの攻撃を受ける場合があります。(聖ピオ神父の場合です)また、小さな罪に鈍感になっている場合サタンに付けこまれやすいということもあります。なにか霊的におかしなことを感じる、または嫌な雰囲気を感じるという場合があれば、すぐに十字を切ったり聖水を使うとよいのです。
伝統的な対策として古来より言われているのは、
1、ロザリオをしばしば祈ること。
2、聖水をしばしば使うこと。
3、聖ベネディクトクロスを身につけること。
4、悪魔祓い(ラテン語、日本語あり)を祈ること。
5大天使聖ミカエルに祈ること。(大天使聖ミカエルのチャプレット)
これらの伝統的な方法以外で、私が悪魔に効果があると最近感じているのは、十字軍の祈りです。
私は毎日次の四つの十字軍の祈りを祈っています。139,132,112,68番の十字軍の祈りです。すべて悪魔の力から守られる祈りです。ロザリオと68番は聖母がとくにすすめられている祈りです。
十字軍の祈り第68番―サタンの力よりわれを護り給え
2012年7月23日
「おお、神の御母(おんはは)、救いの母よ、御身(おんみ)の至聖なるマントもてわれを包み給え、またサタンとその堕天使の力よりわが家族を護り給え。
御身の最愛の御子(おんこ)イエズス・キリストの御憐(おんあわ)れみに、われが常に信頼するを助け給え。
御子に対する愛においてわれを支え給え、またいかに多くの誘惑に遭おうとも、御子の教えの真理よりわれが離るるを許し給わざれ。アーメン」
霊的に不安がある方は毎日祈るとよいと思います。
また、霊的な出現等を受けている方で、公けに活動している偽幻視者に対してイエズス様の警告がありましたので、下に貼ります。
[わが言葉は終わりである。それは最後のものである。他の言葉はあり得ない。2010年の11月にこのミッションがはじまってからこの方、私の名によって語ることを宣言する者はだれであれ、そうする権限はない、それらの者たちは私からの者ではない。このミッションがはじまる前からの預言者たちで、やはり私の名によって語る者たちは祝福された者たちで、引き続き私は彼らを護る。私は、これらのメッセージを通して世界に語る。わが最愛の母、汚れなき乙女マリアもまた、彼女の神秘家たちを通してお語りになり、やはりわが母のミッションも私は祝福する。](2013年5月13日、MDMメッセージ)
上記のように主イエズス・キリストは偽預言者について語られています。(2015年5月1日)
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聖マリアの御名
本日は、聖マリアの御(み)名の1級祝日をお祝いします。今日は美しい青空です。「ユダヤの習慣にしたがって、聖母の両親は、聖母誕生後8日目にマリアと命名した。それで、イエズス聖名の祝日が、御誕生の祝日後に来るように、聖母の御名の祝日もその誕生の祝日の後に来るのである。
この祝日は、スペイン、クエンカ司教区に起源を発し、すでに1513年聖庁から認可が与えられていた。17世紀西欧をおびやかしたトルコ軍がオーストリアに進撃し、首都ウィーンを2ケ月余にわたって包囲したとき、キリスト教国の軍隊は、聖母の御名を呼びつつ交戦、大勝利を得た(1683年9月12日)。この勝利を記念し聖母に感謝するため、インノチェンツィオ11世教皇は、9月8日の直後の主日に、1級祝日をもって全教会で祝うように規定した。ピオ10世教皇は、1911年、祝日の日を9月12日と定めた。
マリアという名は、シリア語では、『婦人』の意味、ほかの解釈では『苦い海』、中世ごろの解釈では、『海の星』である。聖ベルナルドによると、マリアはヤコブから出た輝く星であり、その光は全世界にかがやき、その熱は心を強め、悪を退け、信じる人びとの道を照らす不朽の星である。(『毎日のミサ典書』)(2014年9月12日)
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聖母マリアのお誕生日
本日は、秋らしいよいお天気です。童貞聖マリアの御誕生の2級大祝日をお祝いします。『毎日のミサ典書』からの説明はカテゴリの中に収録されています。
それで、『キリスト教百科事典』からの説明を引用します。
