終末の時―大警告・再臨におけるカトリックの伝統と正統な信仰を求めて

2015年9月

2015年9月

神の御手…災害



地球規模の災害に関して、地上の言葉と神の言葉を対比して並べてみます。

最初は、毎日新聞2015年9月28日の山田孝男氏の新聞連載『風知草』の文章です。世間を代表する文章だと言えます。

「猛暑も、洪水も、地球温暖化、都市化の影響だと専門家が言っている。つまり人間の、度を越した経済活動が災害を招く。

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もはや、天災は忘れぬうちにやって来る。地震、噴火、豪雨、竜巻、突風、洪水。「おかしい」と日本人が疑いだした始めは、たぶん2004年だ。

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豪雨と猛暑の記録が塗り替えられた。日本列島に上陸した台風が観測史上最多の10個。それ以外に新潟と福島、福井で集中豪雨発生。真夏日(最高気温30度以上)が東京で70日、熊本で105日あった。
ちなみに、同年10月、中越地震、12月にはスマトラ島沖大地震=インド洋大津波が起きている。

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13年も酷暑。各地で最高気温を更新したが、冬は東北で豪雪。北関東などで竜巻が続発した。
14年夏、広島局地的豪雨に伴う土砂崩れ(74人死亡)が発生。熱帯病であるデング熱の国内感染が耳目を集め、9月、御嶽山が噴火(死者58、不明5)。以後、突風、竜巻、噴火はますます増え、今年は豪雨に伴う鬼怒川の氾濫、家屋流出、市街地水没(9月)の記憶が生々しい。
天候が荒れているのは日本だけではない。猛暑、豪雨、暴風、豪雪などの極端気象、洪水、山火事、火山噴火、地震―が、世界中で相次いでいる。」

そして2010年12月20日の主イエズスのメッセージの言葉。

「襲う地球規模の災害―これらの地球規模の災害は、すでに穏やかな形で始まっている気候パターンの劇的変化とともに始まるゆえ、地球温暖化の結果であるとみなされる。しかり、人間は非常にひどい形で地球を痛めつけてきた。だが、これらの災害は気候変動とは関係がない」

2011年4月19日のメッセージでは主イエズスは次の様に語っておられます。

「多くの者たちが、神の手による自然の大災害に見舞われるだろう。それを、終わりの時の印という者もいれば、地球温暖化のせいだという者もいるだろう。しかし、今の時、最も重要なことは、次のことを悟ることである。罪―それが前例のないほどのレヴェルまでエスカレートするなら、罪があなたたちの日常生活を、どんな形であれ破壊するのだ。だが、今日、世界中の人間たちが犯し、また眼にするようにな現行のレヴェルにまで罪がつのるならば、そのような大災害は、神の手によるものだと確信してよい」(2015年9月30日)

カテゴリ→終末のしるし


秋深し…


先週から万寿沙華が梅の木の下で、6,7本優雅な姿で咲いています。新聞を先週読んでいたら、万寿沙華は全国でほぼ同時に咲くのだとか…。

ロザリオの十字軍に参加の申込みが先週末ありました!これで、48人がロザリオの十字軍に登録してくれました。心を合わせて、皆で主イエズス・キリストと聖母の意向のために共に祈ってゆきましょう。

9月上旬まで5ケ月間も続いた殺人的水蒸気の毎日の噴出もどうやらおさまっているようです。日本全土を覆っていた濃霧も、今のところ濃霧警報は出てはいません。今、窓から青空が見えています。青空に白い雲がぽっかり浮かんでいます。やはり、青空はうれしい。

室温22度、湿度67%。洗濯物を外へは干さずに家干ししているので、家の中の湿度は高くなってきました。除湿機を使うことにしました。

濃霧や殺人的水蒸気が出なくとも、放射能障害は、チェルノブイリの例だと5年後(2016年)から激増すると言われています。聖水、準秘跡(聖べネデクトのメダイ等)*、ロザリオを祈るのを忘れてはなりません。食卓の上の聖水の小瓶から食事の度に食物にふりかけるのを、最近うっかり忘れることがありました。被爆症状がないからといって、油断はできません。日本の水や食物の汚染がはなはだしいと言われているからです。(2015年9月27日)

