終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2017年9月

2017年9月

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カヤ・ジョーンズ!(Kaya Jones)

プッシーキャット・ドルズ(Pussycat Dolls)という女性グループがあるそうで、全世界で1,500万枚のアルバム、4,000万枚のシングルレコードを売り上げたといいますから、世界中の若者の間では人気を博しているグループなのでしょう。

カヤ・ジョーンズは2003年から2004年に掛けてそのプッシーキャット・ドルズにボーカルとして参加していました。

ハリウッドの多くの人々が堕胎を支持するのに対して、彼女はそれに反対しています。多くの映画スターや歌手がヒラリー・クリントンを支持しているのに対し、カヤはトランプと軍隊を支持しています。それは非常に珍しいことです。先月(8月)、彼女は軍隊への支持を示すべく『What the Heart Don’t Know』(意味は、心に感じないこと)を出しました。

最近のインタビューでカヤは、ハリウッドの堕胎促進について「いかに私たちの世界が邪悪になってしまったか」を示すものとだ語っています。

8月に彼女は堕胎に反対する立場を明らかにし、ソーシャルメディアで、ハリウッドの音楽産業での堕胎強制を非難しています。「ハリウッドエリートたちは、エンターテイメント産業の中で女性たちに乱脈、セックス、麻薬、堕胎を押し付けている」

「私はそれに影響を受け、やりたくないことを押し付けられた人たちを仕事で個人的に知っている」また彼女は、到底受け入れられないことを見てきた自らの体験をも語った。

彼女はやりたくないことを仕事のために強制された友人たちのことも語った。一人の友人は、「子供を堕胎しないと仕事を失う」と言われて堕胎したとカヤは言う。

その友人は、堕胎した子供の父親と結婚し、二度目の妊娠をしたが、今度は堕胎しなかった。結果としてその友人は解雇されたという。カヤは言う―「彼女は結婚して可愛い子供に恵まれたが、その子には兄弟がいない。堕胎をしたためにいないんです」

カヤは続ける―「どんな理由があろうとも人から生命を取り去ること、そして胎児の体の一部分を売ることはよいことじゃない」
吐き気がする。本当に吐き気がするわ。それらの命は実際の命なのよ、それらの命の恵みを彼ら(胎児)に絶対的に与えなかったことは、痛ましいかぎり」彼女は続ける―「いいこと、彼ら(堕胎推進者)はいつの日か創造主の前に立たなければならないのよ。私たちは皆、このことに関して意見を持つ限り、終りの日にの前に立って地上にいた間にした選択について、自分自身で責任を取らなければならないのよ」


永遠の御父は。それぞれの命を理由があって送られるのです。妊娠の瞬間に、命の霊は身体に吹き込まれます。妊娠の瞬間に霊魂は身体と一つになるのです。それは小さな種から成長していきますが、それは生きており、殺されてはならないのです!その種を破壊することは殺人なのです、わが子供たちよ」
「この恐ろしい殺人の行いをする者たちは、わが子供たちよ、この邪悪な罪を痛悔しない限り天の国に入ることはできません。彼らは、永遠の聖父のみ心に大きな悲しみをもたらした自分たちの行為への償いを地上にいる間に受け入れなければならないのです」(1975年12月27日の、ベロニカ・ルーケンへの聖母のメッセージ

(TLDニュース カティ・ヨーダ氏の記事 より) 
(2017年9月28日)






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レイモンド・バーク枢機卿 (Cardinal Raymond Burke) 3

私は、地上で天の代わりを行うための恵みを賦与したわが聖職者たちにこの警告を与える。あなたたちはいま、伝統的な典礼に立ち返らなければならない!あなたたちは、外側が崩れ落ち、内側が腐っているわが家を建て直さなければならない。あなたたちは、自分たちが破壊しようとしたものを建て直さなければならない
(1975年11月22日 主イエズスからのヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ)

教皇ベネディクトⅩⅥ世が『モトゥ・プロプリオ』で、司祭は司教の許可を求めずに伝統的ミサ(トリエントミサ)を挙行する権利があるということを明言しました。「ローマ典礼書の二つの版に矛盾はありません」と教皇ベネディクトⅩⅥ世は断言したのでした。

