終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

天よりの言葉

天よりの御言葉



 

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主祷文に関して主イエズスの解説文があります。天使館発行の『主の祈りーマリア・ヴァルトルタ「手記」より』(天使館発行・訳者K.H.)です。
この文章を黙想することによって、祈りには言葉に含まれる深い意味と聖書的に示唆するところが含蓄されてあり、祈りの力というものが私たちの理解する以上に言葉そのものに内在するということが分かります。繰り返し読んで黙想することをお勧めします。
『マリア・ヴァルトルタ手記』‐世紀末の黙示録‐(抜粋)も天使館で発売されています。(1700円)

主祷文についてNo.1
「一九四三年 七月七日
イエズスは語られる。
 主の祈りには、祈りの完成がある。
注意して観てごらん。この祈りの形にこめた簡潔な表現の中で、欠けている徳目は一つもない。信仰、希望、愛徳、従順、忍耐、委託、懇願、悔悛、憐れみ、すべてがそこにある。
主の祈りの最初の四つの祈願(注1)を唱える間、あなたたちは、天上の楽園すべてとともに祈るようにしなさい。そして、その後、あなたたちを待つ住まいのある天を離れて、地上に戻り、両腕を天に向けて挙げたまま、残りの三つの懇願(注2)を唱えなさい。この懇願は、現世で必要なものを願い求めるためのものであり、また、天国へ帰るための戦いに勝つよう、助けを求める祈りである。」(2015年9月1日)


訳者注
(注1)最初の四つの祈願は「天に増しますわれらの父よ」「願わくは御名の尊まれんことを」「御国の来た欄ことを」(御旨の天に行わるる如く 地にも行われんことを」の四つの祈りを指す。
(注2)残りの三つの懇願は(われらの日用の糧を今日われらに与え給え」「われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え」「われらを試みに引き給わざれ、われらを悪よリ救い給え」の三つの祈りを指す。
 

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主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


天にまします我らの父よ

「おゝ、マリアよ(注3)!私の愛のみが『”われらの父よ”と言いなさい』と告げることができたのだ。このように言い表すことで、あなたたちは至髙者の子供、また私の兄弟姉妹という、崇高な身分を私授けられたのだ。自分の空しさを思って打ちひしがれ、人間は神の似姿に創られた神の子である、ということを疑う人がもし居るとしても、私が語った言葉を思いめぐらすなら、その人は自分が神の子であることを最早疑うことができなくなるであろう。神の御言葉は間違うことはなく、嘘はつかない。だから、私は「我らの父よ、と言いなさい」と、あなたたち告げているのだ。
父親がいるということは優しくて、強力な助けとなる。この世の秩序に沿って、幼年、少年、青年としての私の生活を保護してくれる、地上での父を私は欲しいと願った。父親として徳のある人物が、いかに偉大であるかを、子供あるいは父親であるあなたたちに、私は教えたかったからである。天の御父のような絶対で完全な父を持つとは、最高の優しさと、最大の助けを与えられることなのだ。この父なる神を、聖い畏怖をもって仰ぎ見なさい。ただし、この天と地における生命の与え主に対して、畏れより、強い愛をもって、いつも仰ぎ見るようにしなさい。」(2015年9月4日)

注3 マリア・ヴァルトルタ(1897-1961)を指す。

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主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


願わくは御名の尊まれんことを

「熾天使(セラフィム)たちと、天使たちすべての合唱に合わせて、共に神の御名を誉め称え、至聖なる御者に対して、この喜ばしい感謝にみちた賛美を繰り返しなさい。神の子である私のことを思いながら、この賛美の祈りを繰り返しなさい。私はあなたたちよりも前に、最高の崇敬と最高の愛を込めて、この賛美の祈りを唱えていたのだ。
 喜びの時も、悲しみの時にも、光の中にあっても、暗(やみ)の中にあっても、平和な時にも、戦争の時にも、この賛美の祈りを繰り返しなさい。
 父なる神を決して疑わない子供らは幸いである。また、どんな時にも、どんな出来事にあっても、「御名の祝されんことを」と御父に祈ることができる子供らは幸いである。」(2015年9月19日)


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主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


御国の来たらんことを4

「この祈願は、あなたたちの全生涯を振り子のように揺り動かす鼓吹(こすい)とならなければならない。また、すべてのことが善なる御者へのこの祈りを中心にまわるようにしなければならない。心の中にある神の国、また、心から世へと伝わってゆく神の国とは、善、平和、そして、その他あらゆる徳を意味していると言ってよい。従って、神の国の到来のために、数え切れないほどの祈りで、あなたたちの人生を力づけなさい。
しかし、その祈願は生き生きとしたものでなければならない。つまり、いつも己れ自身を生贄(いけにえ)として捧げることにより、生涯を生きるようにしなければならない。よく生きることは、この目標のために本能を犠牲することを意味しているのだ。」
(2015年9月26日)


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主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


御旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを

天の御国は、御父の御旨を行った者すべてに与えられるが、言葉だけを積み重ね、その後で、御父の御旨に逆らい、自分自身が言った言葉に対して嘘をつく者たちには、天の国は与えられない。「御旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを」という祈願をもって,あなたたちは、御父の御旨を行っている天の楽園すべてと、一致しなさい。
神の国の住民が、御父の御旨を行っているなら、あなたたいも神の国の住民となるために、御旨を行いたいと願わずにいられるだろうか?三位一体の愛なる神によって、あなたたいのために備えられた喜びはいかばかりであろうか!神の国を勝ち取るために、どうして強い意志を働かさずにいられるだろうか?
御父の御旨を行う人は、神のうちに生きている。神のうちに生きていれば、間違うことも、罪を犯すこともできない。天国の住処を失うこともない。御父は善きこと以外何もあなたたちにはなさらない。また、善であるため、罪から救い、天国へ導くことしかなさらない。御父の御旨を己れの意志とする者は、己の意志を捨て去ることにより、地上に居ながら平安を知り、味わうであろう。その平安は祝福された者たちへの賜物である。
御父の御旨を行う者は、ゆがめられ、逸脱した意志を殺すことにより、もはや単なる人間ではなく、愛によって動かされる霊となり、愛のうちに生きるようになる。あなたたちは善意を持って、己れの意志を自分の心の中で打ち砕き、そこに御父の御旨を据えなければならない。

われらの日用の糧を 今日われらに与え給え6 

「霊に関する四つの祈願を終えた後、空の鳥に食物を与え野の百合を装われる御父に、パン(糧)を願い求めなさい。なぜなら、あなたたちは貧しく、体がパンを必要とする中で生きているからである。私はこの祈りの中で『今日』と言った。また、『パン(糧)』と言った。私は無益なことは決して言わない。『今日』という意味は御父に毎日毎日助けを求めなさいということである。それは節度、神の義、謙遜の尺度となる。
 節度 もし一度に全部与えられたら、あなたたいは夥しく浪費してしまうであろう。あなたたちはいつまでも子供のようで、その上わがままである。神の賜物を浪費してはならない。それに、もし何もかももっていれば、あなたたちは神を忘れてしまうであろう。
正義(神の義)。私でさえ、その日その日に、御父の助けを受けていたというのに、なぜ、あなたたちは一度に全部持たねばならないのか?人間的な心配から、神は明日何も与えて下さらないかもしれないと恐れて、今日、全部受けたいと、あなたたちは密かに思っている。そのため、神が全部一度にあなたたちに与えてくだせる方がよいと考えるのは正しくないのではないか?このことについて、あなたたちは深く考えていないが、不信は一つの罪である。
神に対して不信を抱いてはならない。神はあなたたちを完全な愛で愛しておられる。神は最も完全な父である。一度に全部を求めることは、御父の信頼を傷つけ、御父を怒らせることになるのだ。
謙遜。自分は無であり、貧しい者であるが、神はすべてであり、と富であるという思いを、毎日心の中で新たにするよう願わなければならない。
パン。 私が『パン(糧)』と言ったのは、パンは食物の王であり、生命にとって欠くことができないものだからである。私はあなたたちが地上に留まる間、必要とする全てをこの1語によって、またこの一語の中に封じ込めたのだ。しかし、あなたたちの霊的感度がそれぞれ違うように、このパンという一語が持つ意味合いの深さも異なっている。
「食物としてのパン」 自分の腹を満たすための食物を神に求めることができれば、もう十分だという程度の霊的初心者のためのパンである。中には、パンを乞い求めずに暴力でそれを奪い、神や兄弟姉妹を呪う者もいる。このような者は、御父から怒りの目をもって見られる。なぜなら、このような者たちは「心を尽くして神を愛し、己のごとく隣人を愛しなさい。」という掟を踏みにじるからである。
「助けとしてのパン」  自分の腹を満たすためだけに生きるのではなく、黙想しながら生きることができる、より高い霊性を持ったものたちにとって、精神的、または物質的な必要を満たすパンである。
「宗教としてのパン」 更に高い霊性を持ち、感覚や人間的感覚の満足より神を優先させ、超自然の世界へ翼を広げることのできる者たちのためのパンである。
『霊的なパン、すなわち生贄としてのパン」 霊的な成熟に達し、神の御許(みもと)へ行く時まで、死すべき命を生き続けるために、絶対必要とされる程度しか、体のために求めず、霊と真理(まこと)のうちに生きることができる者たちにとってのパンである。このような人たちは私の模範に倣って、自我をのみで削り落とし、私に似た者となる。御父はこのような人たちを抱擁しようと身をかがめられるのだ。」
(2015年10月10日)