*カテゴリ『終末への準備』の項参照

カテゴリ→四季


トリエントミサ


本日(9月27日)は、聖霊降臨後第十八の主日をお祝します。


「本日より典礼は、聖霊降臨後の第2期に入る。
『人が、私に、主の家の方に行こうと告げたので、私は喜んだ。』<入祭文,昇階誦>
聖パウロのように、主の来臨による完ったきよろこびを待ちのぞんでいる。本日の典礼は、次の主日と同様に、キリストの光栄の来臨の方へとわれらの目を向けさせ、義人にとってうたがうべからざる平和をのぞませる。<聖福音>は、キリストが、司祭を通じてわれらに与えたもう罪のゆるしを信頼せよと教える。」
(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒パウロの、コリント人への書簡の朗読(1の4-8)

聖福音―マテオによる聖福音の続誦(9の1-8)

カテゴリ→トリエントミサ2





天よりの御言葉


主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


御国の来たらんことを4

「この祈願は、あなたたちの全生涯を振り子のように揺り動かす鼓吹(こすい)とならなければならない。また、すべてのことが善なる御者へのこの祈りを中心にまわるようにしなければならない。心の中にある神の国、また、心から世へと伝わってゆく神の国とは、善、平和、そして、その他あらゆる徳を意味していると言ってよい。従って、神の国の到来のために、数え切れないほどの祈りで、あなたたちの人生を力づけなさい。
しかし、その祈願は生き生きとしたものでなければならない。つまり、いつも己れ自身を生贄(いけにえ)として捧げることにより、生涯を生きるようにしなければならない。よく生きることは、この目標のために本能を犠牲することを意味しているのだ。」
(2015年9月26日)


カテゴリ→天よりの御言葉





神の奇蹟!…されば神に感謝!!


昨日ロザリオの十字軍の一人の方からメールで、下記のブログの記事についての連絡がありました。

http://grnba.com/iiyama/

「臨界デブリに劇的変化
濃霧が消えた
逃げる必要は ない!」

8月15日の被昇天の大祝日に向けて、50人弱の日本の「ロザリオの十字軍」が日本の救いのためにノヴェナを祈りました。ノヴェナの間に見た、暗い林が花盛りの林になったというヴィジョン(2015年8月12日)がありましたが、これはその奇蹟的な意味ではないでしょうか!

個人的に私はそう思います。神は日本を愛されている!!

これは、ロザリオの十字軍が8月15日に向けてロザリオ、断食をして心を一つにしてノヴェナを祈ったことの幸いな報いではないか、と思うのです。(2015年7月31日記事参照)

ロザリオの祈りは強い、原子爆弾よりも。

奇蹟的に、殺人的な水蒸気が止まったことに感謝のロザリオ1連を祈りましょう。(2015年9月24日)贖虜の聖マリアの1級祝日に。

カテゴリ→ロザリオの十字軍の編成


トリエントミサ


本日(9月20日)は、聖霊降臨後第十七の主日をお祝します。


「<書簡>において、囚人聖パウロは、まことのキリスト教生活を行えとわれらに教えている。この生活は、神秘体の一致性を実現することである。すなわち、平和と愛徳とに結ばれた一つの身体と一つの霊魂となるべきである。
神の掟は、同じことを目的とするものである。この一つの目的とは、愛である。<聖福音>
聖体を制定してのち、死地におもむこうとするキリストは、普遍的愛の新しい掟を宣言し、御父に向かって、われらを一つに結び給えと祈り給うた。」(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒パウロの、エフェゾ人への書簡の朗読(4の1-6)

聖福音―マテおによる聖福音の続誦(22の31-46)

カテゴリ→トリエントミサ2


天よりの御言葉


主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


願わくは御名の尊まれんことを

「熾天使(セラフィム)たちと、天使たちすべての合唱に合わせて、共に神の御名を誉め称え、至聖なる御者に対して、この喜ばしい感謝にみちた賛美を繰り返しなさい。神の子である私のことを思いながら、この賛美の祈りを繰り返しなさい。私はあなたたちよりも前に、最高の崇敬と最高の愛を込めて、この賛美の祈りを唱えていたのだ。
 喜びの時も、悲しみの時にも、光の中にあっても、暗(やみ)の中にあっても、平和な時にも、戦争の時にも、この賛美の祈りを繰り返しなさい。
 父なる神を決して疑わない子供らは幸いである。また、どんな時にも、どんな出来事にあっても、「御名の祝されんことを」と御父に祈ることができる子供らは幸いである。」(2015年9月19日)