それに対し教皇フランシスコは、「それはいくつかのグループやノスタルジアを抱いている人たちのある種のメンタリティに応じるための丁寧かつ寛大なジェスチャーです。…しかし、それ(伝統的ミサ)は例外的なものなのです」とインタービューで語りました。

それに対して、前ヴァチカン最高裁判所(the Apostolic Signatura)長官のレイモンド・バーク枢機卿は、教会の伝統的な、第二ヴァチカン公会議以前の典礼は「例外的なものではない」と語りました。「それはあらゆる時代における教会のミサであり、従がってそれは投げ捨てられるべきものではなく、同等の神性をもつものなのです

教皇フランシスコのインタビューの内容に反対する内容の発言をする、レイモンド・バーク枢機卿。
(TLDニュースより) 
(2017年9月17日)






キム!

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ヴェロニカ:いま聖母はご自分の右側、空の左を指差されます。大きな球が現れます。地球の様に見えますが、奇妙なことにてっぺんに芯のような物が見えます。

今、空から非常にコミカルな風貌の人物が現れます。

コミカル(滑稽)に見えます。同時に恐ろしくもあります。顔は極端に太っていて、歯が大きいです。東洋人らしき顔です。非常に奇妙な笑い方をしています。見るところ、彼は背が低く、ずんぐりした体つきをしています。でも、非常に邪悪な感じの笑い方をしています。後ろ手に組んで立ち、あたりを見回し何かを待っているふうです。おお!

いま彼は背後から先のとがった長いローソクとおぼしき物を取り出します。それを掲げます。ローソクには火がついています。爆弾の芯に火をつけようとしているようです。それは爆弾のよう

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ですが、芯の突き出た地球のようでもあります。おお!

彼は非常に―彼が誰であるか分かりません。見覚えがありません。でも彼は東洋人で、大きな歯をしています。笑い顔が、その笑い方は歯を非常に目立たせます。でも。言えば、その笑顔が邪悪であるため、恐ろしくもあります。いま、彼が見えなくなりました。全体にベールがかけられた様に。

いま聖母が左側、聖母ご自身の右に近づいて来られます。

聖母:「わが子よ、そしてわが子供たちよ、私はまもなく起こることをあなたたちに示しました。近い将来、あなたたちは理解することでしょう、わが子供たちよ。わが子よ、その下にかかれてある文字を言ってはなりません。今、それを見て、覚えなさい、でも口にしてはいけません。


(間)

覚えなさいわが子よ。見て、覚えなさい。でも繰り返して口に出してはいけません。(1979年7月25日 聖母マリアの、ヴェロニカ・ルーケンへのメッセージ)

同じ年の8月4日にヴェロニカは同様のヴィジョンを天から見せられ、その時には「人物」の服装に言及している。

ヴェロニカ:「彼は背が低く、恰幅が良いです。彼は見たこともない制服のような物を着ています。それはオリーブグリーン(カーキ色)に見えます」(1979年9月11日)

( TLD Newsより)
(2017年9月8日)






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4人の枢機卿の中の一人、カルロ・カッファーラ枢機卿が2017年9月6日の早朝、死去されました
4人の勇敢な枢機卿の中の一人、ヨアキム・マイスナー枢機卿が7月に亡くなられたばかりですが、また一人、御父の御元に呼び寄せられました。享年79歳。

枢機卿は、30年以上前に聖ヨハネス・パウロⅡ世教皇によって、結婚と家族について研究する学会設立を任されました。

2008年に枢機卿はインタビューの中で、ファティマシスター・ルチアからの手紙について触れています。学会設立の過程で彼はシスター・ルチアに祈りを願って手紙を書きました。返事は期待していなかったにもかかわらずシスターから非常に重要な内容の返事が来ました。

枢機卿は言いますー
(彼女の手紙の)中に書かれています―「主とサタンの統治の最終的戦いは、結婚と家族についてです。恐れてはいけません」彼女は付け加えて書きました―「なぜなら、だれであっても結婚と家族の神聖さを管理する者はあらあゆる形で、挑まれ反対されるからです。」そして彼女は結論付けて言いました。「でも、聖母はすでにサタンの頭を踏みつぶしておられます」


4人の枢機卿のDubia(ドゥビア)はまさに「結婚と家族」についてでした。

この4人の枢機卿のDubia(ドゥビア)がどのような意味を持つかがこのシスター・ルチアの手紙からも分かります。

( TLD Newsより)
(2017年9月8日)