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主イエズス・キリストよりマリア・ワルトルタへ(『マリア・マグダレナ』より)

「私の小さな声であるあなたマリア(ワルトルタ)、自分自身または多くの人びとに言え。さあ、自分が罪深いと感じているので、あえて私のところまで来る勇気のない霊魂たちに言え。多く愛する人には多く、多く多く許される。私を多く愛している人に。あわれなあなたたちは救い主にどんなに愛されているか知らない。私のことを恐れるな!おいで、”信頼をもって、勇気をもって”私はあなたたちに心と腕を開いている。
”これをいつまでも清くせよ。忘れな”
”私は汚されたことのない清さをもって私を愛している人と、恩寵に新たに生まれた心の真実な痛悔をもって私を愛している人と差別しない”私は救い主である。これをいつまでもよく記憶せよ。
さあ。平和に行きなさい。あなたを祝福する。」(2015年7月17日)

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イエズス・キリストからマリア・ワルトルタへ。(『マグダラのマリア』より。

「露の最も小さい一滴にも、その存在のよい理由がある。最も小さい、うるさい昆虫の一匹も存在するによい理由がある。火山の爆発とその火の流れもそれだけの龍がある。また、理由のない台風もない。そして物質世界から人間のことにうつれば、近眼の目しか持っていない人間にとって分かりにくいことであっても、涙も喜びも誕生も死も、貧しさ、または病気の不幸、繁栄と健康なども、それぞれ理由がある。
……神経をいら立たせて衰弱させ、この世での1日を苦しくするさまざまの疑問に打ち勝つための秘訣は、神が知恵深く、または、あるよい理由のためにすべてを行うと信じ、神が行っていることすべてを人を苦しめるための愚かな目的のためではなく、愛のためであると信じることである。」(2015年7月8日)

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聖母からステファノ・ゴッビ神父へ5の2(獣の数字666-1989年6月17日のメッセージより)

……333という数字が神を示すものであるならば、神ご自身の上に立とうと思う人は、666という数字で示されます。666を一度示すと、666年を示します。歴史のこの期間において、反キリストは、イスラムの現象を通じて自分を示します。イスラムは、三位一体の奥義とわたしたちの主イエズス・キリストの神性を直接否定しています。
イスラムはその軍事的勢力をもって、どこにでも拡がり、昔のすべてのキリスト教共同体[近東アジアの諸教会]を破壊してしまったのです。ヨーロッパにも侵入しましたが、母であるわたしの特別な干渉によって、また教皇からしきりにねがわれた干渉によってのみ、キリスト教を全面的に亡ぼすことに成功しなかったのです。
二度示される666は、1332年を示しています。この歴史的な期間において、反キリストは、神のみことばに対する信仰への、根本的な攻撃によってあらわれます。
哲学者は、学問、また理性に、排他的な価値を与えはじめるので、少しづつ人間の知恵だけを真理の唯一の基準とするようになります。こうして、哲学的な多くの大謬説が生まれ、何世紀にもわたって今日にいたっています。真理の排他的基準として理性を過大に重要視したために、やむなく神のみことばに対する信仰が破壊されてしまったのです。
事実、プロテスタントの改革をもって、神の啓示の源泉としての聖伝を排斥し、聖書のみを認めるようになりました。しかも、聖書さえも理性によって解釈すべきだと主張するようになりました。こうして、キリストから信仰の遺産を守る使命をまかせられた位階教会の、真正な教導職を頑固に否定するようになりました。
その結果として、誰でも自分の個人的な解釈で聖書を読み、理解してよいということになりました。
こうなれば、神のみことばに対する信仰が破壊されてしまいます。
この同じ歴史的な期間において、反キリストの影響によって、教会が分裂するようになりました。その結果として、多くの新しいキリスト教会が生じてきて、しだいに神のみことばに対する真の信仰をますます失うようになったのです。
三度示される666という数字は、1998年を示しています。
この歴史的期間において、一般のフリーメーソンは、教会的フリーメーソンに助けられて、その大計画を成功させることができるでしょう。それは、すなわち、キリストとその教会の代わりに置きかえる偶像神をつくることです。
偽りのキリストと偽りの教会、したがって、地上のすべての人々から礼拝されるために作られ、売り買いしようとするすべての人に自分のしるしをつける第一の獣を称えるための像は、反キリストの像です。こうして、あなたたちは、清めと、大きな艱難と、多くの棄教の絶頂にまで達したのです。棄教は、あらゆる所に広がるでしょう。なぜなら、およそほとんどの人が、偽りのキリストと、偽りの教会とに従うようになるからです。そしてその時に反キリストとなる人自身のために戸が開かれるでしょう。
最愛の子らよ、わたしが、今あなたたちが生きているこの時代に関して黙示録に書かれていることについて、はっきりしたことを示そうと思ったのはこのためです。すなわち、あなたたちの天の母と,暴れまわっている悪のすべての力との間に交わされている大きな戦いの最も苦しい決定的なことに、私といっしょに、あなたたちを備えさせるためです。

(2015年5月26日)

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聖母からステファノ・ゴッビ神父へ5の1(獣の数字666-1989年6月17日のメッセージより)

……小さき子らよ、人々の霊魂を亡ぼそうとする黒い獣であるフリーメーソンに対して、私といっしょに戦いなさい。
小さな子らよ、キリストとその教会を亡ぼすために、教会生活の内部まで侵入したフリーメイソンである子羊に似た獣に対して、私といっしょに戦いなさい。この獣は目的を得るために、新しい偶像神、すなわち、偽りのキリストと、偽りの教会をつくろうと望んでいます。
―教会的フリーメイソンは、いろいろなそのロッジから命令と権力を受けていて、すべての人をこれらの秘密結社にひそかに導き入れるために働いています。
こうして野心家たちを、たやすく出世するという餌を与えて刺激し、金銭をあこがれる人には財産をたくさん与え、自分のメンバーが、ずば抜けていちばん大事なポストをとるように助けてあげます。反対に、自分の計画に参加するのを断る全ての人を腹黒い方法で、しかも容赦なしに,のけ者にしてしまいます。
事実、子羊に似た獣は、第一の獣の権能を全部その面前で行使し、世界とその住民とを第一の獣を礼拝するように強制します。
教会的フリーメイソンは、獣をほめたたえるために一つの像を作りあげるまでに成功し、すべての人にこの像を礼拝するように強制します。
―しかし、神の聖なる律法の第一の掟によると、神だけを礼拝し、神だけにすべての崇敬を与えなければなりません。
しかし、彼らは、神の代わりに強い支配的な偶像神をこれと置きかえることになります。……
みなに礼拝され、仕えられるために作られたこの大きな偶像神は、私が前のメッセージで示したように、偽りのキリストと、偽りの教会のことです。
しかし、その名は何でしょうか?
―黙示録の13章にこう書いてあります。
「知恵は、ここに必要である。知恵ある者は、獣の数字をかぞえよ、それは人間の数字であってその数は666である」と。
神の知恵の光によって照らされた知性によって、666という数字の中にかくれている人物の名を読みとることができます。そして、この数字によって示されている名は、反キリストの数字です。
ルチフェル、昔の蛇、悪魔またはサタン、赤い龍は、今この最後の時代に反キリストとなります。
すでに使徒聖ヨハネは、イエズス・キリストが神であることを否定する人は、反キリストであると断言していました。
獣をたたえて、すべての人に礼拝させるために作られた像、または偶像神は、反キリストです。……
333という数字は、神を示しています。
ルチフェルは、傲慢のために神に背きます。自分を神の上に置きたいからです。
333は、神の奥義を示す数字です。神の上にたとうと思う人は、666の数字をもっています。したがって、この数字はルチフェル、サタンの名を、つまりキリストに対立する人、反キリストの名を示しています。……(この項続く)