カテゴリ→天よりの御言葉


9月中旬…


早くも9月も半ばを過ぎました。今朝はまだ晴れていますが、天気予報では午後から雨になる模様。室温22度、湿度69%。外気温は17度くらい。

昨日台風20号が日本に近づいているのに気づき、「嵐を防ぐ祈りまたは祝福」*をすぐに祈りました。祈っても被害が起きる場合もあります。災害が御父の御旨(天罰)ということもあるからです。特に洪水に関しては、何度も触れましたが、世界中で洪水が増え普通のことになるというMDMのメッセージが以前ありました。災害大変動が、再臨の前にあるということでした。

昨日と今日、カッチ―二のアヴェマリア(森痲季)*を聞きました。素晴らしい曲です。私たちカトリック信者は、聖母という天のお母様をもっているのです!いくつかのアヴェマリアを聞いていると、涙がこぼれました。幸いなカトリック信者!レムナントアーミ―(ロザリオの十字軍)は主と聖母のために働くのです。主イエズス・キリストと聖母の御旨のために働くということはなんと幸せなことでしょう。

ようやく一昨日、赤紫蘇ジュースを作ることができました。ひどい不眠症から抜け出しつつあるようです。多くの方からいろいろな不眠の対処法を知らせてもらいました。ありがとうございました。病気が原因の不眠症なので、いくつかの病気が治らなければ、不眠症はおそらく治りません。そのうちの一つ、呼吸困難は、アロマセラピーによる精油で改善しつつあります。寝ていても苦しくて、いすに座っていなければならないほどだったのですが、精油により気道をひろげ安定して呼吸がかなり楽になり、横になれるようになりました。

*https://www.youtube.com/watch?v=x2ibR0puNk4

*カテゴリ「祈り2」に収録されています。(2015年9月17日)

カテゴリ→田舎生活


聖人の言葉


罪の世界から完徳の生活に移ろうと思う人は、一度でそれができると思ってはなりません。暁は闇を少しづつ払います。


―聖フランシスコ・サレジオ(2015年9月16日)

カテゴリ→聖人の言葉


 

アーカイブ


(2015年9月14日)

1995年9月12日(日)
7:20AM

聖母:(抜粋)イマクラータ、私の言葉を聞きなさい。

多くの事が起こります。これは山羊(やぎ)と羊を分けるための、また、あなたたちが真に天に従っているのか、自分の望みを果たしたいのか知るための、試しであるのです。

多くの分裂、対立は起こるのです。なぜなら、地上にイエズスは剣(つるぎ)を持っておいでになるからです。あなたたちは、神を選ぶのか、そうではないのか、剣を持って答えを出さざるを得なくなるのです。

あなたたち一人ひとりは、地上に火を放たなければならないのです。これを黙想しなさい。

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年8月


トリエントミサ


本日(9月13日)は、聖霊降臨後第十六の主日をお祝します。

「本日の主日より、<書簡>は、監禁中の聖パウロの書簡より抜粋される。パウロの、そして、われらのすべての苦しみは、やがて永遠の光栄に代るべきものである。
肉の人は、墓の方へと近づくが、霊の人は、キリストの霊によって、真・望・愛において成長するであろう。」(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒パウロの、エフェゾ人への書簡の朗読(3の13-21)

聖福音―ルカによる聖福音の続誦(14の1-11)

カテゴリ→トリエントミサ2


昨日は…


昨夜は大雨で、3時ごろから犬のグレイがわんわん吠えて目が覚めました。雨が犬小屋に浸水していたのでした。今朝、敷地にも水があふれています。小川があふれたのです。金魚やメダカも小川から溢れて外に出たかもしれません。あとで敷地を探してみます。水がひいてしまえば、金魚もメダカも死んでしまいます。

