終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2015年11月

2015年11月

トリエントミサ


本日(2015年11月29日)は、待降節第1主日、1級大祝日をお祝します。典礼色は、紫です。

「(指定巡礼聖堂。聖マリア大聖堂。)
これはシクスト3世教皇が、この大聖堂に、ベトレヘムの御降誕の大聖堂を模して小聖堂をつくったからである。
すなわち、キリストの御降誕をむかえるために、キリストのうまやからはじまわけである。
この日の<入祭文>は、預言者ダヴィドの言葉をかりて、神への信頼を告げる。
<書簡>は、冷淡と霊的ねむりから目覚めよと、信者に呼びかける。我々の救いの日は近いからである。
<聖福音>は、世の終りのキリスト再臨に先立つ前兆を告げる。それによって信者は、苦行を行い、キリストの再臨に備えねばならぬ。公教会の聖なるのぞみは、<集祷文>などにおいて、愛と希望にみちた祈りのうちにあらわれている。」(『毎日のミサ典書』)

書簡ー使徒パウロの、ローマ人への書簡(13の11-14)

聖福音―ルカによる聖福音の続誦(21の25-33)

カテゴリ→トリエントミサ2


ミサ中、聖別のときにひざまずくこと 3


今夜(2015年11月25日)、外出したら外気温1度で、みぞれ混じりの初雪でした。毎年雪が降ると、なんとなくうれしいのですが、そのうちに雪かきやら何やらで大変な仕事が待っています。


■小教区で

今まで、言わば「正しい道理」を書いてきました。それは「総則」の真の意味を知る上で必要なことだと思います。聖別の際に立つ必要があるかないかでいえば、昨日、一昨日に書いてきたように、「総則」に照らして立つ必要は全くないのです。しかし、問題は、必要性のことではなく、必要がないのに強制的に立たされる状況があるということです。それはひざまずいて聖体拝領することを禁止されることも、あるいは場合によっては手による拝領を強制されることも同様です。「総則」で推奨されている事が禁止されるのです。それは世界中で起きていることです。

それでは、実際の小教区のミサにおいてどう対応していけばよいのかを考えてみます。ヒントは過去の天のメッセージです。

現代主義者たちは論理的正当性を無視して、その必要のない「立つこと」を強制してくるでしょう。

東京四谷の聖イグナチオ教会のような多人数の信徒の与る大きな教会でのミサと、地方の、信徒が数人しかいない小教区のミサ、あるいは司祭が現代主義者か伝統を重んじる司祭かによっても事態は変わって来るでしょうが、後ろの席で聖別の時にひざまずいても何も言われなければそのままミサごとにひざまずくことを続ければよいですし、もし、何らかの形で立つことを強制されたなら、次のミサからは聖変化の時に立ったまま深くお辞儀をする前に(司祭がホスチア、カリスを奉挙するとき)「敬意を示す動作」―たとえば片膝をつくか、立ったままで十字架の印をしたらよいと思います。そういう敬意を示す動作の後で、他の信徒と一緒に立ったまま手を合わせて深くおじぎをするというふうに。

もう20年以上も前に、天のメッセージでは、当初、聖体拝領は「ひざまずいて舌で拝領する」ようにと指示されていました。ところがだんだん、世界中の教会で司祭が、ひざまずいて拝領することを許さなくなりました。するとメッセージでは、ひざまずいて拝領できない教会では、立って拝領してもよいが、立って拝領する場合には、列に並んで、拝領する前に、何らかの敬意を示す動作、片膝をついたり、十字架の印をしてから、立ったまま舌で拝領するようにと、指示が変わりました。それに準じての対応です。

教会を去るべき時は必ず来ます。信徒だけではなく、真実に忠実である司祭にとっても教会から逃げるべき時が来るのです。(そのような司祭を支えるのは私たちレムナントです)でも、今はまだその時ではありません。ミサはまだ有効だからです。ミサが有効であるということはミサに与る恵みがまだあるということです。ですから、上に書いたような対応が良いと思うのです。

聖変化の時にひざまずくことは、ホスチア・葡萄酒が、主キリストの御血、御体、御霊魂、御神性に変化したこと、つまりイエズス・キリストそのものに変わったことを信じるという信仰表明の行為です。ひざまずくということは、謙遜の、また相手に対する敬意を示す最高位の身体的表現です。それを立って深くお辞儀することに変えるということは、信徒の御聖体に対する信仰を弱め、薄めてゆく結果となります。ですから、逆に私たちは、御聖体に対する信心を燃え上がらせてゆかねばなりません。

強制されて聖別の時に立っても、敬意を示す動作をしてから立ったまま深くお辞儀をすることは程度として冒瀆とは言えないと確信します。天は状況をご存知です。しかし、手による聖体拝領は、程度において冒瀆が勝ります。それは絶対にしてはならないことです。