(2015年5月19日)

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聖母からステファノ・ゴッビ神父へ4の2

「イエズスはみ恵みをお与えになるがゆえに、命です。
教会的フリーメーソンの目的は、罪を正当化すること、罪を悪としてではなく、一つの価値、一つの善として紹介することにあります。
このために、人間性の要求を満足させる手段として、罪を犯すようにはげましています。こうして、心に痛悔が生じる根を破壊し、罪をもう告白する必要はないといっています。
全教会に広がったこの呪うべき癌の非常な結果として、個別的告白はどこにおいても消えてしまったのです。
つまり、人々の霊魂は、イエズスが与えてくださった命の賜物を拒絶して、罪のなかに生きることになれてしまうのです。
イエズスは、福音を通して、おん父に導く道です。
教会的フリーメイソンは、種々の”文学類型”を適用して唯理主義による自然的解釈を紹介する聖書解釈をはげますのです。この結果として最後には、キリストの奇蹟、また復活の歴史的な事実つさえも否定するようになり、キリストの神性そのものと、救い主としての使命そのものまでも疑わしいものとします。
--歴史的なキリストを破壊してから、子羊のような2本の角をもっている獣は、神秘的なキリストである教会を亡ぼそうと努力します。
キリストによって制定された教会は、ただ一つです。つまり、ペトロの土台の上に建てられた一、聖、公、使徒伝承の教会です。
イエズスによって建てられ、その神秘的な体である教会も、イエズスと同じように道、真理,生命です。
--教会は真理です。なぜなら、イエズスが信仰の遺産全部を完全に守る使命をおまかせになったからです。それは、教皇と、教皇と一致している司教たちからなる位階教会にこの使命をおまかせになったからです。
教会的フリ-メイソンは、偽りのエキュメニズムをもって、この事実を破壊しょうとしています。偽りのエキュメニズムは、すべてのキリスト教の諸教会は、それぞれ真理の一部をもっているのであるからということで、それらを全部一様に受け入れなければならないと主張します。
このエキュメニズムは、キリスト教のすべての教会、中でもカトリック教会も含めて、統一させた世界的エキュメ二カルな教会を作ろうとする計画をはげましています。
--教会は、恩寵を与えるがゆえに生命であります。教会だけが、恵みをさずけるための有効な手段、すなわち七つの秘跡をもっています。
教会は、とくべつな生命です。なぜなら、教会だけが奉仕的位階的司祭職を通してご聖体を生み出す権能をもっているからです。ご聖体のうちに、イエズス・キリストは、その光栄あるおん体とその神性をもって、実際に現存しています。
教会的フリーメイソンは、多くの腹黒い方法をもって、ご聖体の秘跡に対する教会の信心を攻撃しょうと努力しています。
フリーメイソンは、晩餐の面だけを目だたせて、その犠牲としての価値を最小限とし、聖別されたホスチアにおけるイエズスの、実際上の位格的現存を否定しようと努力します。
このために、ご聖体におけるイエズスの、実際の現存に対する信仰を示す全てのの外部的なしるしを、少しづつ取り消してしまったのです。印とは、ひざまづくこと、公式礼拝の聖時間、聖櫃を灯明と花で飾る聖なる習慣などのことです。
--教会は道です。なぜなら、おん子により、聖霊をとおして、完全な一致の歩みのうちに,おん父へと導くからです。
御父とおん子とが、一つであるように、あなたたちもお互いに一つでなければなりません。
イエズスは、教会が全人類の一致のしるしとなり、手だてとなるようにお定めになったのです。
教会は、その一致の隅の親石の上に建てられていることにおいて、一つであることができます。
その親石とは、ペトロとペトロのカリスマを受け継いでいる教皇です。
そのために、教会フリーメイソンは、教皇に対する腹黒いあざむきの攻撃をもって、教会の一致の土台を破壊しようと努力します。
教皇に対する不賛成と反対の網をはるのも、教皇を侮辱し、従わない人を支持して報いを与えるのも、また、司教たちや神学者たちの批判と抵抗を宣言するのも、教会的フリーメイソンです。
こうして、教会の一致の土台そのものが破壊され、教会は次第に傷つけられ、分裂します。(1989年6月13日のメッセージより)
(2015年4月29日)

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聖母からステファノ・ゴッビ神父へ4の1


「……その危険は、教会を亡ぼそうとして加えられるたくさんの悪魔的攻撃によるものです。
この目的を果たすために海からのぼる黒い獣を助けるために、地からもう一つの獣がのぼってきます。『それは、子羊のような2本の角をもっている獣です』(黙示録13・11)
……獣は子羊のような2本の角をもっています。(黙示録13・11)
いけにえのシンボルに司祭職のシンボルが密接に一致しています。そのシンボルとは、2本の角です。旧約時代の大司祭は、2本の角のある帽子をかぶっていました。
完全な司祭職を示すために教会の司教たちが被る帽子(ミートリア)にも、2本の角があります。
豹に似た黒い獣は、フリーメーソンを示し、子羊のような2本の角をもっている獣は、教会の内部侵入したフリーメーソン、すなわち教会的フリーメーソンを示していますが、これは高位聖職者の間に特に広がっています。教会内におけるフリーメーソンの侵入のことを、『悪魔が教会の上層部まで入り込むだろう』と,私はすでにファティマでそのことを預言したのです。
フリーメーソンの役割は、偽りの偶像神を礼拝させ、人々の霊魂を亡ぼすことにありますが、教会的フリーメーソンのねらいは、キリストとその教会を亡ぼすことにあります。このために、もう一つの偶像神、すなわち、偽りのキリストと偽りの教会を作ることにあります。

―イエズス・キリストは生ける神のおん子です。人となられたみことばです。なぜなら、ご自分の唯一のペルソナのうちに人性と神性をあわせているからです。
イエズスは、ご自分が真理であり、道であり、命であるといって、福音書の中で、ご自分について最も完全な定義を与えてくださいました。……
イエズスは真理です。なぜなら、生けるみ言葉であるイエズスが神の啓示全体の泉と冠だからです。それで教会的フリーメーソンは、イエズスの神的みことばを、自然的、唯理的な解釈をもってくらませようと働いています。こうして、キリストのみ言葉をもっと分かりやすくし、もっと容易に受け入れさせるために、そのすべての超自然的内容をはぎとります。
こうして、カトリック教会自体、いたるところに謬説が広がっていきます。これらの謬説が広げられる結果として、今日多くの人は、まことの信仰から離れてゆきます。このようにして、私がファティマで告げた予言、すなわち、『多くの人がまことの信仰を失うときがくるでしょう』という予言が実現されるのです。信仰を失うことは、棄教です。教会的フリーメーソンは、すべての人を棄教にみちびくために、腹黒い悪魔的な方法をもって働いています。(この項続く)」(1989年6月13日のメッセージより)
(2015年4月28日)