昨日は関東と東北は,台風18号による大雨のため洪水や土砂崩れなどが起こったのでした。映像で家の流されるのを見ました…。

昨日、ロザリオの十字軍への御申し込みがありました。47名になりました!この方は、御聖体訪問の後、(天に)導かれてこのサイトとMDMのサイトを知ったそうです。

日本はカトリック信者の数は少ないですが、みな日本殉教者の末裔です。日本の殉教者の数は、ローマの殉教者に匹敵すると言われています。

ロザリオの十字軍は、祈りによって一致し、主と聖母のために働きます。日本の救いのため、家族のため、そして世界の人々の救霊のため全世界のレムナントアーミーの一員として。日々ロザリオ、御憐みのチャプレット、十字軍の祈りを祈りながら進むのです。(2015年9月11日)

カテゴリ→ロザリオの十字軍の編成


感想・・・ノヴェナを終えて


被昇天祭へ向けてのノヴェナを終えた後、何か感想を書こうと思っていましたが、体調が絶不調となり、今まで伸びてしまいました。頑固な不眠、喘息系の呼吸困難、鉄板のような肩こり…でした。

ノヴェナの間に、ローキュションとヴィジョンが,同じ日に一つづつありました。次のようなものです。


2015年8月12日 NEW イエズス'' :日本で1番汚染されているのは、東京と福島だ。


2015年8月12日 NEW 深夜に。 ヴィジョン'':暗い林が見えた。その林にピンク色の花が2,3個咲いた。次にピンク色の花盛りの林に変わった。




花盛りの林のヴィジョンは、何か良いことを暗示しているように思えます。具体的に何かはわかりません。時が来ればわかるでしょう。

日本の救いのために祈る、人事を尽くすことがロザリオの十字軍に求められています。(2015年9月9日)

カテゴリ→ロザリオの十字軍の編成


アーカイブ


(2015年9月7日)

1995年1月11日(日)
9:10AM

聖母:(抜粋)イマクラータよ、人間の心とは、まことに弱いものです。どんなに霊性においてすぐれている者も、その心の弱さをつかれると、簡単に崩れてしまうことがあるのです。
それはまことの謙遜がないからなのです。
真実でないことゆえの非難に人間が弱いのは、このためです。

あなたたちは、まことに謙遜な者になれるように鍛えられていくでしょう。自分のありのままの姿を見つめなさい。その弱さを捧げなさい。あなたたちの弱さにこそ、神が働かれるのですから。

神のなさり方は、人間とは違います。だからこそ、信頼しなければならないのです。

人間が未来のことを知ることができないのは,恩寵でもあるのです。あなたたちはふさわしくないのに、どれほどの恵みを受けてきたか…思い起こしなさい。人間はチリでできているのです。でも、その人間の魂を救うために十字架に神がかかられて、むごたらしい死を死んだのでした。

カテゴリ→アーカイブ抜粋1996年8月


トリエントミサ


本日(9月6日)は聖霊降臨後第十五の主日をお祝いします。
「キリストは、われらの命であり、復活である。
ナイムの若者は、罪によって死ぬ教会の子らをかたどっている。教会が、彼らのために祈るので<入祭文、集祷文>、主は再び、彼らを生かし新しい歌を歌いうるようにさせ給うのである。<奉献文>
主はあわれみの神であり、たえず御慈悲を下し給う。
しかし、思い誤ってはならぬことは、神のあわれみにたのみすぎ、神を侮ってはならぬということである。
われらが復活の霊をうけたのは、肉の人間としての業を行うためではなく、霊にしたがって生きるためである。だから、生きている間に、善を行うようにこころがけねばならない。」(『毎日のミサ典書』)


書簡―使徒聖パウロの、ガラツィア人への書簡(5の25-26)

聖福音―ルカによる聖福音(7の11-16)

カテゴリ→トリエントミサ2


天よりの御言葉


主イエズス・キリストよりマリア・ヴァルトルタへ(主の祈り『手記』より抜粋)


