終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

聖母マリアの栄光

聖母マリアの栄光

マリアよ、地上の悲しみを忘れたまわざれ



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ガァダルーペの不思議2

OUR LADY OF GUADALUPEの記事によると、この奇蹟の絵についての信じられないような科学的報告がのっていました。サボテンの繊維で織られた外套の上に聖母の絵があるのですが、その絵は染められたものではなく描かれたものでもないと先日書きました。そのような情報でしたから。しかし詳細な報告を読むと、その奇蹟の絵は、なんとサボテンの布地の上に10分の3ミリの所に顔料が浮いているというのです。絵は宙に浮いた状態で描かれていたのです。これレ-ザー光線で繊維を調べて分かったことだといいます。また聖母の目に光を当てると瞳の瞳孔が縮み、光をあてないと瞳孔がもとに戻るというのです。にわかには信じられない話ですが、科学的な調査報告なのです。また繊維に3,4センチの所に近づいて絵を見ると、絵は消えてしまい、離れるとまた絵が見えるといいます。
絵の中で聖母は黒いサッシュを召されていますが、その部分に聴診器を当てると1分間に115回の鼓動が聞こえます。あたかも赤ちゃんが聖母のおなかに入っているかのようです。それは、赤ちゃんのイエズス様の鼓動です!伝統的に、御出現された聖母は、おなかの中にイエズス様がおられるということをずいぶん昔(30年くらい前)に聞いた覚えがあります。またサボテンの繊維で織られた織物は、20年くらいしかもちません。しかしこの奇蹟の絵が描かれたサボテンの外套は、450年以上も経っているにも関わらず、現存しています。またその絵のある外套の温度を測ると、98・6度*で人間の体温と同じであるとの報告もありました。まだ奇蹟的なしるしはあるのですが、それはまたの機会にします。《2013年12月16日)

 *この温度は華氏で測られたものです。

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ガァダルーペの不思議

今朝起きて窓のカーテンを開けたら、4,5センチの雪が梢に積もっていました。屋根にも庭にも雪が積もっています。本格的な冬の始まりです。

ガァダルーペの奇跡の御絵について思い出したことがありました。10年以上も前のことです。ムーという雑誌の特集でガァダルーペの御絵をNASAが分析して、そこに奇跡的に描かれた聖母の瞳の中に4人の姿が映っていたという驚くべき科学的調査報告だったのでした。その4人とは、ファン・ディエゴと司教とその場にいたもう2人です。一人は通訳者でもう一人は別の司教でした。
つまり、聖母の御出現の印を要求した司教の依頼のために冬には咲いていない薔薇を包んでいたファン・ディエゴの外套を開いたその瞬間に描かれた御絵の瞳にその場にいた4人が映り込んでいたと、4世紀以上もたってから発見されたのでした。記憶では、その絵の顔料は地上には存在しないものだとも、なおかつその絵は筆で描かれたものでも織られたものでも染められたものでもないとその報告書にありました。人間の理解を超えた御絵なのです。このナサ(NASA)の報告以外に、聖母の奇蹟の瞳について書かれた本があります。『ガァダルーペのふしぎ』(The Wonder Of  GADALUPE)という英語の本です。その本にも、科学的に研究された聖母の瞳の中に映り込んだ4人のことが説明されていました。
天がなさる奇蹟とは、なんと不思議なことでしょう。(2013年12月14日)
*画像は、「OUR LADY OF GADALUPE」より。