日本の教会の公文書は下のところで手に入ります。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/doc_bsps.htm


総じて、これから教会は真実を紛らわす方向へと突き進んでゆきます。私たちが真実を宣言しなければならない時は来ます。今はまだその時ではありません。真実が完全に否定される段階にはまだないからです。

私たちが黙想すべき天の言葉を幾つか挙げてみます。いずれにしても「恐れ」とは戦わなければなりません。恐れはサタンの道具です。主に完全に信頼していれば何も恐れる必要はないのです。恐れる状況に遭遇したなら、心の中で主イエズスに助けを求めましょう。主は御旨を行う者を必ず助けてくださいます。でも、これは人間の眼で見て事態が好転するような助けとは限りません。殉教者が助けられたのと同じ助けかもしれません。

人々があなたたちを捕えてわたそうとするときには、どう言おうかとかあらかじめ心配することはない。ただその時あなたたちに恵まれる言葉を言えばよい。それを言うのはあなたたち自身ではなく聖霊である」(マルコによる福音書第13章11節 フィデリコ・バルバロ訳)

あなたたちが強く留まり、勇敢であり、穏やかで平和であることを確かなものとするために、あなたたちはこの十字軍の祈りを唱えなければなりません。これらのことが起こるということを受け入れ難く思うあなたたちの中の多くの者たち、あなたたちが日に三度この十字軍の祈り第158番を唱える日が来るでしょう、なぜなら、わが聖子を否むようあなたたちに向けられる圧力は抗し難いものだからです」(マリア・ディバインマースィー2014年6月28日メッセージ)

イエズス・キリストに忠実なる者たちは、祈りに時間を割き、彼らが日々直面しなければならない反対に対処するための助けを乞うことなしには、真実を宣言することはできないでしょう」(マリア・ディバインマースィー2014年6月28日メッセージ)

あなたたちの中のどれくらいがこの勇気を持ちあわせているだろう。あなたたちが真実を宣言するときに襲い来る迫害に、あなたたちのどれほど多くが耐えることができるだろうか」(マリア・ディバインマースィー2014年2月22日メッセージ)(2015年11月25日)

カテゴリ→聖別の時にひざまずく



ミサ中、聖別のときにひざまずくこと 2


今日は曇りです。天気予報では、雪が降るかもしれない、と伝えられていました。昨夜は星が見えませんでした。2,3日前は、素晴らしい満天の星空でした。オリオン座が見え、その下に1等星のシリウスが冬空に輝いていました。
ところで、冬なのに台風が来ています。2,3日前に気づきました。福島からの放射性の気流があるので「嵐を防ぐ祈りまたは祝福」を祈りましょう。

昨日の「ミサ中、聖別のときにひざまずくこと」の文章に対して早速、地元の小教区の状況を説明したメールをいただきました。たいへん参考になりました。

少し前に発令された「日本に於けるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針」の10ページには、「拝領者自身が、聖別されたパンを手で受けるか口で受けるかを選ぶことができます」とちゃんと書いてあるにもかかわらず、小教区では、手による拝領を強いるような動きがあるようです。

これはお願いですが、このサイトを読まれている方の小教区での状況をお知らせ願えればと思っています。信徒の人数、聖変化の時にご本人はひざまずいているかどうか、周りの信徒はひざまずいているかどうか、口で拝領する人がいるかどうか、拝領方法や聖別の時に立つことに関するの司祭の説明などを書いて送っていただければ助かります。体調が今すぐれず返事は書けませんが、できましたらよろしくお願いします。

「今日はooo教会では、ミサの変更箇所の動作の確認とゆうことで、御聖体の手の拝領と、聖変化時に起立をし御辞儀する。など 説明がありました。一番先にoo神父様から講話の形で色々お話が有りましたが、頭に残っていません。
印象として、簡単に言えば司祭は「跪かせたくない、舌の拝領をさせたくない」様々な理由を付けて「神様を礼拝させたくない」のだろうなと思ってしまいました。サンダミアーノで手の御聖体拝領を強要された時は、霊的聖体拝領をしなさい。と教わりました。
その時が来たんだなと思いながら帰ってきました。これから「侮辱を恐れざる恵をこいねがわん」の祈りが真に必要な時が来たと感じました。」(送ってくださったメールの一部抜粋)

昨日の続きです。
■また、日本語版の総則43に書かれてある「同一の祭儀において動作と姿勢の統一を得るために、信者は、ミサ典礼書に定められたことに則って、助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が述べる指示に従うようにする」を根拠に、だから聖変化の時には司祭の述べることに従って立つよう言う人がいるかもしれません。これは以下の二つの文を見比べてみます。