天にまします我らの父よ

「おゝ、マリアよ(注3)!私の愛のみが『”われらの父よ”と言いなさい』と告げることができたのだ。このように言い表すことで、あなたたちは至髙者の子供、また私の兄弟姉妹という、崇高な身分を私授けられたのだ。自分の空しさを思って打ちひしがれ、人間は神の似姿に創られた神の子である、ということを疑う人がもし居るとしても、私が語った言葉を思いめぐらすなら、その人は自分が神の子であることを最早疑うことができなくなるであろう。神の御言葉は間違うことはなく、嘘はつかない。だから、私は「我らの父よ、と言いなさい」と、あなたたち告げているのだ。
父親がいるということは優しくて、強力な助けとなる。この世の秩序に沿って、幼年、少年、青年としての私の生活を保護してくれる、地上での父を私は欲しいと願った。父親として徳のある人物が、いかに偉大であるかを、子供あるいは父親であるあなたたちに、私は教えたかったからである。天の御父のような絶対で完全な父を持つとは、最高の優しさと、最大の助けを与えられることなのだ。この父なる神を、聖い畏怖をもって仰ぎ見なさい。ただし、この天と地における生命の与え主に対して、畏れより、強い愛をもって、いつも仰ぎ見るようにしなさい。」(2015年9月4日)

注3 マリア・ヴァルトルタ(1897-1961)を指す。

カテゴリ→天よりの御言葉




9月には…


9月に入りました。今日は久しぶりの青空で暑いです。室温26度。湿度64%。セミもうるさく鳴いています。残暑にはもうならないで、このまま秋になるのかな、と思っていました。毎日涼しくて、せっかくなりかかっているゴーヤもダメかなと思い始めていました。堆肥の中からかつてにミニトマトが5,6本もはえだし実をつけています。昨日も4,5個を収穫しました。赤シソが敷地中にはえているので、シソジュースを作ろうと思っていましたが、体調不良が続いてまだ作れません。今日は久しぶりにたっぷり眠れました。

9月には、5月同様聖母の祝日がいっぱいあります。
9月8日は、聖母のお誕生日。2級大祝日。
9月12日は、聖マリアの御名の1級祝日。
9月15日は、聖マリアの七つの御苦しみの2級大祝日。
9月24日は、贖虜の聖マリアの1級祝日があります。

9月29日は、大天使聖ミカエルの1級大祝日です.聖母と大天使聖ミカエルは日本の将来の救いのために大きな役割があります。

ロザリオ、御憐みのチャプレット、十字軍の祈りを日々祈りましょう。主イエズスと聖母の願いなのですから。(2015年9月2日)


カテゴリ→典礼


天よりの御言葉


主祷文に関して主イエズスの解説文があります。天使館発行の『主の祈りーマリア・ヴァルトルタ「手記」より』(天使館発行・訳者K.H.)です。
この文章を黙想することによって、祈りには言葉に含まれる深い意味と聖書的に示唆するところが含蓄されてあり、祈りの力というものが私たちの理解する以上に言葉そのものに内在するということが分かります。繰り返し読んで黙想することをお勧めします。
『マリア・ヴァルトルタ手記』‐世紀末の黙示録‐(抜粋)も天使館で発売されています。(1700円)

主祷文についてNo.1
「一九四三年 七月七日
イエズスは語られる。
 主の祈りには、祈りの完成がある。
注意して観てごらん。この祈りの形にこめた簡潔な表現の中で、欠けている徳目は一つもない。信仰、希望、愛徳、従順、忍耐、委託、懇願、悔悛、憐れみ、すべてがそこにある。
主の祈りの最初の四つの祈願(注1)を唱える間、あなたたちは、天上の楽園すべてとともに祈るようにしなさい。そして、その後、あなたたちを待つ住まいのある天を離れて、地上に戻り、両腕を天に向けて挙げたまま、残りの三つの懇願(注2)を唱えなさい。この懇願は、現世で必要なものを願い求めるためのものであり、また、天国へ帰るための戦いに勝つよう、助けを求める祈りである。」(2015年9月1日)


訳者注
(注1)最初の四つの祈願は「天に増しますわれらの父よ」「願わくは御名の尊まれんことを」「御国の来た欄ことを」(御旨の天に行わるる如く 地にも行われんことを」の四つの祈りを指す。
(注2)残りの三つの懇願は(われらの日用の糧を今日われらに与え給え」「われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え」「われらを試みに引き給わざれ、われらを悪よリ救い給え」の三つの祈りを指す。
 

カテゴリ→天よりの御言葉

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