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聖カタリナラブレ修道女の腐敗を免れた遺骸

昨夜は…

昨夜は、寒さで冴えわたった夜空に星がとてもきれいでした。私の体調が悪いのと猫にパソコンの前の椅子を占領され、昨夜中にこの話題をアップできませんでした。眠っている幸せそうなチョコの顔を見ていたら、席を取るために起こすことができなかったのです。
2013年11月27日は、ふしぎのメダイを作ることを、フランスの聖ビンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会のカタリナ・ラブレ修道女*に聖母がご出現して命じられた記念日でした。
「1830年11月27日夜のご出現のとき、聖母の美しく輝いたお姿のまわりに金の文字で次のことばを書かれたのです。『原罪なく宿り給いし聖マリア、御身により頼み奉るわれらのために祈り給え』聖母はやさしく愛情あふれたお姿で両手をひろげ、次のようにおっしゃいました。『この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。このメダイをつける人はみな、大きな恵みを受けるでしょう。信頼をもってそれを持つ人には、特別に豊かな恵みが与えられるでしょう。』
そのとき、聖母の両手から光が四方に輝き、聖母は次のようにおっしゃいました。『この輝きは私に願う人びとの上に与えられる恵みのかたどりです。』このおことば通りにマリアのお姿と金の文字のことばを刻んで作られたのが『ふしぎのメダイ』です。
メダイの裏には、+とMの字があり、+の文字は私たちの救いのために十字架上でなくなられたイエズス・キリストをあらわし、Mは苦しむキリストに同伴されたマリアをあらわします。下の部分にある二つの心臓は、受難のときの茨の冠に囲まれたキリストの聖心(みこころ)と、人びとのために御子を犠牲にされ、苦しみの剣で貫かれたマリアの御心(みこころ)をあらわしています。
なぜ、『ふしぎのメダイ』というのでしょうか。それは、このメダイがおどろくべき速さで人びとの間にひろまり、これを身につけた人に多くの恵みが与えられて,いつの間にか『ふしぎのメダイ』と呼ばれるようになったのです。このメダイを身につけた人たちは精神的にも肉体的にも数えきれない大きな恵みをいただいています。
聖マキシミリアノ・マリア・コルベは、このメダイを『聖母の弾丸』と呼び、これをできるだけ多くの人が身につけて、人びとがマリアの恵みに導かれるようにと、あつく望んでいました。」(『ふしぎのメダイ』より)

*死後56年たってから発掘された聖カタリナ・ラブレの遺骸はまったく腐敗を免れ、聖母を見た青い瞳孔までが残っていた。聖カタリナの遺骸はパリの愛徳修道会本部、ふしぎのメダイ教会に安置されている。

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マリアの最大の約束;

「地獄の門は、毎月の初土曜日に閉じます。この日には誰も地獄へは行きません。しかし煉獄の門は開いています。ですから、多くの霊魂が天国へ到達することができます。これは御子の憐みぶかい愛の御業です。これは、わが汚れなき御心を崇敬する霊魂への報いなのです。」

ーハンガリーの一教区の司教認可

聖母の汚れなき御心を崇敬するということは、どのようなことでしょうか。聖母マリアの嫌われることをしない―罪と悪徳を避けること。聖母の汚れなき御心とイエズスの聖心の画像を家に飾ること*。聖母の意向(罪人の回心、世界平和、等)で、ロザリオを祈ること。聖母が好まれることをすること。―徳を実践すること。(謙遜、柔和、従順、愛徳等)
家が守られるように各部屋に聖母の汚れなき御心とイエズスの至聖なる聖心の画像を飾るようにという指示が、かつて幻視者を通してありました。またこの20年の間に、ほかの幻視者によって、家を守るために各部屋にイエズス・キリストの『御憐みの御絵』を飾るようにというメッセージもありました。この御絵はポーランドの聖フォスチナが受けたイエズスの御出現のときの絵です。そのメッセージを受けた幻視者の名前は思い出せませんが…。私の家では、各部屋にこれらの3枚の御絵を飾っています。

(2013年11月15日)

御憐みの御絵

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神の母

神の母ー聖母マリアの栄光7

トリエントミサでは、10月11日は童貞聖マリアの母性の2級大祝日です。現代典礼では、神の母の祝日は1月1日に祝われています。「1931年、公教会は、聖母マリアが神の母であるという信仰宣言を行ったエフェゾ公会議の、1500年記念祭を行った。その時、ピオ十一世は、この記念として、さらにまたこの教義をより普及させるために、本日の祝日を定めたのである。」(「毎日のミサ典書」)