C:「信者は、ミサ典礼書に定められたことに則って、助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が述べる指示に従うようにする」(改定訳)
D:「信者は、ミサ典礼書に定められたことに従って助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が述べる指示をよく聞くことが大切です」(暫定訳)

Cは、今回の「変更箇所」の中で引用されている『ローマ・ミサ典礼書の総則』の改定訳です。Dは、その前の翻訳版である『ローマ・ミサ典礼書の総則』の暫定版です。

Dの方は、助祭や司祭が述べる指示の内容を限定しています。すなわち「ミサ典礼書に定められたことに従って」助祭や司祭が述べることを、信者は良く聞くことが大切だと言っています。これは、ミサ典礼書に定められていることに矛盾したり、ミサ典礼書に書かれていないことに関しては当てはまらないということを言外に示しているといえます。これはミサ典礼の際限の無い無軌道化を防ぐうえで重要なことです。

ところが、改訂版のCの方では、「則(のっと)って」のすぐ後ろに「、」を打ってしまったことで、何も知らない人が初めてこれを読むなら、「信者は、ミサ典礼書に定められたことに則って、指示に従う」という意味、つまり、あたかも助祭や司祭の指示に従うことがミサ典礼書に定められていて、それにしたがって助祭や司祭の述べることに従う、という意味にも取れてしまいます。

つまり、Dの文では、助祭や司祭の述べることがミサ典礼書に定められている内容に限定されているのに対し、Cの方では、助祭や司祭の述べることに範囲の規定がない、一般的な内容に拡大されて解釈し得るようになってしまいます。

ちなみにこの箇所の英文を見てみると―

the faithful should follow the directions which the deacon,lay minister,
or priest gives according to whatever is indicated in the Missal.

とあり、文意は明らかにDの方です。

ですから、「信者は、ミサ典礼書に定められたことに則って、助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が述べる指示に従うようにする」という箇所を理由に、司祭がもし聖別の時に立つように(ひざまずかないように)強制するような事態に遭っても、ミサ典礼書には、聖別の時に立たねばならないという定め事はないので、その司祭の「述べること」に従がう必要はないのです。「総則」に従がった個人の信仰表明である「ひざまずくこと」が優先されるのです。

■「ローマ・ミサ典礼書の総則」(暫定版)の42に「すべての参加者が共通の姿勢を守ることは、典礼のために集まったキリスト者共同体の成員の一致の印である。それは、参加者の心情の表現であり、また心情をはぐくむものだからである」とあります。

この部分を盾にして、大半の信者が立ったままでいる聖別の際にひざまずくことは総則の精神に反する、あるいはキリスト者共同体の成員の一致の印とならないなどと、聖変化の時にひざまずくことを非難する人がいるかもしれません。

しかし総則42の全文を引用すると、

42司祭と助祭と奉仕者の動作と姿勢、あるいは会衆の動作と姿勢は、祭儀全体が優美さと高貴な簡素さによって輝き、祭儀の個々の部分が正しく十全な意味が理解され、全員の参加が促されるよう努めなければならない。それ故、個人の好みや自由裁量に対してよりも、本総則とローマ典礼様式の伝統的な実践によって定められたこと、並びに神の民の霊的共通善に寄与することに対して注意が向けられなければならない
全ての参加者が共通の姿勢を守ることは、典礼のために集まったキリスト者共同体の成員の一致のしるしである。それは、参加者の心情の表現であり、また信条をはぐくむ者だからである


と書かれてあるように、42が総則に書かれた主旨そのものは、「動作と姿勢」は「本総則とローマ典礼様式の伝統的な実践によって定められたこと、並びに神の民の霊的共通善に寄与すること」に注意が向けられるべきで、それを参加者の共通の姿勢とすべきであるということです。

ですから、「全ての参加者が共通の姿勢を守る」ことの重要性を理由に聖別の際にひざまずくことを一致を阻害するものだという人がいれば、それはまさに本末転倒と言わざるを得ないでしょう。聖別のときに「ひざまずくこと」は「本総則とローマ典礼様式の伝統的な実践によって定められたこと」であることは紛れもない事実だからです。

聖変化の時に立つことこそ例外的な姿勢で、一致云々を語るならひざまずく方に全体を合わせるべきです。ですから、キリスト者共同体の成員の一致を理由に聖別の際に立つよう指示することは正しい指示とはいえません。


体調があまりよくないので、以下は次回とします。(2015年11月24日)

カテゴリ→聖別の時にひざまずく




ミサ中、聖別のときにひざまずくこと 1



新しい「ローマ・ミサ典礼書の総則」に元ずく変更箇所の導入が、2015年11月29日(待降節第一主日)から日本において実施される旨の教令が、日本カトリック司教協議会会長、「岡田武夫」名で2015年4月5日の復活の主日に発令されました。