「聖母は主の御母として選ばれたから、御誕生の前すでに聖寵に満ち充ちた者となったので、教会は聖母の御誕生を祝う。教会が聖人の誕生を祝うのは、聖母と洗者聖ヨハネとだけである。聖母の御誕生の祝日は東方教会から始まり、7世紀には西方教会でも祝われていたようである。1245年リヨン公会議においてインノケンチウス4世教皇は、この祝日に「8日間」を附したが、1955年3月23日付典礼改正の法令により、この『8日間』は廃止された。2級大祝日。典礼色白」(2014年9月8日)
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トリエントミサ
本日は、カルメル山の聖母の1級祝日をお祝いします。「聖マリアの恵みの感謝として、その昔カルメル修道会が行っていた本日の祝日は、ベネディクト13世教皇によって、1726年、全教会の祝日とされた。
この日と関係ある歴史は、1251年7月16日、聖マリアによって、カルメル山の聖母修道会の修道服が聖シモン・ストックに渡された史実である。
多くの信者が、聖母マリアをたたえるために身につけている聖母のスカプラリオは、この修道服をかたどったものである。」
(『毎日のミサ典書』)(2014年7月16日)*画像は『Ceciliaのたびにっき』より 転載 画像はカナリア諸島の教会
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お辞儀の聖母
歴史ー
この恵みの御絵は、1610年ごろローマで、のちに跣足カルメル会第五代総会長になった尊師、イエズスとマリアのドミニコによって発見された。ある夕暮れ時、女子修道院となる予定の古い建物に差し掛かると、彼は、ある内的衝動とともにガレキの山にひきつけられた。ゴミを注意深くかき分けたとき彼の眼はこの油絵の上に止まった。天の母の、このようなみじめな状態をいたく悲しみ、彼はその絵を修道院の自分の個室に持ち帰り、それを修復したのだった。
ある夜、その聖画の前に跪いて、ある特別な恵みを願っていると、彼は、絵の表面にほこりがついているのに気付いた。彼がほこりを優しく拭っていると、絵の聖母の顔が突然、動き出した。聖母はドミニコに微笑みかけ、感謝のしるしとして、会釈をした。ドミニコは悪魔的幻覚のとりこになったかと疑ったが、聖母の次の言葉が、彼の不安を追い払った。「私の息子よ,恐れることはありません。あなたの願いは聞き入れます。それはあなたが、私の神聖なる息子と私自身に抱いている愛ゆえに受けることとなる、報いの一つとなるでしょう』聖母がドミニコにもう一つの願い事をするように促すと、彼は、恩人の一人を煉獄から解放してくれるよう願った。聖母はもしその煉獄の霊魂ために、何回かのミサと善行を捧げるならば、その願いは叶えると約束された。
ほどなくして、聖母は、その恩人の霊魂とともに現れた。
彼は煉獄から解放されたのだった。
約束―その時、聖母はドミニコに約束された。「信仰をもってこの絵を崇敬し、私に嘆願するすべての者は、その嘆願が叶えられ多くの恵みを受けるでしょう。さらに、煉獄の霊魂のたすかりのためになされる祈りに対して、私は特別に耳を傾けるでしょう」
ドミニコは、人びとがこの御絵を崇敬し、聖母の約束の恩恵に浴することを望んだので、この御絵をサンタ・マリア・デラ・スカラ教会に安置した。のちにそれは多くの国々を巡り、現在はウィーン・カルメル教会においてみられる。
(2014年7月3日)
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悲しみの聖母の信心
聖母の悲しみに対する信心を行う者へ約束された四つの特別な恵み
約束ー
聖アルフォンソ・リゴリによると、主はハンガリーの聖エリザベトに、主の御母の悲しみに対する信心を行う者に四つの特別な恵みが与えられることを明らかにされた。
1、その悲しみの名によって聖母に懇願する者は、すべての罪に対する真実の痛悔を死の前に得る。
2、主は、試練の時に遭ってこの信心を思い起こす者すべてを護られ、とりわけ臨終の時に護られる。
3、主は、かれらの心に御受難の記憶を刻み込むので、かれらは天において、そのことで報いを受ける。
4、主がかくも敬虔なる者たちを聖母の御手(みて)に委ねられるのだから、聖母はかれらのうえに惜しみなく降り注ぎたいと思っているすべての恵みを、取り次いでくださる。
(2014年6月6日)
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使徒の元后なる聖母
御(ご)昇天の祝日後の土曜日、本日は、トリエントミサでは使徒の元后なる聖母の祝日をお祝いします。『使徒職の秘訣』には次のように引用されています。聖ベルナルドの言葉です。