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エリザベト・カナリモア(1825年歿)2


「天主の正義のより深い感情で,わたしの霊をもっとよく浸透させたいと望んでいたので、天主は私に怖ろしい奈落を見せてくださった。私は、地球に暗く恐ろしい洞窟[があるの]を見た。そこから無数の悪魔たちが出てきて、人間や野獣の形のもと、地上を破壊しに来ては、すべてあらゆる所で、廃墟と流血とを残していた。
幸いなるかな、すべての真の善きカトリック信徒は!!
彼らは聖なる使徒聖ペトロと、聖パウロとの力強い保護を体験する。この使徒たちは、彼らがその身体においても財産においても、害を受けないように彼らを見守るだろう。
悪しき霊は、天主が侮辱され、冒瀆された全ての場所を略奪する。
彼らが瀆聖した大建築物は、引き倒され、破壊され、その廃墟以外何物も残らない。
この恐ろしい天罰の後、私は天が開け、聖ペトロが再び地上に降りてこられるのを見た。
聖ペトロは教皇法衣をはおられ、大多数の天使らに囲まれていた。天使らは聖ペトロの誉れの歌を歌い、また彼を地上の主権者と宣言していた。
私は聖パウロも地上におりたつのを見た。天主の命によって聖パウロは地上を横断し、自分が聖ペトロの前に運んだ悪魔どもを、鎖で縛られた。聖ペトロは、悪魔に、『お前たちが出てきた地獄へ戻れ』と命じられた。

その時、天主と人との和解の印である、大いなる光が地上に現れた。天使らは、使徒たちの頭の玉座の御前にイエズス・キリストに忠実に留まった小さな群れを、導いた。これらの善き、熱心なキリスト者たちは、天主をほめ、共通の破壊から自分たちを救い出し給うたことを、そしてまた、世の偽りの格言に汚染されるのを許し給わず、イエズス・キリストの公教会を保護し給うたことを使徒たちに感謝しつつ、彼に最も深い敬意を証しした。
聖ペトロは、そこで新しい教皇を選ばれた。公教会は再び組織され、修道会が再建された。普通のキリスト者の個人の家庭は、天主を求める熱意と熱心とにより、もっとも模範的な宗教共同体のようになった。それがカトリック教会に保留されている光栄の勝利である。公教会はすべての人々に賛美され、尊敬され、認められることになる。すべての人々はカトリック信徒になり、教皇をイエズス・キリストの代理者と認める。
(2015年4月10日)

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エリザベト・カナリモア(1825年歿)


「天がひらき、使徒の頭聖ペトロが大いなる光栄をおび、歌を歌っている無数の天の使いたちの護衛につつまれて、下に降りているのを見てるようだった。聖ペトロは、教皇法衣を召され、右手には、司牧杖を持ち、それでもって地上に、巨大な十字架を描いておられた。同時に天使らは詩編作者のこの言葉を歌った。『あなたは全地上に、彼らを、頭として立てるだろう。』と。

こののち、聖なる使徒[聖ペトロ]は、その杖で十字架の4端を触れると、そこからすぐに花と実をつけた4本の美しい木がはえた。この神秘的な木は、十字架の形をしており、輝かしい光につつまれていた。その時、私は、霊魂の深みで、聖ペトロがこの4つの木の象徴的な木を、イエズス・キリストの忠実な友の小さき群れに、それらの木が避難所として役だつように、そして、全地をふるえ動かすことになる恐るべき天罰から彼らを守るために,生じさせたのだということがわかった。

全ての良きキリスト者は、自分の修道会の精神を心の中で忠実に守った全ての修道者と共に、これらの木の下に保護されるだろう。私は在俗聖職者とカトリック信仰を心に守る全ての階級の、他の人々についても同じ事を言う。彼らは守られる。しかし会則を守らない修道者たちは災い!彼らは三倍に不幸だ!彼らは全員かの恐ろしき天罰に打たれるだろうから。私は、同じことを快楽の生活に自分をわたし、また、福音の聖なる教訓に反する現代的考えの偽りの格言に従う、すべての在俗聖職者と、世の全ての階級の人々に言う。つまづきをひきおこす行為によって、イエズス・キリストの信仰を否定する、これらの哀れな人々は、天主の正義の憤然とした御腕の重さの下に、滅びることになる。彼らのうち、一人としてこの天罰を避けえる者はいない。私は、この神秘的な木の下に避難を求めた良きキリスト者たちが、自らのよき牧者である聖ペトロの配慮と、不寝番に信頼した美しい子羊たちの形で、[聖ペトロ]に、いとも謙遜な、いとも尊敬にみちた従順を証ししているのを見た。
使徒の頭である聖ペトロが、安全な場所にイエズスの群れをあつめるや否や、彼は天使らの軍隊に伴われて天に再び昇られた。
彼らが見えなくなるや否や、空はひどく厚い不気味な雲におおわれ、ろうばいせずに雲を見ることをは不可能だった。突然、恐ろしい暴風がそこに吹き上がり、その騒音は、怒り狂うライオンの雄叫びのようだった。とてもいやな嵐(ハリケーン)の音が全地上で聞かれた。不安と恐怖とは、人々だけではなく、野獣さえも襲った。
全ての人々は互いに対して立ち上がり、情け容赦なく互いに殺し合うだろう。この血なまぐさい争いの間、天主の復讐の御腕が悪人を打ち、天主の力強き権能において、天主は悪人どもの高慢と思い上がりとを罰される。
天主は、公教会を転覆させ、その土台までも破壊してしまいたいと望む、不敬かつ異端の者どもを根絶させるために、地獄の力を使われるだろう。この狂気的な不信において思い上がった者どもは、自分たちを天主をその座より引きずりおろすことができると信じるが、しかし、主は、彼らの策略をさげすまれる。
そして主の力強い御手の効力を通して主は、地獄の霊に、地獄から出る許しを与えて、この不敬の冒涜者を罰される。悪魔の無数の軍団が地上にはびこり、おそろしい惨禍と災難を引き起して、天主の正義の、命令を執行することになる。悪魔どもは財産と食料生産、都市と村とを荒廃させる。地上のいかなるものさえも、免れることはない。天主は、これらの不敬の者どもを死をもって打つことを悪魔に許される。なぜなら、かれらは地獄の力に身をゆだね、カトリック教会に対抗して、彼らと契約を結んだからである。(この項続く)(2015年4月9日)

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天よりの御言葉


聖母からステファノ・ゴッビ神父へ3


「わたしの汚れなき心は、大きな赤い龍の仲間と、太陽に包まれた婦人の仲間との間にかわされる大きな戦いの時に、確実な勝利のしるしとなっています。
この恐ろしい戦いの時に,龍を助けるために、海から豹のような獣が、登ってきます。(黙示録13章)
赤い龍は、マルキスト的な無神論で、黒い獣はフリーメーソンです。

龍はその強大な勢力をもって現れてきますが、黒い獣は、影の中で動き、どこにでも入れるように、かくれたり潜んだりしています。その獣の足は熊、その口はライオンのようです。なぜなら、どこにでも、狡猾に働き、とくにマスコミ、すなわち広報をもって働きかけているからです。
その獣にある7つの頭は、あらゆる所に腹黒い危険な方法で活躍するフリーメーソンの様々なロッジ(集会場)を示しています。
この黒い獣は、10の角をもっていて、角には10の冠があります。それは支配権と王権のしるしです。
フリーメーソンは、この10の角をもって全世界を支配し、おさめています。角は聖書の世界で、いつも拡声器の役目を果たしていました。つまり、角は自分の声を広く響かせる方法、つまり広報の強い道具だったのです。
このために神は、民にそのみ旨を示す道具として神の律法を知らせる10の角をもって立ち向かわれたのです。それは神の十戒のことです。……
黒い獣であるフリーメイソンの役割は、腹黒く、しかも頑固な方法で戦って、人々がおん父とおん子から示され、聖霊の賜物によって照らされたこの道を歩むのを妨げることにあります。事実、赤い龍は、全人類に神がいないかのようにふるまわせ、神を否定させるために活躍しています。このためにこそ、無神論の謬説をひろめるのです。
これと異なって、フリーメーソンの目的は、神を否定するのではなく、神を冒涜することです。
この獣は、神に対する冒涜を吐き、神のみ名とその住まい、天に住むすべての人に対して冒涜を吐くために、その口をひらきます。
一番大きな冒涜は、神にだけ捧げるべき礼拝を断って、被造物と悪魔にさえも礼拝を与えることです。今のこの時代には、フリーメーソンの邪悪な活躍にそそのかされて、どこにでも、いわゆる黒いミサとサタンの礼拝が広がってきています。
その上に、フリーメーソンは、人々の霊魂が救われないように全力を尽くし、こうして、キリストが行われたあがないのみわざを空しくしようとはかっています。・・・
これらの時代に、黒い獣であるフリーメイソンの恐ろしい腹黒い攻撃に打ち勝つために、わたしの汚れなき心が、あなたたちの避難所となり、神に向かう確かな道になるということが、今おわかりになったでしょう。
黒い獣の腹黒い策略に抵抗し、これにうち勝つために、天の母が使う作戦は、この汚れなき心の中にあるのです。このためにわたしは、次のことをすすめます。