その中で、聖変化の際に日本では「会衆は立ったまま手を合わせ、聖別の後、司祭並びに助祭とともに深く礼をしなければならない」と書かれてある箇所が一部の信徒のあいだで問題となっています。

「会衆は立ったまま手を合わせ、聖別の後、司祭並びに助祭とともに深く礼をしなければならない」ということは「跪いてはいけない」と解釈できます。使徒座が公布・出版した『ローマ・ミサ典礼書の総則』(日本語訳暫定版)の43には

43 信者は、入祭の歌の始まりから、あるいは司祭が祭壇に向かうときから集会祈願の終わりまで、福音の前のアレルヤ唱のとき、福音の朗読の時、信仰宣言と共同祈願の間、そして、奉納祈願の祈りへの招き「みなさん、この捧げものを・・・・」からミサの終わりまでは立っているものとする。ただし、以下に述べる部分は除く。
座るのは、福音の前の聖書朗読および答唱詩編の間、説教の間、奉納の供えものの準備の時である。また、適当であれば、拝領後の聖なる沈黙の間にも座る。
健康上の理由や、場所が狭かったリ、出席者の数が多かったり、他の重要な理由がないかぎり、聖別の時はひざまずくものとする。しかし、聖別の時に跪かない者は、聖別後に司祭がひざまずくときに、深く礼をしなければならない
しかし、ミサの式次第に記されている動作や姿勢を法の規定に従って国民性や民族の正当な伝統に適応するのは、司教協議会の権限である。ただし、祭儀の各部分の意味と性格にかなったものなるよう指示すべきである。会衆が、感謝の賛歌が終わってから感謝の祈り(奉献文)の結びまで、また、拝領前に司祭が「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」を唱えるときに跪くことを続ける習慣がある所では、これは尊敬をもってた保たれる。
同じ祭儀において動作と姿勢の統一を得るために、信者はミサ典礼書に定められたことに従って助祭、信徒の奉仕者、あるいは司祭が述べる指示をよく聞くことが大切である。


と書かれてあります。「ローマ・ミサ典礼書の総則」に元ずく変更箇所は、その変更箇所を含むに日本語訳改定版「ローマ・ミサ典礼書の総則」として2014年5月に典礼秘跡省によって認証されたとあります。この改訂版は日本でまだ発行されていなくて、今回、その改定訳の変更箇所だけが公けにされました。

■先ず、ここで不思議に思うことは、「ローマ・ミサ典礼書の総則」に聖別(聖変化)の時には重要な理由がないかぎり「ひざまずく」ものと規定されていることを、日本語版で「会衆は立ったまま手を合わせ、聖別の後、司祭並びに助祭とともに深く礼をしなければならない」と変更したことが典礼秘跡省によって認証されたということです。極簡単に言うと、使徒座が重要な理由のない限り「ひざまずく」と規定したものを日本の司教団が実際的意味として「ひざまずいてはならない」と変更した、それを使徒座自身が認可したということです。これはいくら何でもおかしい。「ひざまずく」と規定したものを「立ってもよい」と変更したのであるなら納得はいきます。

少し考えました。そして分かりました。次の二つの文を比べてみます。

A:「会衆は立ったまま手を合わせ、聖別の後、司祭並びに助祭とともに深く礼をしなければならない
B:「しかし、聖別の時に跪かない者は、聖別後に司祭がひざまずくときに、深く礼をしなければならない

Aは、「ならない」が「立つ」という動作と「深く礼をする」という二つの動作を規定するように読めます(手を合わすにもかかりますが、省きます)。立たねばならない、深く礼をしなければならないと。
Bの方は、深く礼をしなければならない、つまり「深く礼をする」という動作だけに「ならない」がかかります。

この日本文Aを書いた人は、以前の翻訳版「ローマ・ミサ典礼書の総則」(暫定版)に書かれてあった文B、「しかし、聖別の時に跪かない者は、聖別後に司祭がひざまずくときに、深く礼をしなければならない」の「深く礼をしなければならない」の部分を変更箇所を書くときにそのまま採用したのだと推測されます。その結果、日本では「会衆は立ったまま手を合わせ、聖別の後、司祭並びに助祭とともに深く礼をしなければならない」という、読み方によっては「立たねばならない」すなわち「跪いてはならない」という意味の文章になったのだと考えられます。

それなら使徒座がその変更文章を認証したことも不思議ではありません。つまり、使徒座はAの文で「ならない」がBのように「深く礼をする」という動作だけにかかると解釈したのです。つまり「立つ」ことに関しては、日本においては「立ってもよい」と許可を与えたというニュアンスだと解せます。その場合には、従来からの規定にあるように「深く礼をしなければならない」と。それはそうです、使徒座が聖変化の時にひざまずくことを禁止するような文言を認証することは、少なくとも今はありえません。