聖アルフォンソ・リゴリは次のように『聖母マリアの栄光』に書いています。「子どもが敵のつるぎにたおれようとしているのを見た母親は、これを救うために、あらんかぎりの努力をこころみるにちがいない。聖母マリアは、ご自身、聖女ブリジッタにこのように語ったのち,次のように付言された。『私は、私の子どもたち皆に対し、たとえ、どんなに罪深いものであっても、私のあわれみを祈り、私の助けを求めさえすれば、このようにしていますし、また、今後とも、このようにするにちがいないのです。』であるから、地獄に対する戦いにおいて、いつも勝利をしめる秘訣は、たえず「神の聖母よ、我ら御身のご保護により頼みたてまつる」と繰り返しながら、神の御母であり、われらの母であるマリアにより頼むことである。この短い祈りをとなえてマリアにより頼んだために、地獄に対して勝利をしめた信徒が、どれほどであろうか。神の偉大なはしため、ベネディクト会修道女十字架のマリア童貞は、このようにして、しつこく攻撃する悪魔に対し、いつも勝利をしめているのである。」

カルディナル・べラルミノも叫んでいる。「ああ、私たちは、このような母のご保護のもとに、すっかり安心して生きることができるではないか。私たちが、敵に攻められるとき、マリアのいつくしみぶかい腕に逃げ込むなら、私たちをその胸から引き離すことができるであろうか。私たちが、神の御母でわれらの母なるマリアのご保護により頼むとき、地獄の怒りも、情欲のあらしも、私たちに打ち勝つことはできないのである」と。

霊魂の危機(誘惑、怒り、反抗心、嫉妬、等)に際して、「神の聖母よ、我ら御身のご保護により頼み奉る」と祈ることをけっして忘れないようにしましょう。(2013年10月11日)


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マリアの御名の祝日―聖母マリアの栄光6;

9月12日は、トリエントミサでは、マリアの御(み)名の1級祝日です。
「ブスチスのベルナルディノの語るところによれば、「アヴェ・マリア*」と言えるようにならされたある小鳥が、ある日、はげたかにとらえられた。その途端、小鳥は、「アヴェ・マリア」と叫んだ。すると、はげたかは、雷に打たれたようになって落ちたとのことである。これによって、主は、知恵なき小鳥でさえ、マリアのみ名によって死から救われるとしたら、誘惑のとき、忘れずにマリアのみ名を呼んで助けを求めるキリスト教徒は、悪魔の手に落ちることはないにちがいないということを、私たちに教えてくださったのであった。」(『聖母マリアの栄光』)
この美しい話をカトリック教徒は忘れてはならないし、これから洗礼をうけようと思う人はマリアのみ名を唱えることを、つまりロザリオを祈るように努めなければなりません。
*アヴェ・マリアとはめでたしマリアとの意味です。

『毎日のミサ典書』によれば―「ユダヤの習慣に従って、聖母の両親は、聖母誕生後8日目にマリアと命名した。それで、イエズスの聖名の祝日が御誕生の祝日後に来るように、聖母の御名の祝日もその御誕生の祝日の後に来るのである。
この祝日は、スペイン,クェンカ司教区に起源を発し、すでに1513年聖庁から許可が与えられていた。17世紀西欧をおびやかしたトルコ軍がオーストリアに進撃し、首都ウィーンを2ケ月余にわたって包囲した時、キリスト教国の軍隊は、聖母の御名を呼びつつ交戦、大勝利を得た(1683年9月12日)。この勝利を記念し聖母に感謝するため、インノチェンツィオ11世教皇は、9月8日直後の主日に、1級祝日をもって全教会で祝うよう規定した。ピオ10世教皇は、1911年、祝日の日を9月12日と定めた。
マリアという名は、シリア語では「婦人」の意味、他の解釈では「苦い海」、中世ごろの解釈では「海の星」である。聖ベルナルドによると、マリアはヤコブから出た輝く星であり、その光は全世界にかがやき、その熱は心を強め、悪を退け、信じる人びとの道を照らす不朽の星である。」(2013年9月12日)