 神の10戒を守るように。
 福音を文字通り生きるように。
 神の恵みを保つために必要な手段として、秘跡、とくに赦しの秘跡と聖体拝領にしばしばあずかるように。
 善と愛、潔白と聖徳の道をいつも歩み続けるために、善徳をりっぱに守るように。

こうして私は、わたしのすべての子らを養成します。
そして、わたしに奉献された小さな子らであるあなたたちを使って、私は、黒い獣が加えている腹黒いいざないをすべて暴き、今日、フリーメイソンがキリストとその教会に対して加えている激しい攻撃を空しくすることができます。最後に、とくに獣が最大の敗北を受ける時に、世界におけるわたしの汚れなき心の勝利は、その完全な輝きをもって現れるでしょう。」(1989年6月3日のメッセージから抜粋)
(2015年4月1日)

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天よりの御言葉


聖母からステファノ・ゴッビ神父へ2


「主の聖霊だけが、大きな赤い龍がその能力をもって、勝利を得ようとするその力にうち勝つことがおできになります。
赤い龍は、この世紀において、どこにでも恐ろしいほど暴れまわって、人類を誘い、惑わそうとしています。
大きな赤い龍とは、神を否定し、神を頑固に拒絶するという”間違い”をどこにでもひろめてきた無神論的な共産主義のことです。
大きな赤い龍は、マルクス主義的な無神論です。そのうえ、10の角をもっています。それはすなわち、その手ににぎられているマスコミの力づよい武器を示しています。この武器によって神の十戒に背くように人類をみちびいています。この龍にはまた、七つの冠があります。それは権力と王権のしるしです。冠のある頭は無神論的な共産主義が権利を握り、そのイデオロギーのもとに、政治的、軍事的権力をもって支配している国々を示しています。
大きな龍と呼ばれる理由は、龍が共産主義的な無神論の無敵の支配をもって全世界に大きく君臨しょうとしていることを示しています。
その龍の色は赤です。それは、多くの占領の道具として戦争と流血を用いるからです。
大きな赤い龍は、今すでに、世界中のすべての国をまどわしてしまった論理的または実践的無神論の謬説をもって、人類を占領するのに成功したのです。
こうして、無神論に基づく唯物論的利己主義、快楽主義の不毛で冷淡な新しい文化を作り上げました。しかし、この文化の中には、堕落と死の種が潜んでいます。
大きな赤い龍は、全人類が、神の支配に服従し、聖三位に栄光を帰することを、また、おん父がおん子を通じて、人類をご自分の光栄ためにお創りになったそのご計画の完全な実現を妨げるために、悪魔的な役目をもっているのです。
主は私にその光をまとわせ、聖霊はその神的能力をまとわせてくださいました。そのためにこそ、私は「壮大なしるしとして天に現われた太陽に包まれた婦人です」(黙示録12・1)
それは、全人類を大きな赤い龍の支配から取りもどし、聖三位一体に完全な光栄を帰するために連れ戻す役割を、わたしがもっているからです。」(1989年5月14日のメッセージから抜粋)
(2015年3月24日)

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聖母からステファノ・ゴッビ神父へ


「私は、あなたたちのこの時代に、聖三位から私に与えられた大きな権能を行使することができます。それは、わたしの敵である赤い龍が『その口から川のような水を私のうしろに吐いて、水におぼれさせようとする」(黙示録12・15)その攻撃を無効にするための権能です。
その川の水とは、すべての新しい神学的な思想の謬説全体を指しています。これらの説は、あなたたちの天の母の姿をくらませて、その特権を否定し、聖母信心を縮小し、わたしに信心を示すすべての人をあざ笑うように努力しました。龍のこれらの攻撃の結果として、最近、わたしに対する信心はたくさんの信者の間で減ってしまい、ある所では完全に消えてしまいました。しかし、あなたたちの天の母を助けるために、『大鷲の二つの翼』が与えられたのです。(黙示録12・14)
大鷲とは神のみことばです。
四福音書の中で鷲は聖ヨハネによる福音書を示しています。なぜなら、聖ヨハネは他の三人よりも高く飛び、聖三位一体の真髄にまで入り込んで、御言葉の神性と永遠性がおん父と同じ本性であることを示し、イエズス・キリストの神性を力強く断言しているからです。
鷲の二つの翼とは何でしょう――それは、信仰によって受け入れられ、愛され、守られる神のみことばです。すなわち、恵みと愛徳をもって生活に移された神のみことばです。
信仰と愛徳との二つの翼、すなわち、わたしが受け入れ、生きてきた神のみことばのおかげで、わたしに対してなされるすべての攻撃の水の川の上に、私は飛ぶことができたのです。
私のまことの偉大さを世に示したからです。」(1989年5月6日)
(2015年3月13日)

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イエズスの打ち明け話を聞いた人―オッタヴィオ・ミケリ二神父5

「人々は、神の能力を見るでしょう。こうして、激しい印象をうけるので、いやいやながら”最後にイエズスのあわれみぶかいみ心とマリアの汚れないみ心が勝であろう”と言われた通りこの素晴らしい現実に、服従しなけれあばならないでしょう。
これこそ新たにされる教会のすばらしい現実です。
こうして、私の教会は、かつてなかったほど美しくなるでしょう。神である聖霊の働きは全教会に浸透して、その結果、教会は、ほとんどカリスマ的になるでしょう。
こうして長い間沢山の人びとから願い求められてきた地上における私の王国の到来が実現するでしょう。それはすなわち、私の中間来臨でしょう。それはまた、悪の黒い力と光の能力との間で戦われる最も大きな争いと戦いとの部分的な結論となるでしょう……
子よ、再生した私の教会の中で、私の宇宙的な心と、私たちの共有の母マリアの汚れない心が降誕祭や復活祭と同じような大祭日で尊敬されることになっています。(1978年11月9日)


(2015年3月11日)

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イエズスの打ち明け話を聞いた人―オッタヴィオ・ミケリ二神父4

「もう一度くりかえします。浄めの時は、すでに浸食をはじめています.やがて山崩れが起きて完全に山からその土石が離れ、だれも手の付けようのない滑りをはじめるから、つまりこのようにして、清めが、あっという間に絶頂になって、すべての物、すべての人をまき込んでしまいます。すなわち、人間の傲慢が作って物をみな破壊し無にするでしょう。
このことはすべて、地上において、これまで決してみられなかったほどの猛威をふるうでしょう。火と水は、あたかも地ならしのローラのようなものとなり、風と地震と洪水と飢え乾きは、罪の女のように売春した人類を清める業を完成するでしょう……
人々は、償いと改心へに,たびかさなる私の招きにいなと答えました。そうです、神の愛と真理とあわれみと忍耐にいなと答えたのです。みんなの天の母のくりかえされた呼びかけに対していなと答えて、救いのすべての道を閉じました。それで人々は、その結果である神の正義を経験するでしょう(1978年11月22日)



(2015年3月7日)