つまり、聖変化(聖別)の時に強制的に立つよう言われたとしても、それに従わなくとも、それが司祭や司教に対して反抗的であるとか不従順であるとか考える必要はないのです。

■発表された新しい「『ローマ・ミサ典礼書の総則』に元ずく変更箇所」の中には、8ページの説明に「個人的な好みや自由裁量によって(動作や姿勢を=引用者注)決めることは望ましくありません」と「総則42」を引用して書かれてありますが、仮に聖変化の時にひざまずくことを問い詰める具として「総則」にかかれてあるこの文章を用いる人がいたとしても、「ひざまずく」ことは「個人的好み」でも「自由裁量」でもありません。「総則とローマ典礼様式の伝統的な実践によって定められた」(「総則42」)れっきとした動作なのです。ですからそのような批判はあたりません。それは正当な批判ではありません。

少し疲れてきましたので、続きは後日に。(2015年11月23日)

カテゴリ→聖別の時にひざまずく



トリエントミサ


本日(2015年11月22日)は、聖霊降臨後第24主日、2級祝日をお祝します。典礼色は、緑です。

「典礼暦年の最後の主日は、主の光栄の来臨の準備の日のようである。この準備は、待降節につづく。実に典礼暦年には終わりがないと言ってよい。暦年は、たえずめぐり、終わりもはじめもない神のほうへと、われらを導いてゆくのである。
<集祷文>は、われらのねむった意志をゆり起こし給えと願う。われらは、より高きに上り、至福直観に至るべき者である。<入祭文>は、神がわれらに対してもち給う平和と愛とを告げる。<聖福音>では、起こるべきわざわいの日に、余りにおそれるなと、われらに教える。それは主の日をむかえる前に、どうしても通らねばならぬ日だからである。
主の日は、誰も知らないうちに、突如として来るであろう。ゆえに、主とその弟子らとの勧めにしたがってば、たえず警戒しなけれならない。」(『毎日のミサ典書』)

書簡ー使徒パウロの、コロサイ人への書簡(1の9-14)

聖福音―マテオによる聖福音の続誦(24の15-35)

カテゴリ→トリエントミサ2


聖マリアの御奉献


本日(2015年11月21日)は、聖マリアの御奉献の1級祝日です。典礼色は白。

「古い伝承による、聖マリアは、幼時エルサレムの神殿に奉献され、神に聖別せられたという。本日の典礼に合わせて、われらもいつか天の神殿に入りうるよう、その恩寵を祈ろう。
この祝日は六世紀ごろから東方教会で行われており、西方教会では、14世紀から祝われるようになり、1565年シクスト5世教皇が全教会で行うこととし、クレメンテ8世はこれを1級祝日とした。」(『毎日のミサ典書』)

カテゴリ→トリエントミサ2




ロザリオの十字軍への連絡…


最近福島の4号機から以前ほど大量ではありませんが、水蒸気が漏れているという記事、また最近東北や関東の町で湿度100%という記事を読みました。9月12日に終息した殺人的水蒸気の噴出に比べれば、大したことはないと言えないこともありませんが…。もしそれが放射性水蒸気であれば、問題ないとはけっして言えません。

12月8日には、聖母の無原罪の御孕りの1級大祝日が来ます。その大祝日に向かって、みなでロザリオのノヴェナを日本の救いのためにしましょう。11月29日にはじめて12月7日終わります。昔のカトリック信者は大祝日に向けてしばしばノベナをしました。

転載:
「フクイチの現状は、良くない。
本年3月~9月の猛烈な放射性水蒸気の噴出。あれほどは酷くないが…、良くない噴霧器だ。(飯山一郎) http://grnba.jp/index.html#ss11131



「ビンゴたろう ‎@sp9bingotarou

@iiyama16
【特メモ】11月8・9・10日 全国的に湿度上昇 
100%発生地点多数 特に宮古、軽井沢 記録的規模で発生

福一ライブ画像(11.10-01:17)  懸念増大
2015年11月12日 23:26



福島の4号機の水蒸気の問題や第三次世界大戦、中国の侵略等、祖国日本を救うためには、ロザリオを祈ることです。聖母はそうおっしゃっています。できればロザリオ1環(できなければロザリオ1連でも…)。九日間の間に1日断食をできればします.前回と同じ要領で・・・。


九日間の間に、日本の守護者聖フランシスコ・ザビエルの1級大祝日12月3日があります。この日本の守護者にもとりつぎを願いながらロザリオを熱心に祈りましょう。
祈りは決して無駄にはなりません。
(2015年11月18日)

