終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2017年12月

2017年12月





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LEFT:■1944年のクリスマスミサはこんなふうだった―映画「クリスマスホリデー」のワンシーン
https://vimeo.com/115477075


(2017年12月26日)




聖母マリア
覚えておきなさい、わが子供たちよ、わが母のもとへ来なさい。地上でのわが母の人間としての日々を想い起せば、何よりも先ずわが母は創造された人間であった―罪の無い、罪の汚れの無い、罪のない完全な地上での生活、そして身体と霊ともども天に挙げられた―わが母はあなたたちの母であるゆえにとりわけあなたたちを導き得るのだ、わが母は天の元后にして地上のすべての人間の母である」(主のベロニカ・ルーケンへのメッセージ 1979年8月14日)




メリークリスマス!


ヴェロニカの見た最初のクリスマスのヴィジョン
メリークリスマス!

ヴェロニカ:丘の中に深く掘られた洞窟が見えます。入口が非常に広い洞窟です。地べたに一人の女性が座っています。地面は埃っぽく、固く感じられます。その女性の周りには何頭かの動物がいます―三匹の羊がいます。その女性は、藁か枯草を盛り上げた上に寝かされた赤子の周囲の暖をとるために子羊たちをそばに寄せました。

一人の男がいます―聖ヨゼフに違いありませんが、彼は茶色の生地のローブを着ていて、赤子を見下ろしています。赤子はとても小さく、クリーム色の布に包まれています。女性―祝されし御母は、羊たちをさらに赤子のそばに押しやります。牝牛ほどのサイズの、角をはやしたいかつい、茶色の一頭の大きな動物が入口付近に立っています。

洞窟の中は非常に暗いのですが、彼らの周りには光がさしているようです。その光は空中から発しているように見えます。男の背後には非常に大きな二位の天使がいます。でも、女性ー祝されし御母は、ずっと見下ろしたままなのでそれらの天使に気づいているとは思えません。

ああ、彼らの何と貧しく見えることでしょう。でも彼らはとても幸福そうです。聖母は、ほこりまみれの固い地面にじかに座っておられます。子供をこの世にもたらすことは彼女にとり非常に困難を伴ったに違いないのですが、彼女はとても幸福そうです!

バラの聖母:私たちが食べた食べ物はとても固い物でした、でも光は私たちを包み、私たちはすべてを喜びをもって受け入れました。

ヴェロニカ:聖母が乾燥した魚と思しき物を一匹手にしているのが見えました。それは非常に噛みずらい物です。ヨゼフは濃い色、ほとんど黒といってもよい、薄いパン切れと思しき物を手にしています。それは固まりではなく、ふくらますことなく焼いたか、その類いの物です。そのパンもまた固く、乾燥しているように見えます。

音楽が聞こえます。聖母とヨゼフはその音楽が聞こえるので微笑んでいます。洞窟は、小さな子供たちの歌声で溢れかえります。その声は歌っていますー「めでたし、光をまとった小さき救い主。天の戦いに馳せ参じるためにお生まれになった

バラの聖母:多くの者たちが送り物をもってやって来ました。でも私たちはその心を見透かし、帰ってもらいました。

ヴェロニカ:誰か、白いガウンを着た男が入口を伺い洞窟の中に入って行きました。でも彼には音楽も聞こえなければ天使も見えませんでした。(彼の顔からそれは明らかです)その男はヨゼフに話しかけました。その言葉の内容は分かりません。

人が、超自然的顕れを体験できるのは、御父による特別な恵みによる場合だけだということを私は確信しました。

幼子の顔は非常に珍しいお顔でした。幼い顔の中に、年寄りの知識と叡智が宿っているのです。マリア様は愛くるしいぐらいに幸福そうです。と同時に悲しみの陰りがうかがえます。聖母はすでに前途―将来味わう悲しみを知っておられたのです。それは彼女に知らされていたからです。マリア様は、優しく語られます―

バラの聖母私は主のはしためです。あなたのみことばのとおりになりますように」

ヴェロニカ:天使がマリア様の傍らに来て言いました―

天使この子は光によって養われるでしょう
―1970年12月24日

(2017年12月23日)






「浄め」と「よろこび」をもって
一年のミサ典礼において「喜べ」という言葉で始まる日が二日あります。
待降節第三主日(Gaudete in Domino semper 主において常によろこべ)と、四旬節第四主日(Laetare Jerusalem よろこべ、エルザレムよ)です。Gaudete も Laetare も「よろこべ」という意味です。
司祭はこの日のミサでバラ色の祭服を着ることから、バラの主日と呼ばれます。

待降節第三主日では、バラ色は御降誕の聖なるよろこびの始まりであるこの週の主日を、昔は盛大に祝ったその習慣の名残りです。

苦しみは霊魂をきよめます。ですから救い主を待ち望む待降節は「苦行の時」です。その苦行の表れとして、四旬節の苦行を想いださせるべく司祭は紫の祭服をつけ、オルガン伴奏を禁じ、また御降誕まで栄光の讃歌は歌いません。

しかし待降節はまた「心のよろこび」の季節でもあります。それは特に待降節第三主日に表れています。

人類の歴史の中で唯一の事件と言ってもよい救い主の地上への来臨の時が、一週間後に迫っています。この週を、「浄め」と「よろこび」の中に過ごしましょう。また今日から二四日までクリスマスノヴェナです。そのための特別な祈りをもっていない人は、毎日一連のノヴェナをしましょう。(参考:『毎日のミサ典書』)


(2017年12月16日)



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