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イエズスの打ち明け話を聞いた人―オッタヴィオ・ミケリ二神父3

「子よ、一人の偉大で聖なる教皇が、”新しい春”を前もって告げました。春ともなれば、百姓たちはぶどうの木の刈りこみをします。人類の上にも、この仕事をはじめる時がすでに来たのです。まず神学を、枯れた葉と枝を切りとって、清める必要があります。それはぶどうの木に致命的なことではありません。かえって、生命をもたらす樹液にみちた新しい、ふくらんだ芽を沢山つけるためです。
同じように、私たちの教会は、新しい春が近づくにつれて、すっかり情熱にあふれ、生命をもたらす樹液で膨らんだ霊魂たちによって沸騰します。しかし、子よ、春は冬のあとに来ます。冬は寒さと氷とすべてを混乱させる嵐のときです。
神の学問である神学は、たくさんの異端によって毒をのまされ、醜くされています。それで、もとの当然な輝きをとり戻すために、どうしても必要な刈りこみを待っています。これこそ、私の教会を美しく新しく聖なるものにすることができるでしょう。
神学は、その本質的な単純さゆえに貴重な宝石となり、清い生きる泉のように霊魂たちのかわきをいやし、生かし、地上での歩みを導くことができるでしょう。傲慢心にかられて真理である神の愛よりも自愛心に動かされて、霊魂を亡ぼすためではなく、救うために定められた生きる水の泉を再び汚そうとする人々は災いです、災いです。
自分を目だたせるために、数えきれない沢山の霊魂を、何のためらいもなく永遠の亡びに導いた人々は、災いです。災いです」(1977年11月15日)



(2015年3月4日)

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天よりの御言葉


イエズスの打ち明け話を聞いた人―オッタヴィオ・ミケリ二神父2

「まもなく、清めの時が来ます。その時、あがないの協力者である聖母は、再び地獄の蛇の頭をふみくだくでしょう。

その時、教会と人類は、新たにされ、これまで決して見たこともない輝かしい“あけぼの”をみるでしょう。悪の力の協力者となったあわれな人類に対する、また地獄のすべての挑発に対する返事として、平和と正義の時が訪れるでしょう」(1976年1月14日)



(2015年2月27日)

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イエズスの打ち明け話を聞いた人―オッタヴィオ・ミケリ二神父

「子よ、世界は恐ろしいなだれのように、滅びの淵にくずれ落ちようとしています。この雪崩は、はじめは気が付かないほどのものです。しかし、それは少しづつ大きくなって、後には、あらゆるものをまきこんでしまいます。
恐ろしいなだれは、もうすでにはじまぅっています。でも、人々は盲目的で、自分たちが滅亡に向かっていることに気づいていません。
警戒警報はもう出ていますが、役にたちません。これを受け入れる者が非常に少なく、また多くの人が、それを無視しているからです。
あわれみぶかい私の心と、あなたたちの母の汚れない心をいちばん悲しませているのは、あまりにも多くの司祭たちが、幾たびも繰り返される天からの多くの呼びかけ無視していることです。何と恐ろしい責任でしょう!」(1975年7月28日)


(2015年2月23日)

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天よりの御言葉


フランカ・コルナードが受けたイエズス・キリストからの内的語らい6

「まもなく私は、国々を治めるために来る。私は、すべてを人間の支配に任せたが、人間は自制できないことを証明した……私が来るその時、カリスマ運動の一番忠実な者は、生きている人も死んでいる人も―この人々はよみがえるだろうが―私といっしょに国々を支配するだろう」」(1989年3月25日)

「平和の虹、今まで決して見たこともない平和、夢にも見たことのない平和がやってくる。私自身この世に来て、この平和をもってくる」(1989年12月18日)

「福音書に、太陽と月がくらむだろう(マタイ24・29)と私は言ったが……そのあとで、人の子である私は、私の子らに向かってくだるだろう……それで恐れてはならない」(1991年11月18日)

*これらのフランカ・コルナードのメッセージ(1~6)は『キリストの中間来臨』より引用。

(2015年2月16日)

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司祭を非難してはならない2…

われらの主からムッター・フォーゲルへの啓示2


「子よ、けっしてあなたの聴罪司祭を裁くな、むしろ彼のために多く祈り、また毎木曜日、私の祝された母の手を通して(彼のために)聖体拝領を捧げよ。」(1939年6月18日)

「もし司祭がふさわしくない状態で聖なるミサを捧げているのを見たら、彼について何も言わず、ただ私にだけそれを告げよ!私は祭壇上で彼のかたわらに立っている!」「ああ私の司祭等が何にも増して清らかさを愛し、ミサの聖なる犠牲を清らかな手と心でと執り行うよう、彼らのために多く祈れ。たとえふさわしくない司祭によって執り行われた時でも、確かにこの聖なる犠牲は一つにして同一のものである、しかし人々の上に呼びくだされる聖寵は同じではない!」(1938年2月28日)
(『ピエタ』より)

(2015年2月14日)

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天よりの御言葉

フランカ・コルナードが受けたイエズス・キリストからの内的語らい5

「私は来るとき、すべてを引っくり返すだろう。私の家である世界は、盗人の巣となった。私はすべてを引っくり返すだろう……昔[イエルザレムの]神殿でしたように。そうすれば、世界は、祈りと賛美の私の家にかわるだろう。あの昔行われたことは、未来に起こるはずの前じるしである。」(1984年6月10日)

『新しい時代がはじまろうとしている。私は早く来る……私が空の雲にのって来るとき、サタンは気絶するだろう。」(1987年6月14日)


(2015年2月13日)

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司祭を非難してはならない…

われらの主からムッター・フォーゲルへの啓示

「例え司祭が誤りに陥っているとしても、人は決して司祭を非難すべきではない。むしろ私が再び彼に私の聖寵を与えるように祈りと償いをすべきである。たとえ彼が私の模範にしたがって生きていない時でも彼のみが私を代表する!」(1929年6月29日)

「司祭が誤った時は攻撃によってではなく祈りによって彼に救いの手をさしのべるべきである!私自身が彼の審判者となろう。私以外の他の誰も審判者になってはならない!

「誰でも、司祭への非難を述べる者はそれを私に向かって述べたことになるのである、子よ,けっして司祭が攻撃されるのを許すな。彼を擁護せよ。」(1937年王たるキリストの祝日)

「決して再び司祭について常軌を逸した言葉を受け入れるな、また例えそれが真実であっても彼らについて不親切な言葉を話すな!司祭達は皆私の代理者であり、私の心はそれによって不快になり、侮辱を受けるであろう!もしあなたが司祭に対する非難を聞くならばめでたしを1回祈りなさい。」(1939年6月28日)(『ピエタ』より)

(2015年2月11日)

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天よりの御言葉

フランカ・コルナードが受けたイエズス・キリストからの内的語らい4

「私に反対する人々は、私をむかえに来ることができないと分かる時に、どれほど苦しむことだろう。来るはずの主を恐れない人は、どれほど苦しむことだろう」(1981年8月22日)

「アモスの預言は実現するだろう。すなわち、”その日、私は、地に飢えをおくる。パンの飢えではなく……主のみことばを聞こうと望む、かつえである”(8・11)……思い出しなさい、これは私の来臨に先立つしるしである」(1984年1月21日)


(2015年2月9日)

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天よりの御言葉

フランカ・コルナードが受けたイエズス・キリストからの内的語らい3

「まもなく私は人々を引き上げるだろう。あなたたちは来るべき花むこをむかえにくるだろう。」(1974年3月23日)

「私が人々を引き上げることを、なぜ不思議に思うのか?……エジプトで不正のために苦しんでいた、罪のない私のみ民を、私は重んじなかっただろうか?……かれらを救わなかっただろうか?今の時代は同じような状態にある。ただ苦しむ人々は全世界にちらばっている。私はこの人々を高めて地から引き上げるだろう」(1975年2月27日)


(2015年2月7日)