カテゴリ→ロザリオの十字軍の編成


聖人の言葉


霊的戦いは、けっしてあなたの力を超えるものではありません。

-聖フランシスコ・サレジオ(2015年11月16日)

カテゴリ→聖人の言葉




トリエントミサ


本日(11月
15日)は、御公現後第六の主日、2級祝日をお祝します。典礼色は、緑です。


「各自の方法と環境とによって、つねに霊的なものを目指すことは、神の思召を果たすための誤りなき道である。
こういうふうに生きうる者はしあわせである。彼は霊的生活の永遠の主日を行っているのであって、詩編作家とともに、主の右手によって上られたということができよう。」(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒聖パウロの、テサロニケ人への書簡の朗読(前書、1の2-10,)

聖福音―マテオによる聖福音の続誦(13の31-35)

カテゴリ→トリエントミサ2


冬のいちご…


昨日も晴れ、昨夜は満天の星。プレアデスは見えたが、北斗7星は見つからなかった。昨日は夜の散歩を、午後8時頃に繰り下げたので、星の位置がいつもと違っていた。今日も晴れていますが、白い雲が浮いています。

昨夜、昼のあいだに見つけていた四季咲きのイチゴのプランターに大きなイチゴが一つぶら下がっていたのを収穫。もう少しでグレイに食べられるところでした。

最近我が家のマイブーム、ピクルス。
ミニトマトが次ぎからつぎへ収穫できるので、食べ方を工夫しなければ(サラダにあきた!)、と思っていたところに、都合よくピクルスの記事が新聞に載っていました。そのピクルスには、ミ二トマトと根菜(人参、大根、カブ、せろり)がはいります。

カブ以外そろっていたので、適当な大きさに切り砂糖入りの酢ではなく、リンゴ酢に漬けてみました。塩大匙半分、しょうが少々で、漬けた10分後から食べれるとのこと。冷蔵庫で1週間はもつというので、最後はミニトマトのみのピクルスにしてみました。

ちょっと気になる情報がありました。福島の4号機の水蒸気と東北や関東での湿度上昇(湿度100%)、です。
(フクイチの殺人的湯気の大量噴出が、3ケ月続いた後9月12日から止まってはいますが…。)



(2015年11月11日)

カテゴリ→田舎生活




預言成就?!


恐ろしい伝染病です。同性愛者がかかると言われる、下記のブログ『日本や世界や宇宙の動向』の記事(2015年11月8日)の写真が真実ならば、なんという恐ろしい天罰なのでしょうか!
「その伝染病は、エイズよりも広まるだろう 」と、主イエズス・キリストは言われます。メッセージでは「エイズよりも広まる」という表現に同性愛者がその伝染病にかかることが示唆されているとも取れますが、同時に「獣に従う者たち」「地上のわが教会に邪悪なる行偽を行う者たち」がかかる厳しい罰であるといわれています。はたして、これがメッセージで言われているその伝染病なのでしょうか。それとメッセージで言われている伝染病はまだこれから先、新たに発生するのでしょうか。

MDMのメッセージより:
その伝染病は、エイズよりも広まるだろう
2013年5月7日 10:36pm

わが娘よ、わが父が、御自分を侮辱し、悪を許し、不正が貧しい無垢なる者たちの上に及ぶのを許している国々の上にもたらす、ある伝染病の発生が間もなく見られるだろう。この伝染病は顔に現れ、その患部は、大天罰が過ぎるまで癒されない。その伝染病は、エイズよりも広まるだろう、そしてそれは、天罰到来の一つの印となるだろう。次に襲うものは地上の三分の一を覆う飢饉であり、それは反キリストの統治の間に見られるだろう

反キリストの支配は蜘蛛の巣のように張り巡らされるので、それと同時に、わが父の御手が世界の四隅に天罰を連続して振り下ろすことになるだろう。神の介入は、反キリストの力によって獣が霊魂を奪い去ることを阻止する、手助けとなるだろう。 獣に従う者たちは、ひどい罰に苦しむことになるだろう、それは伝染病によって顔に現れるだろう。彼らも、また地上のわが教会に邪悪なる虚偽を行う者たちも、この厳しい罰をまぬがれることはない。

転載:
2015年11月08日11:45

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/

エイズよりも恐ろしい感染病が同性愛者の間で流行!
注:ショッキングな画像がありますのでご注意ください。

[私はキリスト教徒でもありませんし、他のどの宗教とも関わっていませんが。。。宇宙や自然の摂理=神の存在は信じています。
はっきり言って、同性愛やフリーセックスには全く共感が持てません。最近のマスコミの同性愛者宣伝報道には吐き気がします。...](2015年11月10日)


カテゴリ→預言成就?