9月には…

 9月には、マリア様の祝日が聖母の月の5月のようにいくつかあります。9月8日は、聖母のお誕生の祝日。9月12日は、マリアのみ名の祝日。9月15日はマリアの七つの御苦しみの祝日です。9月15日は、現代の典礼では悲しみの聖母の記念日ですが、日曜日に重なっているので日曜日の典礼が優先されます。トリエント典礼でも、今年は日曜日の典礼が優先です。

上記の絵は、アンティークのお店のホームページで見つけたものです。最近ホームページを見たらSOLD OUT(売り切れ)になっていました。

マリアよ、地上の悲しみを忘れたまわざれ」エティエンヌ・アザンブルによる無原罪の御宿り 初聖体記念の聖画…1949年 フランス …この聖画において、純白の衣と青のマントを身に着けた無原罪の御宿りなる聖母は、夜空を背景に下弦の月の上に立ち、右手を胸に当てて天を仰いでいます。聖母の頭を飾る光輪の前面には、あたかも王冠正面に嵌め込まれている宝石のように、美しい星がひときわ強い光を発して輝いています

聖画の画面内、左下の隅に”E.AZAMBRE(Etienne Azambre 1859-1935)の署名です。」

(「アンティークアナスタシア」のHPより)

(2013年9月1日)


 蜜蜂  

先週の土曜日、2メートル四方に広がったかぼちゃの葉の上で蜜蜂が一匹死んでいました。ちょっとショックでした。そして昨日の日曜日、トリエントミサに出かける前に、竹林の手前にある堆肥の山から伸びたかぼちゃのところまで来て、驚きました。5,6匹の蜜蜂がぶんぶん花の回りを飛び回って蜜を吸っていました。1週間前は2匹の蜜蜂だけだったので、うれしい発見でした。かぼちゃの花が上空から蜜蜂によく見えるように、毎日花を隠している葉を切っていました。うちの敷地だけで蜜蜂が蜜を集めることができれば、農薬の影響で蜜蜂が死ぬことが少しは免れることができるかもしれません。どうやら、蜜蜂はかぼちゃの花が好きなようです。
 ミサの帰りに家の前の庭を見ると、ディープローズの赤い花に二匹の蜜蜂がいて、蜜を吸っていました。見ていると、ほかの花にはいかず,いったん飛び上がってもまた二本のディープローズのみに止まります。聖母像のまわりの薔薇には蜜蜂はいませんでした。ディープローズを買い足して、ともかく花を増やそうと思いました。
 家に帰るともうお昼すぎです。チョコが二階の隠れ家から降りてきて、階段の手すりの間から顔を出してニャーと挨拶しました。次にはお昼ごはんの要求です。お皿の前に座ります。背中で語っているのです。『あたし、ごはんが食べたいの』無言で背中で語っています。朝ご飯のカリカリをお皿に入れると、無心に食べます。ごはんの時はいつも甘ったれのチョコ姫です。


聖母マリアの栄光5

童貞にして、母なる、マリアの御名(みな)は祝せられ給う。---聖なる賛美
 約束ー

 アグレダのマリア(1602~1665)は、御父が玉座から話す声を聞いた。「われらの選びし者はマリアと呼ばれ、この名は非常に力ある、気高きものとなる。その名を敬虔なる愛をもって呼ぶ者は、もっとも豊かな恵みを得るだろう。その名を敬い、崇敬の念をもって口にする者は、慰めを受け、元気付けられ、その名のうちに、自らの悪を切り離す手段を、自らを豊かにする宝を、そして天国に自らを導く光を見出すであろう。その名は、地獄の力に対して恐るべきものとなり、蛇の頭を砕き、地獄の王子たちに対し栄えある勝利を得るであろう。―「神の神秘の都市」(2013年7月22日)