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天よりの御言葉

フランカ・コルナードが受けたイエズス・キリストからの内的語らい2

『新しい時代は、第一の復活のようなものである。聖ヨハネの黙示録のうちに、”第一の復活を受ける者は、幸いな者、聖なる者である”と私が言ったことを司教たちに思い出させなさい。これは新しい時代である。”彼らは神とキリストの司祭として、キリストとともに、千年のあいだ治めるであろう”」(1972年5月21日)
(2015年2月6日)

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天よりの御言葉

イエズス・キリストからマリア・ワルトルタへ(『ノートブック』より)

「三年半の最後―サタンが、その息子によって、強い憎しみに燃えて(神の民の二つの分断が果たされ、それと共に、道徳的、精神的悪がもたらされる時、)人類の知るかぎりもっとも恐ろしい時が到来するだろう。サタンは害を及ぼし、亡ぼすための完璧かつ究極の悪知恵を使い、人の心のなかのキリストを殺し、キリストを求める人の心を滅ぼすのだ。」(2015年2月3日)

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天よりの御言葉

フランカ・コルナード*が受けたイエズス・キリストからの内的語らい

「神の国は地上に来ようとしている。人びとの霊魂を救い、準備させねばならない。世界が天罰にかからないように」(1967年11月17日)

「天のイエルザレムは、私と一緒に地上にくだる準備がととのっている。しかし、世界には私を受け入れる準備がととのっていない。この前私が来た時、人々は私を殺した。しかし今度はそんなことは許さない。勝利者として来たいからだ。しかし、そのためには、人類の少なくとも三分の一が私を信じなければならない」(1969年11月30日)

*フランカ・コルナード―イタリア生まれのつつましい婦人で、4名の子供の母である。そのうちの一人は司祭で、ブラジルでの宣教師となった。1993年1月10日に帰天。(2015年2月1日)

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七つの御悲しみの聖母

聖母の悲しみに対する信心*を行う者へ約束された四つの特別な恵み

聖アルフォンス・リゴリによると、主はハンガリーの聖エリザベトに、主の御母の悲しみに対する信心を行う者に四つの特別な恵みが与えられることを明らかにされた。

1、その悲しみの名によって聖母に懇願する者は、すべての罪に対する真実の痛悔を死の前に得る。

2、主は、試練の時にあってこの信心を思い起す者全てを護られ、とりわけ臨終の時に護られる。

3、主は、彼らの心に御受難の記憶を刻み込むので、彼らは天において、そのことで報いを受ける。

4、主が、かくも敬虔な者たちを聖母の御手に委ねられるのだから、聖母はかれらの上に惜しみなく降り注ぎたいと思っている全ての恵みを、取り次いで下さる。(白い『祈祷書』より)

*カテゴリ『七つの御悲しみの聖母』の祈りを参照

(2015年1月17日)

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天よりの御言葉

イエズス・キリスト:「…生きるとはなんでしょう。神なる父は、おまえたちが本当に良い子であるかどうか、その心を試すために与える時間であり、お前たちの業によっても終わることがなく、試すことのない未来を与えるためです。そうしたら、ちょっと考えて見なさい。ある人は、神に特によく仕えるために稀な恵みをいただいたために、一生涯にわたって何の不幸も起きないというのはよいことですか。人間生活においては、余り幸せでなくとも、今までいただいた多くの恵みのために十分幸せであると考えてもよいのではないですか。心に神の啓示の光を受け、同時に賛成する良心のほほえみをもっているのに、この世でまた余分に光栄とか豊かな財産とかをいただくのは不正ではないでしょうか。その上、不賢明なことでもあります。」(『イエズスに出会った人々』マリア・ワルトルタ)(2015年1月9日)

イエズス・キリストよりマリア・ワルトルタへ

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天よりの御言葉…

アグレダのマリア(1602~1655)は、御父が玉座から話す声を聞いた

「われらの選びし者はマリアと呼ばれ、この名は非常に力のある、気高きものとなる。その名を敬虔なる愛をもって呼ぶ者は、もっとも豊かな恵みを得るだろう。その名を敬い、崇敬の念をもって口にする者は、慰めを受け、元気付けられ、その名のうち、自らの悪を切り離す手段を、自らを豊かにする宝を、そして天国へ自らを導く光を見出すであろう。その名は、地獄の力に対して恐るべきものとなり、蛇の頭を砕き、地獄の王子たちに対して栄えある勝利を得るであろう」(白い『祈祷書』*より)

―「神の神秘の都市」

*この白い『祈祷書』と呼ばれる小本は、22,3年前に、JMJコミュニティ―の前身であった「祈りのグループ」の二人が翻訳し自主制作、出版したものです。内容は、天の啓示と祈りの抜粋を翻訳し集めたものです。
(2014年12月20日)

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天よりの御言葉…

聖母が尊者アグレダのマリアに明かされた。

「信心深く聖体を拝領する者は、しばしば聖体を宿したその胸に、かれらが最もふさわしい聖櫃だということを示す、もっとも美しく眩い、きらきらと輝く印を刻まれるでしょう…さらに言えば、、ふさわしく、敬虔深く聖体を受ける者たちの重要な誉れは、多くの点で、主の御体と御血を受けることのなかった多くの殉教者たち(のぞみの洗礼という状態での殉教や、幼子殉教者の例―訳者註)の栄誉にも勝るということです」(2014年12月9日)

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天よりの御言葉

「夜のあいだ、あなたはわが心のうちに憩うだろう。わが心はあなたの鼓動を聞くだろう。その鼓動は、多くの、愛と熱望の祈りとなるだろう。こうして、あなたは眠っているあいだでさえ、あなたは、私に背(そむ)く多くの霊魂を私のもとに連れ戻すだろう…全世界のため、とりわけ、私を知りながら尚多くの罪のうちに生きる者たちのために赦しを請いなさい。償いのうちにあなた自身を捧げなさい!」

-主のシスター・ヨゼファ・メンデスへの御言葉


主の願われる夜の祈り

永遠の御父よ、今宵(こよい)、われ御身の聖心(みこころ)のうちに安らうことを願わん。われあまたの愛と熱望の祈りに一致させて、わが胸の鼓動のひとつひとつを御身に捧げん。われねむりのあいだといえども、御身に背く霊魂を御元(みもと)に連れ戻さんことを祈り奉る。われ、全世界のため、とりわけ御身を知りつつもなお罪のうちにに生きる者らのために赦しを請い願わん。われ、償いの祈りとして、わがすべての寝息、鼓動を御身に捧げん。アーメン。(白い『祈祷書』より)

 

(2014年11月29日)

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天よりの御言葉 

「1303年6月14日、ビルジッタが生まれた時刻に、ラスボの助任司祭べネディクトは、インゲボルデ(ビルジタの母)の仕合せな出産を祈り求めた。突然かれは自分が光かがやく雲にとりかこまれているのに気づいた。その雲の中から聖母がお現れになり、次のように言われた。
ビルゲル家に一人の子供が生まれました。彼女の声は全世界によって聞かれるでしょう。』(『ピエタ』より)
(これは「わが主が、スウェーデンの聖ビルジタにローマの聖パウロ教会で啓示し給うた15の祈り」をさしている。カテゴリの『聖ビルジッタの15の祈り』参照。)

(10月8日)

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天よりの御言葉 

「聖なる冠は、誠実なる霊魂にとって功徳の源である…茨の冠はあなたたちに栄光の冠をもたらすだろう…私の聖なる冠の功徳に一致して行動する一人の霊魂は、ほかの大勢より多くを得るだろう」(白い『祈祷書』より)

-主の、シスター・マリア・シャンボンへの言葉

(9月26日)

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聖母よりの御言葉

「地獄の門は、毎月初土曜日に閉じます。この日には、誰も地獄へは行きません。しかし煉獄の門は開いています。ですから、多くの霊魂が天国へ到達することができます。これは御子の憐みぶかい愛の御業です。これは、わが汚れなき御心を崇拝する霊魂への報いなのです。(白い「祈祷書」)

―ハンガリーの一教区の司教認可

[2014年9月2日)