*訂正



主日の典礼が間違っていましたので、以下の通りに訂正します。
11月1日聖霊降臨後第23主日
11月8日御公現後第5主日
少し面倒なのですが、この機会にトリエントミサの主日の典礼について説明します。

聖霊降臨の大祝日待降節第一主日との間の主日の数は年によって違っていて23から28です。待降節第一主日の前の主日(暦年最後の主日)には必ず、聖霊降臨後第24主日のミサが挙行されなければならないという決まりがあります。たとえば聖霊降臨の大祝日待降節第一主日との間の主日の数が27ある年の場合、待降節第一主日の前の主日、つまり27番目の主日に聖霊降臨後第24主日のミサが行われます。23番目の主日には当然聖霊降臨後第23主日のミサが挙行されます。すると、24,25,26番目の主日に「空き」ができてしまいます。その「空き」の部分に、最後に必ず御公現後第6主日が来るようにあてはめてゆき、そのミサを挙行します。すなわち、24番目に御公現後第4主日のミサ、25番目の主日に御公現後第5主日のミサ、そして26番目に御公現後第6主日のミサを挙行します。
今年の主日の数は26ですので、11月22日に聖霊降臨後第24主日のミサ、11月15日の主日に御公現後第6主日のミサ、11月8日に御公現後第5主日のミサを挙行します。

この「空き」に当てはまる御公現後の主日のミサは、その年の復活祭の日にちの関係で挙行されなかった御公現後の主日のミサにあたります。年によって異なる御公現後の主日の数は最大6です。(2015年11月9日)

カテゴリ→典礼


トリエントミサ


本日(11月8日)は、御公現後第5主日のミサをお祝いします。

「本日の<集祷文>は、父なる神によびかける。御子の御託身は、われらを父なる神の子としたからである。イエズスはこうして、われらの兄弟となり給うた。
われらは、この神秘的なキリストに、深くあずかっている。
<書簡>では、キリスト教的兄弟性を、社会生活の根本とする。神は、まずもって人間を愛し給うたが、この愛こそ、キリスト教的完徳の結びである。
<聖福音>では、公教会の発展を知らせる。その不思議な発展は、外からの圧迫をうけつつ、たえず行われている」
(『毎日のミサ典書』)

書簡―使徒聖パウロの、コロサイ人への書簡の朗読(3の12-17)

聖福音―マテオによる聖福音の続誦(13の24-30)

カテゴリ→トリエントミサ2




青空...不思議


最近は毎日のように青空です.昨日の朝、ミサに与るために竹林の坂を上ってゆくと、真っ青な青空がチャペルの屋根の上に見えました。今日も、雲一つない美しい青空です。そのうえ、とてもあたたかい。神に感謝。

ここ1週間は、『聖女ヒルデガルドの生涯』という本を読んできました。(14,5年前に購入し、しまいこんでしまっていたのを先週見つけたのでした。)聖女の不思議、奇蹟、癒しについて書かれてあり興味深かったのです。また、聖女が天から受けた悪と悪魔についての記述、悪魔祓いについても大変興味深いものでした。(下に引用します。)

実は、最近悪について20年ほど前に読んだトーマス・アクイナスの言葉を思い出したからでした。

20年前の記憶ですから細部は言葉が違うかもしれません。

「悪とは、平和に住んでいる人のところへ、突然やってきて悪さをする」

邪悪な人の背後には、あるいは人間の悪意の背後には必ず邪悪な霊がいます。MDMメッセージによると、イエズス・キリストは、邪悪な人間とかかわってはいけない、人の悪意に応じてはいけないと明言されています。



「…私(ヒルデガルド)は次のようなことを見ましたが、それは自分でというよりも有りて在る主によるものです。

悪霊にもさまざまな種類がある。汝が尋ねし魔物は人間の振る舞い(に含まれている)
悪徳のような技能を保持している。彼は人間と共に束縛されることなく留まっている間、主の十字架、聖者の聖遺物、あるいはそれ以外の主の儀式に関わる物を無視し嘲笑し大した怖れを抱くことはない。彼はこれらのものを好きではないが、ちょうど愚か者や軽率な者たちが賢い人々に言われた警告や言葉を簡単に片づけるように、急いで通り過ぎるふりをする。このため、この魔物は他のものよりも追い出すのが難しい。断食と苦行、祈り、施し、それに神ご自身の命令によってのみ追い出されるであろう。
それゆえ、人間の答えではなく、生きて在る者の答えを聞け。
生ける神に犠牲を捧げたアベル、ノア、アブラハム、メルキゼデク、ヤコブ、それにアーロンの名において、よき評判を博し、その人生の徳が推奨される七人の司祭を順に選べ。さらに七人目として、父なる神に自らを十字架上で捧げたキリストの御名で選べ。
断食、苦行、布施、そしてミサを執り行った後、彼らをして謙虚なる心を持ち、ストール付の司祭服をまとわせ患者に近づかせよ。彼女の周りに立ち、各人の手に、神の命でエジプト人を、紅海を、そして岩を打ったモーセの杖を象徴する杖を持たせよ。かの地で杖によって神が奇蹟を見せられたように、ここでも神は、杖によって、邪悪な敵を追い払い自らの栄光を讃えられるであろう。七人の司祭は聖霊の七つの贈り物を象徴する。最初に水を渡って運ばれ、人間の顔に生命の息を吹き込んだ神の霊が、疲れ切ったこの人間から不浄な霊を追い出すように。
そして、第一のアベルの名で立つ者が杖を手にして言うべし。「聞け、悪しき愚かな霊よ。この人間に巣食うお前がだれであろうと、あらかじめ人間によって考えられたのではなく、在りて生きる者により明らかにされたる言葉を聞け
……」(原文のまま)*