「兄弟たちよ、神は,私たちが熱烈な信心をもって、聖母マリアさまを崇敬することを、どれほどお望みになることでしょう。神は聖母マリアさまのみ手に、あらゆる恩寵を,あふれるまでにお置きになりました。
わたしたちが、何かの希望をもっておりますなら、何かの恩寵を、何かの救霊の保証をもっておりますなら、それはみんな、恩寵に満ちみてる御者―聖母マリア様の御手から,私たちの霊魂にそそぎ入れられたのである、ということを,かたく信じなければならないのです。
聖母は、この世を照らす太陽でいらっしゃいます。この太陽を、取り去ってごらんなさい。この世は、常闇(とこやみ)です。どこに光がありますか。
聖母は、海の星でいらっしゃいます。浮世―というこの巨大なわだつみの、その星でいらっしゃいます。この星を取り去ってごらんなさい。なにが残りますか。浮世は真っ暗な闇に包まれます。死の影が,深い濃厚な闇が、そこには、ただようだけです。
ですから、私たちは、心の底から、はらわたをしぼって、そして熱烈な念願を傾けて、この聖母を尊ばなければなりません。なぜなら、そうすることは、私たちがいっさいの恩寵を、聖母マリア様のみ手をへて頂くようにとお定めになった、神のご意志なのですから…」(『聖母ご誕生の祝日の説教』)
(2014年5月31日)
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扶助者聖母
本日は、キリスト信者の扶助者なる聖マリアの祝日です。1571年10月7日、「キリスト教軍がトルコ軍と戦い、レパントの海戦で大勝利を得たとき、教皇ピウス5世は聖母のとりつぎによりこの大勝が得られたと宣言し、「キリスト信者の助け」の句を聖母の連祷中に加えた。ピウス7世教皇は、ナポレオン1世によるその捕囚が終わった1815年に、「キリスト信者の助けなる聖母」の祝日を5月24日と定めた。全教会の祝日ではないが、多くの地で祝われている。」(『キリスト教百科事典』)
8年前、東京で毎日ミサに通っていた頃、サレジオ会の教会で、この日のミサの終わりに特別な祝福を司祭から受けたことを思い出しました。扶助者聖母の祝福です。サレジオ会のE神父と富士山にある扶助者聖母の聖地*にバス巡礼をした折にも、E神父からこの祝福を受けました。(2014年5月24日)
*カテゴリの聖母の巡礼地に「富士の聖母」(2013年5月3日)の記事があります。
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聖母の汚れなき御心
マリアの、悲しみに満てる汚れなき御心の信心についてー
歴史
この絵には、いくぶんその由来に不思議なところがある。1918年の休戦時に、謙遜なフランシスコ修道会第三会員のベルテ・プティが教育を受けた寄宿学校、その地下貯蔵庫でこの絵は発見されたのだった。軍隊が去った後、ものの整理をしていたシトー会修道女の一人がポルノ的な絵を張り付けた一枚の厚紙を発見した。彼女は燃やしてしまおうと思いそれを破いた。驚いたことに、その厚紙は、この、祝されし乙女の美しい絵を被っていたのだった!この絵には東西の芸術的要素が混ゆうしているように思える。その絵の表情は、よく知られたピエタに似ている。この御絵の前で捧げられた祈りには素晴らしい恵みがもたれされてきた。
マリアの、悲しみに満てる、汚れなき御心、われらのために祈り給え。
「時は今や熟した。私は、人類が、わが母の悲しみに満てる汚れなき御心に頼ることを願う。この祈りが、すべての霊魂によって唱えられるように…究極の救いとして、わが愛によって書き取らされたこの祈りを、教会に認可させ、免償を付与せよ。もはや私の群れの一部にではなく、わが怒りをなだめ、活気と浄めをもたらす贖いの香として全人類に広まるために。」
主のベルテ・プティ(1870~1943)への啓示
約束ー
「この、わが母の悲しみの汚れなき御心への信心は、失意の者や破壊された家庭に、信仰と希望を回復させるだろう。それは破壊されたものを修復する手助けとなるだろう。それは悲しみを甘味にするだろう。それはわが教会の新しい力であり、わが聖心への信頼だけではなく、我が母の悲しみの汚れなき御心への委託を霊魂にもたらすだろう。」(2014年5月21日)
-主のベルテ・プティへの啓示
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聖母の土曜日2