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天よりの御言葉

マリアの、悲しみに満てる汚れなき御心(みこころ)、われらのために祈り給え。
約束―この、わが母の悲しみに満てる汚れなき御心への信心は、失意の者や破壊された家庭に、信仰と希望を回復させるだろう。それは悲しみを甘味にするだろう。それはわが教会の新しい力であり、わが聖心(みこころ)への信頼だけでなく、我が母の悲しみの汚れなき御心への委託をも霊魂にもたらすだろう。」
(白い『祈祷書』)

-われらの主イエズス・キリストからベルテ・プティへの啓示

(2014年8月25日)

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茶色のスカプラリオ

天よりの言葉

誰でもこれ(スカプラリオ)*を身につけて死ぬ者は永遠の火に焼かれないでしょう。

-聖母より聖シモン・ストックへの啓示

*茶色のスカプラリオのことで、これを身につけるにはカルメル会の司祭あるいは許可を得た司祭による着衣式が必要です。未信者は、緑のスカプラリオのみをもつことができます。いろいろな色と種類のスカプラリオがありますが、緑以外のスカプラリオを身につけることができるのは、カトリック信者に与えられた特権・「天よりの貴重な贈り物」です。聖母は「それ(茶色のスカプラリオ)は私の衣服です。それを着けていることは、あなたがたえず私のことを考え、また私もいつもあなたのことを思い、あなたが永遠の生命を確保することができるようあなたを助けることを意味します。」といわれました。
(2014年8月14日)

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天よりの言葉

「人びとに、私の心を貫いたまさにその悲しみによって貫かれた私の母の心(みこころ)を愛するように教えなさい。」(『PIETA』)(2014年8月9日)

主イエズス・キリストよりフランスのベルテ・プティへの啓示

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イエズス・キリストの御言葉

「茨の冠は、ほかのどの傷よりも私に苦しみを与えた…それはオリーブの庭の後私が味わった最も激しい苦しみであった。」(白い『祈祷書』より)

ー主のシスター・マリア・マーサ・シャンボンへの御言葉

(2014年8月4日)

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天よりの言葉

聖体拝領後、われわれは次のように祈るべきであるとわれらの主はいわれた。『至聖なるイエズスの聖心(みこころ)よ、全世界が御身への愛に燃えんことを!』(『PIETA』)(2014年7月28日)

ー主イエズス・キリストよりフランスのガブリエル・ボッシスへの啓示

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天よりの言葉

私たちが信仰をもってミサを拝聴する各ミサに対して、主は死の瞬間にわれらを慰めるために一人の聖人をおくられる。(『PIETA』)(2014年7月28日)

主イエズス・キリストより大聖ゲルトルードへの啓示

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イエズス・キリストの御言葉

「あなたが聖体拝領したあと、その時もっている霊的財産を霊魂たちの負債を返済するために捧げなさい…私の肉を食する者は神を――この世の生命と永遠の生命の造り主である神を所有することになるのだ。これが、霊魂がわが天国となる方法なのだ。その時の霊魂の美しさに例えられるものは何一つない。天使たちは賛美し、その霊魂とともに神がいるので、崇敬のうちに平伏する。ああ人間よ、あなたたちが、あなたたちの尊厳を知ってさえいたなら!…あなたたちの霊魂は、私の天国だ。聖体拝領で私を受けるごとに、私の恵みにより、あなたたちの尊厳と美は増すのだ。」
(白い『祈祷書』より)

ー主のシスター・ジョセファ・メンデス(1241~1298)への御言葉

(2014年7月21日)

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イエズス・キリストの御言葉

「目覚めたなら、すぐさまわが心のうちに入りなさい。わが心のうちにいるとき、わが心の鼓動と一致して、あなたの全ての行為をわが父に捧げなさい。…[あるものが]それ自体無価値な仕事に従事しているとき、もしその仕事をわが血に浸すか、或いは、わが地上にいる間になした仕事に一致させることをするなら、その仕事は霊魂たちにとって大いに益するところとなるだろう…おそらく、その者が全世界に向けて説教したよりも、もっと霊魂たちにとって益するものとなるだろう。こうしてあなたたちは、多くの霊魂を救うことができるのだ」(白い『祈祷書』より)

ー主のシスター・ジョセファ・メンデス(1241~1298)への御言葉

(2014年7月14日)

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イエズス・キリストの御言葉

「朝、目を覚ましたら第一に、わが心を迎えなさい。そしてあなた自身の心を私に捧げなさい…誰であろうと、朝目を覚まし、私に向けてから吐息をはき、その日の全ての仕事を私に頼むなら、私はその者のそばにいるだろう…私に対して熱望の吐息をはく者は、必ずや、以前よりもさらに私をその者に引き寄せるからである」(白い『祈祷書』より)

ー主の聖メクチルダ(1241~1298)への啓示

(2014年7月9日)

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イエズス・キリストの御言葉

「…なされない数多くの聖体拝領を補充するため、できるだけ多くの霊的聖体拝領をしなさい。15分に1回では十分ではない。間隔を短くして、もっとたくさんやりなさい」
(白い『祈祷書』より)

ー主より、シスター・コンソラータへの御言葉

(2014年7月5日)

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イエズス・キリストの御言葉

「夜中に目を覚ました時、その時間をどのように使うか、あなたは思い悩んでいた。次の聖体拝領を熱望しつつ愛である私に語りかけなさい。…最も優美なる名前で私を呼びなさい。半分眠っているときでさえ…」(白い『祈祷書』より)

ー主より、ガブリエル・ボッシへの御言葉

(2014年7月4日)

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イエズス・キリストの御言葉

「霊魂が救われるのは単に祈りだけではなく、神に捧げられた最も日常的な生活行為によってさえ、救われるのだ…わが地上での生活に一致して全てを捧げよ。この世の十字架の全てを捧げよ。十字架は多くあるが、それらを、罪の償いとして私に捧げようとする者はわずかである…」(白い『祈祷書』より)

ー主より、ガブリエル・ボッシへの御言葉

(2014年7月2日)

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イエズス・キリストの御言葉

「わが御父に、わが受難のあいだに流した血の滴りと同じ数の霊魂を請い求めなさい」(白い『祈祷書』より)

ー主より、聖ペトロのシスター・メアリへの御言葉

(2014年7月1日)

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イエズス・キリストの御言葉

「私は、永遠の真実。
      どんな嘘もつけない。
       私は、私の約束を、守る」(白い『祈祷書』より)

ー主より、マーガレット・メアリへ

(2014年6月28日)

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イエズス・キリストの御言葉

「1日のうちで、時々次のような言葉を繰り返しなさい。
[これは御身のためなり、わがイエズスよ]
このことはあなたの心を温め、私の心に香油(慰め)をもたらすのだ」(白い『祈祷書』より)

ー主よりガブリエル・ボッシへの御言葉

(2014年6月27日)

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イエズス・キリストの御言葉

「あなたが食べたり飲んだりするとき、その楽しみを私に捧げているのだと考えなさい。何であれ、あなたが楽しむときにはいつも同様に考えなさい。」(白い『祈祷書』より)

ー主の、シスター・ヨゼファ・メンデスへの御言葉

(2014年6月26日)

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イエズス・キリストの御言葉

「あなたの神を動かすのは最も多くの祈りである、という考えを持ってはならない。神に語りかける仕方が問題なのだ。愛と、自己放棄と、謙遜さにおいて圧倒する者となりなさい。」(白い『祈祷書』より)

ー主よりガブリエル・ボッシ(1874~1950)

(2014年6月25日)

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イエズス・キリストの御言葉

「偶然というものを信じず、起こる全ててのもののうちに、(決してあなたを見捨てることのない)あなたの父であり友である者の’手’を見ることを学びなさい」(白い『祈祷書』より)

ー主よりガブリエル・ボッシ(1874~1950)

(2014年6月24日)

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イエズス・キリストの御言葉

「私の子どもたちのうちの一人に向けて私が言うことばは全て、子供たち皆に向けて言っている…それぞれの霊魂が、私の一番の気に入りなのだ…それぞれの霊魂に対する私の愛を知りさえしたなら…」(白い『祈祷書』より)

ー主よりガブリエル・ボッシ(1874~1950)


(2014年6月23日)

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