*この手紙は悪魔に取りつかれた人間に関しヒルデガルドがプラウヴァイラーの大修道院長の問い合わせに応えた手紙の一部です。メッセージでは、ロザリオの声が響く空間に悪魔はとどまれないと言われていますが、十字架と聖遺物を悪魔は恐れないということもあるのですね。(2015年11月6日)

カテゴリ→聖ヒルデガルド




預言の実現?!…


2,3日前に下のブログの記事を読んで、預言の実現は早いかもしれないと思いました。

http://grnba.secret.jp/iiyama/

その預言とは、第三次世界大戦であり、また大警告の起こるタイミングで、大警告が起こる時には中国が全世界を武力で席捲しているというガラバンダルの預言のことです。




そのブログの記事のタイトルは、


2015/11/02(月)  米軍は世界最強だったが…、それは過去の話
世界最強の対空ミサイル


MDMの預言では、中国は先ずEUを攻め、それからアメリカを攻めると言われています。四つの帝国(EU,ロシア、中国、アメリカ)が戦うと言われている第三次世界大戦で、中国とロシアはEUとアメリカに勝つのでしょう。預言ではそうです。上記のブログの内容が事実であるなら ― 現実的にロシアと中国が、アメリカの軍事力を凌駕し出したのだとすると、それはそれほど遠い先の出来事ではないでしょう。

日本の運命は、アメリカと共に滅びることになるのでしょうか?
主と聖母は、祖国を救うにはロザリオを祈ることだとおっしゃっておられます。


[救いの母新たな、悲惨な世界大戦が布告されます. ... 戦争の速度は加速され、世界の四つの地域が巻き込まれるやすぐに大戦が布告されるでしょう。悲しむべきことに、核兵器が使用され、多くの者たちが苦しむでしょう。それは恐ろしい戦争ですが、長くは続かないでしょう。

すべての無知なる者たちのために祈り、祈り、祈り、第三次世界大戦のためにもたらさられる苦しみが和らげられるよう、一日三環、わが至聖なるロザリオを唱え続けなさい](MDMのメッセージ 2013年9月6日)

忙しい日々ではあっても、工夫をしてロザリオ三環を目指しましょう。(2015年11月4日)

カテゴリ→終末のしるし




11月に…


11月に入りました。ずいぶん寒くなってきました。

11月は「死者の月」です。また11月2日は『死者の日』です。この日には、一人の司祭が1日3度ミサを捧げることができます。

今月の主な祝日は、


11月1日は、諸聖人の1級大祝日。11月1日は、聖霊降臨後22主日ですが、競合によって諸聖人の祝日のミサを行うこともできます。

11月2日は死者の2級祝日。
11月9日は至聖なる救世主の大聖堂献堂式の2級大祝日。
11月15日、教会博士、司教、証聖者、大聖アルベルトの2級祝日。
11月18日は、使徒聖ペトロ・聖パウロ大聖堂の献堂式の1級祝日。
11月21日は聖マリアの御奉献の1級祝日。
11月24日、教会博士、証聖者、十字架の聖ヨハネの2級祝日。

(2015年11月2日)

カテゴリ→典礼




トリエントミサ


本日(11月1日)は、聖霊降臨後二十三の主日をお祝します。


「神がわれらに対して行い給うたことを見れば、神の御旨こそ、平和と愛以外の何ものでもないことを知るであろう。
典礼暦年の終わりも近い。われらは、十字架によって、復活をうける。<聖福音>本日、書簡において、聖パウロが、キリストの十字架を愛せよとわれらにすすめるのは、キリストへの愛を増せということに他ならない。」
(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒聖パウロの、フィリピ人への書簡の朗読(3の17-211,4の1-3)

聖福音―マテオによる聖福音の続誦(9の18-26)

カテゴリ→トリエントミサ2

















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