あの有名な、パードレ・ピオの暗黒の三日間です
これは聖痕を持ったカプチン会司祭、パードレ・ピオへの、主によって与えられた「暗黒の三日間」についてのこれらの啓示の真実性と現実性を証明するため、ヴァチカンによって任命されたへラルズバッハコミッションに宛てられた、パードレ・ピオによって書かれた私的書簡のコピーからの翻譯である。

1950年1月28日
窓を完全に覆いなさい。外を見てはならない。聖別されたローソクを灯しなさい、それは何日も燃え続ける。ロザリオを祈りなさい。霊的読書をしなさい。霊的聖体拝領の祈りをしなさい、また愛の祈りも唱えなさい、それは私たちを喜ばせる。多くの霊魂が救われるために、両腕を広げて、あるいは床に平伏して祈りなさい。家の外に出てはならない。十分な食料を蓄えておきなさい。自然界のエネルギーは動き、火の雨は人々を恐怖で慄(おのの)かせるだろう。勇気を出しなさい!私はあなたたちの中(うち)にいる。(つづく)

(この翻訳は少し長めなので、時間を見て少しづつ翻訳していきます。翻訳した分は「蜜蜂」のカテゴリー「パードレ・ピオ 暗黒の三日間」に随時掲載してゆきますので、定期的にチェックしてみてください)


(2017年9月6日)




ネットによる祈りのグループ第一号誕生!
昨日、ある方からロザリオの十字軍のグループ登録がありました。必要事項の項目に加えて、長い文章が添えられていました。その内容を読み、ふと、以前に登録されている方のことが思い出されました。教会で苦労されている部分が共通しているように思われたのです。

お二人の方の必要事項を見比べ、精神的にも、信仰的にも、そして物理的にも、祈りのグループを形成することができると確信(希望)しました。

それからは、お二人の間を取り持つという、実に楽しい、光栄な仕事に邁進しました。

お互いにこの時点で、メールを相手の方に教えても良いという意志表示をされましたが、ここもぐっとこらえて、互いのメールを教えるのは、一度会合を持ったその後で、こちらを通して互いのメールを教えるという原則を貫きます。「お試し期間」は必要ですから。

ここで、繰り返しになりますが、最近送られてきたメールで、その方は大変真面目な方と思われますが、基本的な誤解がいくつかがあるので、それも含めて確認しておきます。

「ロザリオの十字軍」であるには二つのことが必要です。それは天から見ても、人間の判断でも、です。一つは、既定の祈りを毎日祈ること。そして一つは、「ロザリオの十字軍」として天に登録することです。このどちらが欠けても、その人は「ロザリオの十字軍」の一員ではありません。しばらく既定の祈りを祈らなかった人はどうでしょう。その間は「ロザリオの十字軍」ではありませんが、再び既定の祈りを「ロザリオの十字軍」として祈り始めたなら、その人は「ロザリオの十字軍」なのでしょうか。そうだとは思いますが、念のために再度天に登録したら確実だと思います。

また、病気その他の理由で、自分の意に反して既定の祈りが祈れない人はどうでしょう。それも、実際の兵士が戦場で傷ついて入院するように、「ロザリオの十字軍」として祈れていない状態にあると考えて、「ロザリオの十字軍」の成員と考えても良いと思います。

一般的に、自分の意志で「ロザリオの十字軍」として既定の祈りを祈らない人は、もはやその人は「ロザリオの十字軍」ではないと考えるべきです。

なぜこれほど「ロザリオの十字軍」の成員であるかないかにこだわるのか。それは伊達(だて)ではないからです。死んで、主の御前に立ったときに、「お前は罪深い人間であったが、『ロザリオの十字軍』であった」と言われるのと「お前は罪深い人間であり、なおかつ『ロザリオの十字軍』から逃亡した」といわれるのでは大きな差があると思うからです。

次に今回募った「登録」は、あくまで、「ロザリオの十字軍」の成員が、グループをつくる上での手助けをするための登録です。登録規定の文にも書きました通り、これは「ロザリオの十字軍」の登録ではありません。

たとえば、同じ教会に、祈りのグループを作ることを希望する人二人がいて、互いにその事情を知らないでいる場合、もしその二人の人間が、登録をしていれば、グループ結成の可能背が現実的になるという、それだけのことです。