なぜマリアなのか

昨日、朝ミサが終わった後、この言葉が突然心に浮かびました。なぜ、カトリック信者は聖母マリアを崇敬するのか、なぜマリアなのか…未信者の方やプロテスタントの方たちにはわからないかもしれません。そのことについて、書きなさい、というインスピレーションであると思いました。
聖母マリアは、神の母です。処女懐胎されたイエズス・キリストの真実の母です。また、天地の元后です。
天の宮廷を思い浮かべてください。正面の玉座には、永遠の御父そしてイエズス・キリスト、そしてその隣には聖母マリアがおられます。そのお方たちの背後には聖霊がおられます。宮廷は美しくきかざった聖人と聖女たちでいっぱいです。そして地上のわれらは、宮廷の大広間の開いた扉から中をのぞいています。私たちの服はボロボロ、顔も泥で汚れています。私たちには、着飾るにふさわしい功徳がなく、罪で汚れているからです。とうてい、広間に入っていく勇気はありません。開いた扉からなかをのぞくのが精いっぱいです。聖母マリアはもっとも美しいお姿で王冠を頭にいただき、笏を持たれておられます。だれかが小さな声で「マリア様」とため息を漏らしました。マリア様はそのほんの小さなため息をききもらさず、玉座から降りて入口の扉の所まで来られます。なぜなら、聖母は罪びとの母、全人類の母でもあられるからです。聖母はすべての恵みの仲介者という称号をお持ちです。聖母に,まず私たちが頼めば、必ず主に取り次ぎ、私たちのためにそのお恵みを得させてくださいます。なぜなら聖母は私たちのおかあ様だからです。聖三位一体の主は、計り知れない愛と恩義を聖母に持たれ、計り知れない憐みを罪びとのわれらに持たれております。ですから聖母を喜ばせるために、罪びとの救いのために何でもしてくださるのです。

私たちは聖母に祈ること、ロザリオを祈り、ロザリオで、聖母にお願いすることです。苦しんでいる人、悲しんでいる人、迷っている人、罪の重荷に打ちひしがれている人は、ためしにロザリオを真面目に祈ってください。聖母はたった1連のロザリオを祈った者を忘れません、とご出現で言われたことがあります。(2013年6月15日)*ロザリオを入手したい方は、メニューの「ロザリオ」の項を参照してください。

聖母マリアの栄光

聖母マリアを賛美するのにすべての人の肢体が舌に変じたとしても、マリアを十分に賛美することはできない、と聖アウグスチヌスは言いました。聖人たちの聖母への賛美を少しづつ紹介したいと思います。聖ボナベンツーラは、「誰でも聖母をないがしろにする人は彼の罪の中に滅び、断罪されるであろう。」と言った。(「ピエタ」)聖母を賛美し、聖母に願い、聖母の助けを期待するのなら、ロザリオを祈るのが1番です。(2013年2月20日)


聖母マリアの栄光2

大聖アルベルトは、「ああ、マリアよ、御身に奉仕しない者は、みな滅びるであろう。」聖ボナヴェンツーラは、「マリアに奉仕することを怠る者は、その罪のなかに死ぬであろう。」そしてまた「ああ、聖母よ、一生の間、御身をお呼びしなかった者は、けっして、天国へはいることはできないであろう。」と言っている。さらに殉教者の聖イグナチオは罪びとは聖童貞の助けがなければ、救われることができない。これに反して、神の正義によって滅びるべき人びとのうち、マリアの慈悲ふかいとりなしによって救われるものが多い、と述べている。「ああ,祝された童貞よ、どんな罪びとも、御身の御親切と御助けとによらないでは救われることができない。なぜなら、神の正義が救えない人びとを、マリアの限りない御あわれみは彼らを、取り次ぎをもって、これを救う。」と。今の時代ほど毎日死んでゆく者たちのうち地獄へ落ちてゆく者の多い時代はありません。聖母マリアの助けがなければ救霊が危ういのです。(2013年2月24日)