土曜日は聖母に捧げられています。それで4月26日の聖母の祝日を探しました。今日は「善き勧めの聖母」の祝日です。この聖母の称号は、聖母の連祷(ロㇾトの連祷)の中に見出せます。
主あわれみ給え。
キリストあわれみ給え。
主あわれみ給え。
キリスト我らの祈りを聴き給え。
キリスト我らの祈りを聴き容れ給え。
天主なる御父、我らをあわれみ給え。
天主にして世の贖い主なる御子、我らをあわれみ給え。
天主なる聖霊、我らをあわれみ給え。
唯一の天主なる聖三位、我らをあわれみ給え。
聖マリア、我らのために祈り給え。
天主の聖母、我らのために祈り給え。
童貞のうちにていとも聖なる童貞、我らのために祈り給え。
キリストの御母、我らのために祈り給え。
天主の聖寵の御母、我らのために祈り給え。
いと潔き御母、我らのために祈り給え。
いとみさお正しき御母、我らのために祈り給え。
終生童貞なる御母、我らのために祈り給え。
きずなき御母、我らのために祈り給え。
愛すべき御母、我らのために祈り給え。
誉むべき御母、我らのために祈り給え。
善き勧めの御母、我らのために祈り給え。
創造主の御母、我らのために祈り給え。
救世主の御母、我らのために祈り給え。
いとも賢明なる童貞、我らのために祈り給え。
敬うべき童貞、我らのために祈り給え。
賞賛すべき童貞、我らのために祈り給え。
力ある童貞、我らのために祈り給え。
寛仁なる童貞、我らのために祈り給え。
信実なる童貞、我らのために祈り給え。
正義の鑑(かがみ)、我らのために祈り給え。
上智の座、我らのために祈り給え。
我らが喜びの源、我らのために祈り給え。
霊妙なる器、我らのために祈り給え。
崇むべき器、我らのために祈り給え。
信心の優れたる器、我らのために祈り給え。
奇(くす)しき薔薇の花、我らのために祈り給え。
ダヴィドの塔 、我らのために祈り給え。
象牙の塔、我らのために祈り給え。
黄金(こがね)の堂、我らのために祈り給え。
契約の櫃(ひつ) 、我らのために祈り給え。
天の門、我らのために祈り給え。
暁(あけ)の星、我らのために祈り給え。
病人の快復、我らのために祈り給え。
罪人の拠り所、我らのために祈り給え。
憂き人の慰め、我らのために祈り給え。
キリスト信者の助け、我らのために祈り給え。
天使の元后、我らのために祈り給え。
太祖の元后、我らのために祈り給え。
預言者の元后、我らのために祈り給え。
使徒の元后、我らのために祈り給え。
殉教者の元后、我らのために祈り給え。
証聖者の元后、我らのために祈り給え。
童貞者の元后、我らのために祈り給え。
諸聖人の元后、我らのために祈り給え。
原罪なく宿りし元后、我らのために祈り給え。
被昇天の元后、我らのために祈り給え。
いと尊きロザリオの元后、我らのために祈り給え。
平和の元后、我らのために祈り給え。
世の罪を除き給う天主の小羊、主我らを赦し給え。
世の罪を除き給う天主の小羊、主我らの祈りを聴き容れたまえ。
世の罪を除き給う天主の小羊、我らをあわれみ給え。
天主の聖母われらのために祈り給え。
キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。
主よ、主のしもべなる我らに、
精神と肉身との絶えざる健康を与え給え。
かつ、終世童貞なる聖マリアの御とりつぎによりて、
この世にてはもろもろの悲しみを逃れしめ、
後の世にては永遠の楽しみを受くる事を得しめ給え。
我らの主キリストによりて願い奉る。
アーメン。
この聖母の絵には不思議な由来がありました。下記に、記事の抜粋を貼り付けます。
http://antiquesanastasia.com/religion/references/virgin_mary/mater_boni_consilii/general_info.html
ローマの中心部からおよそ40キロメートル東、ジェナッツァーノ(Genazzano ラツィオ州ローマ県)にあるアウグスチノ会の聖堂に、壁から剥離したフレスコ画「よきすすめの聖母」(MATER BONI CONSILII マーテル・ボニー・コーンシリイー)があります。
「よきすすめの聖母」があるのはジェナッツァーノ聖堂内のブーレーズ礼拝堂です。この礼拝堂に、壁からわずかに突出した石材の帯があり、「よきすすめの聖母」はこの石材に乗るような形で、ガラス、金属、大理石の枠に守られて安置されています。画像のサイズは縦45センチメートル、横40センチメートルほどです。