ただ、ネットという不特定多数の人々の眼にとまる媒体を通してこのような宗教的な活動をすると、サタンの影響を強く受けた人が混じりこんでくる可能性は常にあります。経験のない人には理解できないかもしれませんが、それは絵に描いたように「派遣されて」来ます。それは避けられないことです。そういうことを少しでも防ぐ目的で、今回の登録する際の情報提供欄に「電話番号」の記載を義務付けたのでした。これだけでも、「変な」人の混入を防ぐ効果はあります。

ですから、「ロザリオの十字軍」の成員で、今回こちらに登録をしなかった人たちが「ロザリオの十字軍」から「除外される(そのメールの言葉)」などということは断じてあり得ません。ここは単純にまっさらな心で理解する必要があります。今回こちらに登録しなかった「ロザリオの十字軍」のメムバーも、天においても、地においても、条件を満たしている限り、完全な「ロザリオの十字軍」です。

閑話休題。ですから、こうしてできてゆく祈りのグループに、それに精神的に、信仰的に、物理的に参加することが可能な方たちが、将来は参加してゆくということにもなろうかと思います。ですから、これからネットを媒介としてできてゆくグループは、将来の祈りのグループの核になる存在だと位置づけることもできると思います。

その他メールでは様々なご質問が寄せられますか、それらのすべてにここで答えられるわけではありません。答えられない質問の多くは、それが神の計画、なさり方に関わるものだからです。ただ一つ言えることは、今は、それぞれの人間が、霊の識別を試されているということです。そしてその識別の結果自分の取った行動に対してはそれぞれの人間が責任を問われるということです。それが今の時代の「山羊と羊を分ける」という意味です。


(2017年9月5日)



百千鳥について
百千鳥の原稿を募集してから、それに対する批判のメールが殺到しました(これは表現としてはかなりオーバーです)。趣味でやるのかとか、このサイトにふさわしくないなどというご意見でした。

広場を設けたそのきっかけは、まったく使用していないサイト「蜜蜂」を有効利用しようということでした。何に使おうかと考えたときに、「ファミリー」で推敲活動をしているスタッフから、メッセージを読むためにサイトを訪れている人たちも、色々言いたいことがたまっているのでは。そのはけ口的なサイトにしたらどうかという意見がありました。それはいいかもしれないと思ったのです。

コメント欄を設けてそれをやると統一的なエレガンスに欠けてきます。それで作品募集形式にしたわけです。

色々な形式を期待して募集していますが、過去の思い出を語るというものが多いです。それで、「カタルシス」という言葉を思い出しました。

これは心理学用語ですが、心にたまったネガティブなものを解き放つことで、ヒステリー症や神経症を癒すこと、その解き放つことをカタルシスと言います。心に受けた傷や不満、不安と言ったもの、あるいは人には言えないことなどをです。オーストリアの精神医学者のブロイラーが催眠療法(カタルシス療法)を始めたのが始まりです。

一般に、カタルシス(浄化、発散)は、催眠、劇、人に聞いてもらうなどして達せられると言われています。劇はルーマニアの精神科医モレノによって始められたもので、サイコドラマとも言われています(「セレンディピティ」より)

投稿にはそういう面に似た要素もあるのではないかと思い始めました。もちろん、投稿原稿の内容は心の傷のたぐいのものとは限りません。単に報告的なものもあります。

過去の平凡な体験、あるいはトラウマ的な体験、悲しい、苦しい体験などを、人に読んでもらう前提で書く、それはたとえ匿名であっても、過去の体験にカトリック的な、あるいは未信者でも天のメッセージ的な光を当てることで意味をもたらす、あるいはカタルシスとなるということ、それを投稿者は無意識のうちにやっているのではないか、と思うに至っています。

そういうことから、名前はあくまでもペンネームです。

つまり、今は、この「広場」は、様々な内容、形式の発表の場であると同時に、カトリック的カタルシスの場であるとも考えています。ですから、個人情報に関しては極秘扱いです。

どのみち、終りのときの預言の成就は近づいていますから、このようなサイトをゆっくり読むことも、運営することも長くは続かないでしょう。今だからできることだと思っています。

以上が寄せられたメールに対する答です。


(2017年9月2日)
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