聖母マリアの栄光3


聖ドミニコに聖母様が約束なさったお言葉

ある日、わたしはロザリオとスカプラリオ(*)を通して全人類を救う

*スカプラリオ(2,3センチくらいの小さな布きれ)とは、茶のスカプラリオのことで、米国ベイサイドの御出現でも、出現された聖母が茶色のスカプラリオをお持ちになりました。茶色のスカプラリオ(カルメル山の聖母のスカプラリオ)は、スカプラリオを授ける権限のある司祭によって着衣式をしてもらいます。最初に司祭から着衣を受けると、その後スカプラリオを新しくつけなければならないときには、司祭の祝別は必要ありません。
1251年7月16日にカルメル会の聖シモン・ストックに聖母がご出現になり、当時すでに修道服の一部として用いられていたスカプラリオを彼に渡し、これをつけて死ぬ者の救霊を保証されました。
「誰でもこれ(スカプラリオ)を身につけて死ぬ人は永遠の火を受けないでしょう。」と聖母は聖シモン・ストックに言われました。
(2013年5月6日)


聖母マリアの栄光4

今日は朝から晴れています。この2,3日曇りか雨で気温も低く、寒いほどでした。暑くなると弱っていくパンジーやすみれは勢いを盛り返し、三色すみれ、黄色いのと紫のパンジーの3種類がこんもりとかわいらしく咲いています。無原罪の聖母像の前には白バラと白いつつじが咲いています。
猫のチョコはひとりで敷地の見回りに出かけ、私の散歩に間に合いませんでした。
今日5月31日は、トリエントミサ典礼では、元后、童貞聖マリアの祝日です。現代の典礼では、「聖母の訪問」を祝います。

聖ベルナルドは、次のように述べています。

「波濤(はとう)にのまれたくないなら、海の星を見つめよ。星を眺め、マリアを呼べ。神にそむく危険にあう時、誘惑のためになやましい心のみだれを感じるとき、何をなすべきか迷っているとき、なんじをお助けになれるマリアを思い、マリアに祈れ、すぐさま、マリアに向かって、御助けをたれてくださるよう祈れ、その力強いみ名を、たえず忠実に唱えつづけよ。不動の信頼をいだき、このみ名をなんじの心から、追い出してはならない。マリアのみ跡を歩むなら、けっして迷うことはないであろう。マリアのみ名を呼んで御助けを求めるならば、けっして失望におちいることはないであろう。マリアがなんじを支えてくれるならば、たおれることはないであろう。マリアがなんじを保護してくださるならば、なんじの救霊は安全となるであろう。マリアの御導きにしたがって歩むならば、旅のつかれを感じないであろう。マリアの御助けによって、なんじは、目的地に達することができるであろう。」「もしもマリアがなんじを守り給うならば、なんじは、確かに、選ばれしものの王国に至りつくことができるであろう。」

聖人の言葉は、神様からの伝言です。イエズス・キリストは聖母マリアの頼みを断ることはできません。聖母に仲介を頼み、聖母のご保護のもとにあれば、神の御怒りの、大いなる主の日にも安全です。今日のこの項の終りに、聖アンセルモの言葉を聞きましょう。

「わざわいなるかな、この太陽の光をさげすむもの、聖母マリアの信心を重んじないもの!」神的光明の消えた霊魂、夜の闇に閉ざされた霊魂は、「罪悪と悪魔との巣窟となるであろう!」(2013年5月31日)

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