「よきすすめの聖母」は、不思議な縁起にまつわる伝承、及び病気治癒をはじめとする数々の奇蹟譚により奇蹟の聖母子像とされ、カトリック世界において広く崇敬されています。「よきすすめの聖母」の称号はロレトの連祷にも加えられています。
聖母子像出現の当時、ペトルッチア (Petruccia) という80歳の未亡人がいました。信心深いペトルッチアはアウグスチノ会第三会に所属しており、ジェナッツァーノの聖堂を補修・改築するためにすべての財産を投げ打ちました。聖堂の改築は聖ブレーズ礼拝堂から始まったのですが、礼拝堂の壁にはまだ何も描かれていませんでした。ペトルッチアの寄進にもかかわらず、聖堂改築の資金は不足し、1467年の時点で聖堂にはまだ屋根もありませんでした。しかしペトルッチアは聖母と聖アウグスティヌスの執り成しにより、神が援けてくださると信じていました。
この年の聖マルコの祝日(4月25日)、人々が晩課のために「よきすすめの聖母」聖堂に集まっていると、妙なる音楽とともに輝く雲が降りてきて聖ブレーズ礼拝堂の祭壇を覆い、イタリアじゅうの教会の鐘が鳴り響きました。雲が間もなく消え去ったあとには、祭壇近くの壁の前、現在と同じ位置に、これまで無かった聖母子の画像が留まっていました。
一方、この奇蹟の直前に、アルバニア北部のスクタリ Scutari (現在のシュコダル Shkoder)でも不思議な出来事が起こっていました。当地の聖堂でふたりのアルバニア人が聖母子の画像に祈っていたところ、画像がひとりでに壁から離れ、雲に包まれてイタリア方面へと飛び去ったのです。ふたりのアルバニア人は飛び去った聖母子像を求めてローマ周辺の聖堂を訪ね歩き、ジェナッツァーノで遂にこれを見出しました。スクタリの聖母子像はアルバニアを支配していたトルコ人による冒とくを避けるため、神慮によってスクタリを離れ、ジェナッツァーノに移って来たのでした。(2014年4月26日)
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聖母の土曜日
今日は聖母に捧げられた土曜日です。今日も良いお天気です。グレイもチョコも暖かい日差しの中、眠っています。チョコは家の中で私のデスクの隣の窓際で、グレイは犬小屋の前の板の上で…。春らしい穏やかな日差しですが、私は花粉症もあるので防備せずに外へうかうか出られません。つい先だってまで大雨が続いて小川から溢れた水が低いところで池になりました。金魚やメダカがその池に入って回遊していて、なんとなく小魚たちがうれしそうだったのでそこを池にすることにしました。浅いので、晴天が続くとただの低地になってしまいます。防備して夕方(花粉が飛ばない)2日わたって小さなシャベルで池を掘りました。2メートル四方くらいの池が小川とつながってできました。池の周りに煉瓦をひいて花を植えようと計画を立てましたが、その後体調が悪く工事はストップしています。毎日池をのぞくと、メダカは回遊していますが、金魚も鯉も工事を警戒してかまだ池には来ていません。
アメリカの幻視者メアリー・J・イーブンからもらった毎日の聖母の祝日の本によると、今日は『啓示の聖母の祝日』(イタリー)です。聖母の祝日が、実は、365日毎日世界のどこかで祝われているのです。聖母は本当に多くの称号をお持ちなのです。(2014年4月12日)
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信頼の聖母
今日は、「信頼の聖母」を紹介します。
ご絵の歴史と聖母の約束ー
イタリアにおいて200年以上もの間崇敬されてきたこの絵には、それを崇敬するのであたえられた、多くの驚くべき恵みの長期にわたる記録が存在する。特にローマのラテラン・パレスの神学生たちによって崇敬されてきた。聖母によって,すばらしい約束が、イタリアのトディの貧しいクララ修道女、クララ・イザべラ・フォルナリになされた。聖母はその修道女にこの「信頼の聖母」の御顔を崇敬するすべての者に、彼女に対して特別な優しさと信心を持つことを許す約束をされた。この信心を、
「わが母、わが信頼」という射祷とともに行えば、効果的である。(『白い祈祷書』より)(2014年4月3日)
*写真はグーグル画像集より
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